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2025-05-28 12:48:45
2629文字
Public
 

カップ二つ分

全年齢┊バキサム┊イチャイチャする二人の話




 来訪を知らせるチャイムに疑いなく出てしまったのが、その日サムが犯した一つ目のミスである。我が家のように上がり込んできた男は、真新しいスーツを身につけていた。
「何しに来たんだ」
「会いにきた」
 顔色一つ変えず、そんなことを言って距離を詰める男をいなし、キッチンに立つ。
「だったらどうしてそれを着てる。会いにくるだけなら私服でいいだろ」
「アイツらに色々聞かれるのが面倒で」
「いや、そのスーツ着てる方が聞くだろ普通」
 サムの発言に「そうなんだよ、アイツらときたら……」と語り始めたバッキーを横目にコーヒーメーカーに豆を投入する。一通り聞き終えてから視線を向けて、息を大きく吐いた。
「おまえって馬鹿だよな」
「なあ、俺たちが喧嘩するのは違うと思う」
 もうこちらの話など聞く気もない様子で、いつのまにか隣に立っていた男はまるで逃げ道を塞ぐかのようにサムを包み込んだ。キッチンテーブルと男に挟まれて身動きが取れなくなる。左右どちらへ行こうにも、腕が邪魔をしてどうにもならない。
「別におまえと喧嘩するつもりはない。コーヒーを淹れようとしてるのが見えないのか」
 新たに用意したものと合わせて二つのカップに視線を向けると、バッキーがそのうちの一つを手に取った。
「サム」
「俺らの関係は揺らぎようがない。だってただの二人なんだから、そうだろ」
 男が油断しているうちに腕からすり抜け、カップを奪ってセットする。すると、タイミング良く電子音が鳴って、スイッチを押した。芳ばしい香りとともにカップへ注がれる珈琲を眺めながら、チラと隣を窺う。男も同じように注がれる珈琲を眺めていて、なにを考えているかは読み取れない。
「ただの二人か」
 右手に感じたメタルアームの冷たさに安堵を感じた。するりと指の間に入り込み、その感覚が数々の記憶を掘り起こしていく。指を絡めて手を繋ぐ二人がはたして、ただの二人なのか。
 実は、そうしている時こそ自分たちがただの二人なのだとサムは感じていた。しかし、かの男は古い考えをお持ちなのか肩書きを欲しがる。
「今こうしている時くらい、ただの二人でいたい」
 期待はしていなかったが、正面から抱き締められて、ちゃんと伝わったことを知る。気持ちを全身で受け止めているかのような力強い抱擁は、珈琲が完成したことを知らせる電子音が鳴るまで続いた。
「熱いから気を付けろよ」
 バッキーに近い位置へカップを置き、自分のカップを手に口元へ近づける。しかし、カップを持つ手が生身の手とメタルアームに包み込まれた。
 ふう、と息を吹きかけて自分より先に珈琲を口に含んだ男は一つ頷き「うまい」と目尻に皺を寄せる。
「自分のがあるだろ」
 そう言いながらも、頬はやわらいだ。一つのカップを二人で持ちながら分け合うなんて小っ恥ずかしいことも、なぜか気にならない。
「今日は予定なし?」
 バッキーの問い掛けに首を振って、ごくりと珈琲を飲み込んだ。
 今日は昼からホアキンと計画を詰める予定だ。アベンジャーズのメンバーについて、本来ならもう決定していてもおかしくないのだが、ニューアベンジャーズのおかげで計画が破綻した。それを立て直し、もっと予想外の出来事に対応するためのプランがいる。
「昼から用がある」
「俺もだ。だからこんな時間に」
 時刻は午前六時を過ぎたところ。あまりに早い時間の来訪に油断してしまったのも仕方ない、と自分を正当化し、男の目を見た。
「実際のところ、なにしに来たんだ?」
「だから、会いにきた」
「もういいって、そういうのは。別にリサーチしにきたって言っても怒らない。俺がおまえでもそうする」
「リサーチしにきたなら、もうとっくにこの家を出てる」
 いまだに手を重ねてカップを持つ自分たちを俯瞰で見て、サムは溜め息を吐いた。
「それもそうだな」
 カップをキッチンテーブルに置く。隔てるものがなくなったことで、バッキーとの距離をより近くに感じた。
「キスがしたい」
 くすぐったいくらい甘い声で囁くから思わず笑ってしまって、しかし、唇が近付いてくるにつれてどうしようもない焦燥感に襲われた。
「ま、待て」
 手のひらを間に挟むことでキスは免れたが、あとほんの少しで触れていたであろう唇にありつけなかった男は狼の如く目をつりあげている。
「したくないわけじゃない、本当だ」
 なにを必死に言い募っているのか、自分でもよく分からなかった。
「バッキー、約束してくれ。なにがあっても俺たちの関係は変わらないと」
 世界は常に変化し、自分たちを巻き込んでいく。どれだけ変化しても、今、ここにいる自分たちの関係性はなに一つ変わってほしくない。厳しい世の中で、ほんの少しでも力を抜いて、幸せになれる時間を求めることは我儘だろうか。
「そろそろ手を退けてもらっても?」
 手に阻まれて怒っている、それか呆れているかのような声色だった。素直に聞いてやると途端に唇がぶつかって、余韻もないままに舌が入り込んでくる。ザラついた舌が珈琲の苦味と一緒に口内を蠢き、舌がぶつかり合うとピリリと電気が走ったような気がした。
 キッチンカウンターに腰を預けた姿勢は、バッキーが前屈みになることでより後ろへ仰け反り、苦しくなっていく。息が詰まれば、それだけ呼吸が荒くなり、舌は無防備になる。途中、溺れたような感覚に陥ってもがくようにバッキーの腕に掴まった。
……俺たちは変わらない。世界がどう変わっても」
 そんなことを言う唇が唾液でぬらぬらと光っていて、さっきまでのキスを鮮明に思い出させる。安心するのと同時に言いようのない感覚がチリチリと芽生えた気がした。その正体をサムは知っている。
「なあ、まだカップ一つ分のコーヒーがある。あっちに座って話でもしないか」
 もう冷めたかもしれない。いいや、どうだろう。冷めることなんてあるのだろうか。珈琲の話か、それともまた別の話か、頭の中でこんがらがった糸をほどくのはやめてカップを持ちソファーに座った。
「そういえばサム、スーツを新調したんだっけ?」
 隣に腰を下ろした男はどこか不満気だ。その意味するところをサムは汲み取って、小さく笑った。
「見ただろ、すごくかっこいいんだ」
 カップに口をつける。この日サムが犯したもう一つの過ちは、この男が好きでたまらないってことを口にしなかったこと。