みずあめ
2025-05-26 21:32:13
3795文字
Public brmy
 

こうまお

初書きのため甘く見てください。HBD!

 バーの営業が終わって片付けを済ませた23時過ぎ。いつもならさっさと帰って次の日に備えるけれど、明日は代行業務もカフェのシフトも入っていない丸一日の休みだった。たまには少しくらい夜更かしをしてもいいかもしれない。お酒とチーズでも買って帰って映画でも見ようかな。
 着替えを済ませて一緒のシフトだった篠信とビルの前でバイバイと別れてから、一歩踏み出したところでカバンの中のスマホが震える。なんとなく嫌な予感がした僕は恐る恐るスマホを取り出し、想像通りの画面を見て閉口した。ため息を吐きそうになったけれどすぐに気持ちを切り替えて応答のボタンを押す。
「はい、もしもし」
『あ、もしもし真央? もう店出た?』
 一言聞くだけで電話の向こうの状況が理解できてしまい、今度こそはぁとため息を吐く。こういう時にだけ、僕に向けられる特別な声。いま仕事を終わらせたところなのにこのまま延長戦だ。
「うん。そっちは、もう代行終わってる時間だよね? 答えにくいことなら適当な会話で誤魔化していいよ。今回のお客様はまだ全然イエローって感じじゃないって話だったと思うんだけど、一日でどんだけ誑かしたら僕が行かなきゃいけないような状況になるわけ? 今どこ。現在地送って。人の多いところで相手と距離取ってろよ。束縛強い彼氏いるって言っていいから」
『あはは……うん。迎え行けなくてごめんな?』
「タクシーにでも押し込んで帰らせればいいのに。優しい恋くんはそんなこともできないわけ?」
『今日はご機嫌斜めじゃん。ごめんって、分かってるけど、……待ってる』
「はぁ……。電話、繋いでた方がいい? 場所だけ教えて欲しいんだけど」
『や、大丈夫。もうちょっと話してみるわ』
「人少ないところ行くなよ。また刺されるような事態になったら許さないから」
『了解。じゃあまた』
 電話を切った直後、メッセージで住所が送られてくる。幸い渋谷からそう離れていない場所だったから、すぐにタクシーを捕まえて向かった。薄暗い車内で軽くメイクを直している間にあっという間に到着し、料金を支払い領収書をもらってからタクシーを降りた。あたりを見渡して人気のなさに舌を打つ。バカじゃないの、本当に。
 大通りから一本入った細くて暗い道はいくつか飲食店が明かりを灯していて、きっとそのうちの何処かで食事をしたんだろうと予想がつく。電話の時点で外に出ているはずだけれど、どこに? 端から見ていくしかないかとまたため息を吐きかけたところで、かすかに話し声が聞こえてきた。聞き覚えのある柔らかく低い響きの声と、媚びるような女の声。すぐに足を踏み出し、低いヒールでもコツコツと軽やかな足音を立ててそこへ近付く。
 隠れ家のようなレストランを通り過ぎて少し進んだところに、公園とは呼べないまでも植物が植えられてベンチもある小さな空き地があった。一つだけある街頭の下に男女が向かい合って立っている。
「恋」
「! 真央、ごめん」
「別にいいけど。……あれ? 仕事、終わったんだよね?」
 わざと「仕事」という言葉を強調して言えば、彼女は睨みつけるように僕を見上げ、恋に一歩近付いた。
「仕事じゃなくてプライベートの話をしてるんです。あなたは関係ないでしょう?」
「仕事なら関係ないけど、プライベートなら僕に一番関係あるでしょ。ああ、えっと、知らなかったならごめんね、僕と恋って付き合ってるんだよ?」
 笑みを浮かべてそう言った僕は彼女と恋との間に腕を伸ばして恋の体を引っ張り、慣れた仕草に見えるようにさりげなく後頭部を撫でて頭を抱き寄せた。恋が全く僕に抵抗せず、きっと彼女にはそうしなかったように身を寄せる姿を見て、彼女は目を見開いた。耳元で「ごめん」と聞こえたから彼女から見えない角度で恋のおなかに拳をぶつける。
「そんなの、嘘ですよね。だって、男同士じゃん」
「男同士でも関係ないってくらい好きだったら良くない? 恋とあなただだって、ただの店員と客でしょ」
「〜っ! 私は本気で」
「だから、諦めてって言ってる。彼氏がいる男に本気になるなんて時間の無駄だよ」
……わかった、演技なんでしょ? だってそういう仕事だもんね。恋人代行、真央くん相手にもやってあげてるんだ?」
「生憎お金払って恋人作るほど、相手には困ってないよ」
「真央」
「ふ、ごめんごめん。浮気なんてしてないって」
……意味わかんない。なんでわざわざ、男の人と…………気持ち悪い」
……
……帰る。じゃあね」
 涙を浮かべて、だけど決してそれを溢すことなく彼女はその場を去った。彼女が完璧に見えなくなってから恋がふぅと息を吐いて、僕は触れていた手から力を抜いた。
「ごめん、……と、ありがと」
……はぁ。お前って呆れるくらいのバカだよね」
「はい、本当にその通りです。まじでごめん、仕事終わりなのに来てもらっちゃって」
「疲れた」
「はい、すみません」
「明日休みだから今日はお酒飲みながらのんびり映画観るつもりだったのに」
「あぁ、明日休みか。よかった」
「よくない。もう終電ないんだけど?」
「一旦うちまで来てくれればバイクで送る。それかお金は出すからタクシーで」
「ああ、そうだ、これ来る時のタクシーの領収書」
「あ、やっぱりタクシー使った? 早くてビビったわ。結構ナイスタイミングでヒーローかと思った」
「くだらないこと言ってんな。恋の家行くならそのまま泊まっていい? そっちは明日、仕事は?」
「昼からカフェ。別に昼過ぎまで寝てていいよ」
「普通に朝起きる。お前が家出る時に一緒に出るよ」
「了解。あー、今日も一日長かった」
「こっちのセリフね」
 女の子のことを少しも話題に出すことなく会話を続け、通りがかったコンビニで適当な飲み物とつまみ、最低限のスキンケア用品を揃えて、歩いて行ける距離にある恋の家へ向かった。
 先にお風呂に入らせてもらって恋に渡されたふわふわとした生地のパジャマに身を包みリビングに戻ると、恋は僕を見て目を細め「絶対似合うと思ったわ」と言った。舌打ちを返すとけらけらとした笑い声が弾ける。
「もらいもんだけどちゃんと新品だよ」
「そんな心配はしてない。お前が不愉快ってだけ」
「はは、ひどいな。俺も風呂入ってこよー。テレビ、配信サイトつけといたから好きなの見てて」
 僕は適当に返事をしてリモコンを手に取り、一番最初に目についた新着映画を付けた。恋が「あ、それ結構良かったよ」と言うのを無視して買ってきた化粧水や乳液をテーブルに並べる。家で使っているものには敵わなくても出来る限りのスキンケアをしたかった。映画を見ながらいつもより丁寧に手を動かし、ついでに手足や顔のマッサージもする。
 僕が全ての作業を終えるより早く恋がお風呂から出てきて、まだテーブルに広げられたままのスキンケア用品にかすかに眉を上げた。だけど何も言うことはなくキッチンに向かい、冷蔵庫からお酒とチーズを持ってきて僕の隣に座る。
「飲み始めても良い?」
「好きにして。もうすぐ終わる」
「おっけ。お疲れ様〜」
 恋は僕の分として持ってきたらしいチューハイの缶にコツンとビールの缶を当て、一人で先に飲み始めた。ゴクゴクと気持ちよく鳴る喉の音が面白くてほんの少し口角がゆるむ。
「真央、ごめんね」
……なにが?」
「あの子が色々言ってたこと」
…………どれ?」
「ふ。気にしてないならいいけど。謝りたかったから謝っただけ、気にしないで」
「気にしてんのはそっちでしょ。僕はあの子に言った通りのことしか思ってないよ」
「そ? まあ確かに、わざわざ俺なんかと付き合わなくても相手には困ってないか」
「おい、めんどくさい切り取り方するなよ」
「ごめんね、俺めんどくさい男なんだ」
……知ってる。本当にめんどくさいな。なに、好きだとでも言ってほしいの?」
「うーん?」
 ヘタクソな笑みを誤魔化すつもりもないようだったから、僕は舌打ちをしてまだクリームが残ってベタつく手で恋の顎を掴んだ。乱暴に引き寄せて唇を重ね、見開かれた蜂蜜色の瞳を視線で貫く。
「僕のことが好きなんだろ。だったら余計なこと考えんな」
……かっこいいな、おまえ」
「当たり前。大人しく映画見ててくれる? もう少ししたら構ってやるから」
……いい子に待ってまーす」
 男同士なんて気持ち悪いと、僕たちを傷付けるためだけに吐かれた言葉にいちいち傷付いてやるほど僕は柔じゃない。でも恋は、全然気にしてないように見せかけて一人で勝手に落ち込むような面倒な性格してるから。キス一つで心を軽くしてやれるなら安いもんだった。
 好きだと言葉にすることも、触れるだけのキスも、周りに恋人だと見せかけるためにする偽物の行為全てが、この部屋の中でだけ本物になる。甘えるように寄りかかってくる体温が邪魔なのに邪魔だと言えない自分に笑って、保湿クリームのキャップをパチンと閉じた。ピクッと反応して、でも宣言通りいい子に待てをしている恋人に、こみ上げてくる笑いを誤魔化すことなくふふっと溢して顔を上げる。
「ねえ、キスして」
 言い終わる前に重なった唇はあっという間に深くなり、映画の結末を見ることなく僕はソファーに体を倒した。