花と蜜に堕ちれども

ディル君お誕生日おめでとう2025、なのにオスッテ側がふわふわ。全体的に事後っぽい雰囲気があるオスラ視点です。


 一度蜜の甘い味を知った者は、その嗜好を忘れることなく堕落に浸る。特に宵闇に咲く花々が放つ香りは一段と甘ったるく、癖になってしまえばその花をひたすらに求め続けていた。それは虫であろうと人間であろうと変わらないんだなと、かつて居た花街の客たちの醜態が脳裏をよぎった。反吐が出るほど甘過ぎるあの空間が嫌いだった。人間の裏の顔、泥にまみれた本性が嫌いだった。ドロリとした赤黒い意思は決して満足することはなく、際限なく周りを巻き込み、何もかもが無くなるまで飲み込んでいく。

 自分もそんな嫌悪する存在にはなりたくないと思っていたのに、しかしやはり人間とは欲を抑えられない生物だ。目の前にいる純白の猫をいつまでも手元に置きたくて仕方ない。しかし猫というものは気まぐれであり、時として彼は自分の手元からするりと身をかわして抜け出してしまう。なかなかどうして、犬のように首輪を付けて従順にとはいかないのだ。ただそれでも、彼は今でも俺の傍を帰るべき場所だと思ってくれているらしい。


   ◇ ◇ ◇


 日の光も天辺まで昇ったある昼のこと、いつもは家の中でも家事や製作の仕事でせわしなく動き回っているはずのクルウは未だに寝室のベッドの上にいた。先に起きて簡単に家事を済ませてから寝室へ様子を見に行くと、寝間着を着たままの彼はいつもは身体を丸くさせて眠っているのに、今は両腕を上げた姿勢でスヤスヤと眠っている。そして俺が寝ている時に着用している長襦袢を掛け布団の代わりのようにしていた。普段は手入れをされてさらさらとしているはずの耳や髪、尻尾は汗でほんのりと湿っており、白い肌は薄っすらと赤みを帯びている。
 昨晩はクルウからの希望もあって身体に負担がかからない程度になるように抱いた。普段はこちらから愛情を注ぐように沢山抱いても、少し寝て朝になればすっかり回復しているクルウだが、今回はやはり事情が違う。
「ぅ……んー……、ぁ、ディルだぁ……
 俺が傍にいる気配で起きたようだが、まだまだ夢から醒めていないような、幼い子供まで戻ってしまったかのような様子。ふにゃふにゃの笑顔と溶けてしまいそうな橙の瞳を潤ませて、腹の上にのせた俺の長襦袢をキュッと掴み、拙く言葉を続けた。
「おはよ……あさ、じゃないよね、もう……
「おはよう。今は正午過ぎたくらいだが、それよりも体調は大丈夫か?」
「体調、は……ちょっとあつくて、まだ眠いかな……それだけ」
 クルウは現在発情期に入っている。以前は彼にとっては耐える時間で、初めて彼を抱いた時にはかなり苦しそうにしていた。生物的な欲求として当たり前のことなのに、クルウはそれを忌むべきものだと認識し、一人で抱えて我慢していた。しかしやがて反動が出てしまい、いざ再び発情期がくると高熱を出した時のように辛そうにしていることがあった。それからクルウにはもう我慢することではないと身体にも心にも言い聞かせ、週に何度か行為をするようにもなったことで適度に欲を発散させるようにしていた。そんな日々の営みが良かったのだろうか、今は発情期を迎えても寝込むほど苦しい熱ではなくなり、数日は眠そうにぼんやりゴロゴロと過ごすようになっていた。
「そうか、なら腹は減っているか? 簡単にスープとかおにぎりを用意してあるが」
「ありがと……でも、今はまだねむくて……
 話している途中だが既に瞼が落ち始めている。相当な眠気に襲われてるようだ。しかし例えほとんど動いていなくても発情によって削られるエネルギーはかなり多い。それに体温の高い状態が続いて汗をかき続けている。せめて水分はとってもらわないと脱水になってしまうだろう。
「流石に水は飲もう。すぐにとってくるから待ってろ」
「ぅん、まってる……
 返事をしながら長襦袢を抱きしめるようにもぞもぞと動く。そういえばクルウは発情期に入ると無意識に俺を服を手元に置きたがる。どうやら俺の匂いが付いていて傍にあると安心感を覚えるらしい。最初に彼の発情期に遭遇した時にも当時着ていた革製のコートに反応していて、何度か噛みつかれていた。そんな懐かしいことを思い出しつつすぐにキッチンで水を用意してから寝室に戻ると、予想通りクルウはスヤスヤと眠ってしまった後だった。
「おーい……仕方ない、ちょっと起こすぞ」
……ん、ぬぅ……
 もってきた水は近くのテーブルに置き、だらんと力抜けた猫になってしまったクルウの上体を起こしてあげる。微かに目を開けているが、果たして意識があるかどうかは分からない。それから頬っぺたをムニムニと軽くつまんでみたりと刺激を与えてやれば、辛うじて俺がいるということは認識出来たようでこちらに顔を向けてくれた。
「でぃる……
「はいはい、ほら、自分で水飲めるか?」
「み……?」
 こてんと首を傾げている彼、いやもうなんて可愛いんだろう。しかしどうにも水を飲むという部分は理解できていない様子だ。
「ふふ……なら俺が飲ませるか」
 そうしてクルウを抱き上げてから水の置いてあるテーブルの傍に移動し、一緒に座り込んで彼を胸の中に入れてやる。まずはこちらが口の中に水を含み、それから彼と唇と合わせると緩んだ隙間から少しずつ水を送り込んだ。クルウは素直にこくこくと喉を鳴らして水を飲み、中身が無くなったので一旦口を離してみると、グルルと唸りながら胸に頭を軽く擦りつけてきた。どうやらもっと飲みたいようだ。そうして彼が望むままにゆっくりと口移しで飲ませてやれば、やがて満足したように機嫌良く白い尻尾が揺れ動くのが見えた。
「ちゃんと飲めたな、偉いぞ。このまま寝てもいいからなー」
「えらいの? おれ?」
 不思議そうに再び首を傾げるクルウがまた可愛くて、思わず頭をわしゃわしゃと撫でてしまう。
「ああそうさ、何か他にしてほしいことがあるなら教えてくれよ」
「そっか……んー、じゃあ、このまま……いっしょに、いたいな……
「一緒に?」
「うん……ここにいて、なでてもらうのも、だきしめてもらうのも、あったかくて、すき……
 ふわふわと言葉を紡ぐ眠そうなクルウ。普段は頭を撫でたり尻尾を触ろうものなら「時と場合を考えろ!」と言われたり、あまり反応をしてくれない時もある。それでも時折耳をピンと跳ねさせたりしながら嬉しそうに笑ってくれるので、完全に嫌がっているわけではないのは分かっていた。でも考えてみれば、今までこんなに素直に彼から「好き」という言葉を貰うことはほとんど無かった。それこそ彼から「あれが欲しい」「これが欲しい」と言うこともない。大抵は自分自身でなんとかしてしまう優秀な人だったから。自分で何でも対応出来ることが当たり前のことだと思っていたから。今は恐らく、発情と眠気で普段彼が抑えていた本心が出てきているのだろう。
「大丈夫だ、俺はずっと傍にいるぞ」
「ほん、と? わがまま、いってない?」
「我が儘? むしろお前がちゃんと言ってくれたほうが俺は嬉しいぞ」
「へへ……でぃる、うれしい? なら、おれも、うれしぃ……
 やがてすっかりこちらに身を預けて、再び夢の世界へと潜り込んでしまった。いつもよりも暖かい彼の体温と、いっそう強くなった汗の香りが直に伝わってくる。更にギュッと抱きしめながら、急激に欲がこみ上げてくるのを何とか抑え込もうとする。
「はあ……
 このままでは、彼をベッドに運んだ後に再び彼を抱いてしまいそうだ。クルウ自身は恐らく自身が特別甘美なフェロモンをこちらに向かって放っていることに気が付いていないだろう。そうしてこちらもいつの間にか熱に浸食されている中、あまりにも素直な「好き」にあっけに取られて、こちらが言葉を返す前に幸せそうに寝てしまった。

 ああもう、これはあまりにもズル過ぎる。普段は甘いものは嫌いだと言っているが、彼から生み出された特別な蜜の香りは、どうしたって嫌いになれそうにない。結局どれだけ愚かなことだって分かっていても、一度でも魅了されてしまったものからは離れがたく、いつまでも手元に置きたくて仕方なくなるのだ。果たして彼も、こんな俺のことを認めてくれたと思っていいのだろうか。願わくは彼が正気の時に改めて本心を聞いてみたいものだが。
「次にちゃんと起きた時まで、今の言葉忘れるなよ」
 今はただ、ひとつ屋根の下で互いの熱を分かち合う生活がいつまでも続くことを望むとしよう。寄り添い眠ってくれる彼がいつまでも平穏であるように。