()は私の心の声。メモ見てん?と思った声。会場暗くて全然手元見てないで書いたから読めないところたくさんある。ごめんね。他の方のも参照してね。アキラありがとう。ありがとう。またショーやってね。
谷町九丁目で降りて最速でサブウェイへ行き、またもやギリギリギリギリにお手紙を書く。急ぎに急いでサンドウィッチを詰め込んで、なんかの建物の6階、新歌舞伎座へ。ちらりちらりとアキラかな?という方々が見える中、✨𝑨𝑲𝑰𝑹𝑨 𝑲𝑶𝑩𝑨𝒀𝑨𝑺𝑯𝑰✨修羅の伝説✨のシャツを着ていざ突貫。
1階から6階だけを運行する専用のエレベーターに乗り、会場に足を踏み入れればそこにはすしざんまいアキラが!というか人が多い。写真を撮ったり、お願いされたりしつつチケットを提示し、フォロワー様と合流。お土産とCD交換会を終えてまた別のフォロワー様と合流。そんなこんなで中に入り、開演。すごい、これが旭の力か、とメモしたほどに、本当に人が多い。3階席まであるのがほぼ埋まってたんじゃないかな。
オンリー・ワン
——。
①翔歌
おそらくフル。前奏で「小林旭です」とか言ってたかな。すぐ生バンドだとわかって完は興奮した。
メモにはこう書いてある
…「しょうか アレンジ?バンド!??!?」
「あれから何年 70年」と確実に聞こえた。声もバッチリ。風邪はすっかり治ったんじゃなかろうか。
長丁場になるかもしれませんがお付き合いください、お会いできて幸せです、といういつもの入り。「応援がなくなったら」とメモに書いてあるがどういうことだろう。応援ないともう歌えないよ、とか言ってたような気もする。
骨折の話。86歳です、というとこでどよめきがあったような。普通は寝たきりなるよ、治るのは半年から1年かな、という話をお医者さんにされたらしい?
困ったもんだ、歌歌うと切なくなる、こまる、これが転ばぬ先の杖と言いますが、というメモ。う〜ん、細かい話は忘れたので雰囲気で感じ取って欲しい。今回はだいぶ和やかな雰囲気?で、笑いをとりに行ったりしていたと思う。
目一杯やります、数え年だと87です、サバ読んでるんですよ。時が経つのが早くなって、一瞬のうちといえば芸能生活の年月。70周年、そんなにたったのかな。ここまでやってるとは思わなかった。
若い時、棟梁さん、多分60歳くらいの方が、腰曲げて歩いてる。ここで腰曲がった人の歩くフリ。会場爆笑。本人はまっすぐ歩いてるようだけど、とかいう話をしていたかな。ともかく、ここまでやってるとは思わなかった。
スクリーンに日活のマーク、日活製作株先会社?って感じの字が書いてたと思うけれど、wikiみても製作って入ってるのないぞ?アキラも、製作?製作じゃないよ、作ってないんだから、というツッコミを入れていた。
当時、(上に昭和30年3月というメモがあるのでその付近だろうか)日活の撮影所は東洋一と言われた。周りは何にもない、今は団地で撮影所も1/3しかないけれど。
昭和30年、7・8月までは研修。9月から撮影所に入った。その頃はタイムレコーダー
…新人社員というくくり。日当は200円、税込でですよ。手取りは180円。それを積み重ねて、30日で月給は当時の一流の大学を出て一流の会社に入った新人社員と同じ、13600円というふうにしていた。途中でヤになりましたけどね、タイムカード切るチーンって音で寂しくなっちゃう。それがある日そういう状況から切り離された。
スクリーンの写真切り替え、人混みの写真。これは日本全国の映画館主が集まってる。左手が俳優会館、右が食堂、ダビングルーム。バスは30台分くらい出して、往復させて運んだ?らしい。撮影所でお祭りをした。
写真切り替え。長門裕之の話。髪の毛がふさふさしてますね、死ぬころは髪の毛がなくなっちゃって。(あれ、これだけしか話してないの?)
写真切り替え。ジョー。おれぁ90過ぎまでいくぁ〜(確かにこんな言い方をしていた)の電話からひと月もたたぬうちに死んじゃった。それも、うちの女房と同じ時期だったね。(ジョーが)本書いてるんだよとか言ってたのにいなくなっちゃったね。そして「さよなら〜〜。はい。」とアキラが言って写真切り替え。(ご老人ジョークというのだろうか。)
写真切り替え?世紀の二枚目?二期目のニューフェイスで、俺より一個前のだね、とかいう話をしていたような。。こいびとが?(メモめちゃくちゃ)芦川いずみ、のちに藤竜也の奥さん。まあその辺のとこはいいか(笑)(確か男の人の話をしていたと思うのだけれどわからなかった)
写真切り替え。天下の裕次郎。この人のおかげで、映画界が、いや芸能界が変わった。上下の規律だとかマナーが厳しい時代だった、酒飲むなとか言われてたのに、ビールをぶら下げで撮影所に来てた。(ばとうえいざん?とメモにあるが調べても出てこない。裕次郎のことだからちゃんと調べればビールの名前が出てくるかも→バドワイザーというらしい。ありがとうございます)
右足は、前世で悪いことしたんだね。歩き方、引き摺る感じの。真似してたかも。
写真切り替え、アキラのマイクに向かって歌ってる写真。小林旭とかいう若造が
…なんか(裕次郎と)おんなじような顔してんな。
たぶん、その頃こういう歌がありました、売れました、という入りだと思う。
②女を忘れろ(1,3番目?フル?ごめんわからん)
20代。若かったから、女を忘れろ、この曲もカッコよかった。
写真切り替え?女優!?(なんだこのメモ)
あちゃおかルリ子。この頃はかわいかったね、今は目にものも
…有閑(?)ババア!?(だいぶ酷くいうし、舞台袖を見ているものだからルリ子さんがいるのかと思った。いなかった。かわいそう。)
(みしてくれないの?というメモ。もしかしたらルリ子さんの写真はうつってなかったのかも。見た記憶ないかも。話が飛んだりするからか、スクリーンさんとの息はあっていなかった。見れない?無理ですか?あそう。とか独り言いってた。)
船村徹。こういう歌が得意なんだな、という印象があった。(?)かぎときだ?メモが謎。
スタイルがトラックの運転手の歌手。右手
…左手か?がギアをやるような感じの。船村徹さん作曲で、「??きこういち」というメモがあったので青木光一さんの話だろうか。はるには〜、??おいはなが〜と歌いながら左手をギコギコ動かしていた。(おもろい。)でもカッコよかったですね、背は小さいけど。
③ダイナマイトが150屯(1,2)
入りは忘れた。結構前奏始まってからごにょごにょ喋ってることが多くて、聞き取れないのもあったなあ。「スカッと」で☝️こんなフリ。
売れてコロムビアは喜びましたね。ものすごくロマンな歌を書く船村さんは死ぬまで大事にしてたんだから。何が良かったんですかね。
「かみのふね」というメモ。調べるとエッセイがあるのでそのことだろうか。
船村さんはダイナマイトをパーティとかで歌わせていた。俺もパーティの来賓なのに歌わされた。(ここで水飲んだらしい。水飲むたびに会場笑ってた。)ある時北島三郎に歌ってくれと頼んだの、案の定
…という歌い方だった。(「なみだ〜の〜 かっぱり?」というメモ。からすの〜〜やろう〜〜どいていな〜〜という感じでアキラがさぶちゃんの真似をしてアキラの歌を歌っていた)
川内康範という人が、ダイナマイトガイ、マイトガイだ、とニックネームをつけてくれた。
④銀座旋風児(フルか?)
「銀座旋風児」映画でかな?マイトガイという名を連発させて売り出したという入りかな。
あの頃「シリーズ男」なんて呼ばれましたよ。日本のウエスタンってね、カッコよく言えばカントリーウエスタン。正月にできた、ペギー葉山の歌、「南国土佐を後にして〜
…(歌ってた)」の映画のこと。最初は「赤いダイスが俺を呼ぶ」という名前だったらしい?これが大ウケにウケたんですね〜。画像でない?ダメですか、そうですか、申し訳ございません、出ないな〜。
……と、画面から背を向けた瞬間に「南国土佐を後にして」のタバコを咥えてる画像が出る。タイミング外すんだよな、と愚痴。
ワンシェイクダイス。バッととってシャッってするやつ。ダイスを重ねて柱にする、それを撮るのに命懸けの雰囲気だった。面白かったですよ、カメラの上にハの字にあるフィルム、2000フィートを、齋藤武一さんが「マガジン一本あげるからできるようにやってくれ」と言う。みんな大緊張ですよ。
(水)
……唇が渇いちゃう。
ペギー葉山が歌ってるとき、その映画の中で相棒だった西村昂、黄門様があの歌やめさせてくれって言う。刑務所でペギー葉山さんが歌ってくれたから、罪の意識がうんたら
……。それで、失礼なことしでしたけれど、劇中で、「その歌〜〜やめろ〜〜〜ッ!」って、歌からタイトルもらってるのに、ペギー葉山さんが歌っているのを止めて、ダイスをやる場面に。テストでやってるとまずい。1回目、カチャッって音がして、2回目、3回目
…。それでフィルムあげるからやってくれとなって、できたんですよ。一回で。小林旭って、天才なんですかねえ。ダイスを振って、音がしねえ、しめたもんだと思った。奇跡ですよ。西村昂ちゃんも、あっとなって一瞬芝居を忘れてる。そうしてふっと思い出してやってたけど。ようできたもんだな、と思いますよ。
それで、あの頃キャバレーとかでダイスが流行った。行く先々でやってみてよ!っていわれるけど、そうそう出来ないよ!ギターにダイスに、全部できるんじゃないんですか、いやあ、そんな器用な男じゃないよ、と言う話。とにかく、南国土佐〜がヒントになって、あの頃旅をテーマとした映画が増えたんじゃないんですかね。

〈図1 その歌~~やめろ~~~ッ!!!〉
④ギターを持った渡り鳥(1,3)
3番目、間違えて最初に「潮の〜」と2番目のを歌ってた。潮の波止場。
これがまた予想以上に可愛がってもらえた。「田舎の正月を預かる男」なんて言われました。都会は裕次郎。日本全国津々浦々行くから、裕ちゃんとは本質が違うんじゃないかな。あっちでもこっちでも違う。観客動員数は3倍だったと。裕次郎が100億、俺が300億。お金は
…どこ行っちゃったのかな。もらえたら良かったんだけれど(笑)(ちょっと違うかもだけど、こう言うことを言っていたと思う)
馬渕玄三さん。小林旭にいろんな歌を歌わせて、旭を使ってやっていこうと。渡り鳥はちょうど良かったんですね。馬渕さんが「アキラ節」を作った。それを映画で紹介した。(民謡などをアレンジした「◯◯節」をさまざまな映画の中でアキラに歌わせて、広めさせた、という内容の話だったと思う)
あれ、画面がなくなっちゃった。(スクリーンが上に収納されてしまっていた。息が合わないねえ)まあいいや。
新潟の佐渡島のことは忘れもしない。(何かの劇中で出たのだろう)佐渡おけさ踊り、3000人が協力してくれた。
⑤〜アキラ節メドレー〜(各1番目のみ)
1.ダンチョネ節 入りでウ!って言っててテンションぶち上げ。それいけー!と言う掛け声、いいよね。「小林旭CD&DVD THE BEST」でもそれいけー!って言ってるよん。買おう!この辺りからもう指揮してたらしい。リズム合わなかったのね
2.ズンドコ節
ウインクは見えませんでした。双眼鏡買うべきね。隣の方がウインク〜の前で双眼鏡使い始めたからお主もウインク目当てか!?とか思ってしまったという小話。
3.ツーレロ節
ダンチョネ・ズンドコ・ツーレロの黄金アキラ節コンボ。毎回歌ってるけれど、こんなんなんぼあってもええですからね。
4.ソーラン節
正直驚いた。賭博師シリーズで出てくる曲なんですけれど、監視みたいなのがいる中これを歌って店中を沸き立たせ、監視から徐々に自分を見えなくさせ、ヒロインから離れて決戦の場に向かう、そんなところで歌うんですよ。好きなの。肘引くフリをしていたらしい。ノリノリ。
5.アキラのデカンショ
デカデカンショデカデカ♪
流石にデカンショ〜はそこまで伸びてなかったけれど、このアキラ節メドレーはだいぶノリにノっていた。
6.グングン節
ん〜〜聞いたことある、わかるんだけどな、と思いながらグングン節だ!?!!?!と思った時の脳汁やばかった。それ歌うの!?が2連続で嬉しい。
…アキラ節は他にも30曲あるんだけどね。
(伊那・おいとこ・ストトン・ズンドコ・ソーラン・炭坑・ダンチョネ・チョンコ・ツーレロ・ノーエ・ホイホイ・まっくろけ・八木・オショベ・鹿児島おはら・グングン・たてやま・ちゃっきり・ノーチヨサン?19曲だけど。)
○十年前(忘れた)、日劇でアキラ節全部やってみようかってなった。やってたら、演奏がばてて10曲すぎから曲がバラバラになる。15曲でストップしちゃった。僕もバテちゃったけど、演奏の人は「はぁー
……ハァ
……」って息切れしてた。
パチンコ協会から賞を貰ったこともありますよ。アキラさんの曲で弾がよく弾けるんだと。お役に立てて何よりです、って受け取ったけど。
それでS36年かな、コロムビアの社長に「正月は3,4日きて荷物運びのトラックが出てくんの応援してくれよ」って言われた。アキラが「いってらっしゃーい」って手を振ってくれたら運転手が喜ぶよ、って言うからあそうですか、って出た。見るとトラックには「はつみ」というのぼりと、レコードが山盛りにあって、それが次から次へと出ていく。あれ全部僕の歌ですか、そうだよ、だから運転手さんたちは握手してくれたら喜ぶよってね。「嬉しかったですね」
その前の年の暮れ、コロムビアの賞(ちょっとわかんないです、レコード大賞とかではなさそうだけど)のこと。俺は忙しくてパーティーには出れなかったけど、
「アキラさん、いつもは美空ひばりが上の段だったのに、その上を持ってっちゃった人がいるんですよ。」なんて言われて、ふーん、誰が、って言えば
「アキラさん、あんたなんだよ」って。そうしてひばりのおっかさんに怒られちゃって。
⑥恋の山手線(?)
どういう入りだったかなあ。
終わりに息切れして、声が出なくなって、と愚痴っていた。
若くて気がよかったんですね、この年までやるとは思わなかった。
とにかく、天下一品のゴロ合わせの詩を書く人がいた。
そのころ著作権ってのがなくて、作曲家だけがお金をもらってた。
[ここからは2週間後に書いたのでさらにあやふやな可能性がデカいです。すみません]
叶弦大を立派にした人の話 (星野哲郎さんの話だろう。裏磐梯のメモを見ると馬淵玄三さん→叶弦大さんと書いているが)
⑦自動車ショー歌(1,2,4)
足上げてた。
歌い終わった後?後奏に入ってすぐかも、水飲んで「あ~~~。空気乾燥してる?上あごにくっついちゃって、、」とかぼやいていた。ほんとにぺちゃぺちゃくっついてんだなあみたいな話し方だった。会場は笑ってた。
⑧さすらい(1,3)
前奏でお客さんから拍手。何十年と愛される歌、ありがたいです、と前奏中に話したと思う。
メモによると座って横向きで歌っていたようだ。
小林旭の世代は孤高の人が旅する映画だという話。(すみません記憶ってのは光の速さで薄れるのですね)
⑨北帰行(1,3)(聞いたことあるな?というメモ。私の記憶だと3番目は音程が上がっていて、夜ホテルでこれか?ともやっていた記憶がある。それで考えるとコンシンズ4とかにあるverかもしれない
……)
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