それは、朝から遊びに来ていた悠真とのんびりビデオ鑑賞をしていた時のことだった。悠真が見たことがないというビデオを何本か出したところ、軽い葛藤の末に選ばれたのは賢い犬と少しそそっかしい主人の日常を描いたハートフルコメディ。どういう意図があって選んだのか尋ねてみれば「アキラくんが好きそうだから」とさらりと言われ返す言葉に詰まる。悠真は自らビデオをセットし終えてアキラの横に戻ってくると、買ってきたコーヒーを手に流れ出した映像に集中し始めた。
お互いに一言も言葉を交わさず、柔らかいBGMと登場人物たちの会話に耳と意識を傾ける。確かにアキラが好きな映画ではある。ストーリーは単調で、ラストまでスリルも驚きもないが、淡々とした旧文明の平和を味わえる作品だ。何より犬はどの時代でも可愛い。主人公はことあるごとに犬に助けられ、お前は賢いね、大好きだよと口にする。何度か見た映画ではあるがやはり胸が温かくなるな、と口元を緩めるアキラに、不意に悠真が声を掛ける。
「ねぇ、アキラくんはさ。僕のどんなところが好き?」
唐突な恋人からの問いに、映画の内容が頭から飛ぶ。一切の雑念を取り払って出てきた単語を、アキラは何のてらいもなく言葉にする。
「顔、かな」
「……えぇ、それだけ?」
確かに僕は顔がいいと思うけどさ、と。彼だからこそ言える台詞を吐く悠真をじっと観察する。くすくすと軽い笑みを転がせて、悠真は首を傾げた。
「そこだけじゃないよね、他にもあるでしょ?」
「ふふ」
「……何その余裕綽々な笑みは。え、あるよね? 本気で僕の顔だけ好きとか言ってないよね?」
僅かに笑みが崩れて、仮面の下から焦りが滲み始める。嘘でしょ、ねぇ、と肩を掴まれたところで「なになに? 喧嘩?」と廊下からリンが顔を出してきた。瞬時に声の方に視線を向けた悠真は、今度はリンに食い付く。
「リンちゃん! リンちゃんは僕のいいところ、顔だけとか言わないよね?」
「うわ、なんかめんどくさいこと言い始めた。来るタイミング間違えちゃったな……」
リンはあえてアキラに対して呆れた視線を向けてきた。兄がはぐらかして遊んでいることがバレているようだ。バカップルの痴話喧嘩、もとい惚気に挟まれたリンはあからさまな溜め息を吐いたあと、しかし悠真の必死さに負けたのか、唇に指を当てて考える仕草をした。
「顔、は勿論だけど、そうだなぁ……強くていつも私たちを守ってくれるし、サボ……要領よく仕事もこなしてるみたいだし。あ、猫ちゃんに対する姿勢には私ですら感心するところもある、かな」
割と真面目なリンの回答に、悠真の顔に喜びが滲む。うんうん、と頷く悠真に気をよくしたのかあれこれと美辞麗句を枚挙していたリンだったが、あ、と何かを思いついて顔をぱっと明るくした。
「あと、あんたが店にいると売上が伸びる!」
「僕のこと、招き猫かマスコットキャラだと誤解してない?」
本心から出た言葉だとわかる態度に、気を良くして頷いていた悠真は僅かに怪訝そうな顔で首を傾げる。
「何言ってんの、私たちの生活を繋いでくれてるんだよ? もうボーナスあげたいくらいだよ! みんな宣伝してくれておかげさまで店の売り上げはそこそこ安定してきてはいるけどね、悠真握手会が開催された時が一番売り上げ良かったなぁ」
「ああ……あれね……」
つい先日、悠真が適当に「ビデオを借りたら握手会」などと宣伝していたせいで、押しかけてきた熱量の高いファンの勢いに負け、突発的なその日限定のイベントが開催されたことがある。店の中だとさすがに邪魔になるので外にスペースを設けて任せていたところ、休む間もなく客が押し寄せ、アキラとリンはレジの対応に追われた。まさに客寄せパンダと化した悠真はその夜、アキラのベッドを大の字で占領して「もう絶対やらない」と一言だけ低い声でこぼしていた。
「そんなわけで、悠真にはまだまだうちに貢献してほしいわけ」
「それはやぶさかではないけど、あれはもうやらないからね!?」
「分かってるよー、別にあんたに無理させたいわけでもないの。ま、もしサボり過ぎで六課をクビになったら、いつでもうちが雇ったげるから」
「引き抜きはありがたいけど、僕は真面目な対ホロウ六課職員なので、しばらくは無理でーす。六課だって有能な僕をそんな簡単に手放すわけないでしょ」
「あはは、凄い自信。ま、本気で第二の人生を送りたい時はいつでもご相談くださーい」
ひら、と手を振ってリンが退散する。笑顔を作っていた悠真は、リンの姿が見えなくなった途端不服そうにアキラに視線を寄越した。
「……結局顔だって言われたようなものじゃない?」
「さすが僕の妹、感性が似てる」
「否定してよ、もー」
その辺のクッションを掴むと、悠真はそれをぎゅっと抱き締めて不貞腐れた顔を埋めた。その様子を見ながら、アキラはまた頬を緩ませる。
僅かに口角を上げた余裕ぶった顔。
絶対的な自信から来る挑発的な顔。
上擦った声と共に浮かぶ焦った顔。
堪えきれず喜びが溢れる笑った顔。
そして今は、唇を尖らせて不服を示した不貞腐れた顔、だ。
「僕はね、悠真」
名前を呼ぶと、大きな目がこちらを向く。その小動物的な動きにうっかり喉が詰まりそうになるが、咳払いで正常な意識に戻してアキラは素直な言葉を吐き出す。
「君がありのままの感情を僕に見せてくれるところが、一番好きだよ」
何が好きで、何が嫌いで、何をどう感じたのか。それらを隠すことなく伝えてくれる悠真が好きで、側にいたいと思う。そういう気持ちを込めたのが伝わったのか、悠真は一瞬目を見開いた後で喜びと自信をない交ぜにしたような感情を目元に浮かばせた。花が綻んだような静かな笑みを見て、ああ、その顔もいいなとアキラの中の「好きな悠真」が一つ増える。
相手が嫌がらないのでそれなりに彼の写真を撮ってはいるが、もし心の中にシャッターがあれば、もっとたくさんの彼を写したフィルムが記憶に焼き付いていると思う。
「アキラくん、僕のこと大好きじゃん」
「嫌いだと言ったことは一度もないよ」
「そういえばそうだった。ふふ、僕もアキラくんのそういうめんどくさいところ好き」
「……面倒ではないだろう、少なくともさっきの君よりは」
「たまにはいいじゃん、ほら、倦怠期のカップルには事件という潤滑油が必要だったりするでしょ」
「それだと、僕たちは倦怠期ってことになるのかい?」
「そういうわけじゃないけど、僕だってたまには愛されてる自覚がほしいわけ」
するりと後ろから回された手が、アキラの肩を掴む。そのまま引き寄せられ、頭同士がこつんと触れる。
「僕はこんなに、あんたに好きを伝えてるのにさ」
「つまり悠真は、僕の気持ちを信じていないと」
「あんたのことは頭のてっぺんから足の爪先まで全部信じてますー。……でもやっぱり言葉が欲しい時はあるよ、僕だって」
言いながら悠真は、首筋に頭を擦り付けてくる。くすぐったさに、ふは、と笑うと動きがエスカレートして、さらにぐりぐりと体を押しつけられた。ぎ、とソファが軋んであわや押し倒されそうになった時、再び廊下から妹の声が聞こえた。
「そこのバカップルー、今営業中だからねー、この部屋の下はお店だから、弁えてねー」
見ると完全に呆れ返った顔を隠さないリンの姿。彼女はそれだけ告げると、開きっぱなしだった扉をバタンと閉めていった。
顔を見合わせて、どちらからともなく声を潜めて笑い合う。
映画はいつの間にかエンドロールが流れていた。一人と一匹の物語の終点を見ていなかった悠真が「もう一回途中から!」と強請ってきたので、リモコンの巻き戻しボタンを押してやる。先ほどまでの空気はどこへやら、再び映像に集中し始めた悠真の真剣な横顔をこっそりと眺めて、じわりと湧いてきた熱い感情を隠すようにアキラはほんの少しだけ目元を綻ばせた。
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