コスタ・デル・ソルを地上の楽園と評する者は多い。美しい海と質の良い砂浜、青い空へ浮かぶ白い雲。彼の地を訪れた旅行客は家へ帰ることを惜しみ、旅程の終盤には、押し並べて別荘の購入を検討し始めると言う。一年を通じて気温は高く安定していて、四季はあるが寒暖差が穏やかなのも、バカンスに向いている。降水量が少ないため、リゾートウェディングやハネムーンの旅先としても人気が高い。観光で成り立っている街は外部の人々に寛容で、陽気で明るく細かいことへ執着しない。土地全体に、訪れる者を受け入れる文化が根づいている。
長期休暇のたびに、星の各地からコスタ・デル・ソルを目指す船が出た。定期連絡船の他に、富裕層向けのクルーズ船まで、多様な船が楽園の港を行き来する。シーズン外であっても、星中で流行しているカードゲームの大会が連絡船内で開催されることも手伝って、乗船券を求める人は一年中絶えなかった。
ミッドガルの大企業である神羅カンパニーが保養施設を建てたことで、知名度は更に向上した。コスタ・デル・ソルは毎年社員募集のポスターの撮影地になっており、行ったことがない者にまでその海の青さは知れ渡っている。
故郷を出て以降スラムで過ごしていたクラウドも、コスタ・デル・ソルの名前は度々耳にした。明け方の酒場で酔っ払いたちが、いつか人生の逆転に成功したら海の見える場所へ小さな家を買い、余生をそこで過ごしたいとぼやくのは見飽きるほどよく見てきた。だからいつの間にか、潜在意識の中に青い空とビーチが刷り込まれていたのかも知れない。ヴィンセントとの仕事によって得た金で、行き先としてすぐに思い浮かんだのも、きっとそのせいだろう。
一週間の契約が切れた朝、ヴィンセントはクラウドを追いかけ、バラの花を一輪持ってスラムのアパートまで訪ねてきた。回り道をしながらも互いの「共に生きたい」という意思を確認しあった二人は、晴れて幸せな結末を迎えていた。再会に喜び、重ねた唇が離れ絡めた腕が解けたあと、部屋に置かれた中身の入った旅行鞄を見て、ヴィンセントは抑えた声で問いかけた。
「どこかへ行くつもりだったのか」
クラウドは真実を話すのをためらった。別離の苦痛から逃れるため、衝動に任せてミッドガルを出て行くつもりだったなんて、とても言えなかった。それは自身の愛の重さと大きさをそのまま伝えることになるし、話したことで彼に厄介な恋人だと思われたくなかったからだ。どうにかして話題を逸らそうと頑張ったが、優秀な彼の目は欺けない。じっと目を見て無言の圧をかけられて、結局はコスタ・デル・ソルへ移住を考えていたと白状するはめになった。
客が来ることなど滅多にない狭いアパートの中、勧める椅子もないから突っ立ったまま、ヴィンセントはクラウドがぽつぽつと隙だらけの移住計画――というより、ただの思いつきでしかない――を話すのを聞き、顎先へ指を添えて思案する素振りをした。そしてほんの二、三秒動きを止めたあと、天啓を得たように低い声で呟いた。
「海が見たいなら、私が見せてやる」
そういうことじゃないといくら説明を試みても、ヴィンセントは聞く耳を持たなかった。クラウドが慎ましく遠慮しているとでも思ったのか、あるいは、とにかく連れて行けば海への渇欲が満ちると考えたのかも知れない。渋るクラウドの手を引いてアパートを出て、あっという間にプレートの上まで通路を進み、車を捕まえ行き先は港を指定した。
こうしてクラウドは、連絡船の下等客室ではなくクルーズ船の特別室でゆったり海上を旅して、翌日の昼頃にはコスタ・デル・ソルへ降り立った。ぎらぎらと眩しい太陽に照らされ、旅行客へ歓迎のために配られる花の首飾りで胸元を彩られて、どうしてこうなったのかを納得するまで、少々時間が必要だった。
「暑い。溶ける……」
どんどん吹き出していく汗が、こめかみから頬を伝ってぽたりと落ちる。これから夏を迎えるミッドガルからそのまま出て来たため、現地での気温を考慮した服装など何も用意がない。湿度が低いことで幾分助かってはいるものの、夏の盛りのように気温が高いせいで、汗はじわじわと服を濡らす。隣へ立っているヴィンセントを見上げると、スーツのジャケットを脱いで腕へかけてはいるが、汗一つかかない涼やかな顔で黒髪を靡かせていた。青い空、白い雲、真っ黒なヴィンセント。南国の楽観的な雰囲気が、絶望を覚えるほど似合っていない。
「くそっ。あんたのその格好、見てるだけで暑苦しい」
暑さに体力を奪われ苛立ちが募り、軽微な悪態が口をついて出た。汗の浮かんだ額を手の甲で拭うと、ヴィンセントから綺麗に折りたたまれたハンカチを無言で差し出される。用意の良さに悔しさを覚えつつ、クラウドはハンカチを受け取り、遠慮なく汗を吸わせることにした。
全てを焼き尽くそうと激しく燃える太陽は、容赦なく頭上から光を降り注いでいる。クラウドが乗り物酔いしやすいことを覚えていたヴィンセントは、船が動く前、眠っていれば酔わずに済むとホットミルクを飲ませてくれた。そのミルクを飲んで以降、船内での記憶がほぼ丸一日分抜け落ちている。ただの温かいミルクで昏睡してしまうはずがないから、気付かないうちに睡眠薬か何かを仕込まれていたのかも。元タークスだという彼ならやりかねない。快調に船旅を終えられたことに感謝はするが、勝手に薬を使われたのだとしたら腹が立つ。海から昇る朝日を見たり、イルカの群れを眺めたり、豪奢な客室を満喫する機会を逃してしまった。しかし、彼の本業を知っていることをまだ伝えていないため、不満を口にはできず、クラウドはただ日光の眩しさに顔を顰めるしかなかった。
一番の書き入れ時を外しているとは言え、コスタ・デル・ソルの街は人で溢れていた。ミッドガルの中心地の交差点と比べても、人の密度は大きな差がないように思える。海が近いためかほとんどの人が水着と変わらないような軽装で気楽に歩いており、そこら中に冷たい飲み物やカットされた果物など、食べ歩くのに丁度いい飲食物の出店が並んでいる。
真っ黒な長髪を揺らし、洗練された仕立てのスーツを着こなすヴィンセントは、街の中でかなり目立っていた。初対面の日、スラムからプレートの上へ連れて行かれたとき、クラウドを連れ歩いていた彼もこんな気分になっただろうか。明らかに異彩を放っているヴィンセントを見かねて、歩幅を広げて距離を詰め、彼の白いシャツの肘の辺りをつまんで引いた。
「せめてその髪、どうにかならないか? 鬱陶しいだろ」
暑そうだから心配だと言えれば良かったのに、話せたのはおよそ心配とは遠い内容だった。素直さが大切なことは理解したが、では今日からなんでも素直になります、というわけにはいかない。しかし、クラウドのぶっきらぼうな言い方に隠された意図を読み取れたのか、ヴィンセントは横顔へ笑みを浮かべ、小さく首を傾けた。
「そうだな。もうすぐ予約した宿に着く。一息ついたら、土地へ馴染む服を買いに行こう」
まるで潜入任務へ入る前のスパイの台詞みたいだ。それがあながち間違っていないから、反応に迷う。ひとまず彼がコスタ・デル・ソルへ溶け込む気があることにほっとして、平然と歩いて行ってしまう背中を追うことにした。
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