みずあめ
2025-05-24 23:24:10
2342文字
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ゆづあい

ワンライ「フローリスト」

弥代さんが初めて企画したドレスアップイベントが無事に終わり、店内の片付けが進められる中、俺は逢さんを人気のない狭いバックヤードに連れ込みその唇を塞いでいた。初めは驚いて抵抗しようとしていた逢さんも今はすっかり力が抜けて俺の体にしがみついている。よくないなぁとほんの少しだけ思うけれど、それ以上に今は逢さんを独り占めしたかった。
逢さんは基本的にAporiaの店頭に立つことはない。カフェのシフトは逢さんに出てもらわなきゃいけないほど人手が足りなくなることはないし、そもそも逢さんにしかできない他の仕事が山ほどある。だから逢さんが接客をする姿を見るのはこうしたドレスアップイベントの時くらいで、その度に俺は逢さんのかっこよさに見惚れていた。今までは逢さんの姿を見て満足していたのに今回こうして逢さんに触れてしまっているのは、たぶん、ベストフローリストを選ぶためにお客様が店員に送ってくれるシールが原因だった。
これまでだって逢さんを見て顔を赤くする人や目を輝かせる人はたくさんいたけれど、今日のイベントではそれがシールという形で可視化される仕組みだった。お客様が逢さんにシールを渡す姿を視界の端で見つけては、俺の心はじくじくと痛みを訴えた。逢さんのことを俺のものだなんて思ったことないのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。理由は考えても分からなくて、分からないまま俺は逢さんを抱き寄せていた。
逢さんを押し付けた壁のすぐ向こう側で誰かが作業をし始めたのか、ガタガタという物音と話し声がかすかに聞こえる。逢さんが体を硬くしたのに気がついて俺はキスをゆるめ、ちゅっと小さく音を立てて唇を離した。
逢さんの咎めるような瞳が俺を見つめる。まだキスをしていたかったのか、それともさっきまでの強引なキスの理由を問われているのか、どちらだろう。話し声は壁の向こうに聞こえてしまいそうで、俺はもう一度触れるだけのキスをした。
「ゆづる」
「しー」
……
むすっとした顔で唇を結んだ逢さんは俺のことをじっと見つめ、俺がその視線に思わず笑みを溢すと眉間に皺を寄せて自分からキスをしてきた。可愛らしくちゅっと触れて、じゃれるように食まれ、いたずらに舌先が唇を舐める。笑っていられたのは最初だけで、俺は煽られるままに口を開いて逢さんの舌を向かいいれた。
きちんと止まっている襟元のボタンはそのままに、腰の後ろで結ばれたソムリエエプロンのリボンをするっと解く。生地の重みで床に滑り落ちたそれに逢さんが気がついて舌の動きを緩めた隙にキスの主導権を握り返した。ベストの隙間に差し込んだ手のひらでシャツの上から腰を撫で、逢さんが目を眇めて反応するのを見逃さないように見つめる。こんなところでは何もできやしないのに、それでも逢さんの綺麗な外側を剥いで俺だけが知っている顔を見たかった。
「由鶴」
かぷっと舌を噛まれ、俺は目を丸くする。逢さんが何かを言いたげに視線を外した。いつのまにかさっきまで聞こえていた話し声は聞こえなくなっていて、代わりにキッチンの方から「由鶴見なかった?」と言う声が聞こえてくる。
「あ。……戻らないと、ですね」
……由鶴」
「はい、すみません」
「理由があるんだろう。仕事中に手を出してきたことは良くないが、言いたいことがあるならはっきり言え」
……シールを」
「シール?」
「店員に送れるシールを、逢さんに贈りたいと言う方がたくさんいらっしゃったでしょう。それを見て……すみません、自分でもよく分からないんですが、……ヤキモチを妬いたみたいで」
「ヤキモチ? ……誰に、どうして?」
…………うわ、今わかりました。……情けないから内緒にしてもいいですか?」
「よくない。言え」
……笑わないでくださいね。……逢さんのこと、一番好きなのは俺なのにって、そう思ったんです。俺が客として来られたら逢さんに誰よりもシールを送るのに、そうできないから、たった一枚でも逢さんにシールを送れる人みんなにヤキモチを妬いて……恥ずかしい。すみません、やっぱり忘れてください」
うわぁと自分の考えに頭を抱えていると、俺の腕の中に収まったままの逢さんがふっと優しく笑い声を溢した。視線を上げると甘い瞳と目が合う。弧を描く唇が、「由鶴」と、俺の大好きな形に動いた。
「この俺を独り占めしたいだなんて、ずいぶんな願いだな」
「う……すみません」
「そんなことを願う必要はない。誰といても何をしてても、すでに俺の心はおまえのものだ」
……え?」
「俺の心を独り占めするだけでは、足りないと?」
「え!?」
「そんなに驚くことか」
「だ、だって」
あれ、逢ってどこ行った?とすぐ近くで声が聞こえ、開きかけていた俺の口を逢さんが塞いだ。うるさい心臓の音が耳元で聞こえる中、足音が小さく遠ざかっていく。ほっと肩の力を抜いた逢さんは静かに俺を見つめた。
「おまえの心は、俺のものじゃないのか」
囁き声で問われ、俺は目を見開いてふるふると首を左右に振った。
「ぜんぶ、あいさんのものです」
「なら、いい。いい加減戻るぞ。次、またヤキモチを妬くことがあれば言え。分からせてやる」
「う、あ……
「ああ、それと、渡したいものがあるから今夜はうちに来い。いいな?」
「はい……? わかりました」
どこか嬉しそうな逢さんの笑顔を見てまた引き止めてしまいそうになったけれど、俺が抱きしめるより先に逢さんが腕の中からするりと抜けて店へと出て行ってしまった。背中を見送って少し経ってから、俺もキッチンの方へ向かう。
その夜、言われた通りに逢さんの部屋に行った俺に、逢さんは得意げな顔で真っ赤な薔薇の花束をくれたのだった。