くこ
2019-05-26 08:07:47
5815文字
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Lamb.03(王最)

おとなになった王最の昼ドラ系のなにか第3弾。あともう少しで終わり。

「王馬くんはコンサートって見に行ったことある?」
……人並み程度には」

不意に遠い目をして言う最原に、眉をひそめた王馬が簡潔に答える。
じゃあ説明しなくてもわかると思うけど、と前置きし、彼はため息をつきながら語った。

「僕は、はじめて赤松さんのコンサートを観たとき、とても感動したんだ。ああ、人の心を動かす演奏というのは、こういうものをいうのかって。楽しそうに演奏する赤松さんを観て、とても満たされた心地がした」
…………
「毎回、通ったよ。さいわい、関係者用の席をいつも用意してくれていたから、都合さえ付ければ必ず観ることが出来た。だからその日も、急いで書類整理を終わらせて、いつもの特等席に座った」

長い睫毛が頬に影を落とす。

「その日も、赤松さんは絶好調だった。いつも通り、楽しそうに、ピアノを弾いていた。僕はそれを喜んで観て、聴いていた。そのとき、までは」

続きの予想は付きつつも、王馬は黙って彼の独白を聞く。
誰にも、言えなかったことなのだろう。赤松本人にさえも。

「セッション、って、言うのかな?赤松さん以外の演奏者が出てきたんだ。僕は疎いから、それが誰なのか知らなかったけど、会場が歓声で沸いたから、きっと有名な人だったんだろう。赤松さんとセッションできるくらいだ、実力も十二分にあるんだろう」

最原の白く細い指が、マグカップの取っ手をもてあそぶ。
王馬はなんとなくそれを見ていた。

「ヴァイオリンとのセッションだった。ピアノだけとはまた違っていた。はじめは、こういうのもあるのか、すごいな、くらいしか思わなかった。でも、曲が佳境に向かうにつれて」

そのときの熱量を思い出しているのだろう。まるで目の前でその演奏が行われているかのように、最原の目が窓から離れない。指は、マグカップに掛かったままだ。

「明らかに、演奏の質が、いつも以上に良くなっているのがわかった。素人目にも、明らかなぐらいに。彼らは、目配せをしながら、違う方を向きながら、それでも音だけは完璧に揃えて、とても気持ち良さそうに、演奏していた」
…………
「おそらく、当時、聞いていたなかで一番の演奏を、赤松さんは終えた」
……最原ちゃん」
「その」
「最原ちゃん、もういいよ」

つらそうに歪む顔を見ていられなくて、王馬が初めて口を挟む。自分がこの顔を引き出したのならまだしも、他者から与えられたとあっては一刻も早く改善させたい。
しかし、最原はかぶりを振った。黒髪がさらさらと揺れる。

「いや、言わせてほしい。言わせてくれ」

懇願に近い声に、王馬はそれ以上なにも言えなかった。
きっと、儀式のようなものなのだ。彼にとって、これは、必要な作業なのだろう。
ならば、神父役を一度引き受けた王馬は、最後まで付き合うよりほかない。

「彼らはあの瞬間、おそらく、どんな肉体的快楽をも超越した次元に居た。それはとても、僕では辿り着けない場所だ」

それが最原にとってどのような絶望だったか、推し量るにも忍びない。自分に置き換えて身震いする。最原が芸術家でなくて良かったと心から思った。
少し間を空けて、最原がふっと肩から力を抜いた。ソファに座った膝の上で手を組み、うつむく。長い前髪で表情がわからなくなった。

……ほんとうに、身勝手な話だと思う。どんなに罵られようと、反論する余地がない」

かなり自分に厳しい判定だとは思うが、彼はそれを望んでいるのだろう。あえて王馬は何も言わなかった。ただじっと彼の、見えない表情を見つめていた。

「そのときから、自分でもびっくりするほど、熱がなくなってしまったんだ」

聡い彼女はすぐさま変化に気づいた。だが、最原が口を割ることはなかった。
表面上は仲睦まじく、何も変わらない、絵に描いたような幸せな夫婦。その実、夫の心には暗く深く影が落ちていた。妻はそれを知りながら、しかしどうすることも出来ず、ただ、時間だけが過ぎていった。
時間が解決してくれるかも、と思ったこともあったんだ。と、最原は言った。

「でも、考えが甘かった。解決どころか、むしろ、悪化していくようで」

そのたびに、ごまかすようにイベントごとを楽しんだ。クリスマスにはケーキを買い、チキンを用意し、ツリーを飾り付け、祝う。お互いの誕生日には最高のプレゼントを。結婚記念日には夜景のきれいなホテルでディナー。コンサートのたびに違う花を贈り、遠征中はメールや電話で連絡を取り合った。
だが、どれもが空虚で、終わった後には疲労感だけが残っていた。まるですべてが心を通り過ぎていっているかのようだった。
砂の城を作っては、波がそれをさらっていく。賽の河原のような、無益な行為。しかし、赤松も最原も、今さらそれをやめるわけにはいかなかった。そうするにはお互いを愛しすぎていた。だが、お互いの心には流しきれない砂が積み重なり、滞留していった。

……そんなときだったんだ。王馬君に出会ったのは」

突然、最原の顔が上がり、その視線を真正面から受け止めた王馬はどきりとする。あくまで内面の話であり、表面上はおくびにも出さなかったが。

「正直……申し訳ないと、今でも、思っている。そして、感謝もしている」

何に。この現状に。

「でも、キミなら……キミになら、頼れるだろうかと……

気まずそうに、ふっと目をそらした。王馬は自身の心臓が大きく脈打つのを感じていた。
「キミになら」?最原は確かにそう言った。続きを。続きを紡がせなければならない。

「どういう意味?」

ようやく絞り出したのは、何の面白みもない催促の言葉。
最原がもう一度顔を上げ、王馬を見る。笑みを消し、自分を見ている彼を確認して、一呼吸おいてから口を開いた。

「高校の時」
「は?」

唐突に話がタイムスリップしたので、思わず王馬が眉をひそめる。その様子に少しだけ緊張を解いた最原は、薄く微笑んだ。

「高校の時を思い出したんだ。キミに再会したときに」





だんがん紅鮭団。超高校級の男女を密室もとい閉鎖空間へ押し込め、恋愛模様を楽しむバラエティ。赤松も最原も王馬も、そのメンバーに選ばれていた。
偶然の出会いから、赤松と最原は初めからお互いを意識していた。そのまま、卒業までいくことはひどく自然な流れだった。
しかし、長い期間、二人で過ごすだけではもちろん無い。赤松は特に、人見知りをせず物怖じをせず、困りごとに首を突っ込む性質であったので、なおさら、最原以外との交流も多かった。
対して、最原は、人嫌いというほどではないが、自ら積極的に交流を楽しむタイプではなかった。知的好奇心に負けて距離を詰めることはあったが、本を読んでいればその衝動も多少は抑えられた。

その日も、図書室で時間をつぶしていた。めずらしい人影。白い服に身を包み、いつも笑みをたたえている、超高校級の総統。
総統とはいったい何をするのだ、と、存在自体が謎だらけの、探求心をくすぐる塊のような人間だった。王馬自身、本心を悟らせない巧みな話術もあいまって、謎めいた存在感はいっそう強まっていた。
そんな彼が向こうから自分のテリトリーへ飛び込んできたことに、最原はいささか驚く。
図書室に通い詰めているせいで、図書室=最原に会える場所、と、たいていのメンバーから認識されていた。

「やっほー最原ちゃん。今日は何を読んでるの?」
「筒井康隆」
「そういうのも読むんだ」

推理小説が好きなことは確かだが、SFなども嗜む。最原は、本を開いたままで答えた。
とことこと近づいてきた王馬が、隣に腰掛ける。こてん、と肩に頭を置き、本を覗き込んだ。

「残像に口紅を」
……よくわかったね」

少し覗き込んだだけで本のタイトルを言い当てた王馬に、最原が目を丸くする。気をよくした王馬がふふんと笑った。

「ね、少しオレとお話しようよ」
「いいけど……

本にしおりを挟み、最原が顔を上げる。目の前には満足げに微笑んだ王馬の顔があった。

「赤松ちゃんとはうまくいってる?」

直球な問いかけに、最原がむせる。さらに上機嫌な王馬が言葉を続けた。

「王道一直線~~~ってかんじだよね。赤松ちゃんは交友関係が広いけど、無意識にか線引きはしてるみたいだし。最原ちゃんも満更じゃないんでしょ?」
……、まあ、そうだね」

執拗に隠しても仕方がないので、最原は熱くなった頬を自覚しながら頷く。

「ふ~~~~ん。で?卒業後はどうするの?」
「え?」

心底、何言ってるの?といった様子の最原に、王馬が苦笑いをする。

「いやいや。付き合って終わりじゃないからね?」
「え、ああ……そう、だね」
「ちょっとちょっと、だいじょぶ?」

予想以上にひどい最原の反応に、王馬が本気で心配になって彼の頬をつつく。頬をぷにぷに指で押されながら、最原があわてて答えた。

「だ、大丈夫だよ……!えっと、その、告白の言葉はもう考えてある」
「オレが言ってるのはそのあとのことだっつーの」
……
「最原ちゃんって付き合うの初めて?」
……ちゃんと、は」

はじめて……と、消え入りそうな声が聞こえてくる。特に恥ずべきことでもないが、なんとなく咎められているような気がした。
べつに怒ってないよ、と王馬がひょうひょうと言う。なぜか教師に叱られている生徒のようになってしまった最原に、どう言ったもんかと言葉を探す。

「ここを出たら、まず、何がしたい?」
「え……
「なんでもいいよ。映画が観たいだとか、あの店に行きたいだとか」

王馬の質問に、最原はしばし思案する。

「近くの本屋に行きたいかな。取り寄せてもらった本を、まだ受け取りに行っていない」
「なるほどね。ほかは?」
「あとは……そうだな。おじさんに、おいしいコーヒー豆を買っていく約束をしていたんだ。それを買いに行きたい」
「ふむふむ。あとは?」
「んー……コートをクリーニングに出したい」
「一気に所帯じみたね」
「コーヒーこぼしたままなんだ」
「それは一刻も早く行くべきだね」
「前に猫を見つけた飼い主さんから、お礼の手紙が届いていたから、返事を出しに行きたい」
「まずは便せんを用意だね」
「それと……本棚に収まりきらなくなってきたから、新しい棚が欲しい」
「電子にすれば?」
「味気ないから嫌だ」

すげなく最原が断る。
さて、と王馬が一拍間を置いて、口を開いた。

「その隣に赤松ちゃんは居ましたか?」

ビク、と最原の身体が揺れた。

……

最原の顔が蒼白になる。王馬はそれを眺めたまま動かない。
その反応それ自体が回答のようなものだが、あえて、何も突っ込まなかった。

……あ、」

すがるような眼で、最原が王馬を見る。

「罪悪感を覚えることでもないとおもうけど」

なぐさめるでもなく、本心から王馬が言う。少しだけ最原の肩から力が抜けた。

「ただ、先のことは考えた方がいい。お互いのためにね」
……うん……、ありがとう」

素直にお礼を言う最原に、王馬は、少し意地悪がしたくなった。
とんとん、と肩を叩き、彼の顔を上げさせる。最原は座っていて、王馬は立っていた。自然、見上げる格好になる。

薄く開かれた唇に、キスを落とした。
触れるだけ。羽のような軽いキスに、最原は一瞬なにが起こったのかわからず、静止する。
そっと顔を離した王馬が、にししと笑った。

「少ない脳みそフル回転させて、よーく考えることだね」
……キミってやつは……

感謝したし、少し尊敬すらしたのに。唇を手で押さえた最原が、恨みがましそうに言う。
あはは、と王馬は笑った。

「じゃあね、最原ちゃん。また、今度」
……

今度、は、訪れなかった。
そして最原は赤松と卒業した。
風のうわさで、彼らが結婚したことを王馬が耳にしたのは、それから数年後のことだった。





「あのときのこと、思い出して」

ちなみに僕あれが初めてだったから、と、最原がじろりと王馬を見やる。ふぅん、と王馬はにやつく顔を諫めつつ応えた。

「その日、一晩、ずっと考えていた。そして、キミに会わずにはいられなかった」

すぐさま誘いが来たのは、そういうわけだったのだ。
なるほど、王馬が気まぐれに行っていた高校時代の行動は、少なからず最原へ影響を与えていた。そのことがひどく王馬を高揚させる。

「身勝手な話だけど、キミに答えを求めたんだ」

むろん、その答えは彼ら二人の中にしか存在しない。王馬の中にあるはずもない。
それでも、すがらずにはいられないほど、彼は消耗していたのだろう。まさに、藁にも縋る、だ。
想像以上にキミは優しくて、と、最原は続けた。

「砂糖菓子のような時間を、手放すことが出来なかった。だめだと、わかっているのに」

いっしょに映画を観て、ワインを飲みながら感想を言い合う。
いっしょにお風呂へ入って、シーツの上で裸でじゃれ合う。
そのすべての時間が心地よく、すべての行為が快感だった。ずっとなくしていたパズルのピースをはめてもらったように、ずっとずっと足りないと思っていたものが満たされていた。

だが、それは卑怯な行為だ。最原は、もし本当に望むなら、今ある生活を清算したあとで、その時間を得るべきだった。
しかし、そうするには、彼女への情が強すぎた。

「いいんだよ。オレもわかった上で付き合ってるんだし」

最原一人のせいではないと、王馬が答える。最原がかぶりを振った。

「これ以上は甘えられない」
……

濡れ羽色の瞳が王馬をとらえる。決心した目だった。おそらく、何を言っても気を変えることは出来ないだろう。

「最原ちゃんの人生だし、キミのいいようにしたらいいとは思うけど。どう考えても、現状維持がおいしいと思うよ?赤松ちゃんだって、黙認してくれてるんだし」
「だから、だよ。僕は、王馬くんにも楓にも、甘やかされすぎだ」

困ったように、最原が笑った。嬉しそうにも見えた。きれいだな、と王馬が思う。

「終わりにしよう」

少しだけ開けた窓から、ふんわりと風が吹き込んだ。初夏のにおいがした。