遠藤晃
2025-05-24 23:31:08
2306文字
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遊廓ひぜんの客の極むつの過去

遊廓ひぜんのとこに通ってた極むつの過去を考えたうちの一番悲しいバージョンです(Twitterのまとめ)

遊廓ひぜんの客の極むつの過去のいちばん悲しい場合の話。
かつて本丸で、むつはひぜと恋仲になった。小さな付喪だった頃からずっと慕っていて、だんしになって再会し、色々あった末に心通わせる仲となった。ありふれた話だ。
恋仲になってまだそんなに経たないとき、むつに修行の番が回ってきた。修行に行くのはまだ限られたものである状況で、選ばれたのは名誉だ。頑張りが認められたのは誇らしかったし、ひぜんも我が事のように喜んでくれた。必ず立派になって戻ってくる、と誓うむつに、ひぜんは「楽しみにしてる」と笑ってくれた。修行に出る前の夜は、祝いの席を「二日酔いで出発なんてみっともない真似できんき」と早めに切り上げ、ひぜんとふたりきりで穏やかに過ごした。その夜、むつは初めてひぜんを抱いた。ただ限りなく甘く優しく、幸せな夜だった。
修行に出たむつは見事にやり遂げ、胸を張って本丸に戻った。誇らしい自分を、早くひぜんに見てもらいたかった。
帰りついたむつに告げられたのは、「ひぜんが折れた」という知らせだった。
主の采配ミスだった。それなりの経験のあるひぜんを隊長に、まだ経験の浅い刀たちを鍛えるための出陣で、検非違使が現れた。ひとたまりもなかった。それでもひぜんは何とか他のものたちを重傷の状態で本丸へたどり着かせ、全員を皆に任せたところで、折れた。きっと本当ならもっと早くに折れていただろうに、隊長の矜持で全員を送り届けるところまで持ちこたえたのだろう、立派な最期だった。皆泣きながらそう言った。
主は悪い人ではなかった。むしろ自分たちのことをいつも考えてくれている人だった。言うことはいつも自分たちのことを思いやっての言葉ばかりだった。それは解っているし、主の真心を疑ったことなどない。
主にはまだむつとひぜんが恋仲になったことは伝えていなかったが、同郷の縁あるもの同士で仲睦まじいことは当然知っているので、むつに涙ながらに謝ってきて、そして、こう言った。
「なるべく早く、次のひぜんを迎えられるように努力する」、と。
それを聞いた瞬間、むつの心は取り返しのつかない程に砕けてしまった。
「わしらぁは戦をしとるんじゃ、仕方のないことじゃ」とだけ言い、むつは自室へさがった。極の祝いなども設けられなかったし、もしあったとしても断っただろう。むつはひぜんとの思い出の品、写真や手紙や贈り物や一緒に買ったもの、そういったもの何もかもを箱につめて、本丸の近くの誰にも気づかれないようなところにひとりで深く埋めた。目印などは立てなかった。
それから数年して、主が病に倒れた。一命は取り留めたものの、さにわを続けられる状態ではなくなり、本丸は解体となった。「次のひぜん」を迎えることは叶わないままだった。
他の本丸へ移るもの、刀解を望むもの、皆それぞれだったが、むつには政府から誘いがかかった。あの日からただ鍛練に励んでいたむつは、かなりの実力になっていたからだ。自分の力が役立つならと誘いを受け、むつは政府のとある部署の所属となった。基本的に単独任務で、戦闘になることも多かったが、むつは事なくこなし、評価は上がっていった。貰える報酬も多かったので、適当に暮らしていても金に困ることはなかった。夕食代わりにその辺の店で飲むことが多かった頃、遊びなれた様子のものに誘いをかけられ、流されるままに一夜を共にした。あの一度きりの幸福な甘い夜とはまるで違い、ただ快楽だけを追いかけて後をひかずに終わるそれは、単純に面白くて心地よかった。それからむつは行きずりの遊びをするようになった。強く男ぶりのいいむつは魅力的なようで、誘いを断られることはあまりなかった。たまに「これからもずっと一緒にいたい」などと言ってくるものもいたが、全て冷たくはね除けた。そんなものは求めていないし、むつに何も求めないで欲しい。その日、その一時だけの享楽以外は必要ない。
興味本位で行ってみた政府の遊廓で、むつはひぜんを指名した。ここにいるひぜんは誰のものでもなく誰のものにもならないひぜんだ、それならば会っても構わないと思った。遊廓のひぜんは、むつのひぜんとはまるで違った。それがよかった。三味線の音色と歌う声が綺麗で、聴きながら飲む酒は美味かった。身体もよかった。馴染みといえるくらい通っても、ひぜんは特に馴れ馴れしくしてくることもなく、金との対価の関係であることを崩さなかった。それが気に入っていた。
他のむつがひぜんを身請けしたと聞いても、あの三味線と歌が聴けなくなるのは少し惜しいなと思っただけで、どうということもなかった。また新たなひぜんが近々入るそうなので、それも三味線と歌が得意な子ならばいいな、とは思った。
いなくなれば、次のものがくる。それは当たり前のことで、悪いことではない。そういうものだ、それだけのことだ。いつか自分が消えたあとも、また新たな自分が補填されるだろう。
あの本丸があったところが今はどうなっているのか、知る術はないし、行く術もない。あの日埋めた思い出は掘り返せない。掘り返すつもりもないから、いいのだ。あの日、むつは自分のいちばん大切なところを葬った、ひぜんの共をさせた。刀が折れたあとにどうなるかは知らない、けれど彼岸の彼方で、むつのいちばん大切な部分はひぜんとずっと一緒にいる。ふたりでずっと幸せに過ごしている。むつの幸福はそこにある。そこでずっと続いている。だからいいのだ。残骸の自分がいつか朽ち果てる日が来たら、きっと残りもそこへたどり着けるだろう。その日が来るのを待ちわびながら、むつは今日もこの一時を生きている。