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千代里
2025-05-16 12:55:46
9285文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その71
「
……
お兄ちゃんは、大丈夫でしょうか」
宿の談話室に置かれた机の上。そこに置かれたカップからは、薄く湯気が立ち上っていた。
ノエが淹れてくれたお茶は、ミラベルのものより少し濃い。けれども、立ち上る湯気だけは写しとったかのように同じに思えて、孤児院でのやり取りをオデットに思い出させてしまう。
アンディを筆頭とした、子供たちが身につけていた品々。本人たちの失踪と中途半端に残った衣服を照らし合わせれば、彼らがもうこの世にいないだろうことは想像に難くない。
おそらくは、遺品と思しきそれらを目にした瞬間、ミラベルの瞳から温もりが消えた。オデットに対して冷たく当たっていた時ですら、微かに残っていた彼という人の心に宿る温かみは、あの瞬間は一切合財残っていなかったのだ。
「子供たちのことを守るために、彼なら堅実な対応をしてくれるはずだよ。だから
……
きっと大丈夫だ」
オデットを慰めながらも、ノエも苦い気持ちを噛み締めていた。
ノエは、一度アンディに会ったことがある。初めてミラベルと会ったとき
――
町の一角にあった香辛料を扱う店の中で、子供向けのお菓子を前にしてはしゃいでいた少年がアンディと呼ばれていた。
ちらと見かけただけで、面立ちも声もはっきりとは覚えていない。けれども、小さな子供を転ばせそうになって慌てふためいていたあの少年が、きっともうこの世のどこにもいないと思うと、ひどく胸が痛む。
「子供たちの件も大事なことではあるけれど、オデットの方こそ無理はしていないか」
「わたしは
……
」
ノエがオデットを寝室に送り届けず、談話室で一息つかせているのは、帰ってきた直後のオデットがあまりに青ざめていたからだ。建物の中に入った彼女は、その場から一歩も動けず、数分間ノエに体を預けてじっと俯いていた。それほどまでにこの数時間の出来事は衝撃の連続だったのだ。
ヤルマルには先に帰っておいてほしいことだけを伝えておいたが、オデットが何を見たかはすでに皆の知るところになっている。仲間たちが根掘り葉掘り聞くような人物ではないと分かっていても、事情を最もよく知り、そばにいた自分がすぐに離れるのはよくないとノエは判断したのだった。
「正直、わたし、まだ混乱していると思います。今日あったことが、全部、全部、悪い夢みたいで」
ゲルダのときと同じだ。人間という生き物は、あまりに衝撃的な出来事が続くと、己自身をその出来事から切り離す傾向にあるらしい。
一息ついて振り返ってみても、自分が実際にその場面にいたのだと心が受け入れられず、オデットの心は奇妙な虚脱感に囚われていた。
「やっと、ゲルダのことを、わたしの中で受け入れられたと思ったのに。ゲルダがいなくなってしまったこと、わたしの中の奥深いところで受け止められた気がしたのに」
ノエが一つ頷いたのを確かめてから、オデットは続ける。
「五年前のこととか、あの人に殺されそうになったこととか。すごく怖いことだったはずなのに、よくわからないって気持ちのほうが大きいんです」
「わからないなら、その気持ちに無理に名前をつける必要はないと思う。僕も、自分の感情がぐちゃぐちゃになったときに、無理やり整理をつけようとしたら、オデットに怒られてしまっただろう?」
場を柔らかくするため、ノエは敢えて笑顔を浮かべてみせた。
「でも、怖いって気持ちが少しでもあるのなら、それは無理に抑える必要はない。そのとき、僕が君の助けになれるのなら、いくらでも助けてって言ってほしい」
我慢はしないでくれと、ノエは重ねるように言う。ゲルダとの辛い別れがあった直後なのだ。これ以上、オデットが堪える必要などどこにもない。
「兄さんは
……
迎えに、きてくれましたものね」
ノエの言葉を皮切りに、オデットも思い出す。
教会の地下に広がっていた避難場所は、魔法で作った灯り以外、何一つ先の見えない暗闇に包まれていた。
不安に押しつぶされそうになりながら洞穴を抜けた先でオデットを待ち構えていたのは、暖かな町の灯りではなく、薄暗く灰色に沈んだ雪原だった。
その瞬間、オデットは途方に暮れてしまった。
この後、どうしたら自分が安全な場所にたどり着けるか、全くわからない。その上、もしかしたらあの司祭が後ろから追いかけてきているかもしれない。不安に心を潰されそうになった瞬間、オデットはリンクパールに手を伸ばし、呼びかけていた。
兄さん、助けて、と。
「オデットに助けを求められたなら、僕はそれに応じられる人でありたい。そばにいてほしいって望むのは、僕にとってはそういうことだから」
何ら気負うことなく告げられた言葉に、オデットは薄く頬を染める。そうして他愛のない話をしていると、少しずつあの瞬間の恐怖や混乱が薄くなっていく気がした。
「オデット、首に手を近づけてもいいだろうか」
「えっ」
「気づいていないのだろうけれど
……
その、痕が残ってしまっているんだ。放っておいても薄れるだろうけれど、ヤルマルさんたちが驚いてしまうだろうし、僕もできれば長く見ていたくはないんだ。だから、僕に治させてほしい」
ハンフリーに首を絞められたときの指の跡が残っているのだと気がついたオデットは、首を縦に振り、治癒の許可を出す。
ノエには平気と言ったものの、いくらか不安もあったので、自然と目は瞑ってしまった。
「まさか、こんなことをするなんて。
……
オデットが誘拐されたとき、やけにオデットがいないことを気にしていたのも、こういうことだったのか」
ノエの言葉には、ハンフリーの兇行を予想できなかった後悔が滲んでいた。彼の指先がオデットの細い喉に触れ、暖かな感触が皮膚の内側に染み込んでいく。これは、治癒魔法が効いている証拠だ。
「ハンフリーさんが、わたしを探していたんですか?」
目を開くと、ノエの指先がオデットの喉から離れていくところだった。
いくらかのくすぐったさを感じながら、オデットは自分の首筋をさする。跡についてはオデットにはわからないが、肌に残っているように感じていたハンフリー司祭の指の感覚は、ノエに触れられた感触で払拭されていた。
「オデットはいないのか、どこにいったのかって尋ねていたんだ。それに、孤児院の周りも彷徨いていたらしい」
「それも、自分を殺そうとする人がいるかもしれないと、警戒していたからなのでしょうか」
「残念ながら、それは僕にはわからない。ただ、初めて会った時、彼が怯えていたようにも見えなかった。だから、意識するようになったのは
……
」
「わたしの姿を見たから、なのでしょうね」
オデットは、ハンフリーの顔を特に覚えてはいなかった。事業の管理をしていた司祭はたくさんいた上に、出入りも激しかったからだ。
だが、ハンフリーにとっては、自分の同僚を殺した娘として強い印象を覚えていたのだろう。だから、あのように憎悪の視線を向けてきた。孤児院にきたのはミラベル司祭の様子を見にくるためだったのかもしれないが、オデットを目にした瞬間、ハンフリーはオデットと同胞の訃報を結びつけてしまったのだ。
彼の恐慌に取り憑かれた様子を思い出しながらも、しかしオデットは司祭に同情しようとは思えなかった。
「わたしは
……
五年前の一件に関わっていた司祭の人が殺されていると聞いて、どこか安心してしまっていました」
「オデット」
「分かっています。人の死を喜ぶのはよくないことです。でも、わたしは」
「オデットが受けた仕打ちは、部外者である僕ですら到底許し難いと感じることだ。だから、君が自分を害した者がいなくなったことに安堵しても、それは決して責められることではない。少なくとも僕はそう思うよ」
だから、無理に自分を責める必要はないとノエはいう。
彼は、自分とオデットが鏡のようによく似た思考をしているとすでに知っている。
たとえ死亡した相手が自分にとっての加害者であっても、彼らの死を喜んで素直に受け入れられることなどできない。むしろ激しい葛藤を覚えてしまうことを、ノエは我がことのように理解していた。
「
……
もし、わたしが、その『誰か』と同じ力を持っていたなら、五年前にわたしを傷付けた人たちを、過去のわたしが感じたことを理由に殺せてしまうでしょうか」
オデットの質問に、ノエは肯定も否定もできなかった。
オデットは、実際に司祭の正体を知って殺してやろうとまでは考えていない。少なくとも、現時点ではそうだ。しかし、未来永劫そうであるなどとは、誰も断言できないことだ。
即ち、この質問は誰であろうと答えられない問いかけだった。
「僕も、父さんと会った時はいっそ殺してやろうか
……
なんて、自分に対して嘯いてみせたことはあった。たとえ僕がそうしたとしても、自分をそれなりに納得させる理屈もあると思っていた」
不意に、ノエが沈黙を割って話し出す。
「でも、僕はあの人の体を傷つけるような真似はしなかった。代わりではないけれど、僕は、竜になった異端者を
……
それに、グレンさんを手にかけた」
息を呑んだのは、オデットの方だった。ノエは小さな灯りの下、自分の前に置かれたカップのゆらめきをじっと見つめている。
「それでも、僕はまだ、誰かの命を奪うということを、当たり前のこととして受け入れられていない。薄情な話かもしれないけれどね」
自嘲混じりの笑い声が、微かに響く。
「できる限り、僕はそうでありたいと思っている。殺してやりたいと思うほど誰かを憎む日が来たとしても、実際に命を奪うとなると躊躇える自分でいたい。それは、きっと僕たちが思っている以上に難しいことだから」
どちらが正解というわけではない。
必要に迫られた時、別の誰かに手を汚す役を押し付けるだけならば、それは結局のところ意気地なしの屁理屈でしかないのだから。
「オデットは、どう思う?」
ごく自然に、茶の味について尋ねるかの如く、ノエが質問を投げかける。問いかけるだけでなく、そこから一歩先に考えることこそが、オデットにとっては必要だというのがノエの意見だった。
「わたしは
……
まだ、誰かの命を終わりにすることは
……
恐ろしいと感じます」
「だったら、今はそのことだけを覚えていればいい。僕はそう思うよ」
ノエはそこで話を締めくくり、オデットと視線が合うとその瞳にゆるく弧を描いてみせた。
オデットの不安から生まれた仮定の問いかけは、答えこそないものの、ノエのおかげで一つの終着点を得ることができた。
オデットはカップの中身を一息で煽ると、
「ありがとうございます、兄さん。
……
まだ大丈夫ではないかもしれませんけれど、今日は休めそうです」
「うん。それなら、二階に送っていくよ。夜は食べていないけれど、明日の朝の方がいいかな」
「はい。兄さんこそ、お腹は空いていませんか」
「今はいいかな。オデットこそ、お腹の音で目を覚さないといいけれど」
「兄さんっ」
不服げなオデットの声に、ノエは小さく声を上げて笑ってみせた。
***
二階に上がり、オデットを女性陣の部屋に送り届けた、その後。
ノエは、夕方から夜にかけて起きた出来事の数々に眩暈を覚えながら、自分の部屋の扉をゆっくりと開いた。
皆寝ているのかと思いきや、小さな灯りをつけたベッドの片端で、ルーシャンが何やら細工のようなものをしているのがまず目に入った。胡座の上に置かれたクリスタルは、戦闘時に側に滞空させているものだ。
「待たせてしまいましたか」
「いや、どのみちこいつの調整をするつもりだったからな。ついでみたいなもんだ」
だから、ノエが気をつかう必要はない。言外にそう言って、目顔で彼はノエにもう休むよう示す。
促されるままにノエは外套を脱ぎ、寝衣に着替えながら、ずっと頭の端に引っかかっていたあることを考え続けていた。着替えを終えて、彼はそれをようやく言葉とする。
「ルーシャンさんは、イシュガルドで罪を犯した時、どう裁かれるか知っていますか」
唐突にも思えた問いかけではあるが、ルーシャンは半ばその質問を予想してもいた。
ヤルマルからことのあらましを聞いた時、あのお人好しの義兄妹が何を考えるかなど、何ヶ月も共にいた者としては手に取るようにわかる。
「異端者でない場合は、一般的にはその土地の管理者が裁決を出すことが多いな。罰金やら、何ヶ月かの強制労働やら。禁固刑になることは、あまりないんじゃないか」
牢に閉じ込めておくという罰もあるにはあるが、囚人の扱いは決して人道的とは言えなくなる。
どうして、罪を犯した者のために丁寧な扱いをせねばならないのか、と考えるものが少なからずいるからだ。寒冷な牢に放置されたまま死に至る囚人は少なくない。
「では、人を殺した場合は」
「殺人については、領主の手に余るってことで神殿騎士団や教会が間に入る場合が多い。あちらさんの方が、法の専門家を多く有している。正しい形で裁いてくれるだろうって民衆も納得しやすいし、領主が殺人者の罪を不当な形で裁いてないかと変に疑われずに済むからな。殺人ともなると、間違えましたで済ませられない判決となることもあるだろう」
ノエのもの言いたげな気配は、ルーシャンにも伝わったのだろう。やれやれと言わんばかりに息を吐き、続ける。
「次の質問は『司祭が人を殺した場合は』か?」
「
……
はい」
「お前は、ハンフリーが子供たちを攫って殺していったと疑っているのか」
ノエの沈黙が、そのまま回答であった。
彼にしてはやや短絡的な考え方だと思える。ノエは、ハンフリーとは決して険悪な関係ではなかった。だが、ハンフリーがオデットに危害を加えたことが、彼にとって強い衝撃となったようだ。なまじっか親しくしていた分、親しみが反転して、司祭を強く疑う理由となったのだろう。
ルーシャンは手元にあったクリスタルをふわりと宙に浮かせ、その動きに視線をやりながら、事もなげに言う。
「なら、答えはこうだ。司祭が罪を犯した場合、裁きを行うのは間違いなく教会となる。自分の身内の罪を、他の連中が勝手に裁くことなど許すわけがない」
「教会は、正しく罪を裁いてくれるのでしょうか」
「さあ、どうだろうな。何をもって正しいとするかは、教会次第だ。お前だって、そんなことを言いながら半信半疑なんだろ」
「
――――
」
「もっとも、お前が教会にされたことを思えば、それも当然か」
指摘されて、ノエは自分がなぜ、身の内に消えないしこりのようなものを抱えている感覚に見舞われているのかを自覚した。
かつて、ノエは協会の異端審問の結果、冤罪により命を落としかけた。判決を下したのは教会の異端審問官だ。だからこそ、彼らを完全に信じることができず、このような回りくどい確認をしてしまっている。
「ハンフリー司祭が誘拐に関与したと思われる子供たちは、ミラベルさんの話を聞く限り、皆そろって流れ者の子供たちでした。だから、彼らを探そうとする人もいなかった」
その場合でも、正しく罪に問われるのかとノエは繰り返す。
ルーシャンの顔つきは、渋かった。
「貴族の御曹司ともなれば、話は別だがな。どこの誰とも知らないガキなら、十中八九大して調査もされないだろ。ハンフリーが後ろ盾も特にない平民上がりの司祭ならいざ知らず、あれはそれなりの地位のあるやつが背後に控えているって風だった。だから、嬢ちゃんが関わっていた事業とやらの関係者であっても、中央で処刑されず、こんな所に流されるだけで済んでいるんだろうしな」
「たとえ、彼が何人も罪もない子供を殺していたとしても、教会は知らぬ顔をするということですか」
「奴さんの背後にいる者次第ってことだ。もし、あいつを何としてでも引き摺り落としたいっていうなら、相応の根回しが必要になる。さしずめ、奴が中央に戻ってくるのを疎んでいる連中にこの件を吹き込めば、上手いことやってくれるかもしらんぞ」
「そうではないんです。僕が言っているのは、そういうことではなくて
……
!!」
思わず語気が荒くなりかけ、ノエは深く息を吸い、乱れかけた呼吸を整える。
ルーシャンを責めたところでどうしようもないことは、彼も承知していた。
「
……
仮に、本当にハンフリーさんが罪を犯していても、あるいは関わっているだけだったとしても。この件について真剣に追及しようと考える者はいないのでしょうか」
「イシュガルドの法典を漁れば、殺人は重い罪だってことは書いてあるだろう。だが、刑罰を執行する者が教会や貴族のような権力者である以上、何が重要視されるかは奴ら次第になる」
「だったら、何のために法というものはあるのですか。正しく罪を暴き出すこともできないというのなら、何のために
……
!」
「何が正しいかは、権力を持った者が決める。ここは、そういう国になってるんだよ」
いつからそうなったかは分からない。しかし、今そうなっている事実だけは厳然とそこにあり続けている。
イシュガルドという国が抱えた歪みは、竜の戦いとはまた異なる形でノエの前に立ちはだかっていた。
「
……
ミラベルさんは、あんなに子供たちのことを真剣に探していたのに」
流れ者の子供たちだろうと、竜によって家や親を失った子供であろうと構わずに、ミラベルは彼らを庇護し続けてきた。司祭という立場や権力に驕らずに、ローブを汚しながらも畑を耕し、住処を整え、少しでも良い環境を作り上げようと住民に協力を求めていた。
だというのに、彼が守ってきたものは、法の執行者にとっては無価値な者と扱われるかもしれないなどというのは。
踏み躙る者がいたとしても、真っ当に裁かれるかどうかも定かではない、などというのは。
――
あまりに救われない。
「だから、あいつもハンフリーに直談判しにいくつもりなんだろう。ミラベルだって、それなりの権力が後ろに控えているはずだ。ハンフリーとは、その辺りの脅しも兼ねて話をつけにいくつもりなんじゃないか」
「
……
だと、いいのですが」
正しさという曖昧かつ理想的な物差しは存在しない。分かっていたはずなのに、目を逸らしていた現実を改めて叩きつけられたような衝撃を受けて、ノエは肩を落として寝台へと腰を下ろした。
かつて、ノエが正しさに拘り続けた理由
――
その表層は、どこかに絶対的な正しさがあってほしいと願い、ないなら自分が正しさそのものになりたいと願ったからであった。
表層的な部分であったとはいえ、その信念自体が間違っているとは思っていない。
どこかで、目に見えない絶対的な正しさの天秤が据え置かれ、物事の善悪を裁いてくれると信じていたかった。
だが、流れ者の子供が何人死のうが、罪を裁く者はさして気にしないだろうと言われた。
むしろ、裁かれる者の後ろ盾自体が正義の在処を決めるのだとまで言われた。
誰かの死すら正しい目で見ようとする者はいない。それが現実だと頭が理解するたびに、心に落胆の澱がたまっていく。
項垂れているノエに、ルーシャンがこれまでと変わらない調子で声をかける。
「それだけ証拠が出揃ってお前が確信しているのなら、お前が裁きに行ったらどうだ?」
「え
……
?」
「それが、死で以て贖わねばならない罪だというのなら、執行を教会のお偉方に任せる必要はない。自分の手を動かせば、それで終わりだ」
何を言っているのかを理解した瞬間、ノエは眉を跳ね上げた。
「何を言っているんですか。そんなこと、間違っています。私怨で人を殺すなど、そんな
……
!」
「だけど、ノエという裁判官の結論では、あいつは死罪であってもおかしくない罪を犯しているんだってことじゃないか? それとも禁固刑か、労役か?」
「違います、そういうことを言っているのではありません! 僕は確かに
……
彼が子供を本当に殺したのなら、何らかの刑が課されるべきだろうとは考えました。ですが、それはあくまで僕の独断に過ぎません。偏見も混じっているかもしれない、僕の私観に過ぎません」
ノエは、決して自分が万能などとは思っていない。己の思考には、生まれてからこれまで経てきた経験があるが故に、歪みも生まれていることも知っている。
「もしかしたら、まだ明らかにされていない理由があるのかもしれない。ハンフリー司祭が犯人かどうかもはっきりしていないんです。なのに、独断で裁き、命を奪うのは
――
間違っています」
「そうか。
……
まあ、お前ならそう言うだろうと思っていたさ」
だけどな、とルーシャンは言う。
「たとえば、お嬢ちゃんがどこぞの貴族に殺されたとして、誰もその罪を咎めないってなったとき、お前はどうするんだ」
今度こそ、言葉は出なかった。
ルーシャンの声音はただの仮定では決して生まれないだろう、凄みが混ざっていた。まるで、自分自身が同じ立場に立たされているような。
「
…………
」
「すぐに答えは出ないだろうが、考えておくといい。お前らはイシュガルドに滞在するつもりだろうが、竜だけがイシュガルドの脅威じゃない。ここは、そういう国なんだ」
ルーシャンが調整をしていたクリスタルが、ゆっくりと彼の手元に落ちていく。それを寝台横の文机に置き、作業用に強めていた照明がゆっくりと弱められていく。
「
……
ルーシャンさんは」
「ん?」
「もし、同じことを問われたら。ルーシャンさんは
……
どうするんですか」
ほぼ真っ暗にそまった部屋の中、すぐに答えは返ってこなかった。もう寝てしまったのだろうかと、ノエが寝台に潜りかけたとき、
「為すべきことを為す。それだけだ。簡単なもんだろ」
その一言のあとは、本当に眠ってしまったのだろう。規則的に揺れる毛布の影だけが、宿の壁に映し出されていた。
ノエもまた毛布の中に潜り込みながら、思案する。
(僕にとって、為すべきこと
……
)
自分が果たしたいと思うもの。果たさねばと決めたもの。それが何かは、まだ分からなかった。
*
翌朝、ルグロ家当主が早朝からシュガーグレイヴに来訪したと、町には驚きの声と共に知らせが行き交った。
事前に情報を知っていた村長や神殿騎士団は、来訪した当主を丁重にもてなした。村長の家ではささやかな歓迎の宴が開かれると聞いて、参加できない人々はどのような話が飛び出してくるかと噂しあっていた。
その喧騒に埋もれたせいで、朝になっても照明がつかない教会を訝しむ人は少なかった。
無人の教会に偶然訪れた人々は、急な呼び出しを受けて旅立ったことを伝える張り紙が貼られた扉を前にして、司祭の不在を残念がった。
ハンフリーの急な失踪に対する町民の反応は、今はただそれだけだった。
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