あなたなら絶対にプロムキングになれるわ、そう言ったチアガールの丁寧にカールされた金髪よりも、ずっといい匂いのする男を抱きながら、俺はどうしてこうなっちまったのかね、と熱っぽい頭で考えた。さっきまで煌々と光っていた街灯の明かりはすでに落とされ、それでも短く刈られた足元の芝は、月や星の光を受けてきらきらと光っている。レコードからは古いビッグバンドの音楽が流れていて、クラブミュージックに慣れた耳にはそれも新鮮に聞こえた。
俺たちは今、夜の庭で二人、誰からも邪魔されない場所で踊っている。静かに、静かに、指を絡めて身体を寄せて。プロムの喧騒なんてものからは、世界一遠い場所で。
「てっきり君はプロムに行くものだと思ってた」
いつものように夕暮れ時にゼノの家に押しかけ、ともにTVディナーで食事をすませて、やはりいつものように研究に付き合って窓際で煙草をふかしていると、自室のベッドの上でラップトップに向かっていたゼノが言った。それがあまりにも関心がないふりを装っていたので、俺は面白くなって煙草の灰をコカコーラの瓶に落とした。所狭しと論文が押し込められた本棚、ピンが刺された地球儀、仲良く逮捕されちまったっていうのに懲りずにまた作ったレールガン、それから彼の夢であるロケットの模型、そんなものが詰まった部屋で、俺は彼を見つめる。
「あんなものに興味なんてないね」
「本当に? 今日だってチアガールの子に言い寄られていたじゃないか」
誰に聞いたんだ? って俺は思う。でも、あれじゃあすぐにゼノの耳に入ってもしょうがないだろう、とも思った。あれはロッカーの前での出来事だったし、チアガールの取り巻きも見ていたから。けれどどうやってあしらったのかは覚えていない。
何はともあれ、俺は誰もが欲しがるものを捨てたのだった。気が強い女も、自信満々な誘いも嫌いじゃあなかったのに、俺にはもう運命みたいな男がいたから、今体育館でがんがんに音楽をかけて盛り上がっているだろうプロムには出なかったのだ。
「あれにも興味がなかったんでね」
分かってるくせに、と俺はまた煙草を咥える。俺たちはいい仲で、恋人同士ってやつで、この関係は誰も知らないが、多分お互い以外に何もないってことを知ってた。なのにゼノは、もったいないと言わんばかりにため息をついた。
「君なら絶対にプロムキングになれたのに」
「俺にハイスクールがピークの野郎になれって? そんなのごめんだよ」
煙草の煙を深く吸い込みながら、俺はわざと肩をすくめて言った。するとゼノは笑って、ラップトップのキーボードを叩く手を止める。時刻はもうすぐ十時過ぎ、そろそろプロムも終わる時間だ。バラの花を胸につけた男女が、壇上に上がる時刻。どうせアメフト部のキャプテンと、政治力に長けたチアガールがまた選ばれる、って俺は思う。だって、ここじゃあそれが普通だったのだ。俺みたいな、好んでハイスクールからそのまま空軍に入隊する奴は選ばれないって相場が決まっている。俺に粉をかけたあのチアガールも、順当に勝ち上がるんだろう。
「でもまぁ、プロムの後の飲みには興味があったかもな」
キングとクイーンを囲んでの馬鹿騒ぎ、親に隠れてのアルコールとドラッグとセックス、その合間に裸で森の中の池に飛び込む遊び。そんなものには少々興味があった。だって、俺はもうすぐ夢のために禁欲的な場所で数年を過ごす。そう、二人の夢のためにこの男とは離れ離れになるのだ。
「それなら父さんのビールがある」
二人で乾杯でもする? とゼノが言う。俺はそれに、あんたは酒に強かったかってからかって、でも二人きりの酒盛りもいいなって思った。馬鹿騒ぎなんていつでも出来る。これから数年はクリスマス休暇以外にはあんたと会えない。
「今日はやめとくよ。研究、そろそろ終わりそうなんだろ?」
あんたの頭が鈍っちゃまずい。俺はそう言って、短くなった煙草を瓶の中に落とした。するとゼノは何を思ったのか、いきなり部屋を出て一階に降りてゆく。そんなにビールが飲みたかった? って俺は思ったのだが、まぁ、そんな日もあってもいいのかもしれない。頭を使い続けちゃあ疲れるし、自ら鈍らせる日があってもいいのかもしれない。
「そう、そろそろ終わりそうなんだ」
「へぇ、それで祝いのビール?」
TVディナーのプレートが突っ込まれてるシンクを通り過ぎ、俺たちは冷蔵庫の前にゆく。でもゼノはビールを取り出さず、ダイニングの隅にある、古びたパイナップル編みのドイリーがかかった、スモークガラスが印象的な機械を手に取った。
「違う、君をプロムキングにするんだ」
ゼノが手に取ったのは、八十年代のレコードプレーヤーだった。彼は重いそれを抱えて、今は空になってるガレージに向かう。俺も彼に続く。幸い今夜はゼノの親父さんとお袋さんは山あいのレストランにデートに出かけていて、俺たちが何をしようとも文句は言われなかった。
「確か、ここに昔のレコードがあったはずなんだが
……」
レコードに長い線を挿し、几帳面に積まれた段ボールを広げながらゼノが言う。でも俺はそれをただ眺め、冷蔵庫からコーラでも持ってくりゃよかったなって考えていた。そろそろ季節は夏で、喉がからからだったので。
「あった!」
コンクリートの壁に身体を預けていると、ゼノがそう叫んだ。壮年の男が帽子を被っているジャケットのレコードを掲げ、こちらを見つめている。オールデイズ、街の老人たちがバーでかけて楽しげに踊っている音楽。
「スタン、シャッターを上げてくれないか」
「はいはい、プリンセス」
俺は壁に据えられた丸いボタンを押し、シャッターを開く。するとさっきまで光っていた街灯が消えた庭が現れ、そういえばこの芝を刈る習慣もそろそろ途切れるんだなと思った。アルバイトでいろんな家の芝生の手入れをしたが(時にはプールの清掃もしたが)、俺はゼノの家の庭が一番好きだった。幸せの象徴みたいなこぢんまりとしたそれは、俺にとって彼との夢の次に大切なものだった。
「さぁ、踊ろう、スタン」
プレイヤーを芝の上に置いて、ほっそりとした指先が俺の唇を触る時か、それよりもずっと丁寧にレコードに針を落とす。するとざらついた音が鳴り出し、ビッグバンドの軽快な音楽が流れ出した。あんたの趣味ってこんなだったっけ? と俺は考える。やっぱり、年寄りの歌だ。でもゼノは俺の手を引いて、隣の家から流れ出るテレビの音声よりもひっそりとしたレコードに合わせて、俺と胸を合わせた。指が絡まる。俺はそれに、こんなふうにあんたと踊るのもしばらくお預けかって思う。
――月に連れて行って。そして、星の間で遊ばせて。
――木星と火星では、春がどんなふうなのか見せて欲しい。
――私と手を繋いで、ねぇ、私にキスして。
ざらついた音声、高らかに鳴るトランペット、俺たちはいつの間にか靴を脱いで、柔らかな芝の上で踊る。俺たちは今、夜の庭で二人、誰からも邪魔されない場所で踊っている。静かに、静かに、指を絡めて身体を寄せて、プロムの喧騒なんてものからは、世界一遠い場所で。
「いつか君を月に連れてくよ」
「へぇ、それってプロポーズ?」
俺は直に触れた体温にどぎまぎしながら、わざと馬鹿を言う。そんな約束なんてゼノがしないことは知った上で。でも、彼は笑いもせず、真剣な目で俺を見上げてこう言った。まるで、彼が心の底から信奉する科学か、それ以上に確かなものを手にしたみたいに。
「そう受け取ってもらっても構わないよ」
ゼノはそう言うと、静かに唇を寄せた。月が光っている、星が光っている、街灯の明かりは消え、両隣の家からはテレビの音声が聞こえる。
「誘ってる?」
「
……そう受け取ってもらっても構わないよ」
ぷっと吹き出してゼノが笑う。俺はそれに彼を持ち上げ、ぐるぐると回って芝生に押し倒す。この男なら月に連れて行ってくれるだろう。星の間で遊ばせてくれるだろう。木星も火星も夢じゃないだろう。だってこうやって手を繋いで、今、俺たちはキスをしているんだから。
「スタン、さすがに部屋に
……」
何度も口付けを続けていると、笑いながらゼノが言った。俺はそれに、俺だってそこまで見境がないわけじゃないぜって言葉を塞ぐようにキスをして、月や星を背に芝生の上で恋人を抱きしめる。
俺たちはそろそろ離れ離れになる。でも、それだって俺たちは別れるわけじゃない。俺はいつか月にゆく。この愛しい男に連れられて、あの月に行くのだ。
「スタン?」
青臭い芝生の匂い、煙草と、コーラの味がするキス。俺はそんなものの中で愛しい男を抱き、ビッグバンドの音楽が流れる庭で寝転がる。暗い空には月がある、星がある。俺たちが焦がれてやまないその世界が、そこにはあるのだ。
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