鳴上
2025-05-24 23:15:12
5170文字
Public ナツシン
 

シャッターチャンス

現像したフィルムを見ながら一人しんみりする夏生の話。もちろんめちゃくちゃハッピーエンドなナツシンです。夏生がちょっと女々しいのでご注意ください。

 目が覚めたら部屋の中が夕日に染まっていた。昼過ぎに家に帰ってきてから随分と眠っていたようだ。夏生は机に預けていた身体を起こして大きく伸びをすると、そのまま息を吐き出した。
 久しぶりによく寝た気がする。変な格好で眠ってしまったから身体の節々が痛いが、頭は多少スッキリした。近くに置いていたペットボトルの水を口に含み、一口飲み込む。温くなってしまったそれは寝起きにはちょうど良かった。

 あたりを見渡すと、ソファに乱雑に置かれた衣服や、飲み終わったペットボトルが何本か転がっているのが見えて、それらが見えないふりをして瞬きをした。とりあえずトイレにでも行くか、と立ちあがろうとした時、机の上に置きっぱなしにしていた小さな紙が数枚滑り落ちた。それを見た途端、眠る前に自分が何をしていたのか思い出して夏生は「ああ」と落胆の声を溢した。もう一度座り込んで、落ちてしまったそれを拾う。机の上に何枚も置いてあるのは、なんの変哲もない写真だった。
 いつ頃のことだっただろうか。シンがいきなりフィルムカメラを持って帰ってきた。なんでもお客さんに、もう使わないからと貰ったらしい。ご丁寧に新品のフィルムまでつけて。

「どっか行った時とか、これでたくさん写真撮ろうぜ!」

 そう言って楽しそうに笑うシンは、とりあえず、と夏生にカメラを向けてパシャリとシャッターを切った。

「おい、変なタイミングで撮るんじゃねー」
「へへ、現像した時セバの間抜け面が見えると思ったら今から楽しみだぜ」
「くそ、おい俺にも貸せ」
「あ、ちょっと!」

 パシャリ、同じシャッター音が部屋の中に響く。焦って手を伸ばしてきたシンをレンズに捉えた夏生は、満足そうに笑ってカメラをシンに返した。これでお互い様だ。

「貴重なフィルム使うなよ〜」
「それ何枚撮れるの?」
「えーっと、ハーフカメラって言ってたから……
「じゃあけっこう撮れるな」
「次休みが一緒の日ピクニックにでも行こうぜ」
「暑くね? まだ夏じゃん」
「いけるいける、まだ若いだろ〜俺ら!」

 そう言った次の次の週くらいに、二人で近くの公園に行った。カメラを持って青々しい木々を撮るシンを後ろから見守る。その姿をスマホで撮影したのは、まだ内緒にしている。一通り公園を散策して、良いところに見つけた木陰のベンチで弁当を広げた。二人で早起きして作ったサンドイッチは少ししなしなになっていたが、案外美味しくて無言で食べ進めた。
 口の中いっぱいにサンドイッチを詰めたシンが面白くて、間に置いてあったカメラを取るとその横顔をレンズに収めた。
 その時の写真が、ちょうど机の上から落ちてしまった写真だった。シンの横顔を見た瞬間、その時のことを思い出して、ふと笑ってしまう。あのあと大きな犬がいて、自分が泥まみれになるまで遊んでたんだよな。ほんとに歳上かよって、いまだに思わされるくらい落ち着かねー奴。

 夏生はその写真を机に戻して、隣にあった写真を手に取った。これはいつのだっけ。ああ、あの時だ。秋に差し掛かり仕事が忙しくなってしまった夏生のせいで、秋の味覚食い倒れツアーの計画が潰れてしまった。ちなみに、秋の味覚食い倒れツアーという安直なネーミングはシンのセンスだ。とにかくその代わりとして、冬には温泉旅行に行った。車で二時間くらいのところにある温泉地で、ドライブしながらの旅は夏生の気分を明るくさせた。
 浮かれていたのがバレていたのだろう。気づかないうちに運転しているところを撮られていたみたいだ。記憶にない自分の横顔に、こんなところ写真に撮ってどうするんだ、なんて思う。だけどシンにとっては何かしら良いと思う瞬間だったのかもしれない。本人に聞いてみないと分からないけれど。

 温泉地に着いてからはあまり写真を撮っていない。あちこちから匂ってくる美味しそうな香りに吸い寄せられて、二人とも食べることに夢中になってしまったからだ。饅頭に団子と言ったそれっぽいものから、ポテトやレモンスカッシュなどどこにでもあるようなものまで一通り食べ尽くした。いつでも食べられるものだって、旅行先で食べるのはまた別格なのだ。
 あとは浴衣姿が数枚に蟹の写真が一枚と、旅行の写真はそれだけだった。だけど写真がなくても鮮明に思い出せるほど、夏生の脳内にはシンの存在が刻み込まれている。何年一緒にいたと思っているのだ。舐めないでほしい、とどこでもない誰かに語りかける。

 一枚、また一枚と手に取りながら、シンと過ごした時間を振り返る。それだけで楽しい気持ちになるのだから、自分は思っていたよりシンに惚れていたのだな、と実感してしまった。

 喧嘩をして仲直りをした日には二人で散歩に出かけた。もう夜も更けていて、誰にも会うことはないくらいに深い夜だった。その日もカメラを持っていたシンは、街灯に照らされる夏生を撮ろうとして、だけど切れないシャッターに不思議そうな顔を浮かべた。

「あれ? 写真撮れない」
「フィルムだし暗いとこでは撮れねーよ」
「えっそうなの? 早く言えよお前、持ってきちゃったじゃん」

 文句を言いながらカメラを構えたシンに、今度は夏生が不思議そうな顔を浮かべる。

「なにしてんの?」
「撮って、セバ!」
「あー、はいはい」

 カメラを構えるシンを、ポケットに入れていたスマホでパシャリ、と一枚撮る。暗闇の中街灯の灯りがシンの髪の毛に反射していて、やけに煌めいていた。顔の半分も隠れていなくて、笑っている表情がよく見える。思わず口角を緩めて、今度はシンのスマホでツーショットを撮った。こんな道のど真ん中、周りには家しかないところで写真なんて、と思いながらも二人でずっとくすくすと笑い合っていたことを覚えている。

 思い出ばかりだ。フィルムカメラの中にも、スマホの中にも、思い出ばかりが詰まっている。撮った覚えのある写真も撮られた覚えのない写真も、全部全部大切で、それなのになぜか心の中にぽっかりと穴が空いたようだった。
 フィルムの半分は暗くて、いつのものなのか判別がつかない。だけど残りの半分は、眩しいくらいに夏生の心を切り刻んでくる。

 最後のシャッターを切ったのは夏生で、それは何か特別なことがあったわけじゃない、何気ないタイミングだった。昼過ぎ、二人でゆっくりと過ごしながら時折喋る。夏生が作ってやったココアを飲むシンに、このまま真綿に包んで温めてやりたい気持ちと、どこかへ連れ回してぐしゃぐしゃにしてやりたい気持ちが混ざり合って、夏生は自然とシャッターを切っていた。シンはなんだよ、と笑っていたっけ。
 元々写真を頻繁に撮るタイプではない男二人が、一つのフィルムを使い終えるまでにそれなりに時間がかかってしまった。カメラの存在を忘れていて旅行先で思い出したこともあったし、そもそも写真はスマホで事足りる。それでも、撮った時にはどんな風に写っているのか分からなくて、出来上がりを二人で想像する時間は楽しかった。そう、とても楽しかったのに。

 今、カタチになったこの写真たちを、一緒に見るはずだったあいつはいない。ぽっかりと空いてしまった隣の空間をチラリと見る。フィルムを全部使い切って、そろそろ現像しに行くかという話をしたのがついこの間だった。現像をしてくれるカメラショップを探して、預けて、それから一週間。今日、ようやくそれを受け取りに行ってきたのだ。
 別にもっと後でも良かったのに、そういえばあの写真はどうなったかなと思い出してしまったから。その時の自分の思考を後悔している。
 あの時はこうだった、こんなこともあったな、なんて言いながら見るものだ、これは。思い出に浸るには、今の夏生は寂しすぎた。夕日に染まっていた室内が、いつの間にか夜に変わっていく。なあ、はやく、

「戻ってこねーかな……

 独りごちたその言葉が、空虚な部屋に転がった。その時だった。玄関の方が騒がしくなり、次いで鍵が開く音が聞こえた。パッと顔を上げる。まさか。

「ただいまー! セバ、良い子にしてたかー!?」

 玄関を開けて入ってきたのは、まさに今思い描いていたくそエスパーだった。

「電気くらい付けろよ、もう暗いだろ」

 パチン、と軽い音を立ててスイッチが押される。二、三度点滅してついた電灯が眩しくて目を細めた。こんなタイミングで戻ってくると思わなくて呆然とする。そんな夏生に気づくことなく、シンがどんどんと喋り続けている。

「これお土産! 食べ物と、なんかいろいろ買ってきた。坂本さんオススメのプリンもあるから後で食べよ〜ぜ」

 キャリーバッグを開けて次々と出てくるお土産達を、渡されるままに受け取っていく。
 これは試食して美味しかったクッキー、これは花ちゃんが喜んでたキャラクターのサンド、これはルーが美味しいって言ってた地酒、これはへーすけとゲームでとった人形、これは葵さんと盛り上がった調味料三種セット、あとなんかセバに似合いそうなキーホルダー! これは俺とお揃いな!

「いろいろ買ってたらこんな量になっちまってよ〜。……あれ、聞いてる?」

 一週間前、シンは坂本達と旅行に出かけて行った。場所はどこだったか、とにかくよく耳にする有名なところだった気がする。夏生も一緒に行こうと誘われていたけど、どうしても外せない仕事が入っていたから断った。そうじゃないにしても、恋人の実家と一緒に旅行はまだ少し気まずい。挽回したとはいえ、初対面が初対面だ。
 シンと一緒に住み初めてから、同じ夜を過ごしていた。夏生が泊まり込みになったり、シンが商店に泊まるからと別々に過ごす日も多くあったが、それでも一週間も隣にいないのは初めてだった。最初は何の問題もなかった。だけど三日もすれば隣にシンがいないことに違和感を覚えてしまって、眠る時いつも感じる体温だとか、アパートの外から部屋に電気がついているのに何となくホッとしたりだとか、ベッドから「セバ」とよく通る声で呼ばれたりだとか、当たり前になっていた景色が遠退いていった。
 シンと出会う前はそうじゃないことの方が夏生にとっての当たり前だったのに、随分と変えられてしまったみたいだ。シンが帰ってきて一気に明るくなった室内に、より一層強く自覚させられる。シンに会えないのが思っていたよりも寂しくて、シンが帰ってきてから取りに行こうと言っていた写真を一人で受け取ってしまったし、何故かしんみりとその写真を眺めてしまった。確実に先程までの自分はおかしかった。
 先程までの自分を思い出して少々汗をかいていると、シンが突然ニヤニヤと笑い始めた。

「セバ、寂しかったんだ? へ〜、そっかそっか。俺がいなくて寂しかったのか〜!」
「てめ、……くそっ。勝手に読むなよ!」
「言い返せてね〜よ、はは。かわいーとこあるよなセバって」

 思考を読まれたことにも、揶揄われていることにも反論できずに、睨みつけることしかできない。シンは夏生の肩に自身の肩を触れさせると、そのまま頭を預けてきた。急に香ったシンの匂いに、心臓が一瞬だけ高く波打つ。柔らかな髪が頬に当たって、夏生もそれに頭を預けた。

「おお、良い感じに撮れてんじゃん。あ、これとかなつかしー」
「てめーのブス面もしっかり撮れてんぜ」
「このセバはしっかり事故って半目だけど。前歯も出てるし」
「うるせーよ」
「この日確か車の中で喧嘩したよな〜。帰り道に寄るサービスエリアをどこにするかで」
「そうだっけ?」
「そーだよ。俺があそこのサービスエリアでラーメン食いたいって言ったら、セバはもう一個先で有名なトンカツがあるからそっち食べたいって言ってよ〜。結局俺が折れてトンカツになったんだけど」
「あー、そうだったかも。でもお前もトンカツで正解だ〜とか言いながら食ってたじゃん、しかもライス大盛り」
「美味いもんに罪はないしな」
……まあまた、他のところでも行くかー」
「そーだな! 次は二人とも行ったことがないところとかがいいよな〜」

 ポンポンと弾む会話に、ああこれだ、と思った。やっぱりこの思い出たちは、シンと一緒に思い返すことで完成する。すっかり夏生の人生の一部となってしまったシンが、くすくすと笑いながら一つひとつの写真をなぞっていく。それだけでもう満足だった。
 夏生は徐にスマホを取り出すと、内カメにして目の前に持ってきた。何をするのか察したシンが、夏生にもたれかかったままピースをする。

「シャッターチャンスだぜ、今」

 パシャリ、シャッターを切る音が、室内に響いた。