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mineml
2025-04-30 18:06:56
6473文字
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【SS】タムガの紅い旗 ネタバレ
装うこと購うこと
異民族の娘が佇んでいる。
敦煌。大河の岸には長年に渡り人びとが軒を連ねて広く街を織り上げ、世界の東西を貫く大交易路の要衝の名に恥じぬ今日の賑わいを形作っている。交易の街の中心にある市場の、とある一軒の店の傍ら。
娘はおとなしい。見たところひとりで、黒ぐろとした瞳を店先へ向けて眺め、驢馬を引く商人や籠を背負った住人たちが往来を行くのを視線で追う。
しばらく人待ち顔でいるので店主もいくらか声をかけたが、言葉がよくわからないのか、見つめ返して愛嬌のある笑みを見せるだけで言葉は返ってこない。店先を塞がず、盗みをはたらく者の落ち着きのなさもないので、そうと見られてからは放っておかれていた。
そのうち、往来の先へ目を遣った娘が西洋人の名前を呼んだ。よく通る声が軽々と群衆を貫く。
「ルカ!」
呼ばれたはずの人物は、すぐには姿を現さなかった。名前の響きに相応しく西洋の顔つきをした長身の男がふたり、娘を見つけるまでにかかった時間は通行人の合間を縫う苦労そのものと等しいだろう。
「悪い悪い、待たせたよな」
「見当たんねえからどこまで行ったかと思った」
「おれは平気、でも立ち止まって待ってられる場所があんまりなくて」
ターバンの下に金髪が覗くひとりと、長い赤毛を束ねたひとりを仰いで小柄な娘が言う。ターバンの男が店主へ、探るように視線を移す。
『世話になったか?』
切り替わったこの国の言葉に多少の訛りはあるが、流暢と言って差し支えない。店主もまた、その男に視線を返す。
『あんたの連れか?』
『キャラバンの護衛に雇った。これで腕が立つんでね』
『世話というほどのことはないが、女を待たせたんならあんたもそれなりの詫びが必要だな』
なるほど店先には、玉や木を滑らかに加工した耳飾りや腕輪といった女性向けの装身具が並んでいる。商魂逞しいことだ、とルカは内心溜息をつき、エレグを振り返った。
「どれがほしい?」
「え?」
「待たせた詫びに、ひとつ贈らせてくれないか?」
「急な商談を待つくらい、なんてことないのに」
「いや、正直なとこ言うと、そこの親父に俺が甲斐性なしだと思われそうなんだよ。頼む」
ルカは戯けたように苦笑してみせる。重ねて言われたエレグはようやく遠慮がちに頷き、店先の装身具へ目を向けた。
彼女の横顔をルカは観察する。
選ぶにもそもそも全体を眺め回していない。
指輪と腕輪は早々に選択肢から外れた。
耳飾りは少し迷ってやめた。
髪飾りは近いが違う。
豪奢なものは見ないようにしている。
造りが簡素なものをいくらか見比べて、
「
……
うん。これがいい」
「いや、違うな」
櫛のひとつを指さしたエレグは、間を置くまでもないルカの返しに目を丸くする。言いながらルカが手に取ったふたつの櫛は、エレグが選んだのが木彫りの素朴なものであることに比べ、花を模った小さな玉が埋め込まれておりいくらか華やぎを持っている。
「本当に気になってたのはこれか、これだろ」
「なんでわかったの?」
「顔を見てりゃわかるさ。どっちがいい」
「遠慮しないでたかっとけよ」
黙って見ていたエギルが素っ気なく口を挟む。
「櫛ひとつ買ったところで寒くなるような懐じゃねえよ、こいつは」
「エギルお前、鼈甲やら珊瑚やら象牙やらの櫛の値段聞いたらひっくり返るぞ」
「
……
その手のはこんな店先に置いてないだろ」
ふたりの遣り取りを聞いていて、エレグはくすりと笑う。そうして、
「こっち」
と、白い花と薄紅の花の、薄紅の方を指さした。
「さっきのは抜きにして、もちろん今日の礼はするつもりだったんだが」
盃の酒を舐めてルカが言う。
「本当に昼飯でいいのか?」
「うん」
一方のエレグは、慣れない箸遣いで川魚の骨と格闘している最中である。
昼過ぎの食事処は盛況だった。店内には民族も様々な人びとが所狭しと卓に肩を寄せ合い、厨房からは絶えず湯気が上がり、冬であるからこその暖かさで満たされている。
その片隅で3人は卓を囲んでいる。酒を飲むのはルカとエレグも少し、エギルは生真面目に手をつけようとしない。大きな川魚を蒸して甘辛いたれをかけたもの、川海老を油で香ばしく炒ったもの、雪の下で育つ青菜を茹でたものなどが卓上に並び、大河がこの街へもたらすものの一端を披露していた。
「それに、馬選びはおれたちが無事に帰るにも、必要なことだし」
「遊牧民の目利きは頼りになる。助かった」
ルカの素直な言葉に、エレグは手を止め、誇らしげににこりと笑った。
はるばる東へと足を延ばしたルカの商談も一段落し、一行は敦煌を離れる支度をはじめていた。西への流通に乗せる品を選び、キャラバンへ参加する商人を集める。必要になるのが馬と駱駝である。敦煌へ着いた折に、往路で使っていたものは一度手放しており、再度算段をつけなければならなかった。
サラヘディンは持ち帰る書物の厳選に。ドルラルとナェズはこの地の情勢を調べに。それぞれが残り少ない滞在に忙しく動く中、ルカはエレグに声をかけた。こうして報酬を用意した今日の仕事は、馬商人との交渉への同行だったが、事実適任だったらしい。
獣の前での振る舞いを彼女が熟知しているからなのか、エレグの前で家畜はおとなしい。馬と駱駝の目や口を覗き、足腰を確かめ、エレグが指をさす。選び抜かれたそれらについてルカが交渉に入ると、馬商人たちは一様に苦笑したものだ。
「よい家畜を選ぶのは得意なのだけれど。この
……
ハシ、は難しい」
「魚は特にそうかもな。そのうち身がなくなりそうだ」
笑い、ルカはエレグの手元から皿を引き寄せる。散々つつき回されて崩れかかった魚から、箸を支障なく使って骨を外し身を切り分けていくのを、エレグはまじまじと見つめた。
「ルカは器用だな」
「まあ、器用な方だろうとは俺も思ってる」
「使ったことあるのか?」
「これか? いや、敦煌に来てはじめて使った。こんなに東の方へ来ることもなかったからな」
白身魚を大まかに切り分け、小皿に移してエレグと、具のない饅頭(マントウ)を千切っていたエギルについでとばかり寄越す。
「その国のやり方を早く覚えて、同じものを食べる。人に気に入られるってのはそういうのが大事なのさ」
「ふうん。ルカが言うと、本当らしい気がする」
そう感想を漏らして、覚束ない手つきながら箸で魚を口に運んだエレグが表情を輝かせる。お気に召したらしい。
遊牧民はカトラリーや箸を使わず、素手で食事をする。魚を食べることはあるようだが、海老を見る目は虫に向けるものに近く、野菜を含む植物は家畜が食べるものだという。しかしとりわけ好奇心の強いらしいナェズはもとより、異民族への違和感が薄いらしいドルラル、草原から同行した彼らのうちではもっとも保守的だろうエレグでも、異国での滞在のうちにこちらの食事にも随分慣れた様子をみせた。
なおサラヘディンは珍しければ珍しいほど、見慣れなければ見慣れないほど興奮する性質であるとルカはとうに知っているため、むしろその勢いの矛先の方が気にかかる。エギルは何事にも興味の薄い性質と見ていたが、ドルラルやエレグと出会って以降、心持が変わってきたようにも見える。未知のものには今なお、おっかなびっくりではあるようだが。
ルカはといえば。西欧圏へ戻れば、尋ねる彼らにとってはただの好奇心、もしくは怖いもの見たさだろう調子で、異教徒の食事を食べるのはどんなものかと訊かれる機会がないでもない。人に気に入られるため、というのもひとつの理由ではある。ただ、絢爛たる芸術の街ヴェネツィアの汚い路地裏でネズミを捕らえ、リンゴの芯をこそいでいた頃に比べれば、塩で茹でただけの羊の臓物やウサギだのリスだのの脳味噌を大事そうに振る舞われる方がよほど、人間らしい食事というものだった。
「
……
なぁ、さっきの」
エギルがしばらくぶりに口を開いたので、ふたりの視線が彼に注がれる。彼は奥歯に物が挟まったような調子でエレグに尋ねた。
「なんであれを選んだんだ?」
「あれ。
……
ああ、ルカのお詫びのこと?」
エレグの返答に頷き、ぎこちない手つきで更に言葉を並べる。
「櫛もたくさんあったし、櫛以外にもたくさんあったろ。女ってあの中からどうやって選ぶんだ」
「どうやって、といっても必要なもの、欲しいものを選ぶだけだけれど。それじゃ答えに足りないんだろう?」
懐から真新しい櫛を取り出し、滑らかな木肌の感触を楽しむように手の中で撫でながら、語り手の娘はつらつらと話しはじめる。
「指輪や腕輪がない方が、おれは馬頭琴や弓の弦を扱いやすい。新しく着けるようになるとひとの目につくし、それだと耳飾りを新調するのだってあまり変わらない。他人様の金で買ってもらうのなら、実用の品の方が気も楽で、そういえば婆さまや母さまが使っていた櫛は歯が欠けはじめているからそろそろ仕舞っておきたい。あんまり豪華だと値が張るし、毎日使うのも気が引ける。これくらいの飾りのものなら、眺めて嬉しいし毎日使う気分になる。でもやっぱり一番飾り気のないのにしようと思って選んだのだけれど、ルカはよく見てた。そんなところだな。
……
ついて来れたか?」
「よくそんなに喋れるなと思って
……
」
「考えを逐一言葉にしたら、このくらいになる。エギルがそうしないだけ」
からかうように目を細めるエレグに、傭兵の青年は口を開きかけ、返せなかったのだろう、何も言わずに閉じた。薄氷の瞳がうろうろと動くのを見物していたルカはふと、エレグの話の端を拾い上げる。
「そうは言っても、気にするような人目なんてないだろうに」
「道中はな。でもこの、額飾りなんかもそうだけれど、おれたちが身に付けるものはそのまま財だから。贈り物をもらったとして、その新しいのは誰に譲られたのかとか、周りからしたら気になるものだよ」
頭へ巻いた、青い貴石を縫い付けた布の帯に手を触れて彼女は、苦笑さえしない。
ルカから見れば、石それぞれの価値はささやかなものだ。彼らの資産の真価は家畜にあるとはいえ、貨幣経済に長いこと組み込まれてこなかったためか、草原の民の多くは貴石や貴金属といった財産をさほど持っていない。
「なんか
……
あんたって世渡り上手いなと思ってたけど、けっこう気ぃ遣ってんだな」
手持ち無沙汰に川海老をつまみ、考え考えエギルが言う。
「遊牧民も意外と窮屈そうだ」
「どこだって同じなんじゃないかしら」
敦煌へ伴われたことで草原をはじめて出たような娘が、何でもないような調子で言う。
「ひととひとの関わりがあり、年月(としつき)の重なりがあり、作られてきた営みがある。ひとの繋がりとしきたりに守られるのは窮屈かもしれないが、それが、大きな物語の中に生きるということだもの」
へえ、とだけ呟いたエギルが決まり悪そうな様子であるのは、ルカの気の所為ではないだろう。月牙泉に立ち寄った折、酔いに任せて吐いた弱音をなお引きずっているらしい。
実のところ、思いがけず繊細な性根を持っているらしいこの青年がどの立場に軸足を置いているのか、掴みきれずにいる。
彼を雇ったのはルカでなく、ルカに諜報を依頼した教会である。その雇い主から監視を任じられていてもおかしくないのだから、教会の意向に背けばどうなるかわからない。
いざとなれば、ドルラルたちを裏切る必要もあるだろう。
裏切れるだろうか?
「ルカ」
「ん」
「あんまり腹減ってないか?」
呼ばれて、気持ちほどの返事を小さく口遊み、目を瞬く。そのささやかな応じを待って、エレグは当たり前のような手つきでルカの手元に饅頭をいくつか並べる。
「食べないと変な酔い方をするよ」
大人びて見えるのはこのようなときであり、そもそも彼女らは大人なのだという冷静さは遅れてやって来る。西洋人に比べて見目が若く、経験の尺度が異なるためについ、年少に見積もってしまうものだが。
イェスゲイに招かれた宴席での様子やキャラバンでの様子で見たような、生活を任される婦人の姿とて当たり前に、エレグの一面である。
「お気遣いどうも。
……
なあ、敦煌に来てすぐ、絹の買い付けをしたのを覚えてるか?」
寄越された饅頭のひとつを千切りつつ、水を向けてみる。彼女は首を傾げる。
「絹。ナェズがはしゃいでたときか?」
「そうそう。あれ、本当はエレグも反物が欲しかったんじゃないか?」
「え、」
短い音を漏らしたエレグが束の間固まり、浅く染みついた日焼けの色の下をほのかに赤くする。
「いや
……
そういうわけではないけども。どうして?」
「さっき言ってた、装いを変えると人目につくって話。でもその遠慮と、欲しいのは別だろう?」
「それは、そうかもしれないけれど」
先ほどまでの淀みのない語りが打って変わって、まごついて絡まっていく。なるほど、と内心に思う。欲の自覚はある。華美な櫛を視界から外していたのと同じ、見ないようにしていただけで。
「絹の服なんて、着たこともないもの。どんな色でどんな柄の服を着るかだって、しきたりできちんと決まっているし。あと
……
」
「うん」
「
……
手持ちの金が減るのって、みんな怖くないのか?」
口ごもるのを軽く促してやると、心細いような声が返ってきた。
「おれたちだって家畜や物の遣り取りで必要なものを得て、交換してきた。でも貨幣っていうのはなんか、扱い方が違う気がして、ちょっと、怖い気がする」
「怖い、ね。エレグは確かに、そっちに行くかもな」
商人は卓の下で足を組み替える。
自らのことで言うならば、彼女の言う怖さからは随分遠ざかったようであるし、傍から見ても十分に裕福だろう。だが貨幣を手にしたが最後、この魔性に見限られる恐怖から逃れる術は人間にない。絶対に。
「これほど便利で、この世のすべてを動かすものはない。こいつ次第で救われる人びとがいて、失う悲惨さはすぐ隣に口を開けている。慎重になるのも当然だ」
エギルに目を移す。エレグ以上に箸を扱いかねたのか、相変わらず指で川海老をつまんでいた彼は、ここしばらく口を開く気配もなかったが話は聞いていたらしい。鬱陶しげにルカへ視線を返し、それでも眉根を寄せて考えるあたりに性格が出ている。
「え〜
……
金の話だろ。結局それが一番信用できるってだけじゃねえの」
「そうなのか?」
「そりゃ口約束よりも前払いの契約の方がカタいし、神様がどうとかって頭の上の話をされるより、金を稼いで毎日食ってく方がよっぽど救われる」
率直な話しぶりを、そう、とだけ受けて、物思わしげに手元の盃の縁を指でなぞる彼女の様子は是でも否でもない。
「ルカも? そう在ることは、怖くないの?」
「どうかな。
……
さて、俺は例の店で絹を仕入れたわけだ」
にこりと笑い、明るく乾いた声音で話の道筋を引き直す。エレグもそれ以上は深追いせず、きょとんと続きを待った。
「俺たちの本来の関係は雇う雇われるじゃないとはいえ、復路もいろいろと世話になるだろう。働き次第で報酬として、反物を譲ってもいい。どうかな」
役務と物の交換であれば、遊牧民の彼らにもまだ馴染みが深いはずである。エレグはしばらくの間迷っているようだったが、泳がせる瞳の色は明るく、ルカは彼女が口を開くのを待っているだけでよかった。
「
……
色柄を選んでもいい?」
「もちろん。契約成立だ」
卓越しに右手を差し出す。女性にしても小さい手、手のひらや指が日々の生活に鞣されて硬くなった手に不慣れな様子で握り返される。
「うん。大事にする」
商人の本懐が、金を稼ぐことにあるのは間違いない。
ただ、こうして嬉しそうな笑顔を見ることもまた、商人として喜ばしい瞬間であることにも違いなかった。
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