3i2su
2025-05-27 07:46:53
2500文字
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今宵夢を歩く

全年齢┊バキサム┊眠れない二人の話




 新しく与えられた部屋の居心地はそう悪くなかった。ベッドと収納棚、浴室があるだけの簡素なものだが、だだっ広いだけの部屋よりは断然過ごしやすい。前に住んでいた部屋はそのままにして、今はほとんどここ、Aタワーで過ごしている。なにしろここが拠点みたいなものだから色々と楽なのだ。夜も深くなり、周りが寝静まったであろう時間にバッキーはベッドに座って窓から外を眺めていた。ふと、外の空気を吸いたくなって身を乗り出し、窓を少しだけ開ける。高層階にあるこの部屋は自殺防止のためか全開できない作りになっている。数センチほどの隙間から入り込んだ風がバッキーの頬を撫でた。程よい睡魔に襲われて上がった体温を落ち着かせる、やわらかい風だった。眠れない日は、昔に比べたら減った。なくなったわけじゃない。今でも極たまに、努力の末に眠れたと思ったら悪夢に魘される夜がある。それは、一生抱えていかなくちゃいけないものなのだ。バッキーがバッキーであるために、過去も今も未来も、すべて抱えなきゃいけない。そうやって罪をつぐなうのだ。
 このままいけば、眠れるだろう。そんな風に思った時こそ眠れないものだ。窓から外を眺めていたら、自由に空を舞う男が頭に浮かんだ。ちょうどその時、電話が鳴って、その相手が頭に浮かべていた人物だった時、バッキーは思わず笑ってしまった。こんな偶然、ありえない。誰かの差し金じゃないのか? という疑いを持ちながらもスマートフォンを耳にあてる。
「こんな時間にどうした、サム」
「挨拶もなしか」
「今しがたお前のことを考えていたからな。俺の頭の中でお前は飛んでた。空を、まるで俺の場所だとでも言わんばかりに」
 今だって空を見れば飛んでいるのが見える。空は星が鋭く輝く分、暗いはずだが、サムの姿ははっきりと見えた。
「そうか。それ、結構恥ずかしいこと言ってるって自覚はあるのか?」
「俺を貶すために掛けてきたんだったら切るぞ」
 そのつもりはなかったが、売り言葉に買い言葉ってやつで、つい思ってもいないことを口にした。反芻したら恥ずかしいことを言ったな、と自分の言葉に食らったからかもしれない。
「眠れないんだ。そんな日、おまえならどうする?」
「眠れるまで待つ」
「おまえに聞いたのが間違いだったよ」
 眠れないという経験は誰だってあるものだ。それがたまになら悩みにはならない。そんな日もあるか、と次の日には忘れている。それが一週間、三週間、と続くと悩み、そして誰かに頼ろうとする。
「自分を赦さなきゃいけないんだ」
 医者に頼っても、薬を飲んでも効くのは最初だけ。時間が経てば、数週間前と同じように眠れない日々を過ごすことになる。自分という人間を赦し、無条件に押し付けられる重圧から解放されなければいけないのだ。
「サム、今どこにいるんだ?」
「空を飛んでる」
「サム」
「冗談、ベッドだ」
「ならもう何も話さなくていいからスピーカーにして目を閉じてろ。俺が話す。そのうち眠たくなるだろ」
「文句言いたくなったら?」
「サム」
「分かったって」
「あ、でもバッキー、最後に一つだけ」
「なんだ」
……ありがとう。ほら、あとは頼んだからな」
 サムはそれっきり話さなくなった。顔の近くにスマートフォンを置いてるのか、息遣いが聞こえてくる。
 空は変わらず暗いままだ。そこを自由に飛び回っていた光は、もうない。

「ずっと、悪夢を見るのは当然だと思ってた。今もそう思ってはいるけど、安らぎを求めることにしたんだ。前は安らぎさえ自分には烏滸がましいと思っていた。罪を背負って、それを力に変えて、人の為に戦い、朽ちていくべきだと。そうすることでやっと命を終える時、赦されるのだとばかり思っていた。でも、違ったんだ。誰かの役に立つには、戦うには、自分の持つ力を最大限に出すには、休息が不可欠だ。それもただ寝るってだけじゃなくて、心から安心して休むことが必要で、そんなのいつ世界の危機が訪れるかも分からない世界では難しいって思うだろうが、無理してでも安らぎを手にしなくちゃいけない。お前は特にな」

 サムが起きているのは知っていた。寝ているフリをしようとしているのも知っている。出来る限り深く呼吸をして騙そうとしているのかもしれないが、呼吸が所々震えているし、身に染みついた悪癖はそう簡単に消えはしない。

「お前が誰一人取りこぼさないなんて誰も思っていないし、救えない命だってある。それは仕方のないことだ。お前のせいにはならない。俺たちは今や別々の道を進むことになったが、来た道を辿ればまた共に進むことができる。分かり合えなくても、想いはずっと変わらない。二人で過ごした日々を忘れない。あの時、感じたんだ。あの日の〝安らぎ〟が今の自分に繋がってると俺は思ってる。だからお前もそうしろ。自分を赦して、安らぎを得るんだ。お前の安らぎが、俺と過ごした日々の中に少しでもあったら、嬉しいよ」

 あまりにたくさんのことが起こった。荒れ狂う波のようにそれは色々なことを変化させた。サムとの関係性も変わったのだ。だが、バッキーは諦めていなかった。たとえ変わっても、根にあるものが同じなら、またいつか──

「俺はずっと同じところにいるから。だからサム、力を抜いていい。おやすみ」

 静かになった。最初から静かだったが、サムの呼吸が完全に眠った時のソレになったから余計にそう感じたのかもしれない。すう、という寝息が耳に入り込んで、心地よさすら感じる。これは自分にとってのセラピーでは? と勘違いしてしまうほど心が穏やかだ。今夜はこのまま声を繋げたまま眠ろうと思う。きっと朝になればどちらかが寝惚けて通話を終了するだろう。そうして一日何事もなかったかのように過ごすのだ。それこそ、理想である。

「愛してる」

 うわごとのように囁いた言葉が夜の闇に消えていく。誰にも届かなくて虚しいはずが、そんな風には感じなかった。ゆっくりと落ちてくる瞼を受け入れて、暗闇を、胸にぽかぽかと宿る温もりごと抱きしめた。