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那須野
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寿月
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月に謳えば
【寿月】CP未満*海岸線でロードワーク中の高2毛利くんの話。
潮騒が聞こえる。
海風にさらされた、さほど新しくはないアスファルトの感触が、ランニングシューズの裏から自身の走るペースに合わせて心臓を交互に叩く。
沿道を行き交う車の走行音とヘッドライトにテールランプ、自身の心音、かすかに上がり始めている呼吸音。
いま自身の感覚をおおむね満たしているそれらを、穏やかな潮騒と、吹き渡るぬるい夜風が包んでいる。
少し前までは日が暮れると夜風に冷たさを感じることもあったというのに、近ごろでは気付けば夜も昼ひなかの暑気の名残を含み始めていた。
視界の端、水平線の上には淡い色をしたまるい月がぷかりと浮いており、伴走者のように並び続けている。こうして学校近く、海沿いに続く歩道を走りながら月の満ち欠けを数えるようになってからしばらくが経つが、やはり満月の夜にはどこか安堵や郷愁じみたものを覚える。
いまごろ彼はどうしているだろうか。
月明かりを見ると思い出す彼の名前を、頭の中でなぞる。
月光
つき
さん。
夜の散歩に出掛けているかもしれない。あるいは、食事や入浴を済ませて家族や愛猫と穏やかな時間を過ごしているかもしれない。あるいは、どこかのコートでまだサーブの練習をしているかもしれない。
小ぶりなウエストポーチ型のランニングバッグの中に押し込んでいるスマートフォンを使えば容易に確かめられると知っていたけれども、どうにもそれも憚られ、足を止める気にはならなかった。
まだ、もう少し走っていたい。いま頭上にある月がいなくなりはしないと理解していたが、足を止めた分だけ、並びつくのが遅れてしまうように思えた。
息を吸って、吐く。
焦る必要はない。焦ったところで、無為に過ごした時間は取り戻せない。必要なのは一日一日を無駄にせず、目標をもって積み重ねていくことだ。
彼のように。彼らのように。わかっている。
ゆるやかに進路を変え、速度は維持したまま浜辺に続くスロープをくだっていく。砂浜に降りたためか、潮の香りがひときわ濃くなった気がした。寄せては引いていく波の音が、低く鼓膜をふるわせる。
乾いた砂は踏みしめたそばからわずかに崩れ、同じように走っていてもアスファルトほどの推進力は得られない。体幹と足裏の感触を意識しながら、砂浜を蹴りつける足に力を込めた。
思考が集中に沈んでいく感覚は素直に心地よい。砂に足を取られないよう意識を澄ませ、ただ無心に前に進む。進む。平坦な砂浜の続く限り走って、
――
途切れ目のテトラポッドの群れの前でようやく立ち止まった。
「
――
……
、
……
、」
深呼吸を何度か繰り返せば、跳ねていた心音が徐々にゆるやかになっていく。
ここで折り返し、あとは同じルートを辿って家に向かうだけだ。片道数キロメートルの道程は、追加の基礎トレーニングにはあつらえ向きだった。
水分補給のためにランニングバッグを開ける。ドリンクボトルを取り出した拍子、持ち主の顔を認識したらしいスマートフォンの画面がふわりと明るくなった。
ロック画面には、時計とともにトークアプリの新着通知が一件表示されている。時刻はおよそ十分前。<画像を送信しました>というシステムメッセージの上にあった名前に、即座に端末を掴み取っていた。
バナーをタップすればすぐに画面が相手とのトークルームに切り替わる。月光さん。
『満月だな』
淡くひかる満月の写真の前に添えられたひと言はあまりにも彼らしく端的で、
……
けれどもだからこそ慕わしかった。
送られてきた画像をじっと見つめる。
確かによく晴れた満月の夜だけれども、ただ静かに月を眺めて過ごすことを好む彼が自宅や散歩道で独りわざわざスマートフォンを取り出すとも考えにくい。なにより、画像の端をうっすらと白く滲ませている光の質感に覚えがあった。街明かりにしては味気ない色をしたそれに、目を細める。
『月光さん、練習帰りですか』
『おつかれさまです』
『気をつけて帰らはってくださいね』
すいと指を滑らせて、とん、とん、とん、とメッセージを送る。
きっとこれはナイター設備の白色光だ。コートを出、家路につく彼を見送ったのだろう照明が、かすかに月明かりを照らしている。
「
……
、」
黙考。
おもてを上げ、水平線の上に浮かぶ月を見た。
凪いだ海に月明かりが落ちている。カメラを向けて、満月と水面が写り込むように景色を切り取る。
『こっちも満月がよう見えますよ』
それから一言そう書き添えて、そっと送信ボタンを押した。