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none91
2025-05-24 19:19:35
5912文字
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雷鉢小ネタ3
鉢が小さい。ややオカルト。
しんと静かな朝明けを迎えて、雷蔵と三郎は忍びやかに医務室を訪ねた。
薬草の独特のにおいが染みついた室内では、一学年上の先輩が薬種の書付をしていた。事情を説明し、三郎を診察してもらう。
「不思議だなぁ」
身を屈めて顔を覗き込む善法寺伊作保健委員会委員長の目線を避けて、三郎はふいと鼻を横に向けた。
その背丈は随分と小さい。学園の一年生と同じどころか、更に幼く見える。
今、三郎はどういったわけなのか、記憶はそのままに体だけが縮んでしまっているのだった。
「ぼくでは原因がわからないな。そもそも病の類ではなさそうなんだけど
……
幻術をかけられていると言われても頷けるよ。呪いをかけられたとか、いっそあやかしに化かされているなんてことのほうがありえるかもしれない。心当たりは?」
「ありません。昨日は演習後に委員会に出て
……
その後は釣りをしましたが、余分に釣れた魚は川に戻してやりましたし、むしろ善行を積んでいると思います」
「そうか、困ったね。でも、背丈の他は健康そうだし
……
うん、ここはしばらく経過を見てみよう。ただし、骨や筋が痛んだらまたすぐに来るんだよ」
伊作はあっけらかんと言った。
存外さっぱりした物言いに拍子抜けする。実はそんなに気にすることでもないのだろうか、と却って不安が払われるようだった。不運大魔王と称されるこの先輩は、意外なほどに肝が太い。
見送られて医務室を出た三郎はぐんと伸びをした。目一杯伸ばした手の長さを足しても雷蔵の頭の高さには届かない。
「参ったな」
「参ったね。なぁ、変な物を食べたり飲んだりしていないよな?」
「うん。さっきも言った通り、目が覚めたらこのざまだ」
「呪いだって。おまえなにかひどい悪戯をやったんじゃないの?」
そう問えば、三郎は視線を斜め上にやった後に首を振った。
「まさか。このところおとなしくしていたのをきみも知っているはず
……
なにがおもしろい? 雷蔵」
「いいや、声が高くて
……
懐かしい」
「きみが喜んでくれてなによりだよ」
舌足らずな口調に似合わない硬い声。呆れた、といった表情の三郎が言う。
その顔にはいつの間に準備したのか、出会った年頃の雷蔵を再現した面をつけている。
夜半、三郎の手によって揺り起こされたときにはすでにこの雷蔵の面をしていたのだ。おかげで状況を把握するのが少々遅くなってしまった。
「ごめんごめん、おまえが人に恨まれるようなことをするわけないって知っているよ」
「あ、いた!」
「八左ヱ門」
謝っていると、同じ組の竹谷八左ヱ門がやって来て、ひょいと三郎の前にしゃがんだ。その高さでようやく目が合うのだ。
八左ヱ門の目は心配の色を色濃く宿している。深夜に起こされた雷蔵が驚いて騒いだばかりに、部屋の近い八左ヱ門も眠りを妨げられてしまったのだ。
情に満ちたこの男は、それから一睡もせずに解決策を共に考えてくれていた。
「どうだった三郎」
尋ねられて、いっそう機嫌を損ねたと見える三郎は口唇を尖らせた。
「なにか悪さでもして呪いを受けたのか、だと」
「こら、伊作先輩はそんな言い方していなかっただろ」
「そうだな。言ったのはきみだ。保健委員会委員長は経過観察しようと仰られた」
「なんか棘があるな」
小さくなってしまってからの三郎は少しばかり険のある言動が目立つ。吉野先生に頼んで出してもらった一年生の制服を着させられたのが余程不満だったのだろうか。
「まぁまぁ。きっとすぐに元に戻るさ。虫だってあの短い一生のうちに何度か姿を変えるしな」
八左ヱ門が笑って、三郎を抱き上げた。抵抗する間もなく足が浮いて、幼い顔に驚愕の色が浮かんだ。
「それにしても懐かしいなぁ! 今見ると案外かわいらしいよ」
「そんなの、雷蔵の顔なんだから当たり前だ。下ろせよ八左ヱ門!」
「つれないな、ちょっとくらい甘えてくれていいんだぞ」
「屈辱だ
……
」
三郎が拳を握りしめた。骨張っておらず、丸みのある手だ。
雷蔵は、その小さな手が傷ついてしまわないように、上からぎゅっと握ってやった。簡単に手のひらの中に収まってしまう三郎の手は、大きかった頃のように武器を巧みに扱うことは不可能だろう。
「子どものように甘えてくれとまでは言わないけど、困ったことがあったらすぐに言うんだよ」
「そうそう。実技は難しいだろうけど、教科なら受けられるだろうし、幸い今日もこれから座学だ。あまり気を落とすなよ三郎」
「
……
うん」
「さて、いい時間だし食堂へ行こう。食べて栄養摂れば、きっと成長が早くなるぞ」
腕に抱かれたままあやすように体を揺すぶられて、返事はするものの三郎は相も変わらず沈んだ様子だった。
自分の身に置き換えずともわかる。突然、原因不明の現象が襲ってきて明確な解決策も見当たらないのだから、不安にならないほうがおかしい。
その後も三郎とは一日中行動を共にした。会う人会う人、皆一様に驚いた顔で三郎の正体を確かめていた。まず疑われ、次いで不憫がられ、説明するのにすっかり疲れてしまったようだった。
普段より体力も劣るのか、朝には嫌がっていた抱き上げられて運ばれる行為を、昼には自らせがむようになっていた。雷蔵の胸にひしと抱きついて顔を埋めている三郎を見た生徒たちは、すれ違う際に興味深そうな、あるいは同情するような目を向けてくる。
しがみついてくる手先が温かい。三郎は眠たそうに欠伸をかみ殺しては、意識を失いそうになるたびに額を雷蔵の首元に擦り付けて耐えていた。
「部屋に戻って昼寝でもする?」
「
……
図書室に行きたい。雷蔵、当番だろう」
「そんなの、代わってもらったよ。だから今日はずっと一緒だ」
「うん
……
なんだ、それを早く
……
」
ほとんど聞こえないほどの声で、三郎は返事をした。
「なに?」
「うん
……
」
「三郎ー?」
今度は返答がない。首筋に、かすかな呼気が当たるのみだ。
雷蔵は外に出て、ひと気のない道を選んで長屋へと戻った。できるだけ体を揺らさないよう、慎重に。演習でもこれほど気を遣わなかっただろうと断言できるくらいには足運びに注意して自室へと帰り着く。
その頃には三郎の体の力は抜けており、芯のないくったりとした重みを雷蔵に預けていた。
床に転がしては痛むだろうと、雷蔵は自らも仰臥してその上に三郎を乗せた。全体重がかかっているといっても、まるで負担にならないほどに軽い。
窓の外からはひんやりとした鈍色の風が忍び寄ってくる。そのためによりいっそう三郎の温かさが身に沁み入り、やがて雷蔵までもが眠りの淵に誘われてしまった。
浅い眠りの中、雷蔵は夢を見た。昨日も釣りをするために訪れた、学園の近くを流れる川の夢だ。
川縁に立って、どうどうと音を立てて走っていく流れを眺めている。奇妙なことに、川は下から上へと上るように流れていた。
雷蔵は川辺を上るように下った。つまり川上へと進んだ。時折川床を見下ろすが、流れの速さもあってか、魚影は見えない。
やがて川幅の広くなる位置に出た。雷蔵は今度こそと期待して川面を覗き込んだ。
予想通り、岩陰には魚が隠れていた。小さな白色の魚。巨大な人影を恐れているかのように動かない。
手を伸ばして清流に差し入れれば、指の股をするすると水がすり抜けていく。水の抵抗を感じながらも、白い魚に向かって指先を伸ばす。しかしもう少しで触れられる、と胸を躍らせた瞬間、魚はたちまち岩陰から泳ぎ出て身を翻してしまった。
その白い尾は雷蔵の瞳に色形だけを焼き付けて川の流れに紛れていった。触れようとしなければもう少し見ていられたのかもしれない。胸に淡い後悔の念が去来する。
早瀬から跳ねた水が雷蔵の頬に当たる。ひとつ、ふたつと雫が飛ぶ。
水滴を拭おうとして、その水がやけに生温いことに気がつく。不思議だ、と思い、それから、これは夢なのだからなにが不思議なのかと唐突に悟る。
雷蔵は急激に現実に呼び戻された。
ぱ、と目を開けばいやに近くに三郎の顔があった。近づきすぎてぼやけている。
雷蔵が目を覚ましたと気がついて、三郎が身を起こした。相変わらず雷蔵の上にのしかかっている。そして、なぜだか涙をはらはらと流している。
「どうしたの」
雷蔵は驚いて言った。
「わからないよ。この体がいけないんだ。勝手に涙が出てくるんだ」
「それなら今の気持ちを話してごらん。子どもだって、理由もなく泣く子はきっといないよ。自分なりのわけがあるはずだ」
促してやると、三郎は鼻を啜りながら手の甲で適当に面を拭った。
「このまま大きくなれなくてみんなと卒業できなかったらどうしよう」
「それが心配?」
「うん
……
あと
……
雷蔵が違う子のこと好きになったらどうしようって」
「ええ?」
「だって、大きくないと雷蔵とまぐわえない」
三郎は悲壮感たっぷりに訴えた。堤が破れたかのように滂沱の涙を流している。
「それこそ本当に心配する必要ないよ。だいたいぼく、おまえにまだ指一本も触れていないじゃないか」
「でもこんなんじゃ尚更手出ししてくれないだろ! 雷蔵、初めてをわたしにくれる予定だったのに!」
三郎は、今度こそわあんと大きな声を上げて泣いた。腹の上に乗られているぶん、しゃくりあげるたびに体全体が震えているのが感じ取れて、可哀想で仕方がなかった。
雷蔵はたまらず三郎を抱き込んで、背中を撫でてやった。
「不安にさせて悪かったね。体を好きになったんじゃないんだからいいんだよ。どんな三郎でも好きだよ」
「ううう
……
! 子ども扱いはもう嫌だ
……
!」
「おまえだから大事にしているんだよ。心配なら、大きくなってもこうして抱いてやるから」
「そっ
……
それなら、口、吸って」
籠った声で三郎が言う。聞き間違いかと思い、きつく抱いていた腕を緩めれば、肩口が涙でびっしょり濡れていた。
三郎の顔は至って真剣で、赤くなった目を雷蔵に向けて「口吸って」と繰り返した。
「大人扱い、して」
雷蔵はその桜の花に似た唇を見た。とてつもない罪悪感がある。稚児若衆に興味はない。しかし、相手が三郎とあれば話は別だった。
頭を傾けて、そうっと顔を近づける。体の中がざわざわして落ち着いてくれない。お互いに、唇を合わせることすら初めてだった。
三郎の口唇に辿り着く少し前に瞼を閉じる。そうして恐る恐る触れた花弁は現実味がなく、やわらかかった。
涙で濡れていて塩の味がする。少し冷たい。ひとつひとつの感覚を覚えていたくて、雷蔵は確かめるように唇を擦り合わせた。
ふ、と三郎の息が肌にかかる。呼吸を求めた拍子に開かれた口の中に、雷蔵は舌を滑り込ませた。
遠慮がちに中を探ると、抱いていた背中がびくりと震えた。そして、その体が突然ずしりと重くなる。支える手のひらに返ってきたのは、やわらかくて不安になるような手応えとは異なる、みっしり詰まった肉の触り心地であった。
思わず開きそうになった目を、上から抑え込まれる。さらりとした肌合いの、慣れ親しんだ手の温かさ。
「三郎? 三郎、戻ったの?」
「ああ! 少し待ってて雷蔵。今とても見せられない姿をしているから」
焦ったような、しかし弾んだ声が返ってくる。誰かを楽しそうにからかっているときを思わせる三郎の声だ。
衣擦れの音がして、少しも待たされることなく「もういいよ」と三郎が言う。目を開けば寸分違わずいつも通りの、雷蔵の変装をした相棒が立っていた。
「三郎! よかった!」
「ああ、なんだかよくわからないが元に戻った!」
雷蔵がすぐさま立ち上がり駆け寄ると、三郎は気の抜けた顔で笑った。
「悪い夢でも見ていたみたいだ。迷惑かけてごめん、雷蔵」
「謝るなよ。三郎が悪いわけじゃないんだ」
「いや、でも
……
ごめん」
三郎は項垂れて言った。静かな笑みを浮かべたその目は、いまだ潤んでいるように見えた。
「謝るなってば。それ以上続けるようならこうだぞ」
言うなり、雷蔵は三郎の体をすくい上げると横抱きに持ち上げた。
「なっ、なんだよ! もう子どもじゃないって!」
「さっき言っただろ。大きくなっても抱いてやるって」
「う
……
ならもう充分だよ、下ろしてくれ」
「やだね、下ろさないよ。おまえってば、どれだけぼくに好かれているのか、まだわかっていないみたいだから」
わざと拗ねた調子を装うと、三郎は落ち着かない様子で目線を彷徨わせた。なにも答えずとも、じわじわと上がっていく体の熱さで心情を察せてしまう。
「このまま医務室に行こうかな。それとも学園を一周しちゃおうか。三郎が元に戻りましたよってみんなに伝えに行かないといけないしね」
雷蔵は普段の三郎の悪そうな笑顔を真似て言った。学園を一周する案は半分嘘で、半分本気だ。医務室くらいまでは抱いて行こうかと考えている。
「そんなのきみが笑われるだけだ。だいたいな、小さかったときよりずいぶん重いだろ」
「鍛錬になるかもしれないよ」
「雷蔵、鍛錬で人を担ぐのか? 先輩方じゃあるまいし」
「変かな」
「ふふ、変だよ!」
怒ったような口ぶりの三郎は、その実たいへんご満悦なようだった。元より悪戯の好きな男なのだ。自分でも、あまりの空々しさに笑ってしまっている。
「仕様がないな
……
じゃあ、疲れたらわたしが交代してあげる」
三郎は楽しげに言ってからそっと目を伏せた。
「やっぱりわたしたちは対等でいないとな」
そうしてはにかんだような微笑みを浮かべる三郎を見て、雷蔵は心臓が引き絞られる心地がした。
惚れ合っている男が他の誰かを好きになるかもしれない、という想像だけで大泣きしていた子どもが、今は自分の腕に抱かれただけですっかり機嫌をよくしているのだ。これほど雷蔵に甘い男を置いて、他に惚れる人などできようはずもない。
雷蔵は、きっと幾つになっても三郎を好きなままでいるだろう。
「三郎」
「うん?」
伝えようとして口を開いた雷蔵はしかし、そのままゆっくりと上半身を屈めた。知ったばかりの味をもう一度味わいたくて、腕の中に捕らえた想い人に、自らの唇を寄せるのだった。
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