Ymi:no
2025-05-20 19:04:44
6963文字
Public ビマヨダ連載中
 

熊の子ビーマ子育て日記①

熊と人間のハーフ(交配種)のビーマと現代人のわし様のビマヨダ子育てコメディ

 その日、この世にひとつの奇跡が誕生した。ヒグマと人間の交配種。前例のない生命の生誕に、交配種ペット界隈は空前のお祭り騒ぎとなった。
 ――交配種ペット。それは金持ちの道楽のために生まれた、ヒトと動物を掛け合わせた新しい生命の総称である。人の形をした命たちに首輪をかけ、四つん這いにさせ、蝶よ花よと飼い殺す可愛がる。彼らが高値で取引されるが故に、ひとつの市場として盛況を博していた。
 同じ資産家という立場として、ドゥリーヨダナは〝ペット〟のことも、〝ペット〟を飼っている者たちのことも毛嫌いしていた。人と同じ形のものを平伏させ、ロクな教育もせず、畜生として飼育する。それは人間の尊厳を踏み躙るのと何ら変わりない、人道にもとる行為である。〝ペット〟を飼うくらいならば、児童養護施設にでも金をばら撒く方が余程いい。それがドゥリーヨダナの考えだった。
 それがなぜ、このようなことになってしまったのか。
「じゃ、そういうことだから! 頼んだぜ兄貴!」
 風のように現れた弟が、ドゥリーヨダナの腕にあたたかな命を抱かせる。お包みに巻かれたそれは、どうみても赤子にしか見えない。
「は? いや、は?」
 目を白黒させ、赤子と弟――ドゥフシャーサナを交互に見遣るドゥリーヨダナに、ヤツはさっと敬礼すると踵を返した。
「あ! コラッ、待たんかッ!」
 ドゥリーヨダナが追いかけるより早く、弟が玄関から飛び出していく。今から追いかけたところで、赤子を抱えたままでは追いつきようもない。
…………………………
 腕の中で大人しくしている、小さな命を見遣る。短く生えた紫の髪に、ぷくぷくと柔らかく膨らんだ褐色の肌。ちょんと頭に乗った耳はまあるく、茶色い毛に覆われていた。
 ――……羆か? しかし、耳の毛は紫ではないのだな……
 じっと顔を見つめると、びい玉のように丸々とした水色の瞳と目があった。きょとんとした顔は、何とも赤子らしく可愛らしい。
「ぅぐ……っ」
 ロクデナシな自覚のある己でも、まだ何も知らない、無垢な赤子を捨てることは憚られた。
 ――いざとなれば、誰ぞに相応の金を握らせて育てさせればよかろう。手に負えなくなれば、……その時はその時だ。
 弟は後ほど泣いても締めると決め、お包みを抱えなおした。

❀❀❀

「本当によく飲みよる……
 腕の中の小さな命に感心する。傾けた哺乳瓶に齧りつき、くぴくぴとミルクを飲む姿は、赤子にしては中々に豪快だった。というのも、この赤子が一度に飲む量は哺乳瓶三本分、これを日に六回、多い日は七回摂取するのである。見た目はそこらの赤子と変わらない――強いて言うなら他の子より愛らしいだろうか――が、食事量が尋常ではない。ギチギチに締め上げた弟が言うには、羆との交配種だからだろう、とのことである。遺伝子の配分がどうなっているのか知らないが、それなりに影響はあるらしい。何にせよ、ドゥリーヨダナとしてはこの子が平穏無事に、元気に育てばよいと思う。
「ん、飲みきったな……よぉしよしよし」
 赤子を縦に抱えなおし、自身の肩にふくよかな顔を乗せる。指先で軽く背を叩いてやれば、満足気に「けぷぅ」と息を吐きだした。
「ゥ〜……
 凭れかかる赤子を片手で抱え、空になった哺乳瓶を回収する。さっと指を回して分解し、食洗機に並べてスイッチを押した。
 初めはこの哺乳瓶が片手でバラせず、かと言って降ろそうとするとしがみつく赤子を手放すこともできず、悪戦苦闘していたのを覚えている。
 懐かしい、と思いつつ、ぺったりと張りつく赤子の背を撫でた。肩越しにも伝わる、擦り寄る頬の柔らかさについつい顔が緩む。
……ウムウム、おねむのようだな」
 くたっと赤子の身体から力が抜けていき、少しして穏やかな寝息が耳を擽る。
 飲んで、寝て、また飲んで、寝る。父母の元から保護された赤子は、確かに今ドゥリーヨダナの腕の中で健やかに育っている。
「おやすみ、ビーマ」
 気がつけば、腕の中のこの重みが、心地よいと思えるようになっていた。

 この赤子を引き取ったドゥリーヨダナが、一番初めに考えたのは名前だった。
 名前とは、親から子への最初の贈り物である。しかしトンズラした弟をスマホ越しに問いただせば、赤子には名前すらないと宣う。親は何をしているとマイクに叫びかければ、意外にも怒りの滲んだ声で弟が答えた。
 曰く交配種ペット業界はその性質故に、混沌を極めている。政府も容認状態で、法などあってないようなもの。この赤子の親は単語ひとつ話せない女と、羆のオスであった。だからこの子には名前も、育む手もないのだと。
「どんな手を使ってでも、こんなことは止めさせる。そのために俺がここにいる――なんてな。んじゃそういうことだからよ! またなんかあったら聞いてくれ!」
 最後には明るく締めくくっていたが、あれは間違いなく本気の声だった。他の誰を騙せても、兄の目は欺けない。
「全く、あやつも変なことに首を突っ込みおって……
 それでも弟が可愛い兄としては、指を咥えて見ているのもいただけない。スマホをたぷたぷと操作し、耳元に当てる。
――おお! どうしたぁ、旦那ァ?』
 スピーカーから聞こえる声に、自然と声が弾む。
「アシュヴァッターマン! 実はお前に頼みたいことがあってな」
『あん? なんだなんだぁ? 旦那の頼みなら全力で答えるぜ!』
 あまりにも気安く、しかし嘘偽りなく放たれた言葉に顔が綻んだ。
「頼りにしとるぞぉ! それでだなぁ、」
『おう、おう……ああー……なるほどなぁ』
 〝ペット〟の裏事情について掻い摘んで説明すれば、実直に呆れましたという声が返ってくる。本当に、全くもってその通りだと思う。
――というわけだ。頼まれてくれるか?」
『断る理由がねぇ』
「うっはは、流石はアシュヴァッターマン! では、頼んだぞ!」
『任せろよ!』
 弟だけでは心許ないが、我が親友アシュヴァッターマンがいれば百人力だろう。それでも足りないのであれば、カルナにも声をかければいい。あの二人で解決できないことなど、この世にありはしないのだ。
「やはり持つべきものは親友だな」
 自身の腕の中ですやすやと眠る命を見て、独りごつ。既にこの子を育てるのに、忌避感はなくなっていた。
 そうして名前を考えたドゥリーヨダナは、自身の名にあやかる神話から同じように引いてくることに決めた。羆との交配種であるこの赤子は、必ずドゥリーヨダナより強く逞しくなる。神話になぞらえれば、そう――かの宿敵のように。
………………
 むす、と唇を尖らせ、記憶にある叙事詩を反芻する。様々な登場人物を思い描き、赤子の顔を見、やはり違うと頭を振った。せわしく百面相するドゥリーヨダナを、くりくりとした瞳が見上げている。
「ぐぐ…………っ」
 無垢な瞳の圧に耐えかね、重いため息とともに腹を括った。
「お前は……ビーマだ。ビーマ……ビーマなのだ。よいな?」
「?」
 小さな命がじぃとドゥリーヨダナを見つめる。何だかよく分かってなさそうな顔だったが、全てこれから刷り込んでいけばいいと笑った。

❀❀❀

「随分と無駄遣いをしたようだな」
 荷捌きの手伝いとして呼んだ親友――カルナが笑う。広々としたリビングは足の踏み場もなく、みっちりとダンボールで埋め尽くされている。
「ベビーグッズというのは中々に奥が深い……
 親友の指摘通り、赤子のためにとかなり奮発した自覚があった。この部屋一面の荷物たちは、ドゥリーヨダナがあれもこれもと買い込んだ結果である。
 確かに間違いなく無駄遣いではあった。最も、この親友の言う無駄遣いとは、翻って赤子への心遣いという意味であるのだが。
「後悔はないか」
「ナイナイ」
 唯一の妹に聞きながら、買うものリストを作ってまで揃えたのである。買い忘れなどありようもない。
「そうか。ならばいい」
「ウム、では開封を手伝ってくれ。……この通りでな」
 腕に抱いたお包みを見せ、肩を竦める。そこには目を瞑り、すややかに眠る赤子がいた。
 ベビーベッドが届くまで、この子はドゥリーヨダナのベッドに寝かせていた。しかしどうやってもむずかり、中々眠らないのである。こうして腕に抱くと秒で寝るので、最近は抱えていることが当たり前になってしまっていた。
「承知した」
 多くを語らずとも悟ったらしい心の友が、ドゥリーヨダナを見てもう一度笑った。

「ゥウ……?」
 ベビーベッドに寝転んだ赤子が、まんまるの瞳でドゥリーヨダナを見上げている。
「むふふふふふ〜……! これはとんでもなく可愛いのでは……!」
 不思議そうな顔をするビーマに対し、ドゥリーヨダナは大変に上機嫌だった。
 短い前開きの肌着、同じく前開きで長めの肌着、最後に股下にスナップがついた、水兵のような見た目のウェアを着せた赤子は、ただただ可愛いの一言に尽きる。
 頼んだ荷物の中には、ベビーベッドやベビーカーを始めとした大物家具から、ベビー服やガーゼなんてものも入っていた。こちらは先に開封し、専属のコンシェルジュを呼んで、最速で洗って仕上げるように頼んだ。かなりの無茶振りであったが、カルナが全て開封し終わった頃に、ふわふわに仕上がったベビー服一式が手元に届いたのだった。全くの謎技術である。
「おお〜よしよし、……この帽子も被れるかぁ……?」
 大人しいビーマを見遣り、更に頭に水兵帽をそっと被せてみる。この帽子はぴょっこり熊耳だけが外に飛び出る、特別仕様の特注品であった。
「くぅぅぅぅぅ…………っ! 可愛い! 愛らしい! 生きているだけでお前は偉ぁ〜いッ!!」
「ウゥ、ゥ!」
「心の声が漏れているぞ」
 思わず叫んだドゥリーヨダナを見上げ、ビーマが嬉しげに鳴き声を上げる。隣で様子を見ていたカルナも、口角を上げて満足気に頷いていた。
「わはははは! 人とは褒めることで伸びる生き物だ。たくさん褒められて、しっかり育てばよい……そうだろう? カルナよ」 
「ああ」
「ゥ、ゥ〜!」
 楽しげな二人の様子に、赤子まで楽しそうにしている。
「では、暇するとしよう」
 目を細めたカルナが、指の背でふくふくの頬を撫でる。
「ん? もう帰るのかぁ? 茶の一杯でも飲んでいけばよかろうに」
「遠慮する」
 首を傾げるドゥリーヨダナに、カルナが事もなげに答える。どうやらわざわざドゥリーヨダナのために予定を空けてきたらしい。流石は心の友である。
「そうか。ならばまた遊びにくるといい。次までに茶菓子も用意しておこう」
「ああ。必ず」
 片隅に積まれたダンボールの束を抱え、カルナが踵を返す。見送ろうとしたドゥリーヨダナを片手で制し、平然とした様子で帰っていった。

❀❀❀

――ちょっと兄貴! 今何時だと思ってるの?!」
 スマホの向こうで、妹のドゥフシャラーが吠えている。現在の時刻は深夜二時。丑三つ時である。普段は傍若無人なドゥリーヨダナも、こればかりはばつが悪かった。
「ほれほれ落ち着かんか、音が割れとる……
「誰のせいだと思ってるの!」
「うぐぅッ」
 それとなく宥めてみるが、スパンと正論で叩き返される。実の兄が相手でも容赦がない。泣きそう。
……それで、どうしたのよ」
 ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、ドゥフシャラーの声がやや丸くなる。いかなドゥリーヨダナとて、理由もなく深夜に電話などしない。本当の本当に手詰まりだからこそ、恥を忍んで妹にヘルプコールを飛ばしたのである。
「う、ウム……それがな、ビーマが泣き止まなくて」
「泣き止まない?」
 それは赤子を引き取ってから続く、ドゥリーヨダナ最大の悩みごと。
「そうだ。ようやくベビーベッドが届いたから寝かせようとしたのだが、少し離れるとびゃーびゃー泣き叫んで……
 ビーマはとにかく寝付きが最悪だった。昼夜問わずぐずって泣きだす姿に、おろおろした回数は数知れず。ドゥリーヨダナがあの手この手であやしても、どうにもならず今に至っている。
「うーん……?」
「抱えると泣き止むのだが」
「んん〜…………ん〜……オムツやミルクじゃないのよね?」
「うーむ……違うなあ……
 赤子の肌着を捲り、オムツを確認する。弟妹の世話を焼いていた頃と違い、最近の紙オムツには〝お知らせサイン〟なるものがついていた。これが青ければ交換の合図なのだが、見る限り線の色は黄色い。そしてミルクは少し前にあげたばかりである。
「ベビーベッドが届くまではどうしてたの?」
 当然の問いかけに、ドゥリーヨダナは肩を落として答えた。
「わし様のベッドを使っていた。……のだが」
「?」
「これもまた激烈に泣くのだ……
 寝心地が悪いのか、はたまた別の理由があるのか、ドゥリーヨダナのベッドでは上手く寝かせられなかったのだ。だからこそ救世主ベビーベッドの到着に泣いて喜んだというのに、結果はこのザマである。割と切実に泣きたい。
「なるほど……?」
「なので夜はずっと抱いておる……
………………兄貴はいつ寝てるの?」
 脳裏に、信じられないものを見たような顔をする妹が浮かぶ。この妹は兄をなんだと思っているのだろうか。失敬な。
「こやつ、ちょこちょこお昼寝はするのだ。なのでその時にこう、ささっとベッドに寝かせてその隙に……だがすぐにむずかって起きてしまう……
 ドゥリーヨダナだってぐっすり眠りたい。寝不足も寝不足、正直割とへろへろである。しかし火のついたように泣く赤子を、ほっぽって寝ていられるほど神経も図太くない。
「ああー…………んんー………………あ。わかったかも」
「本当か?!」
 何かに思い当たったらしい妹に、藁にも縋る思いで先を促す。
「兄貴、添い寝は試してみた?」
「そいね………………添い寝? この小さな命とか?」
 唐突な問いかけに、素っ頓狂な声が出た。ふにゃふにゃ柔らかな赤子と、添い寝をしようなんて発想はドゥリーヨダナにはない。
「そうよ。ビーマくん、あんまり兄貴から離れたくないんじゃないかしら」
「うぅん…………? そう、なのか……? しかし添い寝なぞしてウッカリ潰してしまったら……
 添い寝をする自身を想像して、何とも情けない気持ちになる。もしも赤子が、寝返りを打ったドゥリーヨダナの下敷きになってしまったら。怪力のがあるビーマでも、九十キロを押し返すのは不可能だ。
「それは十分に気をつけて」
「ええ……
 頼みの綱にすげなく返され、か細い溜息が漏れる。ともすれば妹の方が、余程肝が据わっている。
「ほ、他に方法はないのか? こう、人の温かみであれば湯たんぽとか……
「試してみてもいいけど……熊の子の五感って騙せるものなの?」
「ヴッ」
 ビーマの感覚は本当に鋭い。ミルクの香りにいち早く反応するし、ドゥリーヨダナが傍から離れたことにすぐ気がつく。
…………やめといたら?」
「ヴヴッ…………………………わかった……………………
 腕に抱いた赤子をそっと抱き締め、幾度目か分からない覚悟を決める。兄弟の中でも一等いっとう寝相のいい自身を信じるほかない。
「ダメだったらまた連絡して」
「ウム………………
 ぷつんと通話が切れる。不安でいっぱいの兄に対し、実にさっぱりとした末妹であった。
「ビーマ…………その、ウム……寝るぞ………………?」
 謎の声かけをして、自身のベッドにビーマを寝かせる。手を離すと同時に赤子が顔を歪めるのに、慌てて隣へ潜りこんだ。
「添い寝、添い寝………………こう、か……?」
 遠い昔の思い出を掘り返し、おっかなびっくり赤子を引き寄せる。ドゥリーヨダナの記憶では、母がこのように末妹に寄り添っていたような気がするのだ。
「ぬくい…………
 向かいあい、胸に抱きこんだ赤子の温もりに睡魔が訪れる。ほとんど落ちかけた瞼をこじ開け、先程までぐずっていたビーマの様子を窺う。
 ――寝ておる。
 すややかに眠る姿にほっとした瞬間、ふっと意識が途切れた。

 ――眩しい。
 ふわふわとした頭で、漠然と思う。瞼をしっかり閉じていても、どうにも眩しくて堪らない。
「ん、んぅ…………ぅう〜…………
 石像のように固まった身体で身動ぎ、漏れでるままに唸り声を上げる。こんなにぐっすり眠ったのはいつぶりだろうか。
「ん〜……ん、ん〜……――ハッ!」
 ばち、と瞼が開く。
「ビーマ――!」
 慌てて腕の中を見遣れば、くりくりとした水色の瞳と視線がかち合った。
「ゥ、ウ〜! ウ! ウ!」
――――――――
 ドゥリーヨダナを見つめ、嬉しそうに笑うビーマに声が詰まる。衝動的に、ふにゃふにゃと動く身体を抱き寄せれば、羆の子が一際楽しそうに鳴いた。
「ビーマ、ビーマ……
 この子は責任をもって、ドゥリーヨダナが最後まで育てよう。他の誰にだって渡すものか。
 朝日の差し込む寝室で、新たな決意を胸に刻んだ。

❀❀❀