アストルは城を離れた。というのも、王はあくまで魂を麻痺させられただけ。元の活力を取り戻せば、すぐにでもアストルを厄災の贄にしようとすることは明白だったからである。姪御たるゼルダはそのことを寂しがったが、最終的には「どうかお元気で」と見送ってくれた。
アストルに取り憑いたガノンは、彼が道中身銭を稼ぐ姿にその腕前が本物であると突きつけられた。よく学んでいたらしい。ガノンにはさっぱり理解できない複雑な道具や言葉を使いこなし、しかし相談者にはわかりやすく占いの結果を伝えていた。ここまで努力をしておきながら死ねと言われ、それを受け入れるのは酷でしかなかっただろう。
にこやかに礼を言って報酬を支払う者もいれば、向こうから占ってくれと言ってきたくせにその結果が気に入らず罵倒してくる者もいた。そんな者が現れる度、ガノンはアストルが絶望しないものかと期待した。しかし当の本人は慣れた顔をしている。客層の良し悪しはアストルにとって、取るに足らないものであるらしい。
「仕方が無かろう。生まれの星を変えることはできぬ。それに『都合』の悪いことは、必ずしも悪とは限らない」
「出鱈目を言ったところで、奴らには何も分からぬだろうに」
一言零すと、アストルはガノンにズイと迫る。普段黄玉色をした瞳が、カッと赤みを帯びていた。夜明け前の西の空と似た色の髪がふわりと空気を含む。そら来た、とガノンは緩く口角を上げた。これまでも何度か似たようなことを言って、彼を怒らせていた。
アストルは『占い』を……正確には占いの基となる『星の並び』が軽んじられることを、何より嫌っている。最初に怒らせた時は呆気にとられたが、行動を共にし始めてから一ヶ月が経った今では慣れっこだ。
「……お前、いい加減にしろよ」
「……ふん」
仮にも人智を超越した厄災たる自分が、人間でしかないアストルに頭を下げるなどあり得ない。ガノンは未だ、アストルへ詫びを入れたことは無かった。
それに加え、何故かガノンはアストルが怒るのを好んでいる。正直、意図的に怒らせているというのはあった。からかいに対する反応が愉快でもあるが、それ以上の何かを求めている。
ガノンのわざとらしい笑みに、アストルはため息をつく。アストルもガノン同様、相手の態度に慣れ始めていた。
「まあ、仕方あるまいな。お前は、そういう星の下に生まれてしまったのだからな」
「何でもかんでも星の並び順通りになるとは限らんだろう。そうであれば……」
そうであれば? ガノンは自分が何を言おうとしたのか忘れてしまった。口から出るはずだった言葉は吐息に変わり、言語となることはなかった。
「どうした?」
アストルの顔が、ガノンを案じるものへと変わっていく。その表情を見ているのがどうにも苦痛で、ガノンは顔を逸らした。
「……なんでもない」
「……そうか」
アストルは深追いせず、そのまま筆仕事に戻った。厄災は謎が多い。なんでも最後の出現は一万年前だとか。そんな化物とされていた存在が、割と真っ当な人間の形をしていて意思疎通も取れる。常人なら混乱しそうな内容だが、それ故に追及しても仕方がない。
✽✽
アストルは中央ハイラルに点在する村、町、時にはごく小さな集落までもを巡りつつ、湖畔の村を目指していた。そこは近くに見晴らしのいい丘があり「ここは天体観測にはもってこいでだな!」と、近づく度にウズウズして聞いてもいないのにガノンに話しかけていた。
やはり、絶望しそうにない。そう簡単に絶望されてはつまらないが、追い詰められる気配が一向に無いのも困る。早く悩みの種が彼の脳内に蒔かれてくれないものかと、ガノンは宙に浮きながら頬杖をつくのであった。
「……して、ここがその村か?」
「あぁ。アデヤ村は小高い丘に囲まれた盆地の中にある。この丘の途切れ目が、唯一の出入り口だ」
アストルはそう説明すると、迷うこと無く村の中へと足を踏み入れる。見知らぬ土地だというのに怖気づく様子は少しも見えない。肝が据わっているのだろう。死ぬために城の地下へと赴いた過去は、却って彼を強くしてしまったようだ。
すぐ隣には湖があるためか、水分を過分に含んでしっとりとした風が吹く。それが怨念の身体を通り抜け、早朝の湖畔の風の心地よさにガノンは思わず目を閉じた。
丘の途切れ目から領地内に入れば、村は静かだ。子どもたちはまだ眠りについている時間。村の男達は漁に出る準備中。女たちは漁に使う網を作ったり、一晩干した魚介類の回収に勤しんでいた。
「ほう、こうして生計を立てているわけか」
「乾物は城下にも出回っている。城を出た日に買った干物があるだろう。あれはここのものだ」
「まあ、香りは良かった記憶がある」
「厄災とは不便なものだな。美味いものも食えぬとは」
だが、アストルのお目当ては乾物や干物でも無いらしい。
長年城に閉じ込められているも同然だったアストルは、立ち寄る先々で食事を楽しんでいた。これまでの人生で得られなかったものを取り返したいのだろう。貧相な身体は、出会った頃よりはだいぶマシになってきていた。骨が浮き出るほど細いとなると、見ているだけでも苦になる。
「きっとこっちだ。お前も香りくらいは楽しんでおけ」
ニヤと笑うとアストルはそう言って、髪を朝の風に靡かせながら湖の方へと向かっていく。彼が何を心得ているのわからないが、地下に潜みっぱなしで外の情報を仕入れていない自分よりは数倍もマシだ。ガノンはアストルに付いていくのみ。
「で、お前のお求めは?」
「アデヤ鍋だ。この村の名物、なのだが……。ん?」
二人が目にしたのは、物々しい様子で湖岸に集る村人たち。人が人を呼び、次第に事件現場の様相になっていく。アストルもそれに吸い寄せられていった。
「なんだ、あれ」
「我が知るか。それに、お前にも関係ないだろう」
ガノンはやや遠回しに制止するようアストルを促した。だがアストルはそれを無視して人だかりに突っ込んでいく。
「おい、おいアストル」
「どうかしましたか?」
ガノンが厄災ならば、アストルは厄介なお節介焼きと言ったところか。ガノンはため息をついた。
「あんた、見ない顔だね。観光客かい?」
人だかりの一番外側にいた無精髭の漁師が振り向き、アストルに訊ねた。
「はい、鍋をいただこうと思って来たのですが」
「こんな朝早くからご苦労なこったなぁ。けど悪いね、鍋は出せそうにないのさ」
「何故ですか?」
「あんたくらいのタッパなら、背伸びすれば見えるだろう」
漁師はそう言うとアストルに場所を譲った。集って解決できるものではないのだろう。アストルはつま先立ちをした瞬間、思わず後ずさった。
「ッ……!?」
見ると湖面には数え切れないほどの魚の死骸が浮かんでいた。死にたてなのか、まだ腐ってはいない。しかしやがて腐臭を放つようになるだろう。
商売上がったりだ、どうすりゃいいんだ、と嘆く漁師たちの声が耳に入る。ガノンは飛び上がり、湖の全体を見渡した。湖の形はほぼ長方形で、二つの台地に挟まれた狭い形をしている。そして死骸が集中しているのは、村と接している側の岸辺だ。
「何かわかったか?」
地上に戻るとすかさずアストルが問いかけてきた。村人が総出で頭を抱えているのだから、彼一人に何が出来よう。やはりお節介焼きだと呆れつつガノンは答えた。
「死骸が浮いているのはこちら側だ。対岸にはほぼいない。恐らく、こちら側に何か問題があるのだろう」
「そうか……」
「まあ、仮にそうだとしても水中の確認はできまい。鍋が食えなくて残念だったな」
こんなことで絶望されても困るな、と思いつつガノンは口調に煽りを含ませた。だがそれが気に触ったのか、アストルのこめかみに青筋が立つ。
「……お前、そんなことを考えていたのか?」
「は?」
「私が食えぬことはどうでもいい! それよりこの村の経済活動が止まることが問題だろう!」
「何故お前がそんなことを問題にする! 別に星見など、別の場所でもできるではないか!」
「……ここが良いのだ」
何かにこだわりを持っているのか、アストルは頑なだった。そんなによく星が見えるのか。訳のわからない奴だと思っていると、アストルは人だかりから走り去っていく。ガノンはそれを追いかけながら、自分こそ彼に対して必死になる必要が無いのに……と考えるのであった。
「……なるほど、確かに村側の岸に死骸が集中している」
アストルは村を囲む丘に登り、湖の全景を眺めた。朝日を浴びて揺らめき輝く湖面は美しく見えるが、その一部は死んだ魚の鱗が太陽光を反射しているもの。見てくれの美しさは、やがて時間の経過で失われるだろう。
アストルは目を凝らし、湖面を観察した。奥まった方の水面はエメラルドグリーンをしている。だが手前はというと、妙に紫色を帯びて見えた。世の中には緑色と紫色を兼ね備えた珍しい宝石があるというが、巨大なそれが地面に埋まっているような印象を受ける。ガノンが言っていた通り、水中で何かしら問題が起きているのは間違いなさそうだ。
「……ひとまず、今のところこの現象は限定的だと伝えるべきか」
アストルは今見たものを現地人に話すべく丘を降りる。すると今度はアストルが、まるで魚の死骸にでもなったかのように取り囲まれた。村人たちの顔は、魚の死骸を見るよりも嫌悪感を滲ませている。特に先頭の真ん中にいる老人は、『一刻も早く出ていけ』という顔をしていた。村の権力者と見られる。ガノンはアストルに顔を近づけ「何かしでかしたか?」と訊ねた。
「そんなはず無かろう。来たばかりだぞ」
『見えないもの』と話していれば怪しまれる。アストルは一度ガノンから顔を逸らし、自分を問い詰めんとしている大勢の村人に面と向かった。
「私に何か御用でしょうか?」
「あんた、城から来た人だろう」
アストルの眉間に、僅かながら皺が寄る。どうやら随分とゆっくり過ごしすぎてしまったらしい。
「陛下からお達しを受けている。城から逃げ出した者がいる。それに関わってはならない、と……」
「何故私だと断定できるのでしょう」
あくまでもアストルは冷静だった。
「人相書きを渡されていてね」
老人はそう言うと、仰々しい飾り模様が施された封筒を取り出した。それは王家からの公文書。やはり彼は村長なのだろう。既に開封されている便箋の中身が読み上げられる。
「色白、痩せ型、背が高く顔整いの男。城から脱走した逃亡者。仮に在住を求められた場合は断りを入れること」
やはり根回しが行われていた。さて、この場面を如何にして乗り越えるのかとガノンはアストルの横顔を観察する。あの狒々爺によってアストルが顔整い扱いされているのは癪だが、彼が良い顔をすることをガノンは知っていた。
「今しがた湖の様子を見てみました。魚の死骸が浮いているのは主に村側で、対岸にはありません」
アストルは淡々と観察結果を述べる。それに憤慨したのか、漁師の思われる男が怒気十割の声を上げた。
「こっちの話を聞いていたのか!? 出ていけって言ってんだよ!」
「湖の異変より、私の扱いの方が重要ですか?」
「当たり前だ! 王命だぞ!」
そうだそうだと荒っぽい同意の声が次々に飛び出す。王を相手取った時とは異なり、一人ひとりの放つ気は小さなものだ。しかしそれらが集団で塊になって、たったひとりに向けられるならばたちが悪い。他人と群れることは、自我が肥大すること。そしてその外側に対して鈍感になってしまう。
「私はただ、この窮状をなんとかしたいと思っただけで……」
「なんとかできるのかよ!」
「我々でも対処法がわからぬのだぞ!」
怒号は増すばかり。だがアストルは負けじと彼らに顔を向けている。
「何か手はあるはずです。私も力になりたい」
「何もわかってねぇのに何言ってんだ!」
「とっとと出ていけ!」
「出ていくとしても、これを放っておくことなどできません!」
ぶわり、とアストルの周囲で風が巻き起こる。それは物理的なものではなく、ガノンだけが視認することができる精神的なものだった。
ガノンの中には、ともすれば身も魂も焼き尽くしてしまいそうな量の熱がある。厄災として生きるとは、湧き続ける憎悪と怨念に心身を焦がすことだ。常に存在する熱感は、ガノン自身ですら触れることができない。自分が化物だという証明だった。
しかし、己の核として存在している熱さが、アストルの生み出す『風』のみによって和らぐ。ガノンはそれに気がついた。そして自分は、心の底から変化を願う感情の奔流としての『風』を求めているのだと。だから自分は態とアストルを感情的にさせ、彼の作り出す風を浴びることで心地よくなっていた。
正直に言うと、ガノンはアストルの抱く星見の夢も湖の危機への姿勢も理解できていない。だがこの連中は、アストルの周りに高い壁を築こうとしている。それは彼を世界から、引いてはガノンから隔離するもの。自分はアストルの風が欲しいし、風を吹かせる姿を見ていたい。
「邪魔だ!!」
村人はガノンにとって障害物でしかない。今回は多勢に無勢だ。我が身から生み出したトライデントを二本持ち、目にも留まらぬ速さで交互に突き出しては野暮天の魂を痺れさせていく。洗練された矛捌きは大胆かつ優美で、例えるならば孤高の決闘士だろうか。矛が纏う厄災の剛直な気に中てられ、次々に村人たちは顔を呆けさせる。
「ガ、ガノン!?」
「ふん、口程にもない」
アストルは驚いて振り向く。ドス、とトライデントの柄を地面に突き刺し、ガノンは両腕を組んだ。
「何故だ? 押し問答の末に、私が絶望するかもしれなかったではないか」
「そんな気配がなかったのでな。それに、言葉ではどうとでも言えよう。更なる現実を見ればより絶望すると思ったまでだ。その方が観客としても楽しめる」
「はぁ……」
ガノンは自分の真意を誤魔化して説明をした。アストルがため息混じりに訝しげな目をするが、仕方の無い話だである。
「……まあ、ここは城から離れた村。あんたを匿っても、すぐには知られないでしょう。そうですな、皆さん」
村長は疲労を滲ませた目をして、声色穏やかにそう言った。ガノンによって気力を縛られた者たちは脱力しながら「そうだな」「バレる前に追い出せばいいしな」と同意していく。
「では、もう少し調べさせてください。きっと何かわかるはずです」
そう言うとアストルは現地人たちと共に、調査へ乗り出していった。
続く
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.