千代里
2025-05-22 08:19:26
14626文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その73


「それで? どうやら何も知らされていないのはボクとオランローだけのようだけど、まさかここまできて仲間はずれにする、なーんてことはないよね?」
 町長が貸してくれた二階の部屋の一角にて、腕組みをしたヤルマルは最後に部屋に入ってきた人物――ルーシャンを挑戦的な目つきでねめつけていた。
 真冬の雷のようにやってきた豪快な老貴族――オーバン・ド・ニヴェールと改めて名乗った彼は、オデットを旧友の忘れ形見と呼び、自身の屋敷に招きたいと手を差し伸べた。
 だが、オデットは首を縦にも横にも振れなかった。あまりに突然のことで、硬直していたオデットの代わりにノエが間に入り、ひとまずはルグロ家とのやりとりを終えてから、場を改めてほしいと伝えた。
「ならば、私がルグロの若造の相手をしている間に、貴様が説明すればいい。此奴らとは付き合いが長いのだろう」
 と、話を振った先にいたのが、ルーシャンだった。
 彼は二つ返事で説明役を引き受けると、まずはノエたちを別室へと案内した。六人だけが顔を揃えたところで、真っ先に切り出されたのがヤルマルの先の発言というわけだ。
「先に言っておくが、ここからはイシュガルドのお貴族様の七面倒くさいやり取りが目白押しとなるだろう。ノエやオデットは当事者だからな。帰ってもいいとは俺の口からは言えない。だが、巻き込まれたくないなら、ヤルマルたちはグリダニアに帰ってもいいんだぞ?」
「そう言われて『はいそうですね』と頷く性格なら、ボクもオランローもここにはいないよ」
 部屋に入ると同時に、ルーシャンは脅すようなことを口にする。しかし、言われた側のヤルマルは、両手を広げて肩を竦めて見せただけだった。
「前にも言ったように、ボクの人生はこれからも続いていく。そのとき、君たちと中途半端に関わった上で、面倒になったからって尻尾を巻いて逃げだしたって記憶を抱えたまま生きていくのは、あまり気持ちのいいことじゃない」
「だったら、オランローはどうなんだ? お前は、そちらの向こう見ずなヤルマルよりは、慎重派だと思っていたんだがな」
 ルーシャンに「向こう見ず」と言われて、ヤルマルは不満げに唇を尖らせる。
 彼女の子供のような反応を一瞥してから、オランローは表情を変えずに答えた。
「オレとて、自分一人がここにいたなら、さっさとグリダニアに戻っていた。だが、あいにくオレはヤルマルがいる。こいつをここに一人で置いておくわけにはいかない」
 ヤルマルだけが理由かと思いきや、オランローの明け色の瞳は部屋の椅子に腰を下ろしていたノエとオデットにも向けられる。
「それに、ヤルマルと同意見になるのは癪だが、こいつらとの付き合いも長くなった。これから厄介ごとが待っていそうな場所に、ノエたちだけを置いてオレは安全圏に引っ込んでいるというのは、気分がよいものではない」
「ボクと同意見なのが癪ってどういうことさ」
「あんたのお人よしがうつったと、そう言っているんだ」
 不満を抱くべきか、それとも喜ぶべきか。判断がつきかねたようで、ヤルマルは口をもごもごとさせていた。
「二人とも、ありがとうございます。僕がお礼を言う場面ではないのかもしれませんが、ここまで一緒に来てくれて、頼もしいと感じる場面は何度もありました。二人がいてくれるのなら、これ以上心強いことはありません」
「自分で選んだことだよ。君にお礼を言ってもらう必要はない」
「右に同じだ。あんたのことだから、それでも頭を下げるとはわかっているけれどな」
 オランローの言う通り、深々と頭を下げかけていたノエは友人の先読みに苦笑いを浮かべる。思えば、彼らとの付き合いも随分と長くなったものだ。
 場が和んだところで、パンパンとヤルマルが強く手を打つ音が響く。
「さて、ボクたちの意思表明は終わった。今度は、君から話を聞かせてもらう番だよ、ルーシャン」
「あんたは、あの老人と知り合いなのか。奴の言っていた、エヴラールとはなんだ。なぜ、オデットが奴に声をかけられるようなことになっている?」
「ノエはそこまで驚いているように見えなかったね。君は、あの老人が何者で、オデットが声をかけられた理由を知っているのかい」
 オランローとヤルマルには、オデットの出生に関する情報やルーシャンが育ってきた家について、今まではっきりと知らされていなかった。
 唯一事態を把握しているノエも、仲間の生まれや過去に関わることを、軽々に語るべきではないと口を閉ざしていたからだ。
 特に、ルーシャンについては、世話になった家族が皆死亡しているという痛ましい過去に繋がる内容だ。家族の死に関わる話を、単なる興味を消化する材料にされるのは、いくらルーシャンが心の広い人物であっても嫌がるだろうと、ノエは彼の出自をオデット以外には話していなかった。
 だが、事ここに至って、情報の共有をしていないが為に、ヤルマルたちだけが状況から置いてけぼりを喰らうことになってしまった。
「僕の口から、ある程度の情報と推論は語ることはできます。ですが、これを話していいかは、二人から許しを得てからにしたいのです」
 二人、とノエが視線で示したのは、オデットとルーシャンだ。
「この話は、二人の個人的な内容に関わることです。二人が自分の口から話した方がいいと思うのなら、僕は口を塞ぎます」
「わたしは、兄さんに話してもらいたいです。今のわたしでは、落ち着いて説明ができる自信がないので……
 まずノエに許可を出したのは、オデットだった。
 以前、ノエたちと共にルグロ家の屋敷に泊まっていたとき、オデットは自分の父親がエヴラール家の当主だった男であろうことを知った。そして、ルーシャンがエヴラール家の養子であったということも。
 ただそれだけの情報で、頭がいっぱいになって言葉が喉に詰まってしまった。今の自分は、その時の状況によく似ているとオデットは己を客観視していた。
「兄さんの方が、わたしよりずっと順序立てて話すことができると思うんです。ですから、説明は兄さんに任せます」
「わかった。だったら、オデットのことは僕が話す。それで、ルーシャンさんのことは……
「ああ、それなら若人の手を煩わせるまでもない。年長者として、必要なことは自分で話すさ」
 つかつかと靴音を立てて、部屋の中央へと移動するルーシャン。自分を見守るヤルマルたち、ノエたちを前にして、男は舞台役者のように大仰な素振りで一礼してみせた。
「皆様には、改めてご紹介させていただきましょう。私のかつての名は、ルーシャン・ド・エヴラール。皆様がたが立っているこの大地を含めた、付近一帯の領主であったエヴラール卿の養子でございました」
 芝居がかった前口上の後、彼はゆっくりと時間を取って顔を上げる。
 ノエとオデットは既に知っていた内容だったが、ヤルマルとオランローは驚きと納得を織り交ぜた表情で男を見返していた。
「おや、もっと驚くもんだと思ったがな。意外と淡白な反応だな、お二人さん」
「これでも驚いているつもりだよ。イシュガルドについて、やけに詳しいなとは思っていたから、貴族の側仕えか名のある商家の子息か、とは思っていたけれど、まさか養子とはね」
「流石に、イシュガルドで長く傭兵として活動していたというだけじゃ、理由としては弱かったか」
 ヤルマルの予想に対して、からからと笑ってみせるルーシャン。彼の振る舞いに呆れと苦笑いを浮かべていた二人は、続けて自分たちのそばで無言の観客に徹しているサルヒを見やる。
「そうなると、従者であるサルヒも君の家の関係者ってことかい」
「そうだ。サルヒには、エヴラール家に俺がいた頃から、側仕えをしてもらっていたんだよ。サルヒが商人の護衛として皇都に入ったとき、肌にある黒い鱗のせいで異端者の関係者だと疑われて、異端審問官に捕まっていてな。あのときは――
「旦那様。話の続きをお願いします」
 横道にずれそうになったルーシャンの言葉を、サルヒが問答無用で軌道修正する。
 サルヒの声音は普段の叱責に感じる柔らかさがなかった。氷のように冷たさの残る指摘に違和感はあったものの、ルーシャンは特段何も言わず「催促もありましたところで」と、次なる話へと切り替えていく。
「俺を拾ったエヴラール卿は、魔法や魔道ってものに並々ならぬ興味を持っていた御仁でな。元々、エヴラール家は、邪竜を滅ぼすための魔法を編み出すってことを目的とした家でもあったんだよ。だから、俺みたいな貧民上がりの人間でも、エーテルの保有量が人より多いからってことで養子にしてもらったんだ」
「普通は、そういう養子縁組はあり得ないのか」
「イシュガルドの貴族は血を重んじる傾向にありますから、姻戚関係があるならともかく、平民の子供を身内に引き込むことはありません。僕も、ルーシャンさんの話を聞いたときは驚きました」
 間に挟まったノエの説明に、オランローは「そういうものか」と呟く。
 ノエの家の騒動を一つとっても、貴族が血を尊んでいるのは明白だ。片親が平民というだけで、ノエは家に火種を持ち込む存在として疎まれたのだから。
「エヴラール家当主――俺にとっての親父は、とにかくなんでも試したがる御仁でな。俺の魔法も、元はと言えばあの親父が見つけた研究の成果の一つだ。もっとも、親父の最大の目的は、邪竜を撃墜する魔法だったわけだから、こっちはおまけみたいなもんだな」
「邪竜を撃墜するなど、そんなことができるのですか?」
 ルーシャンの養子縁組の話は知っていたが、その家が抱える目的まではノエも知らなかった。邪竜ニーズヘッグといえば、これまで遭遇した竜も何度か口にしていた、強大な竜だ。ヒトとの戦いを長らく続けている竜陣営の首領のような竜である。
 もし、ニーズヘッグを本当に仕留めることができれば、それは千年以上続くヒトと竜との戦いに終止符を打つきっかけになるだろう。
「俺も、実際に邪竜を撃墜するなんてことができるかは明言できない。その魔法を放った人物は、まだ誰もいないからな。だが、少なくとも親父が目指していたものはソレだったんだよ」
……ですが、大旦那様は悲願の成就を見届けることなく、お亡くなりになりました」
 ルーシャンの弁舌に挟まってきたのは、サルヒの清水のような澄んだ声だった。
「大旦那様も、そのご子息や奥方も。エヴラールという家に血筋という意味で正しく連なる方々は、あの日、邸を襲った火災で皆お亡くなりになったのです」
「そういうことだ。おっと、そんな気の毒な者を見るような目で俺を見る必要はないぞ、ヤルマル。もう十五年近く前の話だ。死者を悼む気持ちも、ある程度整理はつけてある」
「本当に?」
 確認の問いを投げかけたのはヤルマルたちではなく、サルヒだった。言葉にすればとても短い問いかけではあったが、そこには懐に潜ませた抜き身のナイフのような鋭さがあった。
「本当だ。十年以上引きずるほど、俺がしみったれた性格をしているように見えるか」
…………
 サルヒはまだ何か言いたげにルーシャンを見つめていたが、ルーシャンは「続けるぞ」と彼女を置いて昔話を再開した。
「サルヒが言ったように、親父たちは屋敷を襲った火災の犠牲となった。助かったのは偶然外に出かけていた俺だけだったが、血縁関係のない養子じゃ、イシュガルドの貴族連中にとっては遺産を継ぐに相応しくないと判断されちまったんだ」
「だから、この土地は今は違う人が統治しているんだね。ルグロ家は、よそからきた貴族ってことなのかな」
「実はそうでもないんだよ。元々、ルグロは、エヴラールの姻戚関係の家だった。だが、親父は魔法の研究と違って外交が致命的に下手くそだったんだよ。研究者肌といえば聞こえはいいが、親族や遠縁の連中に根回しをしなかったツケが死んだ後からやってきた」
 ルーシャンの言葉の端々からは、親父と呼んでいる養父への尊敬の念が滲んでいた。だが、こればかりはルーシャンも擁護できないと思ってか、苦笑いが顔に滲んでいた。
「いざ本家が滅亡の危機となった瞬間、連中はエヴラールがこれまで積み上げてきたものを残そうなどとは考えなかった。それよりも、隣領からやってきて、領地を併呑したニヴェール家に擦り寄る方を選んだんだ」
 あの爺さんのことだな、とルーシャンは扉の向こうを見やるように視線を動かす。
「その後、ルグロ家はニヴェール家の傘下に入り、この辺り一帯の土地の管理を任されたのだそうです」
 ノエの補足まで聞き終えたヤルマルは、渋い草湯でも飲んだように顔を歪ませる。
 ルーシャンは何でもないことのように語っているが、彼が失ったのは単に家の名前だけ、というわけではない。
 家族が国に残してきた功績、遺産のような物質的な財産、そして自分を育ててくれた家そのものがこの国から消滅するのを、ルーシャンは目の当たりにしたのだ。決して簡単に飲み込めるものではなかっただろう。
「あんたの事情はわかった。それで、オデットはあの爺さんとどういう関係にあるんだ」
 これ以上、ルーシャンの過去の傷を掘り下げても、彼とて辛かろうと、オランローは話の中に未だ登場していないオデットについて話題を切り替える。
 オデットに視線で促され、ノエは小さく息を吸い込み、吐き出した。
 この先、説明を続けていくならば、どうしても避けられない話題がある。そのための覚悟を決めるために、一呼吸置いてから、彼は語り出す。
「エヴラール家の御当主であった人物は、市井の女性を自分の領内に囲っていたそうです。オデットの母親が、その女性なのです」
 そこまで話してから、驚いた様子のヤルマルたちを横目に、ノエはルーシャンと視線を合わせる。
「このことは、あくまで伝聞として聞いた情報から僕が推理したまでにすぎません。なので、オデットに代わって僕からあなたに質問をさせてください」
 ノエは懐に収めていた袋から、小さな指輪を取り出す。
 本を広げたような意匠は、ルグロ家の執事が持っていたベル――エヴラール家が作り上げた魔法が込められた道具に刻まれた紋章と全く同じものだ。
「エヴラール家の当主には、奥方とは別に関係を結んでいる相手がいた。彼女はヒューラン族であり、オディールという名前だった。エヴラール家の没落とともに支援者を失ったオディールさんは、幼いオデットを抱えて救貧院に助けを求めた。これは事実ですか。――ルーシャンさん」
 エヴラール家の血を引くという意味での生き残りは、あの貴族の老人がいうようにオデットだけだ。しかし、エヴラール家没落当初には赤子だったオデットでは、彼女の両親を取り巻く事情などわかるわけがない。
 故に、ノエは問うしかなかった。もう一人のエヴラール家の生き残りに。
……俺も、全てを知っているわけじゃない。親父が外に囲っている女性がいるらしいってことは知ってたが、それがオデットの母親だったなんて思いもしなかったさ」
「では、もう一つ質問させてください。なぜ、僕がこの指輪を見せたとき、これがエヴラール家のものだと言ってくれなかったのですか」
 このような詰問じみた形で質問したくはなかった。だが、事ここに至って、質問の言葉を選ぶのは難しくなっていると、ノエは痛感していた。
 どうしたって、既に事態を知っているものが近くにいたと知ったら、もっと早く教えてくれたらよかったのにと言いたくなってしまう。
「それについちゃ悪かったとは思ってるよ。ただ、親父の持ち物をオデットが持っていた理由もはっきりわからないのに、べらべら事情を話すわけにもいかないだろ。それに、既に潰えた家の物だとわかっても、お前にはどうしようもなかった。違うか?」
 それどころか、余計な心配を背負うだけになる。だから口を閉ざしたのだとルーシャンは言う。
「ちょっと待ってくれよ。ルーシャンの養い親の二人目の奥さんが、オデットの母親ということは、オデットは……えっと、ルーシャンの妹になるのかい?」
「血は繋がってないが、籍の上ではそうなるな。さしずめ、親父の浮気相手の娘ってことになるのか」
 ルーシャンのあまりに直球な物言いに、ヤルマルは「言い方は他にもあるだろうに」と言葉を挟む。オデットが申し訳なさげに肩を落としたことと、サルヒが咎めるように「旦那様」と言葉を挟んだため、ルーシャンも自分の発言が直接的すぎると察したのだろう。
「言っておくが、俺は親父の女性関係については、大して気にしていないからな。親父といっているが、俺と親父の間に血の繋がりはない。それに、これをノエの前で言うのは気が引けるが、貴族の男性が奥方以外の女と関係を持つのは、そこまで珍しい話でもない」
 故に、表沙汰にはなっていないが、ルーシャンも養父が家の外にいる女性と関係を持っている可能性については、薄々想像がついていたと語る。
 奥方を筆頭とした、家族に外の女性の存在を匂わせないのも、貴族の当主として必要な技術の一つだとルーシャンは言う。
「だから、俺がオデットと……あー、これを言うのは何だか気恥ずかしいんだが、オデットが俺の妹だと知っても、特に何か思っているわけでもない。別に、今更兄と呼んでもらわなくてもいい。その呼び方は、ノエのためのものだろ」
 言葉通り、彼が全く他意を抱いていないと受け取るのは、流石に楽観が過ぎるだろう。
 それでも、オデットは、ルーシャンが「どうとも思っていない」と言い切ってくれたのは嬉しかった。二人の繋がりが明らかになったと同時に、これまでの関係が終わりになってしまったら。オデットが唯一不安を抱いていたとしたら、その点だったからだ。
「話を戻しますが、そのような経緯があるので、オデットはエヴラール家のご当主の血を引く唯一の生き残りと言えるのです。先ほど姿を見せたご老人は、エヴラール家の当主とは懇意であると言っていましたから、彼から見ると、オデットは知人の娘にあたるのでしょう。だから、あのような発言をしたのかと思ったのです」
 それで、実際のところはどうなのか。ノエは視線だけでルーシャンに問いかけると、果たして彼は「大体そんなところだ」と肯定してみせた。
「ルーシャンさんは、ニヴェール家の前当主――オーバンと名乗っていたあの方とは古い付き合いなのですか」
「互いに顔を知る仲ではあるな」
「彼がここにきたのは、オデットに会うためだと言っていました。ルーシャンさんが、オーバンさんにオデットがここにいると教えたのですか」
――ああ、そうだ」
 今度もまた、ルーシャンは肯定した。
「オーバンにとっちゃ、オデットは古い知り合いの忘れ形見だ。顔を見たいだろうって連絡をとったら、あの爺さん、本当に乗り込んできやがったんだよ」
 そのついでに、前々から気になっていたルグロ家の不正について暴いてほしいと頼まれていたルーシャンは、騎士団の帳簿を見る機会を活用して、オーバンの推測が当たっていたことを証明してみせた。オーバンは、ルグロ家の者を締め上げるついでに、オデットを迎えにきたというわけだ。
「オデット。事情については大体明らかになったわけだけれど、この後、君はどうしたい?」
 オーバンは、自分の屋敷に知人の娘を招きたいと申し出ている。オデットにとっても、今はいない家族の手がかりを得る機会になるかもしれない。
 だが、見知らぬ貴族の手をすんなりと取るには、これまでルグロ家という貴族から受けた仕打ちが、彼らに警戒の念を抱かせていた。
「わたしは……
「先に言っておくが、あの爺さんは結構しつこい性格だ。お嬢ちゃんが雲隠れしようと思っても、必ず追いかけてくるぞ。あれでも、一応貴族だしな」
 はた迷惑な、とオランローが小声で呟く。
 こちらの意見を聞かないものが、よりにもよって権力や地位だけを持っている。そのような相手と正面からやり合うのは、厄介としか言いようがない。
「わたしは、あの方の申し出を受けてみようかと思います。不安ではありますけれど、でも、わたしの……お父さんやお母さんのことを、もっと詳しく知っているかもしれませんから」
 それに、もしオデットが首を横に振ったことで周りに迷惑をかけてしまったら。
 それこそ、オデットとっては耐えられない。
 権力者を相手にするならば、できるだけ穏便に事を進める必要があるというのは、シュガーグレイヴの滞在期間で学んだことでもある。
「だったら、僕もついていくよ。まさか、オデット一人しか招かない、なんてことはないですよね」
「その点は大丈夫だろう。俺も、他にも同行者がいるとは伝えてある」
「では、僕はオデットのそばにいます。ヤルマルさんたちも同様に考えていいでしょうか」
「当然。ここで降りるなら、最初のやり取りは何だったのかってなっちゃうよ」
 片目を瞑り、ヤルマルは不安げなオデットの頭を撫でてやる。オランローとヤルマルの二人に囲まれ、ようやく緊張を緩め、オデットは久方ぶりの微笑を浮かべていた。
 彼らの様子を見守りながらも、ノエは思案する。
(僕がオデットと最初に出会ったとき、オデットが怪我をしていた。その理由を、あの老人は知っているかもしれない。ミラベルさんが、オデットをイシュガルドの外に連れ出すように警告した理由も)
 オデットの記憶から失われていた過去のほとんどは、今回の旅路でおおよそ埋められていた。
 母であるオディールと共に暮らした日々は、オデットがどのようにして幼少期を過ごしたかを示していた。小さい頃の記憶であるため曖昧な部分も多いようだが、月日が記憶を曖昧にするという現実を、オデットも受け入れている。
 教会の事業によって連れ出された後の過酷な数年間が、ミラベルの手によって彼女が救出されることで終わりを迎えたのだとも知った。オデットが大人の男性や司祭服の男性に恐怖を抱いていた理由も、事業に携わっていた悪辣な司祭による影響だと判明した。
 その後、彼女はとある占星台に滞在していた占星術師の元に逃げ込み穏やかな時間を過ごしていたが、ある日急に姿を眩ました。そこには、ノエが負傷したオデットを助けるまでの空白の期間がある。
(恐らくは、そこにオデットを襲った何者かの存在が隠されている)
 オデットが貴族の血を引くのならば、彼女の血が争いに巻き込まれた理由なのかもしれない。ならば、同じ貴族であるニヴェール家の前当主・オーバンの話を聞くのは彼女の隠された事情に迫る契機になるかもしれない。
 この先、ノエはイシュガルドに残るつもりでいる。オデットも、ノエの意見に賛成し、共にいたいと望んでくれている。ならばこそ、オデットの抱える事情はできる限り知っておくべきだとノエは考えていた。
「では、僕はオデットを連れてオーバンさんの元に挨拶に伺います。屋敷に招待してくださるのだとしても、流石に今すぐ向かうというわけにもいきませんから」
「だったら、一階に降りて奴さんを探すといい。おおかた、ルグロ家の連中の締め上げを終えて、神殿騎士団の連中と話でもしているんだろうさ」
 部屋を出るノエとオデットの後に、オランローとヤルマルも続く。
 四人が階下に降りていくのを見送ったルーシャンが、無人となる部屋の照明を落とそうと、ランプに手をかけたときだった。
「ルーシャン」
 今まで殆ど傍観者に徹していた従者の声が、彼を引き止める。
「あなたは、何を考えているの」
 ルーシャンが顔を上げた先、部屋の片隅にある椅子から立ち上がったサルヒが、つかつかと彼へと近づくところだった。
「何をそんなにピリピリしているんだ、サルヒ」
「はぐらかさないでください。旦那様にとって、あの男は……オーバン・ド・ニヴェールは、あなたの父親を……あなたの父親の家族を奪った仇敵。あなたは、私にそう言っていました」
 貴族の輪から放逐されたルーシャンは、父親と養父一家の死の真相を長らく求め続けていた。
 表向きは夜中に突発的に生じた火災に巻き込まれたとされているが、エヴラール家は魔道の家系だ。たとえ火事に襲われたとしても、少なくとも当主とその家族は魔法を扱える。
 ならば、炎を水や氷の魔法で退路を確保し、一人ぐらいは生還者が出ていなくてはおかしい。それができなかったのは、彼らが何者かによって火事より先に殺されていたからではないか――ルーシャンはそのように考えた。
 そうでなかったとしても、火災により邸はほぼ全焼であったというのに、後から遺産だけがが見つかったという状況は不自然だと感じたのだ。
「大旦那さまたち一家を殺害した犯人を求めて、あなたはイシュガルド中を巡った。そのとき、ニヴェール家のご隠居が、あなたに接触してきた。あなたは、ニヴェール邸に招かれ……帰ってきたとき、私に言った。――あいつだったのか、と」
 あの男こそが、親父の仇だったのかと。
 これまで滾らせていた憎悪をありったけ煮詰めたような怨嗟の声が、目の前の男の口から漏れ出た瞬間を、サルヒは昨日のことのように覚えている。
 だからこそ、サルヒは自分が目にしたものが、角に響いた言葉が信じられなかった。
「だったらどうして、あなたは彼と笑い合っているのですか。なぜ、彼と文のやり取りをしていたの。どうして、彼に跪くような真似をしてみせたの!?」
 身の内の疑問が膨れ上がり、つい詰問のような語調になってしまう。
 しかし、ルーシャンは声を荒らげるサルヒとは対照的に、凪いだ湖面のような眼差しでサルヒを見つめ返すばかりだった。
「どうして、お前がそんなに感情的になっているんだ。サルヒ」
「それは……
「お前は、俺に仇を討つなどという馬鹿な真似はやめろと、再三言ってきたじゃないか」
 胸を突かれたように、サルヒは一歩後ろへと後ずさる。
 確かにそうだ。サルヒは、何度もルーシャンに「大旦那さまのことは忘れて、どこかに腰を落ち着けて暮らさないか」と持ちかけてきた。今でこそ、半ば諦めもあって提案の回数は減ってしまったが、心のどこかでルーシャンの復讐の炎が消えるのを願っていた。
「俺は、お前を置き去りにしてまで、自分の目的に邁進しようとした。だが、他にもやりようはあるんじゃないかって、色々あって考え直したんだよ」
「それが、オーバンに服従してみせること?」
 肯定されるかと思いきや、ルーシャンはおかしげに口元を歪めるばかりで、頷きはしなかった。
「ともあれ、今の俺は、ムキになってあの爺さんの首を取ろうとは考えていない。それは、サルヒの望んだことでもあるんじゃないのか。なら、何でお前がそんなに動揺するんだ」
 ルーシャンの言うとおりだ。サルヒは、復讐に取り憑かれるルーシャンをずっと憂いていた。
 仮にルーシャンが仇敵を討てたとしても、その後、彼は自らの人生を歩む意味を見出せず、命を絶ってしまうのではないかと、不安を抱いていた。
 復讐という名の黒い炎が、ルーシャン自身を燃やし尽くしてしまうのではないかと、常に彼を引き止めようとしていた。
 ならば、ルーシャンが仇と目していた相手と手を取り、笑い合っていることは、復讐によって自滅するよりもよほど健全ではないか。
「話はそれだけか? じゃあ、俺もノエたちが話しているところに顔を出してくるかな。爺さんがまた無茶を言っているかもしらん」
「待ってください。それなら……旦那さまはどうして、オデットを連れ出そうとしていた人々を襲ったのですか。なぜ、彼女を連れ去ろうと目論んだのですか」
 ノエたちが話していた場面で、ルーシャンはあることだけは言わなかった。
 彼の話に嘘はなかったが、語った内容が全てでもない。その欺瞞を、サルヒは見逃さなかった。
 ルーシャンは、サルヒの質問には答えない。代わりに、彼が尋ねたのは、
「それを、あいつらに話すのか?」
 サルヒを試すかのように重ねられた問いかけに、彼女は俯くしかなかった。
 話したら、ノエたちはルーシャンを拒絶するだろうか。そうしたら、ルーシャンは彼らに何をするのだろうか。
 分からない。分からないからこそ、一歩を踏み出す勇気が持てない。
(もし、ノエが旦那様を拒絶してしまったら。その時、旦那様は……どうなってしまうの)
 これまでノエたちと過ごしてきた数ヶ月は、今まで積み重ねてた十数年の月日の中とは明らかに違っていた。ルーシャンが邸を出てから出会ってきたどんな冒険者よりも、彼はノエたちに一番心を許している。少なくとも、サルヒにはそう思えたのだ。
 いくつかの誤魔化しをしていたかもしれないが、ノエを励まし、ヤルマルと馬鹿話をして笑い合い、オランローをからかい、オデットに指導をするルーシャンは――とても楽しそうに見えた。
 だからこそ、この関係を終わりにしたくはないと、サルヒはどこかで願ってしまった。
 六人の間に生まれた絆というものに対して、離れがたいという感情を持ったがゆえに、サルヒは沈黙に徹するしかなかった。
「行くぞ、サルヒ。それとも、お前こそ、ここで俺についてくるのは終わりにするか?」
 悩みも疑問もある。しかし、この問いにだけはすぐさま答えがでた。
……いいえ。私はあなたの隣から離れるつもりはありません」
 たとえ、何があろうとも。それだけは、サルヒにとって揺るぎない真実だった。
 
 ***
 
「お前もここに滞在していたのは、予想外だったな。もっとも、おかげで余計な手間を取らずに済んだ。暫く連絡が取れていなかったが、また孤児院巡りをしていたのか?」
「それが、私が司祭であり続ける理由でもありますから。それよりも、あなたがどうしてここにいるのですか。しかも、来て早々私を呼びつけるなど……
 階下に降りたノエが聞いたのは、玄関ホールに響く二つの声だった。
 一つは先ほどの衝撃的な登場からその場を支配し続けていた老人――オーバン・ド・ニヴェールだ。そして、もう一人は。
「お兄ちゃん。どうしてここにいるんですか?」
「ミラベルさんも、その方とお知り合いなのですか」
 オーバンと言葉を交わしていた人物――ミラベルは、オデットたちの声に気がつき、顔を上げる。階段から降りていく面々を目にした彼の瞳は、どういう理由からか驚愕に大きく見開かれていた。ただ、オデットたちがここにいる事実に驚いているとするには、彼の瞳には困惑と動揺の色が強い。
……なんで、あんたたちが、ここにいるんだ」
「私が招くよう、ルーシャンに頼んでおいたのだ。どうやら、その顔を見る限り、『やはり』お前はあの娘を知っていたのだな」
……!」
 オーバンの言葉が何を示唆しているのかは、ノエたちには分からない。それでも、ミラベルが、オデットと自分の関係をオーバンに伝えていなかったこと、そのことをオーバンは好意的に受け取っていないという状況だけは読み取れた。
「あなたは誤解しているようです、オーバン卿。私は、彼女とあなたの間にある関係を知らなかった。ならば、私が彼女と自分の間にどのような関わりがあったか、話さなかったのも当然です。司祭としての職務中の内容は、話さずともよいと言ったのはあなたでしょう」
「ふん。弁の立つ若造だ。ならば、今はそういうことにしておこう。どちらにせよ、私は、あの娘をニヴェール家の本邸に招く。これについては、異論はないな」
――――っ」
 ノエたちの同意を取る前であるというのに、さながら決定事項のようにオーバンは話を進めていく。その態度からも、彼が自分の決めたことを頑として譲らない人間であると見てとれた。
 オーバンがオデットを招くと聞いて、またオデットが面倒ごとに巻き込まれると思ってか、ミラベルの顔色が、さっと青くなる。
「どうせなら、お前も一緒に来るといい、ミラベルよ。お前にとっても、この件は無関係ではないだろう」
……分かりました。ぜひ、そうさせていただきます」
 何やら苦虫を噛み潰したような顔をしているものの、ミラベルはオーバンの申し出に肯定を示した。彼の回答を聞いて、オデットの顔にぱっと喜びが走る。
「お兄ちゃんも、一緒に来てくれるのですか?」
 とんとんと軽やかに階段を降り、ミラベルに駆け寄るオデット。見知らぬ貴族の屋敷に行くなら、一人でも知り合いがいた方がオデットにとってもありがたい。だが、安堵に満ちかけた顔には、不意に翳りが走る。
「あの、でも……お兄ちゃんには、孤児院のお仕事があるのではありませんか」
「もちろん、孤児院の運営を適当に済ませるつもりはありません。町の人の中から、孤児たちの様子を見てくれそうな人は既に何人か見つけています。彼らに引き継ぎをしてから、そちらに向かうことになるでしょう。それに、シュガーグレイヴの状況を伝えたところ、ニヴェール卿も改めて孤児院の経営や、町全体の運営方法について考えてくださるそうです」
 ミラベルはここに招かれたついでに、孤児院や町そのものの窮状を訴え出ていたらしい。オーバンは、ただルグロ家の不正を暴きにきただけでなく、町の状況を聞き入れ、改善に乗り出すことも視野に入れて動いていたようだ。
「ニヴェール卿。ルーシャンさんから、話は聞きました。オデットを屋敷に招き入れたいということでしたら、僕たちもオデットの仲間として同行させていただきます」
 改めて、ノエは居住まいを正してオーバンに自分の意思を表明する。オーバンは鷹揚な仕草で頷いて見せた。
「もとより、そのつもりだ。ルーシャンは、お前たちがついてくるだろうと言っていたからな」
「了承いただきありがとうございます。少し気になっていたのですが……あなたはルーシャンさんとはどのような関係なのですか」
 ルーシャンは、自分とオーバンは顔を知る仲とは言ったが、具体的な交友関係については、はっきりと口にしなかった。
 今まで他者に対して阿るような姿勢を見せたことがなかったルーシャンが、オーバンの使い走りのようなことをしていた。その事実を知れば知るほど、ノエは違和感を覚えていた。
「あれと私は、いわば目的を同一としている同士である。今のお前たちに理解できるのは、そこまでだろう」
 それよりも、とオーバンは口角を歪め、ノエの全身を上から下まで見やると、
「それにしても、ラペイレットの隠し子とこのような形で再会できるとはな。我が不肖の息子のベリトアは、酒が入ると今でもお前の伯父のことをグチグチと私に溢しているぞ」
「え――っ」
 思いがけなく、自身の家族について触れられて、ノエは冷水を浴びせられたような感覚に襲われる。しかも、それがよりにもよって、行方しれずとなっていた伯父の件ともなれば、穏やかな心中ではいられない。
 だが、詳しく聞き返すよりも先に、オーバンのそばにやってきた従者が、主人と話を始めてしまった。
「さて、ボクらは宿に戻って荷造りをしないとね。あのお爺さんの従者さん曰く、出立は二日以内を予定してるってさ。ここから忙しくなるよ」
……はい。そう、ですね」
 なんとか意識を現実の問題へと引き戻し、ノエはかぶりを振った。今集中するべきは、オデットを連れてニヴェール家の訪問を穏便に済ませ、必要な情報を得ることだ。それ以外のことは、また後で考えればいい。
 階上からルーシャンが手を振りながら降りてくるのが見えて、彼は返事のために手を挙げる。
 己が手を振り返しているその男が、腹のうちに何を考えているのかを、ノエは知らない。
 否、ノエばかりではなく。
 ――きっと当人すらも、その全てを知ることはないのだろう。
 
 
 あと、少し。
 あと少しで、証明が叶う。
 その時、漸く俺は胸を張って言えるはずだ。
 俺こそが、あなたの後継者だと。