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2025-05-19 01:23:56
5079文字
Public movie100
 

017:わるい仲間

映画タイトル100題からお借りしました。
拳(→?)←コユでコユちゃんにちょっかいかけるY
前に同じタイトルで同じメンツの話を書きましたがこっちと迷ったやつです まあ同じタイトル書いちゃいけない法律はないので

 わたし、わかっていたんです。

 あの人はわたしよりもずっとずうっと歳上で、お父さんよりも歳上なことも、たくさんのことを知っているのに何にも知らないフリでへらへら笑っていることも、家族が何より大切だってことも、野球拳が三度の飯より好きでこればかりは一生やめられないってことも、そんな人なのに女の人にモテるってことも、みんなみんなわかっていたことなんです。
 シーニャさんは「アレは悪い男」と言っていました。自分が悪い男だという自覚があるから余計に良くない、と。「自分を悪い男だって自覚している男は、意図して自分をいい男に見せることも、都合の良い男を演じるのも簡単なのよ」とも、言っていました。
 あの人は善人ではありません。なんせ市井の皆様に野球拳を仕掛けて強制的に脱衣させ、自作のTシャツを着せて回っている人ですから。そんな人が善人なわけないので、確かにあの人は悪い男なんでしょう。

 それでもわたしの作ったご飯を食べて美味しいと言ってくれました。料理のアドバイスをくれたし、仕方ねえなと苦笑いしながら青い顔で試作品を平らげてくれました。そんな人は多分、世界中探してもあの人だけでしょう。

 だから、というわけでは決して、たぶん、おそらくありませんが……わたしは恋をしているんです。
 初恋というわけではないけれど、初恋よりも苦しい。彼のことを考えると胸がギュッとなって、ほっぺたがぽかぽかして、訳もなく足をジタジタしたくなる。こんな恋は初めてでした。
 わたしは嘘が得意ではありませんし、口が上手いわけでもなく、場慣れした大人の女性でもありません。すぐにわたしの気持ちは彼にバレてしまった。そう思います。
 それでも彼は態度を変えず、仕方ねえなと笑いながらわたしの作った極彩色のカレーや、緑色のオムライスを食べてくれます。そんな調子なものだから、もしかしたら、と期待してしまうのも無理はない。そうでしょ。

 わたしよりもずっとずうっと歳上で、お父さんよりも歳上なことも、たくさんのことを知っていて、知っているのに何にも知らないフリでへらへら笑っていることも、家族が何より大切だってことも、野球拳が三度の飯より好きでこればかりは一生やめられないってことも、そんな人なのに女の人にモテるってことも。
 みんなみんな、みーんなわかっていたとしても、もしかしたらと期待してしまうのは仕方ない事じゃないですか。

 ……彼がわたしと同じくらいの歳の、金髪の女の人と楽しそうにホテルに吸い込まれていくところを見てしまったとしても。

 門をくぐる瞬間わたしとパチンと目があったのに、すぐ女の人に視線を戻して何一つ後ろめたさのない様子で笑っていたとしても。

 もしかしたらと期待してしまうのは。

 あぁ、すみません、なんだかとっても散らかった話をしていますよね。わたし、やっぱりショックなんだと思います。
 だって、あのひと、あのホテル。女の人と『そういうこと』をするために入るホテルですよね、わたし、別に知らないわけじゃないんです。ただその、好きな人が、知らない女の人と、『そういうこと』をするのかと思うと。
 それにわたし、あの人が女の人と『そういうこと』をするって実感して。

 ほんとうに、本当に下品なことも考えました。

 わたしは、あの人にとって何者でもないんです。恋人で身内でもない。単に時々会う退治人見習いです。そんなわたしが、あの人が女性に会うのを止めたりする権利なんてないし、口出しするような事でもない。ちゃんとわかっているんです。
 わたし、ひどい女です。自分がこんなにひどく下品で、悲しくて、あさましい生き物だなんて思っていませんでした。
 あの人に恋して、おかしくなってしまったんです。もう嫌だと思うのに、恋するのをやめたいとは思わないんです。みんなに止められるけど、やめたくない。

 わたし、あの人が好きです。なんで好きか、理由なんてどうだっていいんです。誰になんて言われようとも、あのひとがすき。こんなのどうしようもない。どうしたらいいのかわからない。わたし、わたしは。






「素晴らしい」

 わたしの目の前に座ったY談おじさんは鷹揚に頷いた。パチパチと拍手して、目をきらきら光らせて。ケーキを目の前にした子供みたい。アメイジング、ブラボーなんて笑っていてなんだかとっても腹立たしかった。
 衝動的に入ったカフェのテラスで偶然相席になった彼は何もかもを見透かすように「悩み事があるならこの老耄に話してごらんよ」と言い、あれよあれよという間に全てを引き出してしまった。絵に描いたみたいな満月の下、ただでさえ絶対に二人で会っちゃいけないタイプの吸血鬼といるというのに、どうにも腰が重たくて席を立つ気にはなれなかった。
 これは催眠なんだろうか。わからない。かけられた自覚はないけど。この人、猥談を喋らせる以外の催眠できたのかな。
「心外だなあ、何もしてやいないさ」
 何も言っていないのに見透かされた。なんだかイヤな感じ。眉を顰めると、あからさますぎて似合わない、真っ白なハンカチを差し出された。そうして初めて、ほっぺたが濡れていることに気がつく。話しながら泣いてしまったらしい。小さくお礼を言って受け取り目元を拭い、肌触りの良さに驚いた。恐る恐る生地を見るとファンデーションがうつってしまっている。買い直さなくてはと思うけれど、いくらするんだろう。
「君は本当に素晴らしく、芯から人間だ」
〝生まれた時から……人間ですよぅ……
「失礼失礼、いやあ久々に浴びるみずみずしい感情の波におじさんは胸がいっぱいでねぇ」
 優雅に組んだ指に顎を乗せ、ぺしょぺしょ泣くわたしを見る彼は心の底から楽しそうだ。
〝ばかにしてるんでしょう〟
「まさか! うら若き乙女の純な恋心を笑うような下衆になった覚えはないさ」
 今笑ってるじゃないですかぶっとばしますよ。
 と、言えたらどんなに楽だろう。正直なところぶっとばしますよ、までを現実にすることは簡単にできるのだけれど、今の彼は無辜な一般市民吸血鬼に他ならない。いつもの無差別催眠をかけるそぶりを少しでも見せてくれたら、治安維持の名目でぼこぼこにしたって文句は言われないのに。
 開き直って、手にしたハンカチに顔埋めてスンと鼻をならす。嗅いだことのない深い香りがした。森林のような爽やかで落ち着く香り。香水が振られているのだろうか。
 いつもやっているのが強制猥談催眠というとんでもない害悪さなので意識したことはなかったが、コーヒーカップを傾ける彼の所作は細かなところまで洗練されていた。黄色にブラウンのチェック柄なんていうド派手な三揃いすら上品に見えてくるのが不思議。

「お嬢さん、私とオツキアイしてみないかね」
〝へ〟

 突拍子もない提案に顔を上げた。急に爆弾を落とした男は何食わぬ顔でウェイターを呼び止め、エスプレッソとミルクココアを頼んでいる。ウェイターが静々と消えてからやっと、涙と鼻水と混乱でめちゃくちゃになっているわたしを見て微笑んだ。
「吸血鬼というのは己の獲物に酷く執着する」
……しってます〟
 吸血鬼は己の獲物に執着する。
 それは退治人なら誰もが知っている特性だ。高等下等にかかわらず、どんな吸血鬼でも共通して持っている本能のようなもの。それを利用して退治を行うこともある。
 そんなことも知らないと思われているのだろうか、一応わたしも見習いとはいえ退治人なんだけどな、とムッとしたが、Y談おじさんはニコニコしながら言葉を続けた。
「ケンくんは『獲物』への執着から君のところに通うのさ。あくまでも己の愉悦──『野球拳の強敵』としてね。ケンくんは君を『女性』として見ていない」
〝う〟
 そうかも。
 わたしの想い人である野球拳大好きことケンさんは、その名の通り野球拳が大好きだ。あんなにじゃんけんが弱いのに。
 普通こんなに負けることねぇんだよ、とギリギリ牙を鳴らしてリベンジに来てくれるが、じゃんけんして裸になって地面で項垂れて、何事もなかったかのように服を着て世間話。肌を晒しているのにまるで色気がないやりとりだ。
 そうか、あの人はわたしを「女性」として見てくれていないのか。少し納得する。普通恋愛対象の女の人の前でぽんぽん裸になる訳ない。ならないよね?……なるかも、あの人なら。それはちょっと、やだな。今更だけど。
「だから一度、見方を変えてやればいい」
〝みかた〟
「他の男のものになったところを見せてやったら意識が変わるかもしれないよ」
〝そうでしょうか……
「君の知り合いに頼んでも良いけれど、君の周りの男は皆善良だ。そういう嘘はつけないだろう? ケンくん、ああ見えて鋭いからすぐバレちゃう」
 わたしの逡巡を知ってか知らずか、Y談おじさんはとても楽しそうにカップを傾けた。
 いつのまにか追加で頼んだ飲み物が届いていたらしい。チョコソースとマシュマロが浮いたミルクココアの入ったカップがわたしの前にも置かれていた。
「その点私なら、確実にケンくんを欺ける」
〝催眠をかけるということですか〟
「いや? 催眠なんて必要ない」
 その程度なら素の自分で充分だと笑うY談おじさんの目を見つめる。
 金色のまつ毛に縁取られた目は赤くて、瞳孔が切れ長。同じ吸血鬼なのにケンさんとは全然違う瞳だ。吸い込まれてしまいそうな赤色は何だか落ち着かない。
「年寄りの与太だと聞き流してくれても結構だがね。どうする?」
 にんまり、Y談おじさんが笑う。頷きそうになるのをなんとか堪え、なるべく恐く見えるように眉を吊り上げた。何か企んでいるのかもしれない。そう簡単に思い通りになんてなるものか。
〝あなたになんの得があるんですか〟
「ん?」
〝なんの旨みもなしにそんなことすると思えません。わたしに何の見返りを求めてそんな提案をするんですか〟
 そう、どんなに普通の老人に見えても、この男は吸血鬼なのだ。しかもドラルクさんによると一千年単位で生きている疑惑もある老獪極まる人物である。この人だって歴とした「悪い男」なのだ。
 わたしの視線を受け止めたY談おじさんは、わざとらしく顎に手を当てて見せる。数秒の沈黙の後、電球をつけたようにパッと表情を明るくした彼は、朗らかに言った。
「友人を揶揄える?」
〝そ、それだけ?〟
「あ、もしかして君を通じてギルドの情報を引き出そうとしてるとか、VRCの機密を抜き取ろうとか、吸血鬼対策課に取り入ろうとか、悪いことを考えていると思ったかな」
 図星である。だってそうだ。前にケンさんから聞いた彼は『誰よりも吸血鬼らしい吸血鬼』。吸血鬼にとって得のあること以外はしないのではないか。
「勘違いしてるけど、私は『私の』楽しいと思ったことしかしないんだよ。人間と対立なんて時代じゃないし、めんどくさいもの。私人間好きだし」
 まるでわたしの頭の中と喋っているみたい。それともわたしがそんなにわかりやすいんだろうか。人間が好き、というフレーズは引っかかるけれど、少なくとも彼の言葉に嘘はないように見える。
「あくまでもロールプレイだよ。お遊び。勿論ロールプレイ中は君の恋人としてベストを尽くそう。何も心配しなくていい。一人のレディとして尊重する。何事も本気を出さねばつまらないからね」
 わたしの考えていること、全てが見透かされているような気持ち悪さは消えない。実際、全てわかっているのだろう。

「お嬢さん」
 差し出された骨ばった手がひらひらとわたしを誘う。
「私が君の力になるよ」
 禁断の園で林檎を勧める蛇は、きっとこんな動きで彼女を誘ったんだろう。だって、この口から滑り出る言葉全てが嘘だとわかっているのに嘘に聞こえない。それに、こんなにも魅惑的。
「君の喜びは私の喜びだ。さあさあ」

 あの若造を一緒に揶揄ってやろうじゃないか。

 笑う紳士が揺らす手に、手を伸ばす。猫じゃらしをちらつかされた猫みたいに目が離せない。
 そろりそろり、近づくにつれて彼の口角が釣り上がる。指先が触れ合うまであと一寸の所で、テーブルに大きな影がかかった。
 何だろう。雲ひとつない綺麗な満月の夜だったのに。ぼんやり顔を上げる。

 ピンク色した巨大なシルエットが、Y談おじさんの背後で思いっきり腕を振り上げているのが見えた。