しちろ
2025-05-29 22:04:51
1777文字
Public LOM・連載主人公の短編
 

埋火

シャドールと男主。

「懲りないねえ、死にかけさん」
 声がして振り向くと、青と白の縞々模様がケヒケヒ笑っていた。シャドールと呼ばれる、陽気で不気味な奈落の住人。
 壁から顔だけ出していたシャドールは、目が合うと、にゅうと這い出てきた。丸みを帯びたユーモラスな身体と、ヒトにあらざる長い尾があらわになる。
「懲りないって、どういうこと?」
「せっかく奈落から外界に出られるようになったってのに、変なガキ助けるために戻って来たり、タマネギのくだらねえウンチク聞きにきたり、死んだ珠魅どもに会いに来たりしてることさ。どんなに徳を積んだところで、運命から逃げられやしねえのにさ……あ、ここの外じゃあ、悪いこともたくさんしてたんだっけか? 噂でしか知らねーけど」
 ま、オレにはかんけーねえけどな。
 人間であれば、耳なり鼻なりほじっているところなのだろう。心底どうでも良さそうに言ってのけて、シャドールはまた嗤う。
 見た目も声も笑い方も、みな同じ。しかし、彼の纏う雰囲気には、覚えがある気がした。
「君は……前に話したことがあるな」
「ん?」
「ディドルを助けに来た時だ。彼に奈落の掟を教えてくれたのは、君だろう」
 きょとんとする彼に話してやる。こんなことを言ったシャドールがいたこと。


『ディドルとか言ったな。ここでの掟を教えてやるよ。逃げきったら……解放だ』
『言うまでもないが……逃げきったヤツなんて、いやしねえぜ』


「さてなあ……そんなこと言ったかなぁ?」
「言ったよ。君だよ」
 今度は、確信をもって言う。
 適当なこと言うねえ、とシャドールは玩具のような目玉をくるりと回した。
「シャドールはその日暮らしさ。生きていた時のことはおろか、ここに来てからのことだってろくに覚えちゃいねえ。そもそもオレたちは、自分とそれ以外のヤツの区別だって、まともについちゃいねえのさ。それなのに、オレたちの見分けのつく生者がいるとはねえ。いや、まあ、オレは生きてる人間と喋ったことなんざ、ほとんどねえんだがよ」
 自らを嘲笑っているようにも思えるシャドールの言葉。
 それは嘘だと、静かに否定した。
「だって君は、俺のことを覚えている。ディドルのことも、オールボンや珠魅たちに会いに来たことも、ティアマットとのことも」
 シャドールのまんまるの目が、これ以上ないくらいに丸くなった。
……なるほど、確かにそうだ」
 ひとりごちてケヒケヒ言う。しかし今度は嘲笑うような笑い方ではなかった。
「ああ、そうだ。お前の言う通り、それを言ったのはオレかもしれねえ。覚えている気もするし、そうじゃねえ気もするが……お前が言うのなら、間違いはねえんだろう」
 言葉を紡ぐうち、シャドールの深淵を覗き見るような目に、かすかな光が灯った。それも、すこしずつ、光を強めて。
「生前のことなんざ、オレは覚えちゃいねえ。だが、そうだ……『おれ』はあの日、『逃げたかった』。生きることに絶望して、奈落に落ちて、絶望していたくせに元の世界に帰りたくて、帰れなくて……気がついたら『こう』なっていた。シャドールになっていた。ディドルとか言う、あのガキ見て思ったのさ……同じになるんじゃねえぞって。ここから逃げちまえって。
……バカみてえだな、こんなこと、思い出したくなんかなかったぜ。シャドールでいれば楽だったのによ。仲間探しだけしていりゃ、楽だったのによ。ガキとお前のせいだ。恨むぜ。まあ、明日になれば、これもまた、きれいさっぱり忘れちまうんだろう。気楽なもんだぜ」
 シャドールの姿に、人の姿がかぶって見えた気がした。
 シャドールらしからぬ姿で、考え考え語ったシャドールは、最後に「こんなことは言いたかねえが」と前置きして、ぽつりと呟いた。
「お前に感謝するぜ……ほんの一時でも、オレをおれに戻してくれたこと」
 真顔で礼を述べたあと、まあ、すぐに忘れちまうがな、とシャドールは明るく言った。
「君が忘れても、俺は忘れない。今日のことは、生きている限りずっと覚えている。約束する」
「バカだなあ。そんな約束しても、何にもならねえのに。でも、ありがとよ」
 ケヒケヒ笑って、シャドールは煙のように姿を消した。
 消える間際、約束守れよ。お前はシャドールにはなるなよと、笑っていない声が聞こえた。