Ymi:no
2025-05-20 18:53:34
2303文字
Public ビマヨダ連載中
 

檻より出でて最愛の妻 序章

とある国の第二王子ビと奴隷わし様のビマヨダ

 その日、彼は運命に出逢った。

 ややもすれば草臥れて見える布を身に纏い、ビーマは一人なだらかな野道を歩いていた。
 彼は大国たいこくの第二王子でありながら、大変に腕のいい料理人でもあった。不定期に王宮の広間を解放し、その腕を振るう姿をして、専門家が平伏する程の実力を誇っている。また健啖家としても知られる彼は、まさにしょくに愛された男と言っても過言ではなかった。
 そんな彼は自ら美食を極めんとし、王宮を幾度となく抜け出しては、未だ見ぬ料理を求めて徘徊するのを日課としていた。
……なんだありゃ」
 機嫌よく歩いていたビーマの視界に、なんとも小汚く、如何にも怪しい見目の天幕が映る。直感で得た不信感から、一歩、二歩と足取りが重くなり、遂にはひたりと足が止まった。あれはなんだろうか。長閑な風景にそぐわぬそれは、野道の景観を著しく損ない、ついでに眉間に皺を寄せた彼から食欲まで奪っていった。
 げんなりとしつつ、よくよく目を凝らす。簡易的な作りからして、行きずりの行商に見えなくもないが、果たして。
………………ッ!」
 見覚えのある紋様を視認して、急激に脳が沸騰する。
 この国では長らく、奴隷という身分が認められてきた。たくさんの命が踏み躙られ、尊厳を奪われてきたのだ。
 それを覆したのが彼の兄こと、第一王子ユディシュティラである。元々政治に興味のないビーマではあったが、兄のことは為政者として大変に尊敬していた。賭博好きなのが玉に瑕だが、それ以外は実に誇らしい兄だった。
 その兄が禁じた奴隷が、今まさにあの天幕の向こうで売買されている。彼の地雷を踏むには十分な理由であった。
「おう、邪魔するぜ」
 豪快に天幕を捲り、怒りのままに足を踏み入れる。ぐるりと円を描き、大小様々な檻が並ぶ姿は実に不愉快極まりない。
「お、お客様……ひぃっ」
 九十キロの巨体が怒気を纏って近づくのに気圧されたのか、店主と思しき男が腰を抜かし、じりじりと後退る。
…………
 檻はその殆どが空であった。しかし鉄に付着した血液が、確かにそこに人がいたのだと物語っている。
 ――ひと足遅かったか……
 空の檻をガゴンドゴンとひっくり返しながら、奥歯をぐっと噛み締める。お前たちは必ず見つけだして、家族の元へ返してやる。心の中でそう誓い、残された者がいないか目を皿にして探した。
「!」
 重なりあった檻の向こう、隠すように置かれた檻の中には居た。
「おい、大丈夫、か……
 思わず息を飲み、目を見張る。
 ――綺麗だ。
 その男は両腕を背に拘束されたまま、腰布一枚で監禁され、檻の柱にぐったりと凭れかかっていた。
 無数の傷に覆われた身体は、痩けてなお隆起する筋肉の凹凸がうつくしい。ところどころ赤く引き攣れた肌は痛々しく、ビーマの庇護欲を煽った。 
 伏せられた瞼の下は、長い睫毛でも覆い隠せないほど青黒い。栄養が足りないのもそうだが、そもそも寝られていないのだろう。
――――――
 柱の隙間に手を伸ばし、指先でそっと目元に触れる。まあるく切り揃えた爪先が睫毛を揺らしたが、男は身動ぎ一つしなかった。
「なあ、」
 焦れたビーマが声を発すると同時に、はらり、と肩から薄紫の長い髪が流れ落ちる。絹糸に見紛みまごうそれが白い肌に細かな影を作り、鈍い光を透かしてきらきらと煌めいた。
「〜〜〜〜〜〜!」
 まるで見てはいけないものを見てしまったような、どうにも落ち着かない気持ちになる。据わりの悪さにもぞもぞしつつ、それでもうつくしい男から目を離せずにいた。
………………、」
 とくとくと血管の脈打つ音を聞きながら、ごくりと唾を飲み込む。
 ――この男が欲しい。
 こんなにも誰かを渇望したのは初めてだった。
「そ、そちらの商品はですねぇ……
「ォアきったね!」
 にゅっと死角から現れた小汚い男に、思わず本音不快感が漏れる。果敢にもビーマに声をかけたのは、先程まで恐怖に震えていた店主であった。
…………………………
 曰く。この男は大国の南西にある、大国とは交友のない小国の王子である。奴隷商に攫われかけた妹を庇い、袋叩きにあったところで項に奴隷の焼印を押され、この檻の中へ収容された。何度しつけても男は抵抗を続け、脱走を試みた。故に文字通り、気絶するまで鞭で打ちつけたらしい。
「随分と身の程知らずで生意気なものですから、商品としてはお売りできず。このように裏に隠し――ブェッ」
 ばき、と骨の抉れる音がする。
「そうかよ」
 拳で脳天を一突き。威力・技量ともに自己最高記録である。
「もう少し我慢してくれな」
 店主の残骸に手を突っ込み、鉄の塊を拾い上げる。ぺぺっと絡みついた肉片を払えば、如何にもな造りの鍵束があらわになった。
 幾つか鍵を差し込み、ようやく錠前が開く。腕を伸ばせば、今度は何に阻まれることもなく男に手が届いた。
「軽い……
 ビーマとそう体格は変わらない筈の、軽すぎる身体を両腕で抱えて立ち上がる。ぎゅうと抱き寄せれば、仄かな温かみが感じられ、ほうと息が漏れた。
 大丈夫だ、生きている。
「うし! 帰るとするか!」
 腕の中に収まった男を一瞥し、前を向く。美食には出会えなかったものの、それよりよほど価値のあるものに出逢えた。
 ――差し引きではぷらす、ってやつだな!
 帰還後の緊急手配と、王宮を抜け出た言い訳に頭を捻りながら、ビーマは来た道を駆け足で戻ったのであった。

❀❀❀