幼少期の記憶というのは根強いもので、犬に噛まれた記憶は酷いトラウマになっている。
犬がいるとまぁまぁ冷静さを欠くことはわかっているのだが、リードがついていると言われようが、小型犬だと言われようが、うちの子大人しいんですよ、と言われようが関係ない。
生物学的分類で、食肉目イヌ科イヌ属に分類される全ての犬に対して、荒船は警戒してしまうのだ。
「それって猫だとどうなるんだ?」
明らかに好奇心からの問いに対して、荒船は心底、なんだその質問は、と言わんばかりの顔をしてしまった。
「猫は猫だろ」
「でも野良猫の集会とかに出会うと怖くない?」
「わかるぞ、その気持ち」
「なんか別の世界に連れていかれそうな感覚って言うかね」
「夕方とかだと怖いよね~」
それぞれ、村上の問いから始まり、犬飼の横やりと穂刈と北添の同意という流れだった。
「別に猫は関係ねぇ」
「まぁそりゃそうか」
そもそも犬の話をしていたのに、どうして猫の話にすり替わったのか。人に飼われるペットとして二大巨頭のような存在であるものの、荒船のトラウマは犬であって猫ではなく、そこには境界が曖昧になるような話もない。
「なんか単純に気になっちゃって
…」
話を転換させた村上は、少し照れくさそうに頭をかいている。ただ単に気になっただけと本人は言うが、何か意図があったのでは、などと考えてしまう。
「そこは犬のこともっと聞くべきだろ」
「話題も嫌とかではないのか」
「話に出してるだけなら別に。本物がいるわけじゃねぇだろ」
そもそもは敵のトリオン兵に犬みたいな形状のやつがいた、という話からだった。その襲撃当日は村上は別動隊で本部施設の最奥部分で戦う事になっていたので、その犬型が自分と見たものと同じなのかという話から始まった気がする。
それに北添はすぐランク戦だったので、この時の襲撃には参加しておらず、犬型のトリオン兵を見ていなかったから、ひとしきりその話題で盛り上がったのだ。
ついでに荒船のトラウマはわりと有名な話なので、自動的にその話が出てきた次第で。
「余計なお世話だったな」
村上の、あからさまなしょんぼり顔に、荒船はなぜだかわからないが若干の罪悪感を覚えた。そもそも話題の転換の仕方が大技すぎたのが原因なのだが、どうにもこのしょんぼり顔に、弱い。誰にも言ったことはないけれど。
「
……気にかけてくれたんならサンキューな」
フォローの一言に、村上は少し嬉しかったらしい。こくりと頷くとすでに機嫌は良さそうだった。
そんなさらりとした会話の中でも感じる若干の温度感の違い。本来ならばもっと彼氏彼女の話題で盛り上がってもいい年頃の男子たちである。同性同士だろうが、そういう空気には敏感だった。
「
……なんでゾエの顔が赤いんだよ」
「えっ、なんかねぇ~」
「ねぇ~?」
同意を求められた犬飼がうまいこと乗ってくれたので二人で若干かわいらしく首を傾げる動作をすれば、「混ぜろ、俺も」と穂刈も乗っかってきた。
一応、二人がそういう関係であるのは周知の事実ではある。とはいえ一応他の仲間がいる時には表立って出していないつもりだったのだが。
「仕方ないだろ。犬型を見た時、ちょっと荒船大丈夫かなって気になったんだよ」
「重ねて変なフォローすんなよ」
「
……変だったかな」
「イライラはしてたか? あの時」
「別にイライラしてねぇ。噛んできたらキレてたかもしれねぇが」
変に気にされて変なフォローが入れられて、ため息をついた荒船に対し、再び村上の話題転換が始まった。
「あの後、荒船大活躍って聞いた」
武勇伝が聞きたいとばかりの村上に、なぜだか穂刈が胸を張った。
「頼もしかったぞ、あの時は」
「穂刈にとっちゃいつもの俺の動きだろ」
「対荒船って初見殺しみたいなとこあるもんね」
そんな風にひとしきり盛り上がりつつ、そもそも本題だった課題を終わらせる為に集まったことを思い出しては一瞬真面目に取り組んで、を繰り返し、一旦解散となったのはまだ西に陽が落ちきっていない頃合いだった。
犬飼の所属する二宮隊は今日は防衛任務がこの後あるという事で先に抜け、穂刈は筋トレに行くと言い出し、北添は影浦に呼び出しを受けて慌てて抜けていった。何となくそこに作為は感じたものの、あえて口には出さず。
「
……帰るか」
「ああ」
結局、二人で本部から帰る道を行くことになったのだった。
「しかし結構えぐい課題量だな」
「まぁ、あんまり授業参加出来てないしな
…」
村上たちに出された課題は、まぁまぁのボリュームだ。今日のノルマはどうにか各々でクリアできたものの、どうにもこれを一週間で全て終わらせるというのはなかなか難しそうに見える。
とはいえ、水上などは同じ課題量を出されても割合あっさり終わらせて、さっさと自分の隊に戻っていくらしい。村上も勉強が苦手でもないはずだったが、こういうワイワイした集まりも好きなのだろう。膨大な課題量に対して、面々があまり本気になっていないのが怖い。
おそらくこれ、卒業とかにも響く可能性あるな、とは思ったものの、あまり考えていなそうではある。
「あの時の戦いって記録はあるのかな」
「あるだろ。おまえんとこは隊が分断されてたから、あとで申請して見ておいた方がいいんじゃねぇか」
「そうだな
…荒船の活躍も確認したいし」
「鋼の活躍も相当だろ」
「まぁ、うん。ちゃんと戦力になってたと思う」
自信のある笑顔。
以前にはなかったその笑顔は、持てる力がある者が正当な評価を受けている姿だ。
「謙遜しなくなったな」
「
……役目は果たせたし。
……自分の実力出せたと思うよ」
「昔はよく泣いてたってのにな」
「
……来馬さんから聞いた?」
「穂刈からも聞いたぜ?」
「あー
……、その頃はその、結構本気で落ち込んでたから」
あの叱咤激励があったからこそ、本気でやっていいんだと思えたのだから。
だからこそ今は、自分の力が評価されればそれに対して変に謙遜はしない事にしている。自分の力がここまで伸びたのも、師匠のおかげだと話せるように。
などと。
そんな話をしながら、本部からの帰り道を歩いていれば。
周囲は危険区域なので基本的に立入禁止だ。ボーダー本部の通路を抜ければ地上に出るのだが、二人は同時に足を止めた。
その視線の先には、猫が一匹。
「猫か」
黒い猫が一匹。行儀よく座って、じっとこちらを見ている。その眼差しは、なんとなく不審者に対する警戒の表れのようだった。
すると、音もなくするりともう一匹が姿を現わす。
「あれ
……」
もう一匹、と思った瞬間だった。
さらにもう一匹。さらにもう一匹、と。
足を止めた二人を足止めするつもりか、それとも歓迎のつもりか。とにかく二人の目の前の、普段人がほとんどいない場所に猫が集まってきていた。
もしかしたら元々ここが拠点だったのかもしれない。これぞ猫の集会。そういえば先ほどそんな話題が出たはずだ。妙な偶然に、作為を感じないと言えば嘘になる。
おりしも先ほどまでまだ出ていた陽が西に本格的に落ちてきて、周囲はにわかに暗くなる。うっすらとした紫がかった夜空が、どんどんと濃い色に塗りつぶされていくかのような、そのタイミングでのその光景は一種異様だ。
「
……これ、集会か」
「そうだな
……」
猫たちは何も言わず、誰も声をあげず、ただじっとこちらを見ている。距離を測る為か、警戒しているのか、そもそもこの光景が二人を何某かの力が招いているものなのか。
何もわからないが、何となく二人の足は完全に止まってしまっている。
「
……別に猫が苦手とかねぇからな」
「わかってるよ」
そうは言いつつも、視線が逸らせない。
夕闇迫る中、人気のない場所に無言で集まる猫たちの存在感に何故だか緊張が走った。
猫たちの目が、爛々と輝いているように見える。その輝く瞳は全てこちらを集中して見ているようで、妙な胸騒ぎが止まらない。
そうやって立ち止まり続けていた二人は、自然と手を繋ぎ、何となく身を寄せ合うようになった。
猫たちは何も言わないし近寄ってくるわけでもない。まるでバリアでも張ってあるかのように、あるきまった場所からこちらに踏み込んでくる事はない。
ただその瞳が、爛々と輝いて見えるというだけなのだが。
「
……鋼は猫、平気なんだよな?」
「平気だけど、雰囲気あるよな
……」
そう、村上の言う通り、その集会にやってきて、こちらをじっと見つめる猫たちは、西に傾く太陽が、まだ強く光を照らして影が長く伸びていくのと相まって、何か別の世界に連れていかれそうな、猫たちがネイバーだと言われても信用してしまいそうな。
「
……別の世界に連れてかれそう、とか、不謹慎だけど気持ちはわかるかな
……」
「
……まぁ、おまえと一緒ならどうにかなるだろ」
「え?」
「別の世界ってやつだよ。サバイバルに誰連れていきたいか? みたいなもんだろ」
「あ、あぁ、うん。俺でいいのか?」
「おう」
「
……じゃあ、頑張る」
「とりあえず猫の集会抜けるとこからな」
「うん。
……嬉しいこと言われたから、感謝したいくらいだけど」
「なんでだよ」
思いがけず嬉しい言葉を聞いてしまって、僅かに動揺している、というか、テンションが上がっている村上は、それまで雰囲気があって近寄りがたかった猫の集会に向けて一気に距離を詰めた。
すると、ほとんどの猫が一目散にその場を離れる。
当然ながら向こうも警戒していたのだろう。
ただ一匹だけ、そんな村上にも動じず、じっと見上げる黒猫がいた。最初の一匹だった黒猫で、他の猫より体格の良い、毛並みの良い黒猫。
金色に輝く瞳で、村上に対し、にゃあん、と鳴く。
村上は、ぴたりと足を止めて。
「
……今度、猫缶持ってくるよ」
と、猫に対し真摯に答える。すると、その答えを聞いて満足したように、黒猫はもう一度にゃあ、と鳴いた。
そのまま、黒猫はゆったりと立ち上がり、足音なく立ち去る。その姿はずいぶんと堂々としていて、それこそ本当に、村上に対して「この出会いに感謝しなさい」とでも言いたげな様子だった。
先ほどまでの謎の緊張も解けて、荒船は少しだけ呆れたように笑っている。
「いい出会いだったなぁ」
「そんなにか?」
「そんなにだよ!」
荒船の言葉に前のめりに頷く。
「そこはまず俺じゃねぇのかよ」
「確かにそうかも」
ふふ、と二人で笑いあう。
その頃には、すっかり空は暗くなっていた。
---------------------------------------
作成者:ひむり
X:
https://x.com/himuri
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.