whityyokko_hkg
2025-05-24 02:29:03
2684文字
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異域の鬼とランデブー

影弓キャス
※影弓ほぼ不在
※赤弓います

クー・フーリン・キャスターは、ひしゃげた紙パッケージからシガレットを引き抜いた。指先ひとつで着火すると、一口目を深く吸い込み、肺へニコチンを行き渡らせる。脳に快楽物質が発生するより早く、尖らせた唇から煙の残滓を吐き出した。
クラス違いで現界した先でも、冬木で覚えた悪癖をやめられずにいる。
白くか細い煙が上るのを視界に納める先では、燃え盛る業火と黒煙が空を異界の色に染め上げている。そこには、生ある者が存在しない炎上汚染都市の日常風景があった。

これは、いつかの現界の再現だ。
理性ではわかっている。わかっていても、あの時と同じように人影を探してしまうのをやめられない。
泥にまみれたのは誰か。
敵か味方か。
奴はオレを殺しに来るのか。
益体もないと理解しながら過去をトレースするのは虚しい作業だが、トレースゆえに変化は訪れず、確定した未来は変わらない。
ちょうど煙草一本吸い終わった辺りで世界が変わる。肌がちりつく空気と潰すように重たい気圧。
殺意しかない霰のような矢が地面を抉る。
退避とともにルーン魔術で矢をはね除け薙ぎ倒す。避けきれない分は周囲に火を撒き焼き尽くした。投げ捨てたフィルターが延火の炎を纏い、煙臭い空気がさらに焦げ臭さを増していく。熱風が皮膚を焼くより早く次の矢羽が視界を覆った。
遠方からの一斉射出はアーチャークラスお得意の戦法だ。広範囲への殺傷力という点では三騎士でも一日の長がある。
戦闘力で遠く及ばぬキャスタークラスとはいえ、まだ見ぬ強敵との戦いを求めて英霊となった気質ゆえか、戦いに高揚した本能が攻撃は最大の防御だと訴える。鈍器として十分な重量の杖を突きだし迎撃の構えを取った。
アーチャーが矢を射るだけで満足するような甘い男ではないことをクー・フーリンは記憶と記録で知悉している。
そこいら中に張ったトラップをものともせずあの男は愚直なまでの執念で己のもとへやってくる。夫婦剣を両手に携え、キャスターの命を確実に奪いに。
赤黒い空の遠くが微かに光り、魔力が近づいてくる。あのスピードでは目算数秒後に久方振りのご対面となろう。
ひび割れた顔を不愉快そうに歪めながら、飽くなき害意に鈍色の瞳を爛々と輝かせて。

待ちわびていたのは貴様だけではない。
「会いたかったぜアーチャー」
お望みどおり返り討ちにしてやる。


「キャスター・クー・フーリン!いい加減にしないか」
不意に肩を掴まれ揺さぶられる。
目の前には眉間に深い渓谷を刻んだ赤い弓兵。仏頂面にわずかな困惑が見てとれた。
アーチャー?」
「珍しいな。私をクラス名で呼ぶクー・フーリンはランサーくらいだと思っていたが。寝ぼけているのか?」
赤い礼装のアーチャー・エミヤが訝しげに返した。
見回せば、そこは何の変哲もない食堂。時計が指す時刻は厨房の終了時間をとうに越えている。残っているのも自分とエミヤのふたりきりである。
炎に呑まれる廃墟も、泥に汚染されたサーヴァントとの衝突も、全て眠りが呼び起こした記憶の一片に過ぎない。
夢から覚めた人間じみた表情で、キャスターは我に返った。
「お目覚めのようだな。酒をやり過ごしたようには見えなかったが、君も年には勝てない口か?」
「言ってろ。オレらサーヴァントの体に年齢なんぞ関係あるか」
「教授の前では言ってくれるなよ。年嵩の方々との面倒ごとは御免こうむりたいからな」
テーブルの上には自作のハーブ酒に飲みさしのグラスがひとつ。試し酒の最中にうたた寝したと思われてもおかしくない状況だ。
グラスから漂う癖のある香りにエミヤは眉目を開いた。
「アブサン?ほう、緑の悪魔というだけある、見事な色合いだ。アニス、フェンネル、アンジェリカこれはミント?君の自家製か?」
「よくわかったな。適当に見繕って入れてみたが、色も匂いもすげぇもんだろ」
ニガヨモギを主に複数の薬草を漬け込んだ蒸留酒は葉の緑に染まり独特の香気を放っている。アルコール度数も70%と高い。安価なため多飲による中毒者が多かった二十世紀初頭には製造禁止されたこともあれば、幻覚作用があると忌避されたこともあるいわくつきの酒だ。
「一晩で消費するには好ましくない酒だな」
「味見に少しばかり舐めただけだぜ?」
「その減り方で味見も舐めるも語弊しかないだろ」
半分も残っていない瓶に呆れを隠さず、エミヤは水の入ったグラスを差し出した。
「君たちのような酒豪には気休めかもしれんが、チェイサーを確保しとくに越したことはないぞ」
見た目に反しアルコールに強くない男が嘆息した。大方酒で失敗、特に女絡みの厄介を引き起こしたことがありそうだ。キャスターの見立てはほぼ正解だったが、流口にするほど無粋ではなかった。代わりにおままごとのようなからかいを上らせる。
「さすがはエミヤママ。気が利くねぇ」
「貴様らのママになった覚えはない!飲み過ぎて変な幻覚でも見てるんじゃないか?」
「おいおい、これっぱかしで飲んだうちに入るかよ」
「さっきまで寝落ちていたのは誰だ。いい加減打ち止めにしておけ。これは没収させてもらうぞ」
瓶に縋ろうとするキャスターの腕を払い、エミヤはアブサンの残りを取り上げると、さっさと厨房に戻ってしまった。
「畜生、この酒ドロボー」
「人聞きの悪いことを言うな!素面に戻ったら返してやる」
「そんときゃいらねーんだよバーカ」
奥に消えるエミヤの耳に届かないのをいいことに、悪態をつきながらキャスターはチェイサーを口に運んだ。冷たい水が程よく惚けた頭を理性の側へ引き戻しにかかる。
禁断の酒を自作してまで望んだ相手と記憶の中でも会えずじまいとはついてない。しかも対象の同一存在に起こされ邪魔されるとは。

あの後、オレと奴はどうしたんだったか。
黒化したサーヴァントを屠る躊躇を持たないキャスターとて、惚れた相手の消え様を反芻したい時がある。せめて一目でもと願う心が見せた夢なら救いもあるが、死者の影法師が夢などと大層なものを見れるはずもなく、覚えていることをリフレインできればましな方ときている。

力の限り殺し合い、霊基を破壊した男を心残りにする己を自嘲し、キャスターは目を閉じた。
人の汚泥に蝕まれ正気で狂気を振りかざす哀れで愛しいオレのアーチャー。貴様を殺したのがオレでよかった。オレほど殺した相手を後生大事に覚えている奴もいないんだぜ。

目蓋の裏に描こうとする彼の残像が既にどこにも残っていない事実と向き合うため、キャスターは残りわずかな水を呷った。