Ca(か)
2025-05-29 20:27:49
13422文字
Public dilumi SS
 

テールライトの約束を(前編)

風花祭限定ドリンクとして、特別なモクテルを作るディルックの話(ディル蛍) (※後編含む全文はpixivへ)


1



「君は風花祭限定のカクテルは作らないのかい?」

 モンド城内がエメラルドグリーンに染まり、国民の誰もが愛の祝祭の始まりをそわそわしながら待つ季節。酒場の常連のひとりであるウェンティがジョッキを傾けながら、カウンターに立つ僕にそう訊いてきた。
 まだ十九時だというのにできあがりつつある彼の様子を見て、柱に貼り付けてあるツケの明細をちらりと確認する。そこにはまもなく十万モラに届こうとしている伝票が連なっていて、客が彼でなければ二度見しているところだ。造った酒をうまいうまいと飲んでもらえるのは酒造家として幸いなこととはいえ、ばかすか飲めばいいというものでもない。魔神であれ人間であれ、なにごとも適量であるべきだ。ほどほどにと諌めるように片眉を上げてみせ、僕は小さく嘆息した。

「風花祭限定ボトルなら今年も用意しているよ。君ほどの酒好きなら、瓶詰めの時期はもうじきで、予約開始もそろそろだと予想がついているんじゃないのか」
「んふふ……その通り! でもここの常連としては、限定ボトルだけじゃなくて、ここでしか飲めないおしゃれな一杯もあったらいいのにな~って思うんだよね」
「カクテルと言えば、キャッツテールのほうでは限定カクテルが出るそうだが」
「もう! 僕は猫アレルギーなんだってば! そりゃあディオナに作ってもらうなら間違いないだろうけど、くしゃみで味が分からなくなるのが悔しいから君にリクエストしてるんじゃないかあ」

 ウェンティは頬をぷんとふくらませながら、再びジョッキを煽った。「旅人特製の錬金薬のおかげで、猫アレルギーが出なくなったんだよお」とキャッツテールの前の通りをへべれけで歩いていたのはつい先日のことだが、どうやらその薬も尽きたらしい。お酒はこんなにおいしいのに作り手はいじわるだなあ、とぐちぐち小言をこぼし始めたあたりでこちらもだんだん面倒になってきた。
 酒場は多少賑やかなくらいがちょうどいいが、さすがにカウンター席で延々ぼやかれては営業に支障がある。
 こういう手合いは一度ガスを抜いてやれば大人しくなるものだ。僕は渋々ながら、口を開くことにした。

「作るとは約束しないが、今後の参考に聞こう。例えばどんなカクテルを?」
「お、そうこなくっちゃ! えーと、そうだなあ……

ウェンティは斜め上を見るともなく見て考え込み、それからなにかを思いついたようにぱっと表情を変えた。

「風花祭は愛のお祭りでしょ? だから愛を……いや。「恋」をテーマにしたカクテルなんてどうかな」
……その心は」
「ふふ。それはもちろん——愛は見返りを求めず、恋はいつだって独りよがりだからさ!」


 そこでウェンティはおもむろにライアーを取り出して、ぴん、と一度つま弾いた。それが開幕の合図だった。
 その一音が響くなり、酒場にあふれていた豪快な笑いや大げさな冒険譚はふっと波が引いたようになって、まもなく紡がれ始めたメロディーが赤い顔をした人々の頬を撫でてまわる。まだ青い恋の詩を乗せた旋律が、店内に籠もる熱気を払うように爽やかに通り抜けていく。
 気づけば、どこからともなくセシリアの花のひんやりとした香りが鼻に届き、ひどく酔っ払っていた者たちの目にも芯が戻った。

……恋かあ。初恋は叶わないもんだって言うけど、俺はあのとき両想いだったと思うんだよな」
「はあ……今頃どうしてるかな、隣に住んでた女の子。璃月に引っ越して行っちゃったけど……次の出張で偶然会えたりしないかなあ」
「もう、私のばか! 遊学者のおじさまが教令院に帰っちゃう前に、思い切って告白すればよかった。 あんなに知的で素敵な人、もう出会えっこないわ」

 酒場の酔っ払いたちはにわかに湧き立ち、テーブル席のあちらこちらで自分の妻の話や、かつての想い人の話が次々に語られ始めた。そんな客席の様子をまぶしそうに見つめながら、ウェンティはライアーを奏で続ける。
 いつもは酒にだらしがない姿ばかりが目に留まりがちだが、ウェンティがひとたびライアーをつま弾けば、誰もがその旋律のとりこになった。場所も時代も越え、忘れたことさえ忘れていたような遠い記憶を呼び起こされて、色あせない思い出の数々に心震わせずにはいられない。彼がモンドいちの吟遊詩人を自称しても、張り合うことはあれど笑う者がいないのは、皆そのことを理解しているからだろう。
 人々の話題がすっかり甘酸っぱくなった頃、きりのいいところでふつりと歌を切ったウェンティはカウンターに並べられたりんごを手に取り、しゃくっとかじった。

「ん、おいし」
「酒ではないにしても、かじる前にせめて注文するふりくらいはしてもいいと思うが」
「これは今の歌のお代だよ。不足かい?」
「まさか。僕は音楽家じゃないが、少なくとも歌の良し悪しはわかるつもりだよ」

 そう言って、僕はシードルを注いだグラスをウェンティの前にすべらせた。「あれ、飾りのりんごが添えられてないよ」と言うので、彼の右手にある歯型のついたりんごを指してやる。元はと言えば、カウンターに置いてあるりんごは飾り用の材料だ。合点がいったウェンティはごめん、セルフサービスってことで、とからから笑った。

「僕の大好きなこのりんごと同じ、ぴかぴかにつやめく甘酸っぱい恋。相手の一挙手一投足に翻弄されて、胸をどきどき高鳴らせたり、食事も喉を通らなくなるほど想いをふくらませたり……あるいは、急に落ち込んだりしてね。ひとくち含んだ瞬間にそんなときめきが去来するカクテルがあったら——うん。間違いなく特別だと思うな」
「やけに抒情的だな」
「ちょっと、僕のことをなんだと思ってるの? 言うに事欠いて吟遊詩人にその台詞は野暮だよ。バーテンダーとしてそれはどうなのさ」

 ふくれっ面でじとりと睨まれたので、僕は肩をすくませて躱す。元素力や寿命など、すべてのスケールが人間とは桁違いの魔神たちも、果たして恋をするのだろうか。

「まあ、とはいえ恋の味は十人十色だからね。とびきり甘いカクテルを作って、それを恋の味だって言う人もいれば、胸に迫るようなほろ苦さで表現する人もいる。それに経営者として考えるなら、ターゲット層っていうのも大事なんでしょ? お祭りで出すってことなら、大人しか飲めないカクテルじゃなくて、みんなが飲めるモクテルのほうがいいのかもしれないし」
「酒が入っていなくてもいいなんて、君も殊勝な台詞を言うことがあるんだな」
「お酒が入ってなくてもおいしいものはいっぱいあるからね。それにここの風花祭限定ワインは、五本は買う予定なんだ。もとよりお酒はそっちで堪能するつもりだよ」

 そう言ってにっこり笑ったあと、ウェンティはおもむろにカウンターに身を乗り出してきた。
 そして僕にだけ聞こえるように声を落とし、そっとささやく。

 ——それに、お酒を出せない人にこそ飲んでもらいたい一杯もあるでしょ?

 その言葉に、グラスを磨いていた手が一瞬、ぴくりと止まった。
 しまった、と思ったときにはもう遅い。
 眼前のウェンティは「めずらしい顔だね」と機嫌よく微笑みながら、シードルに口をつけた。

 この詩人は——気ままな風を統べるモンドの神は、とっくに見抜いていたのだ。
 限定カクテルの話にはさほど乗り気でなかった僕が、恋という単語を聞いた途端にそっと背筋を正したこと。
 僕が彼のライアーの旋律によって思い起こされたのが、ほかでもないあの金髪の旅人だったこと。
 彼女のやわらかな笑顔を瞼の裏に追いかけながら、胸の中に去来する様々な思いにまさにぴたりと当てはまる味はどんなものだろうか——と、すでに何通りものレシピをシミュレートしたことさえも。
 ポーカーフェイスは商売人にとって(もちろん、副業においても)基本スキルだ。ほかの誰かなら絶対に悟られない自信があった。
 まさに神業だ——とはいえ、隠しておきたい胸の内を無遠慮に盗み見られたような心地がして、いささか不快ではあるけれど。


「君が作る恋の味、僕はけっこう興味があるよ。さあ、どんな味なのかな?」

 ——それこそ野暮だろう。
 意趣返しを食らった僕はふんと鼻をひとつ鳴らしたのち、忙しいふりをしながら口を閉ざした。




2



 深夜。
 真っ赤な顔をした上機嫌な客たちを家に帰し、クローズの札を出して表の椅子を片付ける。
 あれからも店はどことなく春めいた雰囲気で、つまりは恋の話でもちきりだった。普段は自分の勇敢さばかりを語りたがる冒険者も、妻に叱られっぱなしで困ったものだと眉を下げる農夫も、情けない男と結婚してしまったものだと大仰に話すマダムも、ウェンティの奏でるライアーを聴いてからは皆はにかみながら、話題を薄桃色に染めていった。ひとつひとつを盗み聞きするつもりはなかったが、一目では恋愛に興味があるようには見えない人でも、かつては恋に踊らされていたのだと知って少し驚いた。とはいえ自分だって、仕事と結婚しただなんて噂されていながら実際には片想いに身を焦がしているのだから、恋愛とは往々にしてそういうものなのかもしれない。

 ——君が作る恋の味、僕はけっこう興味があるよ。さあ、どんな味なのかな?

 春が来たとはいえ、まだ底冷えのする夜は静かだ。そんななか、ウェンティの言葉だけがずっと頭の中で響いている。
 彼はけして僕をからかっているわけではない。ただ、自国の民の——ひとの感情に興味があるのだ。愛を歓び、詩を紡ぎ、酒を交わして笑いあうこの国を愛しているからこそ、そこに生まれでる愛の感情に興味がある。もっとも神として人を見守るばかりというわけではなく、面白がってからかうこともままあるので、親しみが湧くほど人に近しい神というのも困ったものなのだが。

 ウェンティの言うとおりだ。
 自分は今、たしかに恋をしている。それもおそらく——遅れてやってきた"初恋"だ。
 子どもの頃から本を読んだり、連れられて行ったオペラを見たり、吟遊詩人の詩を聞くなどして、自分もいつかそんな経験をするだろうか——と、想像したことはあった。しかし物心ついてからの日々は鍛錬や家族愛、モンドを守るという夢、騎士としての誇りに彩られていて、正直なところ恋愛よりも大切なものでいっぱいだった。
 そうしてあの日、一夜にしてすべてが瓦解してからは余計にそんなことを考える暇はなくなって——流浪の旅を経て、あらゆる仕事を引き継いで日々奮闘した結果、気づけば自分は「仕事と結婚している」らしかった。その噂を聞いたときはエルザ達と笑ったものだが、父の代からワイナリーに勤めている彼らからしてみれば、僕が結婚や見合いなどに興味がないことには心配することもあっただろう。それでもあの頃にはすでに、幼い頃に思い浮かべたような運命的な恋はあくまで物語の中だけのもので、自分には縁がないものなのだと割り切っていた。そのつもりでいたのだ。
 あの日、モンドを襲う龍災を——誰もが諦めかけていた無風の日々を終わらせた、ひとりの少女に出会うまでは。


……らしくないな」

 ひとりごちる。クールを気取るつもりはないが、旅人のこととなるとどうも感情や行動の振れ幅が大きくなりがちだ。
 酒や恋に浮かれる年齢でもないというのに、彼女がモンドへ帰ってきたという噂を耳にすると、どうしても心が落ち着かなくなってしまう。日頃から気持ちのままに行動しないようにと自分を律していても、旅人がバーテンダー体験ウィークに申し込みに来たと聞いたときには走り出さずにはいられなくなって、自分の店に滑り込んだあとに涼しい顔で偶然の出会いを装ったこともあった。
 こんなにも格好のつかない男が巷では貴公子などと呼ばれているのだから、噂とはほんとうに当てにならないものだと思う。しかしそうやって己のペースを乱されることが、実際にはそれほど嫌ではないというのが本音であり——これが、俗に言う「惚れた弱み」というものかと身に沁みてわかった。

 けれど恋とは、楽しいばかりではないもので。
 以前、旅人から塵歌壺へ招待され、そのお礼としてドリンクを振る舞ったことがあった。
 先祖代々伝わるレシピをベースにしつつ、旅人の好みに合わせて調整したその一杯は試行錯誤の甲斐もあって彼女から好評だった。しかし、そのドリンクの名付けを頼んだとき——熟考する旅人に「君の名前をそのまま付けてみるか」と尋ねてみたところ、彼女は困ったように笑って首を横に振った。
 あの笑みは、単に自分の名前がつくのがくすぐったかったのか。それともテイワットの人間ではない自分の名前が、こういったかたちで残されることを避けたかったのか——旅人がなにを思ってあんなふうに笑ったのか、僕は今だにわからないままでいる。
 彼女についてはわからないことばかりだ。恐らく、知っていることよりも知らないことのほうがずっと多い。もともとそれほど口数が多いほうではないのだろうが、その素振りからして、あえて人に語らない部分もあるのだろう。

 テイワット全土を旅する彼女の足枷になりたくないがために、これまで決定的なことはなにひとつしてこなかった。
 彼女の中で、善良な男や頼れる存在という認識でありたいと思うからこそ、欲張って踏み込みすぎないよう慎重に距離感を見極めながら接している。
 それだというのに——自分の知らない誰かが彼女の隣に並び立ち、その手を引いて歩く姿は想像するだけで胸の奥が苦くなった。

 "愛は見返りを求めず、恋はいつだって独りよがり"——

 ウェンティの言葉が戒めのように喉をきゅっと締め付ける。
 旅人の力になりたいと思うだけなら、きっとその気持ちは愛だった。高潔な心はいつか手放した騎士道のなかにも理想として掲げられている。しかし彼女の背中を見つめる自分は、その旅路の無事を祈りながら、ふいにこちらに振り向いて笑いかけてくれることをたしかに期待してしまっていた。自分でもままならない、どうしようもないほどに身勝手でわがままなこの気持ちは、独りよがりな恋にほかならない。
 自分はもう少しうまくやれると思っていた。
 けれど蓋を開けてみればなんとか転ばずにいるだけの、不器用な男でしかない。

 もとより恋が叶うとは思っていないが、せめてこんな情けない姿は見せたくないものだな——
 そんなことを考えながら、僕は薄暗い店内へと戻った。



 照明を一段落とした店内では、ちょうどテーブルを拭き終えたチャールズが僕を迎えてくれた。普段は僕と入れ替わりでカウンターに立つ彼だが、風花祭が近くなると酒場が混み合うので、手が回らない日はこうして出てきてもらっている。

「お疲れさまでした、ディルック様。こっちは片付けがあらかた終わったところです」
「ああ、お疲れさま。今年も混み始めたな」
「そうですね。みんな今がいちばん忙しい頃でしょう。風花祭が始まると、ちょっとした家の修繕なんかも人には手伝いを頼みにくくなりますから。今のうちに人手が要りそうな大仕事を済ませておいて、夕方には労をねぎらいに酒場へやってきて酒を酌み交わす……モンド人かくあれかし、というやつですね」

 チャールズは腕を組んでしみじみと頷いた。
 風花祭は愛の祝祭だ。愛を得るためには、祝祭期間中はなにごとも自分でやらなくてはならない。とはいえ、モンド人にとって風花祭とはそういうものだという認識が強いためか、すでに愛を得ている人でもこのしきたりを守り続けていることが多い。
 もっとも、求めるものが必ずしも愛情とは限らないから、ということもあるのだろうが。

「それで、風花祭限定のドリンクとやらはどうされるので?」
……聞こえていたか」
「盗み聞きするつもりはなかったんですが、モンドいちの吟遊詩人の声は、モンドいち通るものですから。二階に酒を運んでいても真っすぐ飛んできましたよ」
「困ったものだな」僕は肩をすくめてみせた。「ちょうど、どうしようかと考えていたところだ。なにせもう祭りまで日にちがないからね。あの詩人の言うとおり、うちの店にもなにか気軽に飲める一杯が欲しいところではあるんだが」
「それについては俺も同意見です。ですが——

 チャールズはそこで言葉を切り、僕の目を窺うように視線を上げた。

「俺の思い違いでなければ、ディルック様がお考えだったのは「作るかどうか」ではなく、「なにを作るか」だったのでは?」

 図星だった。
 寸分の狂いなく言い当てられた僕は、ぐっ、と喉を奥に押し込むように唾を飲んだあと、小さく観念して息を吐いた。

……気が緩んでいる証拠かな。考えを見透かされたのは、今日二度目だ」
「ご心配なく。ディルック様のポーカーフェイスは、そうそう見破られるものではありません。ただ、俺はディルック様よりも少しだけ長く、バーテンダーとして人を見てきたというだけです」
「後学のために聞きたいんだが、なぜそうだと?」
「そうですね。バーテンダーが頭の中で理想の味を探すとき、目はそこにない材料を見て、閉じられた口の中ではまるで試飲をしているかのように舌が動く——なんて、俺がそうというだけの話ですがね。あの詩人が謡うあいだ、あなたの目と口元もほんの少しだけ動いていました。きっとバーテンダーの職業病なんでしょう」

 完敗だ。
 僕が小さく嘆息して両手を軽く上げてみせると、チャールズも笑って首を振った。とはいえただの勘ですよ、とチャールズは付け加えていたが、直感というものはなかなかばかにできないものだ。精進しよう、と返して、僕はおもむろにカウンター席に腰掛けた。

「その様子では、僕が彼に出されたお題のことも聞こえていたんだろう」
「ええ。ですので——今回は俺の出番はないかと。ドリンクの開発には関わらず、いちモンド人として、ディルック様の新作を楽しみにさせてもらうつもりです」
「僕よりも経験豊富なバーテンダーの意見を、参考にはさせてもらえないと?」
「ふふ。どんな素材を選び、どんな味に仕上げるか……それを決めるのは、“誰に向けて”つくるのか、という一点です。大衆に向けて作りたいのなら俺も力になりますが、そうでないなら、ただ味をブレさせてしまうだけですから。ましてや、恋を題材にしたドリンクに横から口や手を出すなんて、馬に蹴られでもしたら大変でしょう」

 チャールズは顎ひげを撫でながら、片眉を上げておどけてみせた。
 その意味ありげな仕草にふと、ひょっとすると彼にも、旅人への恋慕がばれてしまっているのではと思い至ったが——しかし、チャールズは僕がどれだけ目で訴えようと、視線をさらりとかわして知らんふりをするのだった。

「”詩人が詩を作るように、醸造家は酒を作る。バーテンダーはカクテルを作り、モンド人がそれを飲んだなら、詩を作らずにはいられない”——

 ぴかぴかに磨かれたシェイカーを軽く掲げ、チャールズは僕に笑みを向けた。

「風花祭は誰にとっても、愛と詩の祭りです。こういうかたちで祭りに参加するのも、悪くないのではないですか」




3



「今年度の風花祭では、アカツキワイナリーからは例年通り風花祭限定ボトルを販売する。それに加えて、今年はエンジェルズシェアでも新作のモクテルを出す予定だ。ただしこちらは現在開発中のため、詳細は追って申請する」

 風花祭が近づいてくると、西風騎士団は毎年「祝祭衛生・秩序維持に関する調整会議」と題して、協力店舗向けの会議の場を設ける。祝祭期間中の治安維持や混雑時の対応、食中毒などのリスク回避を事前に共有しあうことで、当日の騎士団の見回りルートを見直すほか、店側にも安全管理の義務を周知するねらいがあるのだ。
 今回の会議では、協力店舗側は提供を予定している暫定的なメニューを提出すればいいので、ひとまずエンジェルズシェアからは新作モクテルを出す準備があることだけを伝えた。すでに食品衛生許可を得ている店舗であるため、新規提供物についてはレシピが固まり次第、提供方法と併せて申請をすればいい。

 問題はそのレシピをどうするかだ。これから数日は店にこもり、じっくりと試作に取り掛からなければ。
 会議がつつがなく終わり、騎士団本部を出ようとしたそのとき——背後から軽やかな声が飛んできた。

「こんばんは、ディルック様。今年はエンジェルズシェアも新作を出すのね。ディオナちゃんがまたムキになりそうだわ」
……そう探りを入れられても、さっきも言ったとおりまだ試作段階だ。出せるものはなにもない」
「あら、私は同業者に労いの言葉をかけただけよ」

 振り向くと、そこにはやはりキャッツテールのオーナー・マーガレットがいた。
 彼女もまた協力店舗の代表者として会議に参加するため、騎士団本部に足を運んでいた。先ほどの会議によるとキャッツテールは噂どおり、新作カクテルを準備中らしい。

「それに、そっちの酒場からなにが出てこようと、うちだって負けないわ。今年はいつにもましてディオナちゃんのやる気が違うもの」
「やる気?」
「今年のディオナちゃんは一味違うわよ。大嫌いなお野菜をたっぷり買い込んできたかと思えば、あのちっちゃなお鼻をきゅっとつまみながら、毎日一生懸命ペーストにしてるの。ふふ……かわいいったらないわ」
……ベジ・カクテルか」
「さあ、それはどうかしら」

 わざとらしくくちびるに人差し指を当てて、マーガレットは笑った。

「ところで——聡明なディルック様なら、私がなにを言いたいかはもちろんおわかりよね?」

 彼女の声色はどこまでもやわらかい。
 しかし細められた目の奥には、けして一筋縄ではいかないしたたかさが潜んでいた。

 モンド市民の中には、マーガレットのことを「仕事をしないオーナー」だと評する者もいるが、それは大きな間違いだ。
 彼女には彼女のやり方がある。キャッツテールで人々が熱狂するカードゲームのように——すました顔で席につき、じっくりと手札をそろえながら、勝機がきたら迷わず攻め込む。ディオナの腕ばかりが話題に上がりがちだが、このオーナーの見た目によらない豪胆さもまた、今日こんにちの繁盛の一因だろう。

 ——こっちが一枚見せたんだから、そっちも見せてくれなくちゃ。フェアじゃないでしょう?

 マーガレットの双眸は悠々と語る。
 出せるものはなにもないと言っているというのに。
 けれど、たとえ一方的でもあちらの手札を聞いてしまったからには、もう知らんふりでは帰れないのも事実だ。

……ベースだけだ。それ以外はほんとうにまだなにも決まっていない。作ると決めたのは昨日だからな」
「昨日?」マーガレットは僕の言葉に驚き、意味深な瞳を引っ込めて瞬きした。「ずいぶん急ね。間に合うの?」
「間に合わなかったらそちらが得だな」
「あら、心外ね。帳簿は得でも気持ちが損よ。キャッツテールはいつだって正々堂々、エンジェルズシェアに挑むわ」

 腕を組み、マーガレットはにやりと口端を釣り上げた。
 エンジェルズシェアとキャッツテールは競合してはいるものの、けしていがみ合ったり、敵対しているわけではない。酒と詩人の歌をこそ楽しむ酒場と、酒と猫に癒やされつつ、カードゲームに興ずる社交場——それぞれの方向性が違うことを互いに認識しているからこそ、互いの領分を侵さないようにしながら、人々の夜を静かに奪い合っている。
 独占状態だった市場のシェアを奪われてエルザーは悔しがっていたが、商売においては程よい競争状態にあったほうがいい。顧客に選択肢を与えることは長期的に見ても悪いことではないし、商品やサービスの質が問われるのは比較対象があってこそだ。「ほかに行ける場所があるなかで、自分はこちらの酒場を選んだのだ」という顧客心理は信頼や満足度につながる重要なものであり、市場を独占していては得られない。
 なにより、張り合いがあったほうが面白いのだ。経営者としてもいちバーテンダーとしても。

「安心していい。こちらとしても、真っ向からぶつかるつもりはないよ。風花祭はそういう場ではないからな」

 向かい合うマーガレットの目がほう、と細まる。
 僕は彼女の目を正面から見据え、とっておきの手札を明かすように口を開いた。

「夕暮れの実の果汁。ものとしてはありふれているが……今回のモクテルのベースに、これ以外はあり得ないんだ」



 深夜零時。
 風花祭に向けた試作のために、今日は二時間ほど早く店を閉めた。祭が終わるまで忙しくなってしまうから、休めるときに休むようにとチャールズたちのことも早めに上がらせたため、静まり返った店の中には自分ひとりだけだ。
 カウンターテーブルには、グラスやマドラー、シェイカーといった馴染みの道具のほか、果実や茶葉、ビターズといった材料の数々が並んでいる。それらを前に、まだ掴めないイメージをどうにか手繰り寄せようと僕は目を瞑り、そしてゆっくりと思考の海へ潜り込んだ。

 カクテルとモクテルの大きな違いはアルコールの有無だが、だからといってモクテルを単にノンアルコールのミックスジュースだと言い切ってしまうのは早計だ。カクテルの魅力は、風味や後味の異なるスピリッツやリキュールを混ぜ合わせることで生み出される、味の奥行きの複雑さだ。だからモクテルはアルコールを使わないという大きな縛りのもと、いかにその奥行きを表現するかが重要になってくる。モクテルとはMocktail——Mock(偽の)、cocktail(カクテル)の二語を組み合わせた造語であり、偽のというからにはときに本物と見紛ったり、本物よりも本物らしい味わいを期待される。これまでにもアップルサイダーに最適なりんごの酸味や、スパークリングベリージュースに入れるヴァルベリーの熟成度などにこだわってきたが、モクテルとなると今回はまた違う部分に頭を使うことになりそうだった。
 とはいえ、今回のモクテルを作るうえでまったく取っ掛かりがないというわけではない。少なくともキャッツテールがベジ・カクテルのほうへ進むとわかっている今、エンジェルズシェアは気兼ねなくフルーツ方面に舵を切れる。ベースにと考えていた材料が競合店と被らなかったことは、大きな幸運と言えるだろう。

 マーガレットに明かしたとおり、ベースとしてまず思い至ったものは、夕暮れの実の果汁だった。
 以前、エンジェルズシェアのバーテンダー体験ウィークに参加した旅人に向けて僕がリクエストしたのは、この果汁をたっぷり注いで混ぜるだけの「グレーバレーサンセット」だった。まだドリンク作りのなんたるかも知らない子どもの頃に、父になにか作ってみろと促され、なにもわからないまま作った生まれて初めての一杯。今思い返してみても苦笑いが出るその思い出は、これまで他人に話したことなどなかったのに、彼女にはなぜだか打ち明けてみたくなった。

 ——ジュースと言えば甘いものだと考えていて、それ以外は頭から抜けていた。できあがったドリンクを前にした父が驚いたのも無理はない。一種類の果汁を混ぜくるだけだなんて、あれほど稚拙で短絡的な考えもなかっただろうからね。

 今でこそ一丁前にバーテンダーとしてドリンクを振る舞うようになった僕だが、子どもの頃にはそんな失敗もしたのだ——と、ひとときの笑い話になればそれで良かった。
 だが、旅人は僕のことを笑わなかった。
 彼女はただ、僕の言葉を受け止めるようにまばたきをひとつしたあと、そうかな? と小さく微笑んで首を傾げたのだった。

 ——私はそうは思わないよ。きっと「おいしい」って思ってくれたはず。

 ね、と旅人に声をかけられたパイモンも、オイラもそう思うぞ! とにこにこ笑っていた。

 父があのとき、ほんとうはどんなふうに思っていたのか、今となってはもうわからない。
 差し出したドリンクに目を丸くした父を見た瞬間、間違えてしまった、と無性に恥ずかしくなって、それ以上はまともに顔を見ることができなかった。なにも言ってくれなかった父はもしかしたらほんとうにそう思ってくれていたのかもしれないし、はたまた僕のとんちんかんなドリンク作りにアカツキワイナリーの廃業の可能性を見出して、渋い顔で嘆いていたのかもしれない。
 けれどあのとき、もう少し勇気を出して父の顔を覗き込んでいたら——旅人たちの言うように、「おいしい」と笑っている顔が見られたのだろうか。


 ”お前はいつだって、私の誇りだ"——
 いつかのブリーズブリュー祭で開けた熟成酒には、父のよく言っていた言葉が込められていた。
 今の自分の姿を見れば、父はけして同じ言葉をかけてはくれないだろう。父の夢だった騎士団を辞め、仲良く育ったはずの義弟とも血を流すほどの争いをし……そのほかにもきっと、多くの期待を裏切ってしまっている。
 これまでの人生におけるどんな選択も後悔しない、振り返らないと決めたはずなのに、理想の息子の姿からはずいぶんかけ離れてしまったという負い目が拭いきれない。だから今でも、あの穏やかな日々を思い返すたびに胸の奥がすとんと寂しくなる。

 この胸の穴が埋まることはないだろう。
 喪失があってこそ人は成長するというのなら、この痛みは僕に必要なものだ。理想に向かって進もうとするかぎり、生涯抱え続けていかなければならない。
 そう思っていたのに——あの日ブドウ畑まで会いに来た旅人の言葉は僕の胸にやさしく響き、寂しさをほんの少しだけ埋めてくれたのだった。

 ——今も昔も、きっと、お父さんがディルックさんを思う気持ちは変わらないと思うよ。

 ありふれた言葉だ。誰もが口にできそうなほど飾り気のない一言。しかし旅人がそれを口にした途端、まるで胸の中に仕舞っていた思い出に陽が差し込むように、じんわりと心がほどけていくのを感じた。
 ほかの誰かの言葉なら安い慰めだと思ってしまったかもしれない。けれど旅人は数少ない、僕の秘密を知る人間だ。僕がけして清廉潔白な市民などではなく、夜闇に紛れて手を汚すことも厭わない人間なのだということを知っている。たとえその理由がモンドを守るためであっても、胸を張ってまっとうな人生を歩んでいるとは言いがたい。
 そんな姿を知ってなお寄せられるその言葉が、どれほど得難いものなのか——旅人の言葉をなぞるたび、彼女から寄せられる信頼にはかならず応えなければと強く思う。
 旅人の言葉には芯があって、地に足のついた重心のようなものを感じる。いつだってその身ひとつで運命を切り開いてきた彼女は気高く、あまりに眩しい。だからこそ、その言葉にもたしかな重みが宿る。

 きっと人はこれまでも、こうして「自分にとっての唯一」を見出してきたのだろう。
 そんなことを思いながら、ブドウ畑で微笑む彼女を見つめていた僕はあのときすでに、自分がとっくに引き返せない所まで来ていることを自覚していた。


……うん」

 真夜中の店内でそっとまぶたを開き、ひとり頷く。作りたい味が決まったのだ。一度大きく息を吸い、やれる、と腹に力を込めた。
 けれど今ここでその味を作るには、材料がいくつか足りなかった。そのため、あれも、これも、と思いつくものを片っ端からメモに取り、材料によっては直接採取しに行くことに決めた。ほかのどんな酒を作るときにも、どんなドリンクを作るときにも手を抜いたことはないが、この一杯についてはなおさら納得がいくまで作らなければならない。
 少しでも妥協した途端、まるで恋そのものが失われてしまうような——そんな気がしたからだ。

 夕暮れの実はいっとう瑞々しいものを惜しみなく絞って。
 白ぶどうはもっとも香り高く、糖度も申し分ない夜摘みのものを。
 レモンバームとカモミールは朝摘みに。
 そして最後に浮かせるソーダは、せっかくの香りを飛ばしてしまわないように微炭酸のものを。
 
 足して、引いて、入れ替えて、頭の中にあるイメージを少しずつ味覚に落とし込んでいく。
 画家が理想の色を探すように。演奏家が至上の音を追いかけるように。吟遊詩人が詩を編むように——いつでもすぐに思い出せる鮮烈な感情だけでなく、次の瞬間には見失ってしまいそうな曖昧な心の動きさえも取りこぼさないよう、慎重にすくい上げては目を凝らした。


 ひとくち目で爽やかな風を感じて、味わうごとにすっきりとした甘みを感じ、軽やかな喉越しのあと、ほんの少しのほろ苦さを感じる——
 自分にとって、恋とはまさにそういう味なのだと見いだせたのは、外が白み始める朝四時を過ぎた頃だった。