たとえ心の内側で不服を抱いていようと、領主という存在は領地にとって絶対だ。その権力は教皇のように雲の上の存在ではないからこそ、かえって敬意と畏怖の念で下々の者から仰がれる絶対の存在となる。そのため、シュガーグレイヴにおいて、領土全域の管理者であるニヴェール家よりも、範囲は狭けれど町や村を直に管理しているルグロ家の方が、より身近な権力者として扱われる。
だからこそ、絶対の君主に対して、町や村の長は丁重なもてなしと適度なすり寄りを欠かすわけにはいかない。
「……という事情はわかるけれど、やっぱり少し窮屈だよね」
「場所がか」
「空気がだよ。言わなくてもわかるだろう?」
ヤルマルは肩をすくめ、自分がもたれかかっている壁に、わざとらしくずるずると凭れ掛かる。
ルグロ家の当主の来訪は、早朝の当主が乗っているチョコボ車の目撃情報から始まり、昼までにはシュガーグレイヴ全域に住まう住民の知るところとなった。
とはいえ、彼は娘のアガテルのように人々を集めて演説をするような真似はしなかった。
それは、彼の来訪目的を考えれば当然だ。
内情はどうあれ、彼のシュガーグレイヴ訪問の理由は、付近で発見された異端者の集落とその摘発に関する事後処理について、町長や神殿騎士団の長と話し合うためだからである。陳情を聞くために名代として派遣されたアガテルとは、そもそもの目指すべき終着点が異なる。
町長の家で歓迎を兼ねて行われる小さな宴は、結局のところ、当主が町長に指示を出すための場だ。町長の家にわざわざ顔を出すのは、あくまで町長と領主がお互いに話をし合って出した結論という体裁をとるためといったところか。
このような統治者間の折衝について、ノエたちは最初、不干渉を貫くつもりだった。
彼らが気にしているのは、ルグロ家の当主に、アガテルや、あの狡猾な執事があることないことを吹き込んで、ノエたちを利用しようとしたり、あるいは謂れのない罪を押し付けないかを懸念したからだ。
そのような不穏な動きがあればすぐに伝えると、当主の護衛に命じられたピヌヌは請け負ってくれた。そのため、ノエたちは町を出る予定を幾ばくか後に回して、彼女から報せがあることを――あるいは、ないことを願い、その日を過ごすつもりだった。
「例の司祭、教会にいなかったようだな。中央から呼び出しがあったとか」
「扉の張り紙にはそう書いてあったが、実際のところはどうだか。無い尻尾を巻いて逃げ出したのかもしれないな」
オランローの言葉と、それに返したルーシャンのいう通り、一同はルグロ家の当主については、一旦棚に上げ、もう一つの気にするべき事柄――ハンフリー司祭の凶行と子供たちを誘拐した疑惑について、まずは本人の様子を直接確かめに行くことにした。
ノエの話によれば、ミラベルはハンフリーと直に話をつけにいくつもりだったようだ。
彼はノエたちの干渉を拒んでいたが、様子を見に行くぐらいは許して欲しいと覗いてみた教会は、人の気配がなく、静まり返っていた。そして扉にあったのが、しばらく不在であることを記した紙だったのだ。
「そうなると、子供たちの件についても確認できなさそうだね。彼が犯人だったのか、共犯だったのか、無関係だったのか。それすらも誰も知ることができなくなってしまったわけだ」
「だが、オデットが見つけた隠された避難場所に子供らの身につけた品があった理由を、どう説明する」
ヤルマルの呟きに、オランローが反論を口にする。ヤルマルは「あくまで理屈の上でさ」とだけ返した。
「ハンフリーがいなくなったのなら、オデットの身の安全は守られる。その上で、ハンフリーがもし犯人なら、子供たちが攫われることもなくなる」
後を追って発言したのは、サルヒだ。
「私たちは、ここにずっといるわけじゃない。今はそれで十分と思うしかない」
「そうだね。……ミラベルにとっては、消化不良の結末だろうけども」
ヤルマルが物憂げにそう言うのは、教会を見たついでに孤児院に寄ったときに目にしたものを思い出したからだ。
孤児院の表門から訪れてみたものの、彼は不在だった。何をしているのかと子供たちに問うと、ミラベルは裏に新しい畑を作っているとのことだった。
こんな時に畑作りなど、と不思議に思った答えは、すぐに分かった。
「彼は、あの教会に子供たちの遺品を遺しておくということ自体が、許せなかったんだろうね」
孤児院の裏手をオデットと共に覗きに行ったヤルマルは、ミラベルが小さな穴を掘り、そこに箱に納めた遺品を埋めている姿を目にした。
遺体がどこにあるか分からない以上、彼が今できる精一杯の葬儀がそれだったのだろう。もし、この先遺体が見つかることがあったら、同じようにこの地に連れて行くという決意の表れだったのかもしれない。
「葬儀っていうのは、生きている側の気持ちの整理に必要なものだ。死んだ側は、どこに何が埋まっていようと気にすることもないだろうさ」
「旦那様。それは事実ですが、ミラベルにその発言は聞かせないでくださいね」
「本人に言うほど、空気を読めない阿呆になったつもりはないさ」
「ハンフリーの話もそうだが……あちらはどうなんだろうな」
オランローが視線をやった先にある一枚の扉。
その先には、しんみりとした気持ちで終わるはずの一日をひっくり返した理由そのものがあった。
教会に赴き、孤児院でミラベルの様子を目にして声をかけることなく退去した後、一行はシュガーグレイヴを経つための準備をしながら、ピヌヌからの連絡を待つことにした。
何事もなければ、宿で数日を過ごし、当主の出立を見送った後に町を経つつもりだった。
だが、夕方になり、今夜の宿の食事は何かを話しているときに、ピヌヌからの報せが舞い込んできたのだ。
「ルグロ家の御当主様から、ノエさんとオデットさんもぜひ町長が開く宴の場に同席してほしいと言伝がありました。アガテルお嬢様の話を聞き、大層な迷惑をかけてしまったことのお詫びと、娘を守ってくれたお礼がしたいとのことです」
この報せを聞いた瞬間、ノエとオデットは揃って渋い顔をした。オランローなどは「どの顔でそんな図々しいことを言っているんだ」と、嫌悪と忌避感をそのまま言葉にしていたほどだった。
しかし、地方の一領主といえども、相手は貴族だ。腹にどんな画策を抱えて誘い込んできたのかが分からない上に、せっかく用意してくれた邂逅の場をふいにすることで、結果的にこちらが不利になるように駒を進められても困る。
そのような理由から、ノエとオデットは、町長と領主が異端者たちの処遇を話し合う場に、同席させられることとなったのだった。
残った四人は留守番かと思いきや、ノエたちを見送りにきた彼らを、ピヌヌは追い返さずに引き留めて、こう言った。
「皆さんには、遅れていらっしゃる来客のお迎えをお願いしたいのです」
遅参する客とやらが誰かを、彼女は教えてくれなかった。
もしかすると、ノエたちと引き離されると余計な心配を抱かせてしまうと、ピヌヌが気を回してくれたのかもしれない。
かくして、四人はノエたちが案内された客間の手前にある玄関口に続く控えの間にて、暇を弄んでいたのだった。
「言葉通り、お礼だけをくれると思うかい?」
「オレたちを口封じするつもりなら、町に到着する前にしているはずだ。わざわざこんな場所に呼びつけたということは、暴力に訴えるつもりはないという意思の表れなんじゃないか」
「ノエとオデットの顔を覚えておいて、私たちが何かしたときにすぐ動けるようにするため、とも考えられる」
オランローの考えに、サルヒは心配の念を強く込めて発言する。
「俺はサルヒの意見と同じだ。今回の異端者の摘発が、偶然じゃなくて内部の者に手引きさせて意図して生み出したものだってことを、俺たちは知っている。とはいえ、俺たちは旅人だからな。それらを吹聴したところで、利益がない」
「だったら、今ここでお礼という名の金品で恩を売りつつ、余計なことをするなよと遠回しに釘を刺しておくといったところかい?」
「ノエはあの通り、素直な性格だからな。御し易い若者だと思ったんだろう。それに、ピヌヌはノエがラペイレット家を後ろ盾にしていると知っている。そこまで伝わってたら、出会って早々に口封じというわけにもいかないだろうしな」
ラペイレット家が遠方の領地であるならばいざ知らず、ルグロ家が傘下におさめてもらっているニヴェール家の隣領ともなれば、目立った諍いは避けたいに違いない。そのような政治的な駆け引きの綱渡りを加味して、ルーシャンは「安全だろう」と判断したのだった。
(それに、異端者を摘発すること自体は、別に非難されることでも何でもない。ついでに、現体制に反感を持っている町の人間を炙り出して、異端者と協力するように仕向けた上で一網打尽にしている……ってのが弱みといえば弱みか)
ルグロ家の此度の作戦は、表面上は何ら問題のないものだ。しかし、功績を上げたいという裏の目的があったことや、娘すら餌にする作戦だったという非道さは、あまり騎士道に即したものとは言い難い。
だからこそ、裏事情を知るノエたちを権力と実利の二つの意味で口封じする必要があったのだろう。呼びつけられた側としては、只管に心臓に悪いだけで、たまったものではない。
「ところで、遅れてくる人って誰だろうね。当主様のお知り合いかな。もしかして、奥さん?」
「主人が不在のとき、家を守るのは女主人の務め。多分違うと思う」
かつて、貴族の生活を近くで見てきたサルヒは、ヤルマルの意見に首を横に振った。
「アガテルじゃないのか」
「ノエが部屋に入る前にちらと見えたけれど、アガテルはすでに部屋の中にいた。だから、彼女でもない」
町長と同じように政治に関わる者であり、遅参が許される地位の者。いったいどんな人物であろうと、ルーシャン以外の三人が顔を見合わせたときだった。
ぎい、と扉の開く音。同時に、一同の雑談がぴたりと止む。
外には、ピヌヌや彼女の部下が見張として控えていたはずだ。中の護衛は騎兵たちが受け持ち、神殿騎士団には寒空の下の守備を押しつけれたのである。
ならば、この開閉音はピヌヌが部屋に入ってきた音か。当主が許可を出したわけでもないのに、生真面目な彼女が持ち場を離れるとは考えにくいが――。
複数の足音。空気のざわめく気配。騎士の甲冑音に紛れる、革靴の音。
どうやら遅参した何某という人物が来たらしいとヤルマルらが思うより早く、一足早く動く影があった。
「……旦那様?」
一足早く動いた彼――ルーシャンが、迷わずに玄関口から続く扉に手をかけ、引く。
露わになった扉の向こうには、見覚えのあるピヌヌとイレーナの二人。そして、控える彼らの中心にいる人物に向けて、扉を開いた男は――
「ルーシャン……?」
「あんた、一体何を……!?」
現れた人物に、ルーシャンは膝を折ってみせた。胸に手を当て、まるで忠誠を尽くす絵物語の騎士のように。
普段から、飄々としてふざけた振る舞いすら見せる男の礼節を尽くした――尽くしすぎた振る舞いに、ヤルマルたちはただ唖然とするしかなかった。
だが、その場にいる中で、サルヒだけが全く異なる理由で、ルーシャンの振る舞いに瞳を溢れ落とさんばかりに目を丸くする。
「……うそ」
驚く三人を尻目に、跪かれた人物――壮年を通り越し、老年に差し掛かったエレゼン族の男が、口を開く。
「面を上げい。貴様にそのように畏まられては、気色が悪くてかなわんわ」
「無事のご到着、幸甚に存じます――って、一応口上も考えておいたんだがな。そちらがお望みなら、普段通りにさせてもらうさ。俺だって、堅苦しいの苦手だ」
先ほどまで纏っていた厳粛な空気を一息で吹き散らし、ルーシャンは顔を上げる。しかし、彼の姿勢はいまだに跪いたまま変わっていない。
「それで、あの鼻っ柱ばかりでかく育った青二才はどこにおるんだ」
「それなら、案内しますよ。ちょうど、あんたがお望みの人物もそこにいるんでね」
「ならば、手間が省けて助かる。鼻持ちならない青二才の横っつらを張り飛ばす理由は、どれだけあってもよいものだからな」
嗄れていながらも、カカと笑う声にはただの老爺には出せない凄みがあった。
傍らの側仕えにあずけた外套の下に身につけた衣服からも、彼が遅参した高貴な身分の誰かだということは分かる。
だが、ヤルマルたちに理解できたのはそこまでだ。
なぜ、老爺にルーシャンが跪いていたのか。なぜ、ルーシャンが彼と親しげに話しているのか。説明もされないままでは、分かりようもなかった。
ピヌヌとイレーナと共に、彼らはノエたちのいる部屋に続く扉に向かう。会談の場を中座する遠慮など一切ない姿に、違和感を覚えながらも、ヤルマルたちもその後に続いた。
だが、その場から動かない者もいた。
サルヒは、その場に釘付けにされたように動かずに、老爺を案内するルーシャンの背中を穴が空くほどに見つめていた。
「……旦那様。あなたが連絡をしていた相手は、もしかして」
それならば、辻褄が合う。ルーシャンが示した示唆の答えにはなる。
確かに、サルヒはあの老爺を知っている。顔はちらと見たことがあるだけであったが、ルーシャンにとってどういう意味を持っているかを、彼女はよく知っている。知りすぎるほどに。
ならばこそ、ありえない。
ルーシャンが、あの男に膝を折るなどということは、あってはならない。
「だって、あの方は……あなたが、一番憎んでいる相手ではないのですか……!?」
***
新たな訪問者が訪れる少し前、ノエとオデットは針の筵の中にいた。
彼らが今席についているのは、町長宅の奥にあった部屋だ。普段は客間と晩餐用の食卓を兼ねている、広々とした一室である。
シュガーグレイヴでもよく見かける、石と木組みを組み合わせた素朴な建築技法は内装にも反映されており、経年を経て得た木材独特の温もりのある質感を、毛織り物でできたタペストリーが鮮やかに彩っている。壁にかけてある絵画は、ありし日の街並みを描いた油彩画だろうか。
しかし、美しい絵画も素朴な内装も、二人の気持ちを晴らすことはできなかった。
「この度は、当主様の見事な差配のおかげで、異端者たちを一網打尽にできたこと、シュガーグレイヴの町長として大変感謝しております」
「異端者を駆逐するのは、イシュガルドに生きる民として当然の義務。そのために我々は領主として日々目を光らせ、皆の財を得る立場にあるのだからな」
上座に座っているのは、ルグロ家の当主であると紹介された男だ。歳の頃は、ノエの父よりはいくらかは下かと思うが、長らく人の上に立つものとして君臨してきた者独特のいかめしさが漂っている。後ろに撫で付けた白いものが混じった褐色の髪は、毛筋ひとつたりとも乱れがない。
対して、町長の方はというと、当主のような尊大さはなく、それどころかまるで投手の部下のように、頭を下げて彼の話に追従するばかりだった。
表向きは、当主への報告と来訪の歓迎のために設けられた席だが、町の代表が当主への感謝を捧げる場となっているのが実情である。その証拠に、町長は自ら口を開くことが今まで一度もなかった。
「実は、その件についてなのですが……」
これでは、領主に媚びへつらう場となるだけではないかとノエが危惧していたのを見計らったように、町長が恐る恐る口を開く。
「此度の一件は、町の若者が領主様のお考えに賛同できずに起こしたことでもあったようでして。いえ、もちろん、あのように異端者と手を組むものなど、我々とて同じ町の民として扱ってほしいなどとは思っていないのですが」
領主に視線をやられて、町長が慌てて言葉を継ぎ足す。
「ですが、ここ数年、寒冷化に伴い不作が続いているのは事実でございまして」
何卒、税の見直しをと続けたいのだろう。町長は若者が表立って騒動を起こすことには否定的であったが、決して現状のままが望ましいとも思っていなかったようだ。
しかし、領主は渋面を作ってみせると、ゆるゆると首を横に振る。
「私とて、心苦しいとは思っている。しかし、知っての通り、邪竜ニーズヘッグの覚醒に伴い、我々も竜との戦いに向けて防備を固めねばならない」
「たしかに、それはおっしゃる通りでございますが……」
「アガテルには皆にそのように伝えよと話しておいたのだが、町長殿がそのような憂いを抱くということは、この子に私の名代を任せるのには荷が勝ちすぎていたようだな」
自分が話題に出されたというのに、父に続く上座に座っているアガテルは石を飲んだように動かない。民衆の不満の矢面に立たされ、異端者を釣り上げる餌にもされ、まさに生贄同然の扱いを受けたことについて、彼女は沈黙を選んだようだ。
父に対する不満を全て押し殺したアガテルは、ノエたちに食ってかかったときの勢いはどこへやら、等身大の人形のごとく感情の一切を消している。
「ああ、そうだ。異端者に攫われるところだった我が娘を守ってくれた者を、この場に呼んでいたのだったな。旅人よ。そのほうの働きのおかげで、アガテルは異端者の手に落ちずに済んだと聞いている」
近くに寄れと手で示され、ノエはオデットを視線で押し留め、自分だけ立ち上がった。
アガテルを異端者の手に落とすような作戦を立てたのは自分であるというのに、ルグロ家の当主はその話などまるでなかったかのように振る舞っていた。
かといって、面と向かってそのことを指摘するわけにもいかない。結局、ノエもアガテル同様、無表情と沈黙を守るしかなかった。
領主の前で膝を折ったのも、恭順の姿勢ではなく、あくまで立ったまま相手と話すのは無礼だと思ったからにすぎない。しかし、それを何と勘違いしたのか。領主はもっともらしく頷いてみせると、ノエに顔を寄せ、
「我が侍従から話を聞いている。例の件について、口外しないと今ここで約束せよ。さすれば、此度の依頼の報酬に更に上乗せした金をやろう」
声を潜めて告げられた内容に、ノエはオデットとアガテルが入れ替わったことや、半ば自作自演じみた作戦のことだろうと推測を立てる。
「アガテルさんのことや、異端者を摘発する作戦のことを言っているのですか」
小声で確認のために返すと、なぜか領主は皺の薄く寄った瞳をゆっくりと瞬かせた。まるで、ノエが予想外の言葉を発して驚いたかのようだ。
「旅人が貴族相手に駆け引きを持ち出すなど、片腹痛い。貴様とて分かっているだろう。お前の仲間が侍従と取引を持ちかけたときに出した、あの件だ」
「あなたが何を言っているかは分かりかねますが」
ノエはそこまで言ってから、膝を折るのをやめて立ち上がる。続けて、今までと明らかに声量を変えて、
「僕は、この町で起きたことを不用意に触れ回るつもりはありません。僕たちは、僕たちの為すべきことをしたまでです。この上、報酬を受け取るつもりはございません」
「その意味が分かっているのだろうか、旅人殿よ」
ノエが報酬を受け取らないと主張した理由は、いけすかないルグロ家の当主から恩を売られたくないという私的な感情だけが理由ではなかった。
無論、ゲルダやヒューイを失った戦いについて、金銭という報酬を与えられたくないという気持ちも大きかったのだが。
(もし、ここで報酬を受け取れば、僕たちに恩を売ったと思われるかもしれない。あまり考えたくない話だけれど……その恩が巡り巡って、隣の領土を治めてる父さんの首を絞めることに使われるのは避けたい)
かといって頑なに拒否をしていては、角が立つのも事実だ。
「それでは、こうしてはいただけませんか。僕らの仲間の古い知り合いが、この町で慈善事業を行っています。僕らのために支払う報酬があるのなら、彼のような人のために使用していただく方が、僕らとしても手間が省けます」
どちらにせよ、報酬をもらってから町の関係者に渡すぐらいなら、領主から直に渡した方が手間も省けるだろうとノエは言う。
結果的に、町のために使われるとしても、ノエの求める形で使用されるのだから、報酬はノエに支払われたも同然という体裁が用意したというわけだ。
果たして、領主は暫し迷うような姿勢を見せてから、
「では、そのように手配をしておこう。実際のところ、我々も心苦しく思っていないわけではないのだ。貴殿のように、他者を思いやれる心優しい若者がもっと増えればよいのだが」
当主は世知辛い世の中を憂う賢人の如く、ゆるゆると首を横に振る。
「ここに来る途中にシュガーグレイヴを囲う防護壁を見てみたが、十分に補修されている様子もない。おまけに、近隣の町では、シュガーグレイヴの騎士団は不当に滞在費用を徴収しているというではないか」
経費不足にあえぐピヌヌたちが、どうにかして騎士団の運営費用を捻出するために行っている検問を、領主は自分勝手な振る舞いだと嘆いてみせていた。
「此度の異端者の摘発でも、派遣されていたはずの神殿騎士団はまるで役に立たなかったと聞いている。全く、何のために教皇猊下からお借りしたのか分かったものでは――」
「少なくとも、貴様が運営費を横領をするために猊下が派遣したわけではないことだけは確かだろうよ。アンドロワ卿!」
ばんっ、と扉を勢いよく開く音。
同時に、雷鳴のごとき朗々とよく響く声が室内にこだまする。突然の予期せぬ人物の来訪に、護衛を担当していたルグロ家の騎兵が槍や剣を構えるも、
「武器をおろせ、俗物ども。貴様ら、一体誰に向けて槍を向けていると思っている!!」
「あ、あなたは……!!」
部屋に入ってきた人物は、如何にも貴族然とした装いの老年の紳士だった。そばには、侍従として紳士よりはいくらか年若の男性が一人。また、護衛としてピヌヌとイレーナが帯剣したまま付き従っている。
そして、扉を開いて真っ先に老人を室内へと招いたのは、どういうわけか、外にいるはずのルーシャンであった。扉の傍らに背を預け、まるでこれから面白いショウでも始まるかのように、おかしげに瞳を歪めている。
「ほう。随分と好き放題をやっておるようだから、私の顔を忘れたかと思っておったが。流石にそのスカスカの脳みそでも覚えておったか」
「もちろんですとも、オーバン・ド・ニヴェール殿! ベリトア卿のお父君であるあなたが、なぜこのような辺鄙な場所に……?」
「ふん。貴様の言いたいのは『すでに当主の座を息子に譲り渡して一線から引いた隠居の老いぼれが、何をしにノコノコやってきた』だろう」
アンドロワ卿ことルグロ家の当主は、抗弁のためか口をぱくぱくと開け閉めしていたが、どうやらほぼ正解を言い当てられてしまったようだ。
「ならば教えてやる。前々から、この町の神殿騎士団は予算不足の陳情をあげておった。貴様がそれを無視していると感じたこちらのピヌヌ隊長は、自身の属する神殿騎士団直属の上司にまで陳情を出していた。かの者は、ピヌヌ隊長の部隊には十分に運営費用を送っているはずだと、この私の家に手紙を出してきおったのだ」
恐らくは、ルグロ家に派兵されているという考え方自体が、騎士団の中には浸透していなかったのだろう。彼らは、ニヴェール領に派遣されたのなら、ニヴェール家がピヌヌの部隊を管理していると勘違いしてしまったのだ。
「だが、私もそのような辺境の町の騎士団について、細かく調べている余裕はない。そこに、折よく私の知り合いがシュガーグレイヴに滞在していると連絡があってな。だったら、ついでに神殿騎士団の様子を探ってみてくれと頼んでみたところ、騎士団内に保管されていた帳簿に不自然な金の動きを見つけてきおったのだ」
かつ、と老人のステッキが石畳を打つ。それはまるで、処刑の執行人が剣の石突を地面で穿つかのように室内に響き渡った。
「帳簿の金額を見て驚かされたぞ。なぜか、運営費の四割しか神殿騎士団には届いていなかったのだからな! ならば、教皇猊下がピヌヌ隊長とその部隊員のために用意してくださった予算は一体どこに消えたのか。私は実に不思議に思った!」
がんがん、とステッキが再び石畳を打つ。
「なぜなら! 騎士団の運営費用の仲介をするのは、防衛の委託をしているはずのルグロ家の者なのだからだ!! 自分たちから防衛のために力を貸してくれと頼んでおきながら、実働のための費用を掠め取るなど、下町の舞台の役者であろうともっと上手く演じるだろうよ!!」
がたがたと激しく甲冑の擦れ合う音と共に、全身を鎧で固めた兵士が室内に雪崩れ込む。それはどれも、神殿騎士団の団員であった。彼らもまた武器を構え、ルグロ家の騎兵と一触即発の空気を生み出している。
「あなたたち、一体誰に向かって武器を向けているとお思いですの!」
奇しくも乱入してきた老人――先代ニヴェール卿と思しき男と同じことを口にしたのは、父を守ろうとしたアガテルだった。
しかし、なけなしの勇気を振り絞った彼女の態度にすら、老人は嘲弄交じりの視線を向ける。
「随分と父親思いの娘だな。異端者を釣り出すための餌に、名代としてこのような辺境に送り出されたというのに、健気なものだ」
「……!」
「だが、盗人の娘もまた盗人であったそうだな。あろうことか、そこの旅人の娘を騙して異端者どもへの身代わりに差し出し、自分はぬくぬくと館に篭っていたとは。せっかく割り振られた悲劇のヒロインの役も、これでは形無しだろう」
アガテル自身、負い目を感じていたことを明らかにされて、彼女の白い顔が蒼白に染まっていく。
「おまけに、神殿騎士団には出兵するなど圧力をかけた上で、自分たちだけ異端者討伐の功績を得る、と。子供の遊びでも、もう少し譲り合いの精神というものがあるだろうに。それとも、貴様はそれすらも竜の咆哮に怯えるあまり忘れてしまったのか、アンドロワよ」
老人の発言は、アガテルとその父が誤魔化していた様々な工作を全て暴き出していた。
ルグロ家しか貴族の地位に属する登場人物がいなければ、多少工作がバレたところでどうとでも誤魔化せただろう。
しかし、今目の前にいるのは、ルグロ家に領地の統治を任せている、いわば元締めにあたる地位の貴族だ。こそこそとした裏工作どころか、騎士団の経費の横領まで暴かれては、お咎めなしといかないことは確実である。
ルグロ家の当主が、ニヴェールの元当主に何やら弁明の言葉を並べ立てているのを横目に、ノエはそっとオデットに近づいた。それとなく、彼女を背に庇う位置に陣取るのも忘れていない。
「兄さん、これは一体……」
「ルグロ家の人たちは、表沙汰にされたら困ることを色々していたようだ。……だけど、どうして今回の件を、こんなにも正確に早く知ることができたんだろう」
内通者でもいたのだろうかと何気なく視線を巡らせたノエは、扉の傍に背を預けているルーシャンが目に入った。薄く笑みを浮かべる男の姿に、まさかとノエが思いかけた瞬間、
「……貴様、約束を破ったのだな」
押し殺した声は、ルーシャンのそばにやってきたアガテルの執事から聞こえた声だった。
「貴様らが娘の救援に向かうことを許す代わり、騎士団の件は黙っていると言っていただろう」
「俺は『この先誰かに伝えるようなことはしない』と言ったんだ。俺があの爺さんに伝えたのは、あんたと約束する前の話なんでな」
口元を笑みの形に釣り上げるルーシャンと対照的に、執事は憤怒からわなわなと唇を震わせていた。
執事が抱くような怒りこそ持っていなかったものの、ノエもルグロ家の当主と同じく混乱の渦中に叩き込まれていた。彼らが悪事を働いていたのなら、それを暴きに領地経営を任せていた大元の本家が顔を出すのは不思議ではない。しかし、本当にただそれだけのために、一線を引いたはずの前当主が顔を出すだろうか。
しかも、ルーシャンはどうやらあの老人と、少なからず縁を持っているように見える。
(ルーシャンさんが養子に入った貴族の遺産が引き取られた先が、あのご老人の……つまりニヴェールの家になるわけだから、顔見知りであっても不自然ではないけれど……)
貴族同士のやり取りに巻き込まれまいと、ノエはオデットを隠すようにしながら、少しずつ騒動の只中から身を引いていた。
しかし、時にどれだけ嵐から遠ざかろうと、嵐の方から近づいてくるような不運が起こりうることもある。
「ぜ、前当主様は、私を糾弾するためにわざわざこの地にきたのですか……? 教皇猊下や騎士団本部がそのように……?」
自分の悪事がどこまで知られているか図るためか、ルグロ家の当主が冷や汗を顔に浮かべながら尋ねる。すると、老主人はふんと鼻を鳴らし、
「貴様など、本来はついでに過ぎんわ。私は、私の旧友の忘れ形見がここにいると聞いてやってきたのだ。だというのにだ!」
再び雷を落としたような大音声に、ルグロの当主がすくみ上がる。
「貴様の娘は、あろうことかその忘れ形見の娘を異端者に差し出す身代わりとしたのだ。このことがどのような意味を持つか、分からぬ貴様ではあるまい」
ルグロ家が隠していた後ろ暗い事情を裁く権利は、間違いなく目の前の老爺が所持している。そして、判決を下す彼の不興を買うのは、決して得策ではない。私情が罪の重さを測る天秤の針に影響を及ぼしてしまうのが、イシュガルドという国における司法の現状なのだから。
「でも、それでは……」
自分がとんでもないことをしていたらしいと気がついたアガテルは、震える声と共にノエの背後に隠れている少女に視線をやる。
同時に、老主人はまるでこの場の空気全てを支配しているかのように堂々とノエの前に――オデットの前にやってきた。
「随分と遅くなったが、ようやく会えたな。エヴラールの最後の生き残り――オフェリーよ」
聞き馴染みのない名前を、見覚えのない老貴族に口にされる。まったく現実味のない状況に、オデットはこれこそ全てが夢ではないかと、一歩後ずさった。
しかし、夢ではない証拠に、目を瞑っても世界は遠ざかってくれない。混乱と動揺のざわめきは、今もオデットの耳に響き続けている。
「迎えにきたぞ、オフェリー。さあ、我が屋敷に向かおうではないか」
そう言って差し出された手を見つめる代わりに、助けを求めるようにオデットは視線を彷徨わせる。
その視界の端、いまだに扉の横の壁に背を預けた男が――オデットのもう一人の兄であると知ったルーシャンが、唇だけを動かしてこう呟いているのが見えてしまった。
――あと、少し、と。
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