羊のひそむすきもなく

【寿月】数年後同棲プロ時空*新居のベッドどうする問題。


 今、自分は何かおかしなことを言っただろうか。隣り合って腰掛けたソファ、横で目をまるくしたまま硬直している男の顔を見、越知月光は考える。
 今後ふたりで暮らすための家の契約が先日無事に済み、越知の自宅で諸々の相談をしていたところである。箪笥やテーブル類、寝具等々、現在自宅で使っている家具を持ち込むか、これを機に新調するか、という話を、食後の一服がてらに思いつくまま交わしていた。
 自身ほどではないにせよ、近く同居人となる男――毛利も人並み以上には長身で、鍛えている分相応のウェイトも勿論ある。ベッドに関しては、寝室の広さも踏まえて現在自分が使っているものをそのままふたりで使うのがもっとも効率的だろう(大きさ、強度とも自身の体格に合わせた別注品で、広さにも十分余裕がある)。
 そう考えて何気なく提案したつもりだったが、毛利はといえば「えっ」と声を上げてこちらを見返したきり固まってしまった。
 もう一度考える。
 何かおかしなことを言っただろうか。
 そもそも交際を始める以前から毛利が越知の自宅に泊まりがけるときなどは寝台を分け合って眠っていたし、関係に恋人の肩書きを付け加えてからもそうだった。互いに特段寝相が悪いわけでも、気を使うほど騒音をたてているというわけでもないはずだ。
「何かおかしなことを言ったか」
「えっ、あ、いや、別にそないやないんですけど!」
……嫌なら無理強いはしない」
「い、嫌なわけあらへん! あらへんです!」
「それならなぜ黙る」
「うう……
 結局答えに辿り着けず、本人に直接尋ねることにする。尋ねられた本人はやはりどうにもしどろもどろで、歯切れ悪く何やらごにょごにょと呻いてみせた。
…………その、なんやちょっと緊張するっちゅうか……
……緊張?」
「やって、ほら、一緒に住んどっておんなじベッドっちゅうことは」
 ――理由もないんに、毎日月光つきさんと一緒に寝やってエエってことですやろ?
 おずおずと提示された答えらしきものに、目瞬きをひとつ。「らしきもの」と認識したのは、その言葉の意図が自分にはいまひとつ理解できなかったからだ。こちらの様子からそれを察したらしい男が、決まり悪げに肩を落とす。
「伝わらへんよねえ、やっぱ……
「すまないが、もう少し噛み砕いてもらえると助かる」
……、」
 共寝を拒まれているわけではないという点については納得したが、ここまで差し出された何かをいまさら流してやるわけにもいかず、改めて向き直り先を促した。考え込むように額を片手のひらでかるく押さえた男から、数秒ぶんのインターバルが返ってくる。
……頭ん中片付けよるんで、もーちょっとだけ待っとってもろてもええですか?」
……ああ」
 軽い気持ちで申し出たはずが、なにやら大仰なことになってしまった。ちらとそう思いはしたものの、いたく真剣な面持ちにつられて背を伸ばす。考え込む男の膝の上に置かれた手が行き場を探すようにちいさく動いたものだから、指先でそっと手の甲にふれると、やわらかい仕草で翻ったあたたかい手にぎうと掴まれた。
「あんね、月光つきさん」
「なんだ」
「今こーやって月光つきさんと一緒におって、ほんで今度からは一緒に住めるってだけでも、ホンマにその、……夢、みたいなんよ」
……、」
「毎日寝顔見れるん嬉しいし、おはようとかおやすみとか言えるんも、めっさ嬉しい」
 頷く。新しい生活環境を前に多少なりと浮ついた心地でいるのは自身も同じであったし、いまでも寝起きをともにした日には少しばかりくすぐったい気分になる。それがささやかな日常を分け合うことへの喜びであることは、間違いようがなかった。
……ほんで、今まで一緒に寝やるときって、うっかり夜遅うなってもうたとか、客布団より月光つきさんのベッドのが広いとか、そういう……なんかしらの理由が、あったやないですか」
……
「俺、それに甘えとったっちゅうか、……頼っとった、みたいなとこあって」
 こないな話すんの、情けないんやけど。
 ぽつりぽつりと、毛利の中低音が言葉を接いでいく。
「やから、ベッドが月光つきさんと一緒になるんが嬉しいのとおんなじくらい、ドキドキしやる。 ……そういう意味の、緊張、です」
 ちいさく耳朶を打ったそれが、ひとつひとつ胸裡を揺らして溶けていく。
 世界の猛者を相手取った試合でもあれほど堂々とプレーできる男が、自身と寝台を分け合うことひとつに理由を探していた事実がただ、面映ゆい。なんと返すべきかわからずに黙した自分を、人懐こいまるいひとみがじっと見て、そうしてもう一度口を開いた。
月光つきさんは?」
――……
月光つきさんは、俺と寝るんに、ドキドキしよる?」
 こちらの手を捕まえていた手が一瞬ほどけてから、やわらかく、けれどもしっかりと五指を絡めてくる。たったそれだけの仕草から、答えてほしい、と音のない声が聞こえるようだった。
 握手のかたちでふれること、ふれられることにはそれなりに慣れているが、この触れ方をされるとまだすこし落ち着かない心地がする――こうして体温を絡めるように手を繋ぐのは、恋人になった毛利とだけだからだ。
 コート上での相棒としてのこの男は(子どものように抱きついて素直に感情を顕にすることはあれども)、こんなふうに甘く求めるような触れ方はしてこない。
 ふたりで暮らす家は合宿所の部屋でも、遠征先のホテルでもない。これから日々同じ寝台で眠るのは、ほかならぬこの男なのだ、と、ふと思った。
……っ、」
 遅れて得た実感に、はくり、息を飲む。
 指先が、頬がじわりと温む。絡めた五指から胸中の揺れを感じ取ったらしい男が、退路を塞ぐように指先を強くした。
「つきさん」
…………なんだ」
……もしかして、言わんとこ思てはります?」
……いや、」
 こちらの顔を覗き込むようにして問うてくる男の声と表情は、滲む好奇心と期待を隠せていない。
 毛利が答えを欲しがっていることは理解しているが、本音をいえば既に分かっているだろう、とも思う。最善を探すべく思考を巡らせて、――短く息を吐いた。
「毛利」
「はい? ……って、おわっ、!」
 男の名を呼ぶ。呼び声に素直に応えて首を傾げてみせた毛利の体を、繋いだ手ごと引き寄せた。
月光つきさ、」
「言うより早い」
……っ、もお~……
 肩と首筋に毛利の声や髪がふれて擽ったい。抱き寄せて重ねた胸板越しに、駆け足ぎみの拍動が伝わっているはずだ。
「反則でっせ」
「ルールがあるのか」
月光つきさんもヘリクツ言うんやあ……
 じゃれつくような文句を言いつつ、既に毛利の腕は自身の背に回っている。あたたかい。目を細めて五感で男の温度とにおいを辿り、……ぽつり、呟く。
「あまり上手く想像できていなかったが」
「は、」
「いまのようなお前の隣で眠るのは、……たしかに、すこし、緊張する」
 すぐそばで男が息を呑む気配がする。じわりと上がった体温が、どちらのものかなど分かりはしない。
 この男とひとつの寝台を分け合って朝と夜を迎える暮らしは、果たしてどんなものだろう。
 いまはまだ想像がつかないだけで、月日を重ねるうちには晴れない朝も、寝付けない夜も来るはずだ。漠然とでもそう思わぬほど、子どもではない。
 それでも。
「それでも、やはり、同じベッドでお前と眠りたいと思う」
 どうだろうか。抱きしめたままの男に問う。早鐘を打つ心音につられるように自身のそれも同じ速度にうつろうのを感じたけれども、不思議な快さがあるばかりだ。たっぷり数十秒ほど押し黙ったあと、わずかに掠れた中低音が鼓膜にふれた。「……月光つきさん、やっぱ、反則やわ」
「そんなん、もう今日からドキドキして寝られぇへん」
「しっかり寝ろ。俺も寝る」
「うう、メンタル強ぉ……
 明日も朝からトレーニングの予定が入っている。二人揃って寝不足では洒落にならない。いましばらくのあいだは鼓動も体温も離れがたいとしても、寝る、といったら寝るのである。
 窘める代わりに男の柔い癖毛、つむじに口付けると、「がんばります」という声がちいさく聞こえた。