とはり
2025-05-31 04:01:49
1800文字
Public ハデ少
 

【ハデ少】それでも春は廻る

少し変則的なハデ少転生(?)パロ
⚠『La Mort』と『迷い子バラッド』のクロスオーバー 時間軸は迷い子バラッド
迷い子バラッドの設定は楽曲やMV、アプリのストーリーから拾った要素を自己流に解釈した捏造だけ
とってもファンタジー

喪失寓意のMVを見た時から、輪廻を繰り返す少年の魂を祓って輪廻を絶ち切る蛟(ハーデイ)を書きたい!!と思っていたので形にできて満足
MV公開から10ヶ月経っているんですけどね……遅筆ってレベルじゃないぞ
"輪廻から解き放つ「もういいよ」"の部分が書きたかったんだけど難しいね






 蛟は自身の管轄内にある、かつて古い教会があった土地へと降り立った。
 かつて、というからには今現在そこに教会はない。とっくに取り壊され、その跡地には幹を太く張った桜の巨木が高く高くそびえ立っている。まるで御神木だ。教会と御神木というのは奇妙な取り合わせではあったが蛟は細かいことに興味はなかった。天に手を伸ばすように広がる枝は一般的な大樹の幹ほどの太さもあり、蛟は桜の香りに埋もれながらそこに寝そべって過ごすのが気に入っていた。何となく居心地がいいのだ。ここは蛟の管轄ということもあって他の土地神が立ち入ってくることもほとんどない。一人で考え事をするのにもうってつけだった。
 蛟が時たびここを訪れるのは他にも理由があった。
 元々教会が建っていた名残なのか、この場所は魂の残滓にも満たない霊魂達の溜まり場になりやすかった。
 人であった頃の未練や悲しみを湛えた魂の残滓が、教会という救いを与える場所を求めて無意識のうちにここに引き寄せられてまうのだろう、というのが蛟なりの考えだった。
 祈りの矛先や赦しを求めて彷徨う魂はひどく不安定で、鬼や妖のもつ瘴気にあてられて悪霊化しやすい。そして、悪霊化した魂は鬼や妖の力の糧として利用され、時に蛟ら土地神に牙を向く。
 定期的に霊魂を祓ってやるのが土地神としての責務のひとつでもあった。
「ふう。こんなもんか」
 近頃はこういった庭掃除ですら億劫になるほど力が弱まっていた。人々の土地神への信仰が薄れ、満足に力を発揮することもできない。もどかしくて情けなくて腹立たしいが、信仰というものは自らの力でコントロールしようもない代物なのだ。それがまた無力感を煽ってやるせなさを連れてくる。
 雑務を終え、今日も桜の枝でひと休みするかと、風に乗る仄かな香りに誘われて青空の下を歩き始めた時、弱々しい光の玉がひとつ纏わりつくように周りを漂っていることに気づく。祓い損ねた魂だろうか。霊魂に懐かれる体質も心当たりもないのだが、それは蛟の動きに合わせてふよふよと浮かびついてくる。
 ほとんどの霊魂は自我を持たず、生前の欲や未練に縁のある場所や物の周りに自然発生的に集まり留まる傾向にあるが、時折、自我が残っている霊魂に出会うこともある。おそらくこれもその類だろう。無自我の霊魂とは異なり、動きに明らかな意図を感じたのだ。
 自我が宿っているとはいえど、会話が可能なほど強い自我をもっているものもあれば、自らの望みや祈りを発するのが精一杯な希薄ものまで様々だ。
 か弱い霊魂の意図に耳を傾けるべく意識を集中させると「かみ、さま……?」と今にも消え入りそうな掠れた声が届く。はっきりとは聞こえないが子供の声のようだ。神に救いを求めるただの霊魂か。こんな存在になっても神を求めるなど、よっぽどかみさまが好きらしい。
 純然で無垢でほんの少しの寂しさを内包した魂。放っておいてもその内に霧散しそうなほど希薄な存在だが、他の魂と同じく不安定であることに変わりはなく、わずかな綻びにつけ込まれて悪霊化しないとも限らない。自身らに仇なす存在になる前に祓ってしまおうと手を翳した時、それはまた声を発した。
「はーでい……?」
 それはひどく懐かしい響きだった。ひどく懐かしい声だった。蛟はそれを知らないはずなのに。
 一瞬目を見開いた蛟だったが、すぐにいつもの冷淡な目つきに戻り「人違いだ」と返しながら霊魂を祓う。その力に呼応して強く瞬いた光は同じ色をした晴天の空へ導かれるように上っていく。
……こんなところまで廻って来ちまって、仕方のねえやつ」
 蛟は淡い光が天に還っていくのを静かに見送った。呟く声は誰にも届かない。
 蛟自身を形作るよりもっと奥深くの地層にあった記憶と感情が湧き水のようにじわりと滲み出てくる。擦り切れたフィルムのように朧気に蘇ってきた思い出は蛟の内をぬるく濡らし、言葉を紡がせる。
「春はあれからいくつも廻ってきた。お前が慕っていた死神ももう、いない。だから、もういいんだ」
 もう廻らなくていい。探さなくていい。終わることのないかくれんぼを繰り返さなくていい。
「さよなら、だ。少年」
 消えていく光を少なからず名残惜しく思ってしまうのは、久方ぶりに信仰の片鱗に触れたからなのか、己の内に微かに残る古い魂の欠片が疼くからなのかは分からなかった。