遠藤晃
2025-05-24 23:33:57
6768文字
Public
 

極むつと水鏡ひぜん(遊廓のスピンオフのようなもの)

Twitterにアップした極むつハッピーエンドへの道のまとめ

極むつに遊廓から「新しいひぜんが入ることが決まった」と連絡があった。馴染みのひぜんが他のむつに身請けされたからか、どうやら気を遣ってくれているらしい。常連を逃がしたくないのだろう。新しいひぜんの配属日から半月程過ぎた日で、極むつは予約を入れた。そのくらい経てば店にも馴染んでこなれた感じになっていて楽しめるだろう。そう思ってのことだ。
だが、予約の日に遊廓に赴いた極むつのところに来たひぜんは、今日が店に出るのが初めてだと告げた。どうやら極むつに水揚げをさせてやろうという心つもりらしい。余計な気遣いを、と極むつは内心苛立った。そんなことは望んでいない。極むつの様子を見て、ひぜんは「気乗りしないなら、帰るか? 代金は戻して貰えると思う」と言った。少し考えて、極むつは首を振った。流石に新枕を断って恥をかかせるのは気がひける。帰ったことでさらに仰々しいサービスを押しつけてこられるのも厄介だ。極むつはひぜんを引き寄せ、「わしはそんなに優しい方じゃあないが、構わんかのう?」と言った。
「妙なことを言うんだな。金を払ってるのはあんただろう、おれに何か気を遣う必要があるのか? あんたの好きなようにすればいい」
首をかしげながら答えるひぜんには、気負った様子も媚びる様子もなく、やけに凪いだ態度で、それが不思議に面白く、好感が持てた。ただ、極むつのことをじっと見つめてくる瞳が、ひどく印象的だった。
それ用に顕現されているだけあって、初物だからといって面倒なことは特になく、滞りなく楽しめた。わずかに緊張が伝わってきたのに、ほんの少しだけ心のどこかがさざめいたような気もしたが、すぐに消えた。さんざん組み敷いて好き勝手にして、少しだけ色をつけた金を支払って極むつは遊廓を後にした。なかなか悪くなかった。また通ってもいいだろう。あのひぜんは三味線と歌は得意だろうか、と思いながら、極むつはいい気分で夜道を歩いた。
それから半月ほど経ってから、極むつはまた遊廓に足を向けた。他の客もそれなりにとったのかひぜんはもう店にすっかり馴染んだ様子だった。ひぜんは極むつのことはもちろん覚えていたが、特別な態度はとってこなかった。水揚げの相手だからとべたつかれるのはごめんだったからありがたかったが、ひぜんの様子はどこか不思議な感じがした。落ち着いているというのとも違う、前のひぜんのように割り切った態度というのも何か違う、ただそのままそこにある、そんな不思議に凪いだ様子をまとっていた。それでいて、ひぜんはやけに極むつのことをじっと見つめてくる。色を含んだ視線ではなく、本当にただ極むつのことを見ているだけなのだ。遊廓の他でも仕事の関係などで時折ひぜんに会うことはあるが、こんなにじっと見てくるひぜんには会ったことがない。不思議な子だ、と思ったが、嫌な感じはしないので、特に咎めはしなかった。
3度目のときに、極むつはひぜんに酒の余興に三味線と歌を頼んだ。ひぜんは承知して、三味線を抱き朗々と歌ってくれた、のだが。
「そがぁに上手くはないのう
思わずこぼした極むつの言葉に、ひぜんは「これから上達する」とむっとした顔をした。あんな凪いだひぜんが初めて見せた不満げな様子がやけに面白くて、極むつは声を上げて笑ってしまった。こんな風に笑うのは、ずいぶん久しぶりな気がした。ひぜんの下手な三味線と歌を聴きながら飲む酒は、美味かった。
両手の指を越えるほど過ごしたが、相変わらずひぜんは極むつをやたらじっと見る。枕を交わしてふたり並んで一息ついているときもだ。
「にゃあ、おまんは何で、わしのことじっと見ゆう?」
極むつがとうとうそう尋ねると、ひぜんはやはり極むつのことをじっと見たまま、「あんたは不思議な目をしていて面白い」と言った。どういうことだろう。
「あんたの目は、透明でがらんどうでなんにも映してないみたいだけど、時折ひどくうつくしいものがちらりとのぞくような気がする。はるか遠くの、届かない光みたいななにかだ。それが不思議で、見ていて面白い」
ひぜんの言葉は、知らないはずの極むつの昔を言い当てているかのようだった。極むつが黙り込んでしまうと、ひぜんも同じように黙って、また極むつのことをじっと見た。己を映すひぜんの瞳に、あの日の幸福が横切るのが見えた気がした。それに引きずられるように、極むつはぽつりぽつりと昔の話を口にした。折れたひぜんのことと、その共をするために自分の大切なところすべてを思い出の品と一緒に深く葬ったことを。ひぜんはそれを相槌もせずに最後まで静かに聞いたあと、「へえ、いいな」と言った。
「何が、えいんじゃ」
「あんたのいちばん大切なところは、はるか彼岸の彼方であんたのひぜんただひろと一緒にいるんだろう。あんたの幸福は、もう誰にも触れられないところにある。もう誰も、それを壊すことはできない。はるか彼方のその先で、ずっと柔らかに輝いている。あんたの幸いは、永遠に灯り続ける」
ああ、そうだ、そうだ。そうしたかった。だから葬った。ずっとずっとふたりで在り続けるために、何もかもを埋め共に旅立たせ、残骸だけに成り果てたのだ。
誰にも解らぬと、言い当てられることなどないだろうと、そう思っていた。けれどひぜんは、まるであの日の極むつの心を映すかのように、当たり前のようにそれを口にした。ひぜんの瞳はまだ極むつをじっと見ている。そこに映る己の目には、はるか彼方の幸いが確かに遠く瞬いている。うつくしいそれを見たくて、極むつはひぜんの瞳をじっと見つめた。ひぜんが自分のことをじっと見る理由が、とてもよく解った。
ひぜんはまるで、こちらを映す水鏡のようだ。向かい合うと己のすべてを見つめられ受け取られ映し返されたような気持ちになる。それでいて、もっとよく見ようと近寄ると、さざめく水面のようにするりとかき消えてしまう。ひぜんは、ただそこに在る。当たり前のように、極むつを映す。不思議な子だ。
万屋街を歩いているときに、遊廓に前にいたひぜんを偶然見かけた。朴訥そうなむつのかみと一緒にいて、あれがおそらく身請けの相手なのだろう。仲睦まじい様子で、幸せそうに微笑んでいた。あんな顔もするのか、と極むつは率直に感心した。あのひぜんは極むつとはいつも金が介在する割り切った態度で、客に向ける笑顔しか見たことはなかった。プロ意識の高い個体なのだと思っていたが、そうでもなかったらしい。いや、あのむつのかみだけが特別だったのだろうか。極むつに対する態度とはまるで違う、あのむつのかみだけに見せる顔があり、だからこうやって身請けされ穏やかに過ごしているのかもしれない。そこまで考えてふと、あの水鏡のようなひぜんは、他の客にはどんな態度をしているのだろうかと少しだけ気になった。あの凪いだ静かな姿とは違う、華やいだ笑顔で甘くべたついたりしているのだろうか。それとも、極むつにするように、他の客のこともただじっと見つめたりするのだろうか。あの水鏡のような瞳で、他のもののことも映しとるのだろうか。
やけに落ち着かない気分になって、極むつは遊廓へ足を向けた。予約はしていなかったがひぜんは空いていた。部屋に通されると、ひぜんはいつものように極むつのことをあの瞳でじっと見た。そのことに妙にほっとした。いつもより少しばかり乱暴に扱ったが、ひぜんは抗うこともなく極むつの腕の中で高くかすれた声を上げ、好き勝手に揺さぶられながらも極むつのことをじっと見つめ続けた。気をやる瞬間までも己を映すその瞳を、極むつもずっと見つめていた。
その日の任務は、禁術に手を出したものの制圧だった。何でも死んだ娘を外法で甦らせたらしい。そういうことを売りにしている怪しい団体相手ならば頭数を揃えて向かうのだが、今回は両親と息子の家族だけで個人的にやらかしたことなので、極むつと事務処理要因の職員だけだ。蘇った娘とやらが厄介な存在になっている可能性もあるが、極むつなら鎮圧できるだろう。こんな任務は数えきれないほどこなしてきたので、問題はない。
結局甦った娘とやらは、ただの泥人形にガワをまとわせたくらいの怪異とも呼べないくらいの代物で、極むつの刃がかすっただけであっけなく消滅した。両親は号泣し、息子は激昂しながら極むつと職員に食って掛かってきた。
「あればぁはおまんの姉が甦ったのとは違う、ただの泥人形じゃ。あんな気色悪いもんを自分の姉扱いするなんぞ、本物の姉に悪いと思わんのかのう。おまんの姉が気の毒じゃ」
極むつがそう言っても、息子は「うるさい、うるさい、うるさい!」と怒りを納めるどころか更に取り乱してゆく。
「お前に何がわかる!お前には大事なひとなんかいないんだろう!人の振りなんかしてるけど心なんかないただの鉄屑のくせに!姉さんを返せ!返せよ!」
息子はとうとう刃物を取り出して極むつに切りかかってきたので、蹴り飛ばすと一発で気を失った。人間相手に手荒な真似はよくなかったかのう、と思ったが、職員は「正当防衛なので何の問題もないです」と何でもないことのように事後処理を進めた。両親はいまだ泣き崩れ続けている。彼らの気持ちなど極むつにはわからない。極むつの大切なひぜんは遠くに行ってしまい、戻らない。泥人形を作ってひぜんの真似をさせてひぜんとして扱うなんて、とんでもない冒涜だ。ただ、「心なんかない」というのは、その通りかもしれないとは思った。極むつの心はあの日に砕け散り、大切な部分は全部ひぜんと一緒に送り出してしまった。からっぽの胸の中に残骸が残っているに過ぎない。斬って開いてみても、ちっぽけな塵屑くらいしかない、空虚だけがあるだろう。今の己は、そういうものだ。
家族たちをしかるべき機関に引き渡し、事後報告も終えた極むつは、遊廓へ向かった。あの目に、自分を映されたかった。何故そう思うのかは、わからなかった。
今日も予約なしに急にやってきたが、ひぜんは空いていた。
極むつが部屋へ行くと、ひぜんはいつものように極むつをじっと見たあとに「ここに来る前に何かあったか?」と尋ねてきた。ひぜんがそんなことを訊いてきたことはついぞない。店の中でのこと以外の話題など振ってきたことなどないのに、と驚いていると、「訊いてほしそうな顔してるから」と何でもないことのように続けた。そうなのか。ひぜんが言うのなら、きっとそうなのだろう。
極むつはぽつりぽつりと先程までのことを話した。ひぜんは、折れたひぜんの話をしたときと同じように相槌もせずにそれを聞いていた。
「わしに心がない、言うのはその通りかもしれんのう。わしはただの残骸じゃ。がらんどうの中に、塵屑みたいなもんがかろうじて残ってるに過ぎん」
極むつがそう言ったとき、ひぜんは「ああ、だからか」と合点がいったという声を上げた。
「だから、って、何じゃ」
「あんたは不思議な目をしてるけど、あんたからは不思議な音がする。からん、からん、とかすかな音で、箱の中に入れたちっぽけな砂利が当たるみたいな、そんな音だ」
「おまん、そがぁなこと今まで言わんかったじゃろ」
「訊かれなかったから」
ひぜんは凪いだ態度で当たり前のように言う。いつもの調子だ。
ひぜんに聴こえている音は、きっとがらんどうの胸に残ったわずかな欠片がたてる音なのだろう。やはり自分は、からっぽの残骸なのだ。あの日の幸いを遠く誰にも触れさせぬところまで送ったからかろうじて生きている、それだけの存在だ。喉の奥の重さを極むつがぐっと飲みこもうとしたとき、ひぜんは言葉を継いだ。
「からっぽなら、これから何でも入れられるな」
飲みこみかけた息を吐き、極むつは目を見開いた。ひぜんはそんな極むつの様子など意に介さぬように、ただ極むつをじっと見ながら話を続ける。
「がらんどうの胸なら、あんたの好きなように好きなものを入れられる。そうしたらきっと、あんたからする音はもっと大きく、色んな音色になっていく。そのうちに、何か曲を奏でるようにだってなるかもしれない」
ひぜんはそこで言葉を切ると、一度まばたきをして、そして、静かに笑った。
「この先のあんたからどんな曲が聴こえてくるのか、楽しみだ」
極むつは、衝動のままにひぜんを強く抱きしめた。色事の前に抱き寄せるのとは違う、ただ力任せにすがりつくようにひたすらに抱きしめた。極むつの力でそんなことをしたら苦しいだろうに、ひぜんはされるがままで抵抗もしない。
「おまん、何で、嫌がらん
「いや、だって、あんたのこと好きだし」「おまん、今までそがぁなこと、一言も言わんかったじゃろうが!」
「言ってどうするんだよ。あんたは客だ。おれがどう思ってたところで、どうもこうもないだろ」
身も蓋もないひぜんの言葉に、極むつは笑おうとした。笑い声とは違うものが落ちた。あの日、ひぜんが折れたと告げられたときから塞き止められていた涙が、溶け出したように勢いよく流れ落ちてくる。
「わしは、わしは、ろくでなしじゃ。誇れるようなこと何もしたことない。それでも、おまんは、わしを好きじゃあ言うんか?」
「そんなの、おれだってそうだよ。顕現してからずっと、誇らしいことなんかひとつもねえ。三味線だって、全然上達しねえしよ
苦々しげにひぜんは言う。どうやら極むつに三味線が上手くないと言われたことを、ずっと引きずっているらしい。極むつは、笑った。泣きながら、笑った。腕の力を緩め、ひぜんのことを正面から見つめた。きっとひどい顔をしているだろうに、ひぜんはただじっと極むつを当たり前のように見ている。
「ほうかえ、じゃあ、わしらはお似合いちうやつかのう
極むつは、笑った。
「ああ、そうかもな」
ひぜんも、笑い返した。
涙がぼろぼろと流れるたびに、がらんどうの胸に何かが落ちてゆくのを感じる。それがどんな音を立てているのか、極むつにはわからない。けれど、ひぜんは静かに笑っている。それでよかった。それがすべてだった。
無駄に高い給金が貯まっていたので、身請けの金を払うのに困ることはなかった。むしろ少しばかり色をつけて払った。余計な気遣いをされたと思ったが、今は感謝したい。
極むつの家へと向かう道すがら、「そういや、おまんは坂本の家にいた頃の記憶はないがか?」とひぜんに尋ねた。ひぜんは初めて会ったときから極むつのことを「あんた」とまるで年上かのように呼ぶ。だから付喪の頃の記憶はないのかと思っていたが、ひぜんは「いや、覚えてる」と首を振った。では何故極むつのことを「あんた」と呼ぶのだろう。
「おれは、顕現して最初に会ったむつのかみがあんただ。坂本の家にいたチビで可愛らしかった付喪と、おれよりでかくて逞しいガタイでおれのこと組み敷いていいようにしてくるあんたが、どうも結びつかなくてよ
ひぜんの言葉に、極むつは苦笑するしかなかった。ごもっともだ。
「他の呼び方の方がいいか? あんたの好みに合わせる」
ひぜんはそう言うが、極むつは「いんや」と首を振った。
「おまんは、おまんじゃ。好きなように呼んだらえい。それが、わしの好みじゃ」
「そういうもんか」
「そういうもんぜよ」
戯れのように言いながら、極むつはひぜんの手を握った。肌を合わせるときとは違う、控えめなぬくもりが伝わってくる。気負うでもなく、べたつくでもなく、当たり前のように握り返されてくる手に、とても安心する。
あの日の幸いを忘れた訳ではない。あの幸福ははるか遠くで優しく瞬き続けている。極むつの大切な部分は、今でもあのひぜんと離れずにいる。それは永遠に変わりない。
けれど、残された残骸の自分にも、空いた胸の中へ新たな何かを詰めることができるのだ。それがこれからどんな音を奏でていくのかは、まだわからない。聞くに耐えない不協和音になるかもしれない。でも、それでいい。それでもまた新たなものが加われば、いつかは美しい曲になるかもしれない。その頃にはきっと、ひぜんの三味線も少しは上達しているかもしれない。合わせて歌えば、遠くまでも届くかもしれない。
眩しい陽の光を身に浴びながら、極むつはこの今一時から踏み出して、ようやく明日へと歩き出した。

以上でハッピーエンドです、ありがとうございました。
書き始めたときはそういうつもりではなかったんですが、終わってみたらエンドロールで流れるのは大槻ケンヂの「天使」だなという感じです。いい歌なので機会があったら聴いてください(ダイマ) https://www.uta-net.com/song/189342