ロンド
13609文字
Public 奈落の大穴
 

まなざしのいろ 後編

前編→https://privatter.net/p/6960908
オーゼンさんとちびジルオ君と時々ライザさんの話、後編。
if設定、岸壁街出身のジルオ君です。創造多め。加筆修正版を紙版・支部に掲載しました。

side.O - 4

「苦労をかけるね。あの子はどうだい?」
「先日赤笛に昇格しましたがね。探窟量は中の下でしたが、ちょろまかそうとしていたので仕置き部屋に一晩繋いでおきました」
 本のページを丹念に眺めているベルチェロは淡々と並の子供なら一晩中泣いているだろう仕置きを話す。
「効果はあったのかい?」
 ベルチェロは首を横に振った。
「翌日に様子を見に行ったら、ロープは自力で解いて拷問具を弄って遊んでいましたよ。嘆かわしいことに反省の色さえありません」
「裸吊りでもしてやれば良かろうに」
「効きやしませんよ、ひん向いたところで顔色ひとつ変わらないんですから。まったく手が焼けます」
「いやに肝の据わった子だねェ。鍛え甲斐がありそうじゃないか」
「そう云うのは貴女だけですよ」
 オーゼンが寄付に持ちこんだすべての書物のチェックを終えたベルチェロは、謝礼金代わりの報告書を執務机に滑らせた。
 報告書は子供たちの記録をリーダー職の者が日々書いているものである。オーゼンが目を通すと、ジルオは探窟成績は可、座学は優をつけられていたが、素行が不可だった。窃盗罪、の一文がつけられている。
「こいつは?」
「他の子供の私物を盗ったんですよ。これまで『盗窟』して生きていたからか、信頼関係にはとんと無頓着でしてね」
 ベルチェロは背後にある窓の外を見た。中庭で自由時間の六人ほどの子供たちが玉遊びに興じている。その中にジルオの姿はない。
 たいてい他の子供から離れて一人図書室で本を読んでいるのだ、とベルチェロは云う。
「生活態度は随分手をかけて矯正しました。食事の仕方から挨拶に読み書き、規則正しい生活を送ること、……ただ、信頼や信用というのは言葉で教えられるようなものではありません。他の子たちと打ち解けているように見えて、どこか一歩引いて付き合っています。窃盗も育ちによる手癖と云えば仕方ないことのようですが、蒼笛に上がったときには厄介な爪弾き者にされるでしょう。組合の探窟家として、いざというとき仲間を頼りにできないのは致命的です。岸壁街の子供はみなそうなんですかね」
「さてねェ。私は知らんよ」
 頭を悩ませているらしいベルチェロに比べて、オーゼンは楽観視していた。盗窟家あがりはオーゼンの地臥せりにもいるが、組合に見咎められるためにオースに長期滞在できないこと以外はすこぶる使い勝手が良い。
 要は、赤笛のうちに気を変えさせればいいのである。





side.J - 3

 コツン、と石が投げられて当たったような音がしたので、ジルオは白笛について書かれている退屈な本から顔を上げた。
 岸壁街では敵の襲撃に備えてかすかな物音も聞き逃せなかった。結局捕まったので孤児院にいるのだが、周囲の警戒を怠らない癖はまだ抜けていない。
 図書室にはジルオひとり。あらかじめ想定していた逃走経路を確認する。
 今度はよりくっきりとノック音が響いた。物音ばかりでなく、窓の上方に素肌の手が映った。さすがのジルオもぎょっとするが、手はまるで開けてくれと云うように、再び窓を叩いた。
 何事かわからない恐怖心よりも好奇心が勝った。ジルオは注意しながら近づいて窓枠に手をかけ、解錠した。
「遅いぞ君! 頭に血が上って落ちるじゃないか!」
「は、……
 開けた窓から降ってくるように人が滑りこんできた。
 豊かな長い金髪についた葉を払い落とし、首をぐるんぐるんと振って大きく伸びをする。赤い探窟服もうねる巻き毛も笛の色も、何よりも大きな夜空色の瞳にジルオは見覚えがあった。
 祭りの日に見たものと同じトコシエコウの意匠の白笛を提げている。
「殲滅のライザ……
「んん? ――あぁ、不屈の花をくれた少年。君だな?! オーゼンのお気に入りという奴は!」
 殲滅卿はジルオを認めて行儀悪く指した。ジルオはきょとんと身をすくめる。
 お気に入りとはどういうわけだろう。不動卿とは不本意なことに誘拐犯と被害者の関係はあるが、よく顔を合わせるのは明らかに威圧目的の監視だ。
 何故だか怒り心頭らしい殲滅卿は、逃げ遅れたジルオに構わずまくし立てる。
「最近オーゼンが上の空なんだ。探窟中に考えごとばかりしてるし私が話しかけてやってるというのに生返事だし酷いときにはうるさいとか云われてブッ叩かれたんだぞ! これは新しい興味を見つけて足繁く通っているに違いないと見て、この前こっそりオーゼンをつけてみたんだ。そうしたら君と話し込んでた! 私という弟子がありながら内緒で弟子を取ったなんて度し難い! 覚悟しろ少年! 先輩弟子としてボコボコに鍛え直してやる!」
「オレ、不動卿の弟子じゃないです」
「そうか! なら良かった!」
 身の危険を感じて即答すると殲滅卿はすぐさま振り上げかけていた遺物を置いた。ジルオは内心胸を撫で下ろす。もう少しで半殺しの目に合わされるところだったとは、まったく不動卿と関わって以来ロクなことがない。
(何しに来たんだ……敵情偵察か? それにしても帰る様子がないし……
 すっかり怒りも去って落ち着いたかと思えば殲滅卿は図書室の書物が気になるらしく、本棚から抜いたり眺めたりしている。
……殲滅卿は、不動卿の弟子なんですか?」
「あぁもちろん、オーゼンの一番弟子とは私のことさ! ところで少年、興味深い本を持ってるな」
「ただのつまらない本ですけど」
「過去の白笛の功績がだらだら書いてある年寄りの本だろ? 私も一度は読んだ。そいつは駄目だ。現役のオーゼンの功績をすっ飛ばしてやがるし私のことなんて一言もない!」
「そりゃ発行年が三十年は昔ですし……わっ!」
「それよりこっち読め! これは面白いぞ! 東洋の龍伝説になぞらえてアビスの大型原生生物を記している。ちょうど表紙の、三層で暴れ回っていたコイツを倒して食ったとこなんだ。君もコイツの退治の成功を祝う祭りに参加してたろう?」
「してましたけど……食った?」
「おう、食った」
「食べられるんですか、これ」
 殲滅卿に手渡された本の表紙に描かれているのはいかにも恐ろしげな緑の細長い体長の、空を泳ぐ生き物だ。殲滅卿は自慢気に頷く。
「その本に蒲焼きが旨いと書いてあったんだ! 素晴らしいぞ! 固い皮の中に肉厚な身がぎっしり詰まっていてな。トーカ特製のタレで焼くとすっごい良かった! 他にも原生生物の旨い食べ方を紹介してる。コラム的要素なのが残念だ。でも白笛のつまらん本よりよっぽど楽しいぞ!」
 手振り身振りにアビスの驚異的な原生生物を語る殲滅卿の夜空色の瞳が星のように燦然として、ジルオは呑みこまれていた。
 その日暮らしに追われすさんだ岸壁街では、探窟家が最も華々しく子供たちの憧れの職だった。実際に探窟家見習いとなってみれば、不動卿にしろ院長にしろ規則ばかりを振り回すつまらない大人ばかりで、ジルオは冷めた目で見ていた。だが殲滅卿は違っている。アビスをこれほど楽しそうに話す大人は初めてだ。
「アビスには旨いもんがたくさんあるんだ。ネリタンタンって知ってるか? あいつはマジ可愛い見た目のうえに肉はバラコチャの香りがしてどう調理しても美味だ。三層に行くときはあいつが楽しみでなぁ、君も月笛になったら自分で狩りに行くと良い! 新鮮な肉に勝るものはないからな!」
――じゃあ、いつかオレが月笛になったら、探窟にオレも連れて行ってください」
 ジルオはささやかな期待を込めつつも、赤笛の身で何を馬鹿を云っているのだと説かれるものと思っていた。だが、殲滅卿は一瞬口を開けたあと、盛大に笑い出してジルオの頭をワシャワシャと乱暴に撫でた。
「わかった。君が月笛になったら、一緒に深層を探窟して、旨いもんを食おう!」
……いいんですか?」
「君が云い出したことじゃないか。先に云っておくが私は厳しいぞ? とんでもなく優秀で、深層についてくる気概のある奴じゃないと私の隊には加入できない。まずは赤笛で一番の成績を取らんとな」
「一番の成績って何ですか?」
「探窟で最高査定額を出すこと。それによく本を読むことだ。あと、鍛えろ。君はちょっと小さいし痩せすぎだ。こんなひょろひょろの腕じゃ四層の呪いで死ぬぞ」
……殲滅卿だって小さいじゃないですか」
 ジルオが思ったままに指摘すると、殲滅卿は両頬をつねった。
「私だってオーゼンみたくでっかくなるつもりだったんだ! 少なくとも君よりかは筋肉がある!」
「ふひょうひょうみひゃいやなふてひーれす」
「ははっ何云ってるかわからんな!」
……殲滅卿は不動卿みたいじゃなくていいです、オレは殲滅卿の方が好きです」
「ふはっ! 愛いとこもある奴だな君は! よし、先ほどの無礼を許してやる!」
 殲滅卿の手に開放されてジルオはくしゃくしゃになった髪を直す。笑い転げている殲滅卿を観察して、素直に、面白い人だなと思う。
(ついていくなら、こういう人がいいな……
 数か月前なら考えられなかった思いにジルオ自身が驚いていた。白笛なんて嫌いで仕方がなかったのに。
「そういえば少年、名前は? 知ってるだろうが私はライザだ。殲滅卿だなんて仰々しく呼ぶなよ」
「ジルオです」
「よし! 覚えたからな。ちゃんと勉強しておくんだぞ! 私は高みで君の挑戦を待っているよ」
 身を翻し、窓枠に脚をかけてライザは不敵な笑みを浮かべる。
 まだ話し足りなかった。思わずジルオは声をかけていた。
「また、来てくれますか」
「君が望むなら。忙しいから時々になるのは勘弁してくれよ。実は今日も報告書から逃亡して来たんだ。そろそろ戻らんと本部中挙げての捜索隊が始まってしまう!」
「大変ですね……
 孤児院を逃げ出さない自分よりよほど酷いじゃないか、と呆れてしまったジルオに、笑みを深めてライザは一息に窓を飛び降りた。





side.O - 5

 何度目かになると、ジルオも以前ほど小動物のような警戒をしなくなった。それどころかオーゼンを見かけるとひょいと寄ってきてあれこれ質問を浴びせる。勉強熱心なのはオーゼンも望むところであったので答えてやると、次の質問を重ねてくるという真面目さである。ベルチェロによれば素行も改善の兆しが見えてきたらしい。
 アビスとオースを行ったり来たりする傍ら、赤笛と会う。
 ジルオが図書室所蔵の本を半分も読み終えたとオーゼンが知った頃、岸壁街での最初の出逢いから丸二年が経っていた。
「そろそろかねェ」
「なにを企んでるんですか」
 いつものように孤児院の裏手に呼び出し、オーゼンは壁にもたれて待っていると、本を抱えてジルオがやって来た。オーゼンは初めて会ったころよりぐんと背が伸びたジルオを遠慮なしにじろじろと見る。身体つきも他の赤笛と遜色なく健康的。他人に無愛想な性格は治らなかったが、許容できる範囲である。
「君、そろそろ深度400メートルも挑戦したいんじゃないかい」
「否定はしませんけど、あなたに借りを作ると面倒なので遠慮します」
「ンフフフ……別に貸しを作ろうって話じゃないさ」
 オーゼンの意図をはかりかねているという顔で、ジルオが子供に似つかわしくなく眉を寄せる。あぁ、やはり面白い子だった。
 二年前から用意してあったセリフをオーゼンは語りかけた。

――ジルオ、私の弟子になりなよ」

 薄青色の瞳が零れそうに見開かれる。
 オーゼンは顔を近づける。手袋をはめた指を頬から顎に滑らせようと、ジルオは考えるのを止めてしまったかのように抵抗しなかった。瞬きも忘れてしまったかのようにオーゼンを見つめている。
 わなわなと唇を震わせて掠れた吐息を出したのち、ジルオは手に持っていた本に視線を落とした。それから、もう一度顔を上げて澄んだ水色に溢れそうなほどの感情を湛え、はっきりと言葉を口にした。
「オレ、殲滅卿の方がいいんで」
――は?」
 思わず低めの圧がかかった声が漏れた。
 予定外だった。オーゼンの想定では、嫌そうな顔をしながらも賢い子供は利を踏まえて頷くはずだった。オーゼンの誘いに乗っておけば利益がある、そういう風に躾けたつもりだ。
 ジルオは魔法が解けたかのようにするりとオーゼンの手を跳ね除け、まるで汚されたとでも云いたげにこしごしと頬を擦った。全く嫌味な態度である。つい数年前まで、悪臭の充満する岸壁街で裸足で走り回っていたというのに。
「どういうことだい」
「そのままの意味です。むしろこっちが訊きたいくらいですよ。弟子なんてもうこりごりじゃなかったんですか?」
「ハァ? どこでそんな話を……
 ひたとオーゼンは言葉を止めた。確かにそんな愚痴を酒のつまみに話した覚えがある。酔い潰されることはあるが意識まで吹っ飛ぶことはここ数十年はないので、オーゼンは自分の記憶に絶対の自信を持っている。あのときは何故か嬉しそうな当の本人にじゃれるようにすり寄られて面倒だったので叩き落とした。
(しかもこのガキ、なんて云った?)
 聞き捨てならない呼称が飛び出してきた気がする。
「あんなイカレたアビス狂いのどこがいいって?」
「イカレてるのは誘拐してまでオレを探窟家にするあんただろ」
 オーゼンは手っ取り早く黙らせるため即座に腹に向けて蹴りを入れた。いつだか見たようにジルオは吹っ飛んだが、あいにく孤児院の壁にぶつかって落ちる程度の威力だったらしい。上手く受け身を取ったジルオは、痛そうなそぶりすら見せずに仏頂面で起き上がり、本を拾い上げる。
「いきなりやめてください。本を汚したり破ったりすると罰則なんですから」
「君、そのスラム仕込みの生意気な態度は矯正したはずだろ。そんなんじゃボロが出るよ」
「ご心配なく。あなた以外にはしませんので」
 本についた砂をパンパンと払いながら、ジルオは素っ気なく云い放つ。
「だいたい気に入らなかったくらいで手を挙げて、大人げないのは不動卿では? 同じ白笛でも殲滅卿の方が格好いいですよ。何でも知ってますし、優しいし、それに……
 云いかけて、ジルオはぽっと頬を桃色に染めた。オーゼンは確信する。この手の俗な反応はライザと一緒に探窟するとよく見かける。ライザは豪快な性格と人らしい見た目、輝かしい経歴故に一見親しみやすく惚れ込んでしまう探窟家が後を立たない。一度転がり落ちてしまうと、その内実強烈なアビス狂いと知ってもますます崇め奉る始末である。本人はアビス以外に目もくれないのだから余計質が悪い。真正の探窟家誑しだとオーゼンは思っている。
 いまだに反抗心の強いジルオまでもがそんな俗な反応をするとは。おもちゃを取られたような苛立ちがふつふつと沸いてくる。
「フーン……君、私に秘密でライザと会っていたんだ」
 不機嫌がそのまま乗った低い声にジルオは肩を跳ねさせたがすぐに取り繕って薄青色の強気な眼を合わせた。
「だったら何だと云うんです。不動卿には関係ないでしょう」
「関係ならあるさ。君をあのゴミ溜めから救ってやったのは私じゃないか」
 ジルオはあからさまに嫌そうに唇を歪める。
「まさか自分だけのおもちゃだと思っていたんですか? あんたに恩があるからオレが断らないとでも? オレは殲滅卿の方がいいです。都合の良いおもちゃとしか思ってない人の弟子になんか絶対なりません」
 まるで見透かすような赤笛らしからぬ物言いに、オーゼンはむしろ口角を上げた。腹の底から笑い出したいほど煮えくり返っている。
 くつくつと笑い出し始めたオーゼンに不気味なものを感じ取ったらしくジルオが一歩ずり下がる。
 オーゼンはジルオを壁に追い詰めるようにして腰を曲げて覗き込んだ。
……ジルオ」
……なんです」
「君は知らないからそうも純粋に憧れていられるんだろうが、ライザは私よりよっぽど度し難い奴さ。そうかい、君はアレがいいのかい……私への恩を仇で返すというなら相応の覚悟をしておくんだね……ンフフフ……
「不動卿……?」
 久方ぶりに怯えたように揺れる薄青色の瞳が心地良かった。壁とオーゼンに挟まれて逃げ出そうにも逃げ出せずにジルオは身を固めていたが、オーゼンはもう殴り飛ばすつもりはなかった。悪いのは誰か、決まっている。
 自分が見つけた原石だった。他でもないライザに奪われたくはない。





sideO - 6

 はたしてライザは自前の探窟隊と共にオースの酒場で昼間から呑んだくれていた。中央のテーブル席で隊員たちに囲まれ、空の酒瓶を山積みにしているライザは、まったくいい気なものである。オーゼンはずかずかと踏み込んだ。
「オーゼン! なんだ、あんたも居たのか! 私に教えてくれても良かったのに! ちょうど報酬入ったとこなんだ、一杯やらないか――がぁッ!!」
「お前さんにはほとほと呆れるよ。他人が目をつけてたものを横取りするなんて賊にでも転職したのかい?」
 全く警戒していなかったライザは椅子から転げ落ちるどころか床にめり込んでいた。うつむき気味に倒れ込んでいるライザの額の頂点から幾筋もの血が流れ、酒瓶をひっくり返したらしく頭から上半身がびっしょりと濡れている。一撃で木っ端微塵に割れた木製椅子の欠片がぱらぱらと落ちていく。
 やかましかった店内は静まり返っていた。
 さぁっと人波が割れていくのには意を介さず、オーゼンは血の滴っている拳を振り上げる。
「なんとか云ったらどうだい」
 パシン。乾いた音が響いた。うつむいたままライザの右手がオーゼンの加減なしに力を込めた拳を受け止めていた。
「悪いが、私は大事な師匠であっても二度目を許すほど優しくはないんだ」
 夜空色の眼光がオーゼンを刺す。オーゼンは自然と口角が上がるのを感じた。
「心当たりはあるんだね」
「この前オーゼンを盾にしたことか? オーゼンの秘蔵の酒を開けたことか? それとも、オーゼンのベッドを占領して寝たことか?」
「待ちな、酒を呑んだってどういうことだい。まさか海外の……
「やっべ絞りに来ないとは思ったけど気づいてなかったのか! 今のナシ!」
「何がナシだい、後できっちり弁償してもらうよ。ちょうど報酬も入ったところみたいだしねェ」
「ちょっ、ま、待て! これは臨時収入ってやつで、オーゼンの買い溜めてるような馬鹿高い酒とは比べものにならっ……!」
「云い訳は後で吊るときにたっぷり聴いてやるから、とっとと吐いたらどうなんだい」
 オーゼンはライザの襟首をむんずと掴んで力任せに引き上げる。無理矢理つま先立ちにさせられたライザは、ぐ、と息が詰まったようなうめき声を出してオーゼンの腕に縋るように爪を立てたが、オーゼンにとっては猫がくすぐるような抵抗である。
 苦しそうに眼を細めながらもライザは爛々と微笑んで見せる。
……赤笛の少年だろ?」
「わかってるじゃないか」
 見事正解した褒美に、オーゼンはカウンターの方向にライザを投げ飛ばした。平行線をえがいて吹き飛んだライザは、椅子を巻き込んでいくつも壊し倒して強打しながらも、ふらふらと肩を抑えて立ち上がった。
「ジルオはいい子だな。オーゼン自ら岸壁街から救ってやるなんて泣ける話じゃあないか。弟子の私にも黙ってるなんて度し難いぞ」
「弟子だからっていちいち報告する義務はないよ。お前さんこそ私に黙って勝手に会ってるのは卑怯だと思わないのかい?」
「師匠が他の赤笛なんかに目移りしてるのが悪い!」
「だからって持ち逃げするんじゃないよ。計画が台無しじゃないか」
「台無し? やっぱり私を捨てる気なんじゃないか! 私は師弟関係解消する気は絶対にないぞ!」
「どうしてそう話が飛躍するんだね」
 頭から血を流しながらぎゃんぎゃんうるさく抗議してくるライザと遣り合うのもオーゼンは面倒になってきてしまった。もともと腹いせに一発殴るつもりで来たのである。目的を果たした今、店を破壊した責任をどうライザになすりつけるか考えているくらいには頭はすっかり冷えきっていた。
「だいたいオーゼンの弟子なんて私ひとりで充分だろ? ジルオがいくらいい子だからってなんでわざわざ弟子にするんだ。孤児院に預けてあるならあんたが面倒見なくても勝手に育つじゃないか」
「お前さんはつくづく犬猫を飼うのに向いてないねェ。拾ってやったからには最後まで責任持つのが大人の役目ってものだろうに」
「探窟家に子育ての義務なんかないだろ」
……お前さんも育ててみりゃわかるよ」
 そろそろ自警団が呼ばれる頃合いだった。オーゼンはまた始末書だの罰金だの迫られる前にアビスへとんずらすることにした。
 まだ喚いているライザの横をすり抜け、来たときに無理に開けたせいで留め金の外れている扉を押して、そこでオーゼンは振り返った。昔は股下ほどもなかった生意気な赤笛の子供が、オーゼンの腰ほどまで背が伸びて、今や探窟家の最高峰たる白笛を胸に飾っている。
 オーゼンはゆるりと口角を上げる。弁償代ついでに白笛の自覚を押しつけておくことにした。
「あぁそうだ、あの子、殲滅卿の弟子にならなりたいんだってさ」
 夜空色の瞳が驚愕にまるく見開かれる。オーゼンは薄笑いを浮かべた。神秘に満ちたアビスの中では驚異の出来事に逢うとキャンキャンと溢れる感情のままに騒ぐライザが言葉を失った姿なぞ、しばらくは酒の肴に困らない。
「お前さんも白笛なんだ。弟子のひとりやふたり、取ってみるのもいいんじゃないかね」
 呆然と口を開けている間抜け面をたっぷりと堪能して、オーゼンは足取り軽く立ち去った。





side.J - 4

 鑑定された遺物の仕分けを手伝う仕事の帰り、頭に包帯をぐるぐると巻き付けたライザが手を挙げて近づいてきたとき、ジルオはぎょっとした。さっと全身に視線を走らせる。頭以外は怪我はないようだったが、深層の探窟は白笛でさえ重症を負うほど苛烈なのだろうか。
「あぁこれ? オーゼンに打たれた」
 案外呆気ない理由だった。
「なんでそんなことに……
「オーゼンのモノを横取りしたからだとさ。オーゼンは度し難い性格をしてるからな! 私が赤笛のときからそうなんだ。探窟成績が悪いと殴る、口答えすると蹴る、私がこっそりオーゼンの探窟について行こうとするとその辺の木に私を吊って自分だけさっさと行ってしまう! ずるいと思わないか、ジルオ!」
「そうですね……?」
 正直最後だけはオーゼンが正しかったのではないかとジルオは思ったが、思うだけに留めておく。ライザから聞く通りに度し難い訓練だったなら、やはり弟子入りの話は断って正解だった。
「ところで、君のほっぺたはどうしたんだ?」
 ライザがしろい手を伸ばしてきてジルオの右頬を軽く摘まむ。ライザほど痛々しくはないがぷっくりと腫れてガーゼが覆っている。
「遺物をポケットに入れたら、ちょろまかしたって院長先生に叩かれたんです」
「ふぅん? ちょろまかすつもりだったのか?」
……ちょっと見て、後で返すつもりだったんです」
 答えながら、だんだんと不安になってきてジルオはライザから顔を逸らした。金目になりそうなものを眼で追っているとベルチェロは目ざとく見つけて、ジルオの手を捻り上げてポケットを調べてくる。そして収穫が見つかると、誇り高き探窟家にあるまじき行為だとこんこんと説教を垂れてくる。ときには容赦なく体罰を加えてくることもあった。
 口煩い院長に叱られるのはちっとも怖くはなかったのに、真の探窟家たるライザに呆れられてしまったら、と想像するとぞわりと背中が冷える心地がした。
「捕まるなんておっちょこちょいだな君も! 駄目じゃないか、悪戯するならもっと過激にやらんとお仕置き損だろ?」
 あかるい笑い声が降ってきて、ジルオはきょとんと瞬きした。なにかとんでもないことを聞いた気がした。
 聴き違いでなく、ジルオが見上げるとライザはけらけらと声を立てて続ける。
「この前の大規模探窟でやらしたのか? 赤笛の掘り出した遺物なんてたかだか四級遺物だろ。そうだな、どうせくすねるなら孤児院の遺物倉庫に忍び込んでみればいい! きっと赤笛のうちじゃあ触れないようなお宝が眠っているぞ! まずは中庭の方に石灯を仕掛けて爆破して、職員の眼を集めて――
 もしや実行前提で話を進めているのではと気付き慌ててジルオは遮った。
「別に、オレは遺物がほしいわけじゃないんで」
「へえ? 君は無欲だな。私なら見つけたらそっくり頂いてしまうぞ。まぁだいたいバレてオーゼンにお仕置きされるんだけど。真面目そうないい子だと思ってたけど、ジルオもなかなかやるじゃないか! 私とお揃いだな!」
 まさか褒めてもらえるとは思ってもみなくて、ジルオは瞠目する。腫れているのではなしに頬が熱い気がした。
 夜の空でいっとう輝く星のようで、真昼の太陽の下でもなお霞むことなくさんざめく光。同じ白笛でも陰険で底の知れないアビスのようなオーゼンとまるで違う。奈落の星(ネザースター)の異名を体現したようなひと。
(あんな横暴な白笛じゃなくて、ライザさんの弟子になれたらいいのに)
 ライザが身をかがめる。夜空色の瞳がジルオを覗き込む。
「君は私の弟子になりたいのかい?」
 ジルオは息を詰める。心を読まれたかと反射で身体がこわばる。心臓がひどく跳ね上がって痛い。はくはくと呼吸がうまくできない。ライザはじっとジルオの動揺を見透かすように見つめていたが、やがてやさしく頬をほころばせた。
「オーゼンよりもいいのか?」
 吸い込まれそうなほど深い色の瞳に惑わされ、なにも考えられず、とうとう、ジルオはこくりと頷いてしまった。ライザが満足そうに歯を見せて胸を張る。
「先に云っておくが、私は赤笛相手だからって手加減するつもりはないぞ。オーゼンみたいになんでもかんでも手厚く面倒を見てやるつもりはないし、君が途中で音を上げたり死んだりしたらそこまでだ。それでも、君はついて来るかい?」
 夢を見ているような心地だった。ジルオの脳裏で濁流のように記憶が流されていく。
 ほんの数年前の、岸壁街の隅で蹲って毒に冒されるまでの時間を数えていた生活は遠ざかり、稀な幸運にも探窟家の見習いになれた。それだけで充分だったはずなのに、憧れの白笛に手を差し伸べられている。
 まだこの先があるのだろうか。岸壁街に居た頃はとても考えられなかったような未来への憧憬に満たされ、ジルオはライザの手を取った。初めて自分から触れたてのひらはひんやりとしていた。
 意を決してジルオは夜空色の双眸をまっすぐに見つめて口上に乗せる。
「ライザさん、――オレを弟子にしてくださいますか」
 情けなく震えてしまった声は風に呑まれてしまったが、ライザにしっかりと聞き届けられたようだった。いっそう笑顔を深めてジルオの熱い手を固く握りしめられる。
「もちろん。さぁ、そうと決まればさっそく冒険に行こう! わくわくするなぁ、弟子と探窟に行けるなんて!」
「え、でもオレもう帰らないと……!」
「だぁいじょうぶだって! 君のとこの院長には後で私が挨拶してやろう。なんせ私はジルオの師匠だからな!」
 引きずられるようにしてジルオは転けそうになりながらライザに引っ張られて歩き出す。
 アビスから吹きすさぶ風にライザの金色の髪がぶわりと広がりながらなびく。ジルオは巻き込まれないよう隣に並んで、生まれて初めて心を躍らせてついて行った。

 その日初めて、ジルオは無断外泊をした。
 一晩中玄関で待ち続けていたらしいベルチェロは、早朝に帰ってきたジルオを叱りつけようとして、ライザの姿に腰を抜かした。持ち直したベルチェロは、ジルオを呆れたように見つめ、なにも追及しなかった代わりに長いため息をついた。





side.J - 5 エピローグ

 殲滅卿を絶界に送り出す祭りの次の日、トコシエコウの花びらが至るところに落ちている街中は昨日の騒ぎに比較して行き交う人通りも少なく閑散としていた。
 夕日の光を呑み込む大穴に時折トコシエコウの花びらが舞い込んでいる様子をジルオは高台からぼうっと眺めていた。昔、アジトで遠目に眺望した奈落門は見張り番の顔が見えるほどずっと近い。
「なんだ、見たことあると思ったら、ジルオじゃあないか」
「お久しぶりです、不動卿」
 特徴的な足音が耳に入っていたので、ジルオは驚かなかった。石壁の手すりを掴んだまま振り返って挨拶を交わす。
 数年越しに会ったオーゼンは、ジルオがすっかり背が伸びて青笛に届きそうな年齢に達したのに対し、まるで変わっていなかった。白笛とは時を止めるものなのだろうか、とジルオは薄っすらと思う。
 初めて出逢ったときには気づかなかったが、オーゼンの素肌を隠すような衣服も、妙に重たい足音も、硬く撫でつけた髪型も、呪い渦巻くアビスに幾度も挑んだ白笛の証であることを探窟家のジルオは知っている。
 オーゼンはジルオの横に立ち、アビスに視線を向ける。
「ライザは今頃、逆さ森に到達してるよ。最後だからってのんびり観光なんてしていないだろうからねェ」
……そうですか」
「君がライザに弟子入りしていたなんて聞いていなかったのだけど」
「お会いしてませんから。むしろ、師匠が貴女にお教えしてなかったのですか?」
……師匠、ねェ……
 オーゼンが眼を瞑る。反射でジルオは身構えたが、蹴りは飛んでこなかった。
「ライザは君を例の子供と一緒に隠すことに決めたようだ」
……えぇ。承知しています」
「ならわかってるだろうね。今後一切、君はライザを師匠と呼んではいけないよ。子供と自分もろとも無惨に殺されたくなけりゃね」
 冷たいようでいて心底案じるような声色に、ジルオは息を詰めていた肩の力を抜いた。
 いよいよ日は落ちようとしていた。本部へ諸々の相談に行った帰りのジルオは遠出だからとベルチェロに門限を過ぎる許可を取っていたが、夕餉の時間に間に合わなければ容赦なく飯抜きにされるだろう。夜が遅くなってどうせ締め出されるならとといつでも笑って夕食をご馳走してくれる師匠は、もう二度とオースに帰ってこない。
「ジルオ」
 オーゼンの静謐な声が落とされる。

「ジルオ、私のところへ来るかい。あの娘も一緒に」

 ざぁーっと風に飛ばされたトコシエコウの花びらが舞い散る。鳥のように集まって白い吹雪はアビスに吸い込まれていった。
 オーゼンの表情は逆光で見えなかった。ジルオは一息ぶん咀嚼して用意していた答えを云った。
「魅力的なお誘いですが、お断りします。オレには過ぎた評価です」
「なにを謙遜してるんだか。この私から財布を盗っておいてさ」
「あの頃の自分は怖いもの知らずの無謀な子供だったと、今では思いますよ」
「今でも生意気なだけのガキだろ。赤笛の身でなにを守れるって云うのかい」
「今に、蒼笛に上がります。そうしたら、月笛になって、黒笛にだってなります。不足とは思いません」
 腰を曲げてオーゼンが顔を近づけてくる。深淵そのもののような眼がジルオを瞬きもなくじっと覗き込む。冷や汗が背中に落ちるのを感じながら、ジルオは唇を噛んで見つめ返した。
……そうかい。君は私の誘いを二度も断るんだね」
 ポキリと骨が擦れる音を立ててオーゼンが背中を伸ばす。再びジルオからは表情が見えなくなった。
「それに、ライザさんに頼まれたんです。リコを守ってやってほしいと」
「遺物で蘇った子供だよ」
「知ってます」
「いつ死ぬともわからない子供に、探窟家の名誉も経験も全部投げ捨てて、一生尽くすつもりかい?」
「ライザさんの望みですから。それに、頼まれたのはリコが自分の道を選べるようになるまでですから」
……
 オーゼンがふと黙り込む。ずいぶん細くなった赤光に眩しそうに手を掲げて、わざとらしいため息を吐く。
「まったく、感謝して平伏ほしいくらいだよ。あんなゴミ溜めから救ってやったことをさ」
「えぇ、感謝しています。貴女を命の恩人と思っているくらいには。不動卿に拾われなかったら今のオレはありませんでした。なによりもあの人を師匠と仰ぐことができたのは、引き合わせてくれた貴女のおかげです」
 本心から、ジルオはきっぱりと云い切った。オーゼンがおかしそうにくつくつと笑う。
……ンフフ……云ってくれる。やはり欲しいなァ……ジルオ……
 日が弱くなり夜に反転する時間帯の肌寒い風でなしに、ぞわりと悪寒が駆け巡った。作りもののような黒い手袋の手がジルオの腕を絡め取ろうとするのをジルオは無遠慮に突き放す。阻まれて行き場のなくなった手は空中をさまよい、やがて下ろされた。
「強情だね。そういうところも気に入っているけれど」
「オレの師匠はひとりだけです、不動卿」
「ンフフフ……。放り出したくなったらいつでもおいで。まずはライザの子を五体満足で無事に育てられるのか、見物だねェ」
「望むところです。リコはオレが必ず護り抜きます。……アビスに誓って」
 最後の赤光がオースに差し込み、夜の闇が降り立った。街は夕餉のあたたかな匂いが漂い、ぽつぽつと明かりが灯り、夜空には星がまたたいている。
 真っ暗闇に覆われた大穴に金色の光は見えそうもなかった。