【スタゼノ】On a prayer

初めて紛争地への派遣が決まったスタンリーと、動揺するゼノの話。
続編R-18『火傷』( https://privatter.me/page/683ab5c3778fd

 紛争地への派遣が決まったのは、ゼノが長年夢見てたNASAに招聘されて、そこで取り組み始めた小難しい研究が軌道に乗り始めた時のことだった。でも、悪名高い敵国への派兵が決まっても、俺はあまり動揺はしなかった。ずっと夢見てた空軍に入ったんだ、それも狙撃の腕を見込まれて特殊部隊に配属されたんだ、いつかこんな日が来ることは薄々分かっていた。そう、密かに望んでいたとすら言っていい。
 でも精密射撃用のライフルやスコープ、レーザー距離計、暗視装置、迷彩服やギリースーツ、そして弾薬のチェックをしながら、俺はそういえばまだJAGの助けを借りもせず、遺書も、少なくない財産やローンやアパートの管理の委任状も、生命保険の受益者指定も更新してないってことを思い出した。そして緊急連絡先に、恋人であるゼノを指定出来てないってことも。
 俺を特殊部隊に配属した髭面の黒人上官その人は、多くの兵士が真っ先にするそれらの手続きを、俺が訓練や体力管理にかまけていつまで経ってもやらないことに気を揉んで、基地に配属された老年のチャプレン――いわゆる教会の外で働く牧師――から洗礼を受けてみてはどうかなんてアドバイスをくれた。その流れで、軍で推奨されてるメンタルケアプログラムも受けた。PTSD予防のセッションも受けたし、捕虜になった時のために(スナイパーなんて卑怯者だと敵に一番憎まれてる人種だ、きっと真っ先になぶり殺しにされるだろうが)SERE訓練も受けた。でも、俺はそれでも遺書は書けなかった。いや、書いてはいたが、それはまだ軍隊に入ったばかりに作成したもので、今からすると現実が見えていない甘ったるいものだった。
 恋人であるゼノとは、入隊以降あまり会えていない。それでも特殊部隊に配属される前には、毎月、そして長期休暇には会っていたんだけれども。
 そして馬鹿げたことに、結局俺は派兵前の訓練や何やらで、彼は研究で忙しかったので、彼に紛争地に行くと電話で告白したのは、紛争地に赴く一週間ほど前のことだった。そう、死地に赴く、たった一週間前のことだったのだ。
 
 
「そうか、君を選抜した上官は切れ者だね」
 窮屈な下士官用のベッドに腰掛けてスマホでコールした向こう側で――彼の勤務地は機密だったから詳しいところは知らないが、多分エイムズ研究センターの一室だろう――あっけないくらい軽くゼノは言った。恋人の動揺を想像していた俺はそれにちょっと落胆して、でも、いや、俺はあんたの望むとおりに帰って来られる男だかんね、と思い直した。どんな場所にいたって、あんたのもとに帰ると誓ったんだかんね、と。
「それで、いつ行くんだい?」
「あー、あと一週間ってとこ」
 俺がそう言うと、電話の向こう側に少しばかりの沈黙が漂った。ほんのちょっとだけの、窮屈な時間が漂った。
 その時間、俺は足を組んで窓を見た。部屋の窓からは夕暮れ時の赤い光が伸びていて、もうすぐ夜やがって来るのだと、それをあと少し繰り返したら、俺は紛争地送りなんだと思った。俺が所属する基地はモハーヴェ砂漠のロジャース乾湖にあって、喧騒からは遠かったから、基地内のダイナーですらテーブルの調味料まで整然としていたから、なんとなく、忙しない過去に戻りたい、と思った。俺がハイスクール、彼が大学にいた頃に戻りたいと思った。
「君ならラマーディーの悪魔の再来になるかもね。シルバースターも夢じゃない」
「クリント・イーストウッドに映画化されろって?」
「そしたら、きっととびきり顔のいい俳優に演じてもらえるよ」
 ゼノはそんなジョークを言って、また沈黙した。もしかして、彼は動揺しているんだろうか? まだあんたを緊急連絡先にいれるか迷ってて、遺書すら書けていない俺よりも? でも、そんなの俺が空軍に入った時から分かっていたはずじゃないか。ティーンの頃、馬鹿げた賭けでやらかしちまって、訴追免除と引き換えにこの国に忠誠を誓わされた日から、俺たちは自分の人生がままならないものだって分かってたはずだった。ゼノはその頭脳を合衆国のために、俺は狙撃の腕をやはり合衆国のために差し出すと、日常生活じゃあなかなかお目にかかれない階級の男(いわゆる国のお偉いさんだ)と契約したのだった。それでも、ゼノは努力に努力を重ねて、NASAへ入る夢を叶えたのだけれども。
 俺は狭いベッドに腰掛けながら、赤い日差しが薄闇に変わってゆくのを眺めた。でも、そんな時、思いも寄らない言葉が耳に入った。そう、ゼノが声を振り絞るようにこう言ったのだ。
「スタン、僕はこれから馬鹿を言うよ。……君に会いたい。今すぐ会いたい。分かってる、君にもこれからの準備があるってことくらい。でも君に会いたい、家族じゃない僕が基地に行っても君に会えないことは分かってる、でも、君に会いたいよ」
「ゼノ……
 信じられないくらいの熱烈な告白なのに、俺はただ彼の名を呼ぶことしか出来なかった。やっぱり俺も、少なからず動揺してたんだと思う。でも俺も、今すぐあんたに会いたい。外出許可証は申請してないが、今すぐにこの基地から抜け出してあんたの部屋に行きたい。そう言ったら、上官は許してくれるだろうか? カムアウトもしてない同性の恋人に会いに行っていいって、俺に洗礼を勧めた上官は許してくれるだろうか?
「分かった、会いに行く。あんたの家で待っててよ」
 絶対に行くから。会いに行くから。そう言って、俺は愛してるって祈るように言って電話を切る。あんたしかいないんだ、あんたの願い事は、全部叶えてやりたいんだって思いながら。手に残ったスマホは熱く、自分が火照ってるみたいだった。恋人にお願い事を言われて、俺は興奮してるみたいだった。
 二人で見た夢を叶えたい。あんたの側に立つって夢を叶えるためには、特殊部隊に入って危険な紛争地に行くのも厭わない。でも、その前にゼノ、あんたに会いたい。俺は、あんたに会いたいよ。誰よりも、あんたに会いたいから。
 
 
 結局、俺は電話を切った後、馬鹿正直にずっと付き合ってる同性の恋人に会いに行きたいって言って例の上官に言ってため息をつかれ、でも彼は俺の全部がお見通しだったのか、それとも俺たちの関係は諜報部に知られてたのか、イレギュラーなケースだっていうのに(繰り返しになるがため息をつきながら)今日と明日の外出許可証にサインをしてくれた。その紙切れを手渡しながら、お前が心配なんだスナイダーと、彼は言った。お前は誰よりも腕がいいが、そういう奴ほどコンバット・ストレスが大きい。お前はこれから合衆国のために紛争地に行く。そのためには、決して未練を残すな。少なくとも、四週間は帰って来られないんだから、って。
 俺はそう言われて、格式ばった敬礼をして執務室を出た。そして軍服姿のまんま、煙草を咥えるのも忘れてジープに乗って、ゼノが家を構えている、エイムズ研究センター近くの住宅街に向かった。俺は恋人に向かって簡単に会いに行くと言ったけれど、彼の家は俺のいる基地からは遠かった。高速をかっ飛ばしても辿り着いたのは日付けが変わるくらいで、でもクラフツマンスタイルの窓からは煌々と光るランプが見えていて、俺はあぁ、ようやくあいつに会えるんだって思った。
 広い駐車場にジープを止め、キーを抜いて柵で囲まれてる玄関口まで走る。家族向けの、ベンチが置かれてるカバードポーチには、彼が読んでいたのだろうか、分厚い書類が置いてあった。俺はそれを手にして、遠慮なくドアを開ける。鍵は渡されてたから、ベルも押さずに殺風景な家の中に入る。
「ゼノ……?」
 俺は書類をソファ脇のテーブルに置いて、リビングを探し、ダイニングを探し、バスルームを探し、インナーガレージを探し、結局は彼の書斎に行った。するとそこにはこんな時刻だというのにまだスーツ姿のゼノがいて、彼はコンピュータに囲まれた椅子の上に座ったまま、じっと窓の外に広がる夜の景色を眺めていた。
「スタン」
 彼は俺に背を向け、少し上擦った声で俺の名を呼んだ。俺はそんな恋人に近づいて、ネイビーカラーの軍服のボタンを外してゆく。
……わがままを言ってごめん。君が望んでた特殊部隊に選抜されたのは喜ぶべきことなのに」
「そんなこと気にしてんの? あんたらしくないね」
 俺はゼノの前でジャケットを脱ぎ、彼が座る椅子の足元に跪いた。するとゼノは戸惑った顔をして、俺を見つめた。きっと、突然のことで困惑しているんだろう。でも、あんたは俺のたった一人の恋人だ、プリンセスだ。絶対に帰るから、どうか俺を信じて欲しい。そう思って彼の真っ黒な瞳を見つめると、ゼノはそれを揺らして俺を見た。そして、俺が派兵される紛争地の名前を口にした。もちろん、俺は驚いた。でもすぐにこのコンピュータで軍のシステムにハッキングしたんだなって思って、そこまで彼が動揺してたことに俺は驚いた。いつもは綺麗に撫で付けられてる銀髪は乱れて、ほつれて額にかかっている。ふっくらとした唇も、噛みすぎて薄っすらと血が滲んでいる。
「スタン、君の腕がどれだけいいからって、新兵の君をあんなところにやるなんておかしいよ」
 本当に、今日はあんたらしくないね。俺を愛しすぎておかしくなった? そんなふうに心配するなんて、本当にあんたらしくない。いつもなら、君なら出来るだろうって、無事に帰ってくるだろうって、そんなふうに余裕たっぷりに言うはずだ。もしかして、ハッキングした先で、悪いデータでも見た? でも、そんなのデータでしかない、可能性でしかない、俺がやれるって言ったらやれるんだ、俺は絶対に帰ってくるってそう信じてる。
 でも、でも俺はまだ遺書も書けてなかったし、少なくない財産やローンやアパートの管理の委任状も、生命保険の受益者指定も更新してなかった。そして緊急連絡先に、恋人であるゼノを指定出来てもいなかった。俺もやっぱり、可能性ってやつに振り回されていたんだろう。
「なぁ、あんたに委任状を書いていい? あのアパート、気に入ってんだ。生命保険の受益者に指定していい? 緊急連絡先に入れていい? それから……
「スタン、やめてくれ、そんな――
「違うって、ゼノ。帰ったら、俺とパートナーになってくれるかって尋ねてんだけど?」
 跪いて、ゼノの手のひらにキスをして、俺は彼を見上げる。するとゼノは黒い目を揺らして、こんな時に、だとか、君ってそういう奴だったよ、だとか、もごもごと口を動かした。彼は笑っていた。いや、泣き笑いと言ってもいいだろう。俺の不器用なプロポーズに、彼は涙を浮かべていた。
「もちろん、君がシルバースターを持って帰って来たらね」
「俺のダーリンは欲張りだな。でも俺なら出来んよ」
 あんたのために、俺は合衆国の敵を殺す。上官からの命令を受けて殺す。その敵たちに大切な家族があっても、合衆国の利益のために、政治的な理由で殺す。だって俺は軍人でしかないから、軍人に思想は必要ないから、俺はただ引き金を命令通りに引くだけだから。俺が唯一望むのは、あんたと月に行くってことだけだから。
 俺は跪いたまま、ゼノのネクタイを引っ張ってキスをする。優しく重ねるだけのそれから、舌を絡めて唾液を啜るそれに変わってゆくキスをする。ゼノは俺の頬を包んでそれに答えてくれる。
 俺は古い歌を思い出す。親父がガレージに置いたラジオで聞いてた、懐かしい歌を思い出す。
 ――俺たちはまだ道半ばにいて、だから何かを信じて生きるしかないんだ。手を取り合おう、そしたら俺たちはきっとうまくいくさ。だって俺たちはそう信じて生きるしかないんだから。
 そう、俺たちは何かを信じて生きていくしかない。今の俺たちにはそれしかない。それは不安でしかなかったけど、でもそしたら、きっと上手くいくから、これを乗り越えたらきっと上手く、俺たちはいつか夢に辿り着いて、そして心の底から愛し合えるから。なぁ、そうだろう、ゼノ。俺たちは、ずっと夢を信じてるだろう?
 俺はゼノの腕を引っ張って、彼を抱き締める。強く強く、夢を、あんたを信じてるって、そうやって生きていくからって、俺は強く、強くゼノを抱き締める。



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