RINGO
2025-05-28 01:38:15
3659文字
Public 境界の灯
 

番外編2-3


 フギンは、カラスの姿で山を下り、小さな集落へ舞い降りた。
 建物の影に下降していく内に、翼は腕に、趾は人間の足に姿を変えた。
 地上に降りると、その影が立ち上がり一人の青年として現れる。

 濡羽色の髪の金目で細身、まるで女性のような顔をしている男性の姿。
 この辺鄙な田舎には不釣り合いなほど美しかった。

 だが、それを気にすることなく慣れた足取りで宿屋に入っていく。
「おっ!フギンじゃないか!いらっしゃい。」
 カウンターの向こうから亭主が、人の良さそうな笑顔を見せた。
「今回もお世話になります。」
 フギンは目を細めて微笑んだ。


 国を作ると目標が決まってから、とにかくまずは拠点を決めようと二人は考える。
「とりあえず、この地上で一番勢力が大きい種族は人間です。人間から国と認められて、やり取りできれば大分心強いと思います。」
 寝転がるフェンリルの横にカラスの姿で、ちょこんと座りながらフギンは言った。
「人間か。俺はあまり詳しくないが、お前は魔女と暮らしていたんだろう?どんな奴らなんだ、人間は。」
「私を拾ってくれた魔女様は、人間の中でもかなり変わり者と言いますか……あまり他人と関わらない方でしたので、参考になるか分かりませんね……。」

 あぁ、でも……と、フギンは懐から綺麗な石を取り出した。
「先ほど拾いましたが、人間はこういう魔石を資源として国同士で売買しているようです。」
 フェンリルは眉を顰めて、その石を見つめる。
……こんな石ころを?ちょっと奥まった森やら山やらでよく見るぞ?」
 フェンリルは置かれた魔石を軽く転がして、怪訝な表情を浮かべた。
「人間の街で観察していて気づきましたが、これは魔法が使えない人間向けに、道具に取り付けて灯りを作ったり、水を温かくするのに使われるようです。まるで魔法の様に生活を支える技術だと、都市部を中心に高値で売買されているとか。」
 そう言って、フギンはフェンリルをまっすぐ見つめる。
「私たちには不要でも、彼らには必要不可欠なものになりつつあります。」
「つまり、この石があれば人間と渡り合えるきっかけになると。」
 フギンは、その通りです。と頷いた。

 その事から拠点は、他の魔族と衝突せず、かつ魔石が獲れる場所が良いという事になった。
 恐らく最初は国と言うには小規模なものになるだろうが、そんなものは安定して、豊かになったら追々広げればいいのだ。

 同時に人間がどのように暮らしているのか調べるため、フギンは人に化けて国を巡り、フェンリルは、条件に合う土地を見て回ることになった。
 単独行動で大丈夫かとフギンは心配したが、フェンリルは首を振る。
「逆に俺が単独行動していた方が、【魔王】だと気付き辛い上、狙う方も戦力がどれくらいかわからないから、攻撃しづらいだろ?」
 そう言って立ち去る彼の背を、フギンは見送った。
 心細い気持ちに蓋をして、フェンリルの背中を心に刻み、フギンは静かに翼を広げた。


 フギンは、部屋の準備が終わるまで宿屋の椅子に座っていた。
 併設している食堂から聞こえる楽しそうな人々の声に、賑やかでも穏やかな雰囲気に心を落ち着かせていた。

 この辺境の宿屋に来るのは、3度目だ。
 フェンリルが候補地として挙げた、条件に合う土地のひとつに一番近い人間の集落で、山が近い。
 そのおかげで隠れる場所も多く、フェンリルと落ち合うには人目も付きにくい絶好の場所だった。
 しかし、各地を巡るフェンリルは天気次第で、この地に到着するのに遅れが生じる場合もある。
 それならばとフギンはこの宿屋を待機場所として、到着の合図である彼の遠吠えの声を待っていた。
 
……そういえば、大体このタイミングで来るんだが。)
 しばらくすると、思い出したかのように、フギンは浅く椅子に掛け直すと、無意識に視線を店の入り口やカウンター裏へと移し、何かを探すようにそわそわと辺りを見渡した。
 そして、カウンターの後ろからフギンを見つめる影を見つけると、彼は口を綻ばせた。
「おいで」と言わんばかりに、手招きをする。
 すると、カウンターの影から、ちょこちょこと顔を赤くしながら近づく少女が現れた。
 フギンは膝を軽く叩き、彼女を促す。
「ほら、ここにおいで。」
 そう言って、近づいてきた彼女を持ち上げると、自分の膝に座らせた。
 温かい体温が伝わり、自然と笑顔になる。
「フィオナちゃん、久しぶりだね。」
 フギンがそう言うと、フィオナと呼ばれた少女は何も言わずに体の向きを変え、フギンを離さないとでも言うかのように、ぎゅっと抱きしめた。
 その仕草が愛らしく、思わず微笑んでしまう。
 ちょうどその時、カウンターから出てきた亭主の妻が慌てた様子で近づいてきた。
「いつもごめんなさいね、フギンさん。フィオナ重いでしょ?」
 申し訳なさそうな母親に対して、フギンは微笑む。
「外が寒かったので、フィオナちゃんのおかげで温かいです。」
 そう言って膝に座る彼女の頭を、優しく撫でる。
 
 フギンは、人間の、特に女性は好きだった。
 魔女と暮らしていた影響もあるが、フギンの周りの彼女たちは自分に餌付けをしてくれて大層可愛がってくれたからだ。
 初めてフィオナと出会い、「お兄ちゃん」と無邪気に呼んでくれた瞬間、心が暖かくなり、自分を可愛がってくれた彼女たちの気持ちが少しだけ分かった気がした。
 フギンはフィオナを可愛がり、彼女もフギンにどんどん懐いていった。
 思えば、ここの宿屋の人間にはずいぶん世話になっていると、フギンはフィオナの頭を撫でながら思い出す。

 初めてこの宿屋を訪れたフギンは、酔っぱらった男が自分を指して言う、“べっぴんさん”“美人”という言葉に首を傾げていた。
 その反応を不思議に思った亭主が、フギンの目の前の椅子に腰を下ろした。
「異国の人?」
 興味深そうに亭主は口を開く。
 急に話しかけられたことに、少しだけ驚き、フギンは慎重に言葉を紡ぐ。
「あぁ……まぁ、そんなところです。大まかな言葉は分かるんですが、細かい単語の意味となると……。」
 それを聞いた亭主は得意げに話し出す。
「因みに君が言われた、“べっぴんさん”も“美人”も同じ意味で、美しい人ってこと……あぁ、いや男性に美人って合ってるのかぁ?」
 首を傾げる亭主にフギンは笑う。
「ふふっ、いえ私の双子の姉が褒められたようで嬉しいので、大丈夫ですよ。」
 もちろんこの姉と言うのは、魔女の事だ。
 フギンの顔は、彼女の事を忘れたくない一心で生前の彼女の顔を真似ていた。
 それを褒められるのは――正直気分が良い。
「へぇ?君とそっくりなんて相当モテるだろう?そのお姉さん。」
「モテ……?」
きょとんとしたフギンの顔を、しまったという顔で亭主は考えながら、言葉を捻りだす。
「あぁ!えぇっと……、異性に人気って事かな?」
「もしかしたら、そうだったかもしれないですね。」
「だった?」
「姉はなくなったので。」
 フギンがさらりと言うと、亭主は口をへの形に変えた。
……お気になさらないでください。相当昔の事なので。」
 実際、魔女が死んでから既に100年近く経過していた。
 気にする時間はとうに過ぎた。魔女はフギンの記憶の中で今も生きている。

 目の前の亭主は、気にしないように言ったにも拘らず、涙目になりながらカウンターの奥に引っ込む。
 フギンはそんな彼を興味深そうに、観察していた。
 人間の男性、特に武装した男性には碌な思い出がない。
 だが、彼の様にコロコロ表情を変える男は面白いなと、軽く笑いながらフギンは頬杖をついた。

 相変わらずメソメソした様子の亭主が、ズビビと鼻を大げさなほど啜り分厚い本を抱えて戻ってきた。
……相当昔って言ったって、ここを癒される場所にしたいと俺ぁ思ってるんだ。」
 その本を、フギンの前に差し出す。
「言っておくが、これは詫びじゃないぞ?言葉に興味を持った君へ俺からのプレ……贈り物だ。」
 そう言うと、彼は少しだけ視線を逸らし頬を掻く。
「まぁ……実際のところ、甥っ子の進級祝いで買ったんだが拒否されたものなんだが、おかげでまだ開けていないピカピカの新品だ。」
 フギンは、驚きで目を見開く。
「言葉ってのは、先の事を考える時に役に立つ。きっと君の役に立つ……なんて、俺が行っても信憑性がないか。」
 フギンは、開いても?と聞くと、亭主はもちろん、と笑う。
 本を開くと、そこには文字があり、魔女と暮らしていた彼にも読めるものもあった。
……これは?」
 魔女の持っていた大量の書籍を思い出して、フギンは目を輝かせながら亭主に尋ねた。
「辞書さ。きっと君の知りたい言葉はこの中に書いてあるよ。」
 ニカッと先ほどの半泣きが嘘のように、亭主は明るく笑った。