中世風の街並みのあわいを駆ける影がふたつ。複雑に入り組んだ裏路地は追っ手を撒くのに最適なはずだったが、ふたつの足音はまったく衰えることがなく、右へ左へと出口を探しながら駆け抜けてゆく。
「……はぁっ」
黒髪の少年が急に立ち止まった。肺に酸素を取り込もうと肩を上下させながら、目前に現れた石垣をくまなく見つめた。脇目も振らずの三十分にわたる逃走劇に、心臓はギシギシと機械仕掛けの歯車が回転しすぎているように猛烈な早さで血を送り出す痛みを訴えている。
「……マスター」
「うん、行き止まりだ……腹を括ろう、サ……アサシン」
くらりと目眩に襲われ、がくがくと限界を迎えている膝を付きそうになったマスターをアサシンと呼ばれた銀髪の青年が片腕で抱きとめた。
マスターは大粒の汗に湿った額を袖でぬぐいながら眉を下げて笑って見せる。安堵を示すためにアサシンも口元をほころばせたが、全く隠す気がない足音を聴きつけ、きりりと表情を引き締めて一切の刃こぼれもない漆黒の大剣をマスターを護るようにかざす。
「鬼ごっこはもう終わりかい? カルデアのマスターさんよ」
嘲笑う声と共に飛んできた青白い矢の形をした閃光をアサシンが刃の面で弾き返す。バチッ! と火花のように散っていった攻撃の第二陣を警戒して、アサシンは大剣を片手に掲げたままマスターを背中で覆ったままでいた。
「アサシンクラスだからと警戒してみれば、実にヘタクソな気配遮断でがっかりだよ。マァその邪魔そうな大剣が少しは使えるようで良かったな」
勝利を確信した魔術師の男が姿を表した。その背後には戦闘型のゴーレムが十体。魔術師は大仰にゆっくりと歩み寄り、剣の間合いと一歩引いた場所で立ち止まった。
退路は塞がれた。魔術師は嘲るような笑みを浮かべて、捕らえた鼠を痛ぶる猫のように大仰に喋り続けている。
「カルデアのマスターって云ってもたいしたこたねえな。所詮は魔術もロクに使えねえ平和ボケした日本人のガキだ。サーヴァントひとつまともに扱えねえ、魔術師の常識も知らねえ。魔術師が前線に出てきちゃイイ標的だってママに教わらなかったのかい?」
「そう云う貴方は、こうして僕らの前に現れているが。いくらゴーレムを並べたところで、僕が貴方の首をかき斬れば貴方の負けだ」
サーヴァントに魔術師如きが敵うわけがない。言外にアサシンが冷静に告げれば、魔術師は鼻を鳴らして笑い飛ばした。
「どうかな。――あんた、俺を殺す気はないだろ?」
アサシンはわずかに眉をひそめたのみだったが、魔術師にとって返答はそれで充分すぎた。
「わかってんだよ、俺に手加減してるんだろ? サーヴァントの本気とやらは街ひとつ軽く消し飛ぶって聞くぜ。今だってこんなに近くにいるのにあんたはマスターを隠すばかりで動こうともしない。逃げ足も判断もとろいマスターも腑抜けだが、そんなマスターに愚直に従うだけのあんたの能力もたかが知れたものだな。アサシンのくせして人殺しができねえなんて笑えてくるぜ!」
「俺はいいけど彼を馬鹿にするな! サンソ――」
「マスター」
アサシンが舌戦に応戦しようと腕を振りかぶったマスターの口を塞ぐ。もごもごと暴れるマスターを壁に押し退けたまま、まったく心動かされた様子もない凍ったようなアイスブルーの眼差しが魔術師を見据えた。
「貴方の話はたいへん興味深く拝聴しました。しかし、残念ながら――仕込みは完了したようです」
ヒュ! 風を切るような音が魔術師の耳元を掠めた。
魔術師がとっさに振り返るとゴーレムの魔術塗装が剥がされたように揺らぎ、土くれに戻っていくところだった。続けて二本、三本、四本と上方から矢が降ってくるのを視認した。まるで矢のみが空中に突然生成されたかのように、十本の矢がゴーレムの心臓部たる首の付け根に突き刺さり、すべて消滅せしめた。
「な……!」
驚愕に魔術師が眼を見開くも、弓矢の使い手はどこへ見回そうとその姿は透明であるかのように見当たらない。
壁際に追い詰められていたはずのマスターとアサシンが魔術を用いたのではないかと魔術師は先刻までの態度と一転して恐慌の形相で向いたが、アサシンを下がらせたマスターは無表情に堂々と前に進み出てきた。そのマスターの手の甲には濃く刻印された三画の令呪がある。
立場が逆転したことにがくがくと震えだす魔術師の背後から衣擦れの気配とともに、首に銀光りのするナイフが当てられる。マスターもアサシンも眼の前にいるというのに。
「な、な、なんだっ……?!」
「ちーっとオタク、おいたが過ぎましたねえ。うちのマスターを追いかけ回して、こそこそ嫌がらせをしてきたのはマァ、マスターはお優しいんで見逃してやっても良かったんですけど、調子に乗って不愉快だから殺そう――なんてオレたちが黙ってるわけないっしょ? 味方も増援も期待できない、追い詰められたのはあんたの方だったんですよ」
ぬるりと魔法が解けるようにナイフを掲げたサーヴァントが宝具を収束させる。緑の衣に緑の瞳、聖杯戦争慣れしていなさそうな陰気なアサシンと違って、時計塔の魔術師の間でも非常によく知られた反逆の英雄、シャーウッドのアーチャーと気づいて、魔術師は引きつった喉を鳴らした。
「まさか、ありえない。同時に二騎のサーヴァントを顕現させるなど!」
「カルデアのサーヴァントは二騎どころか数百騎はいますけどね。オタク、ちーっとも調べてなかったんだなぁ。突発とはいえ相手の懐を探って罠張っとくのは基本中の基本っしょ? あ、そういえばオタクの家には時計塔の魔術師が向かってるって話、しましたっけ?」
やーこわいですねー財産没収と今後一切の援助打ち切りですってよー。ケタケタとアーチャーが愉快そうに笑う。
アサシンは大剣をかたち作っていた魔力を解き、気怠そうに顎をしゃくった。
「やりすぎだ、アーチャー。彼が怯えているじゃないか」
「強めに脅しといた方が再発防止になるでしょ。ちょっとションベン漏らす羞恥くらい、命を奪われるより何倍もマシですぜ?」
「……きみの戯言は聞かなかったことにしておくが、僕たちの仕事は私的な報復じゃない。彼には正当な手段で悔いてもらう」
アサシンが冷たく視線を下げ、すぐに反らした。なにやら連絡を取っていたマスターが笑顔で手を振る。
「二人ともー。ダ・ヴィンチちゃんに連絡ついたよ。合流するから引き渡してほしいってー」
「へいへーい」
「畏まりました、マスター。僕が縛っておきましょう。大丈夫、僕は縛るのは得意です」
最後の一言は魔術師に向けられた微笑みだったが、魔術師はさぁっと青ざめて完全に腰が抜けてしまった。おっと、とアーチャーは身を避けたが、よろよろと尻もちをつく魔術師の頬にナイフが滑って赤い線が浮き上がる。
「危っぶねえ、急に体重かけんなよこいつ」
「おや、お怪我を」
アサシンが魔術師の目線に合わせて膝をつく。魔術師はゴーレムの土を掻きむしってずり下がろうとして、アーチャーに首根っこを掴まれて留められた。
「ひっ……触るな! 俺に近づくな! 化け物め!」
「おやまあ、嫌われたものですねえ。あわよくばマスターの令呪を奪って自分のものにしようとしたくせに」
「そんなことできるんだ?」
「できなくはないって話ですよ。こんな三流魔術師にそんな実力があるかは知りませんけど。で、どうします? 放っておいても逃げられやしませんよ」
「サンソン、治してあげてくれる? 念のため縛るなら、痛くないようにして」
「マスターがお望みなら」
「おいおいマスター、真名バラすんじゃないですよ」
「ごめーん、うっかり」
サンソンと呼ばれたアサシンは――かつて王の首を斬り落としたことで知られる処刑人の名前と同じであることを魔術師はそのとき初めて知った――魔術師の首に大剣を振るう無骨な手を添えた。微笑しようとしたような口元と裏腹に、凍りついた瞳の中にはふつふつと怒りが燃えていた。もはや魔術師は雪よりも蒼白にはくはくと乱れた呼吸をするばかりだった。
「貴方の予測通り、僕たちは貴方を殺しはしません。この世界の正しい法に則った処罰が与えられることを願うばかりです。それから、ひとつ訂正していただきたい。カルデアのマスター、藤丸立香は最高のマスターであると」
魔力が込められた波長がひやりと首に当たる。そこで魔術師の記憶は途切れた。
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