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none91
2025-05-15 17:32:42
3716文字
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久々鉢小ネタ1
鉢が豆腐のおかずにされている。
「三郎、ちょっといいか」
立ち上がりかけたところに、兵助から声がかかる。
五年い組の部屋で勘右衛門へ連絡事項を伝え、退室しようとしたときだった。話の最中、委員会のメンバーでもないのにやたらそわそわしていたと思ったら、用事があったのか。
「なんだ?」
「そこに座っていてほしいんだ」
床を指し示されて、素直に座り直す。
相談事でもあるのか? いやそういうものは大抵勘右衛門にしているだろうな。ちらりと勘右衛門を見ると、眉を下げた微妙な笑顔で手を振られた。
兵助はというと、どこからともなく豆腐を取り出していた。水の滴る新鮮そうな豆腐をいそいそと皿にあけて、自前であろう箸も持ち出してきた。
ああ、嫌な予感がする。選択を間違えた。だってただ業務連絡しに来ただけなのに豆腐食わされるとは思わんだろう普通。
しかし自分一人が犠牲になるつもりはない。三郎は、いかにも他人事ですよといった風情の勘右衛門におい、と呼びかけた。
「勘右衛門? 腹の具合はどうだ」
「おれ? 気にしないでいいよ。いないものだと思って」
「くっ、薄情なやつ! 兵助、わたし委員会の一年生にも話があるから今回は勘右衛門に食べさせてやってくれないか」
「あっ、おまえ! どっちが薄情なんだよ!」
そんな調子でおれがわたしがと挙手して主張し合う姿は、とても後輩に見せられるものではない。しかし醜く争う学級委員長たちを、兵助は例によって嬉々として、ではなく珍しくすまなそうに眺めていた。
「あの、ごめん、これおれの食べるやつなんだ。二人のぶんの豆腐も持ってこようか?」
「え?」
あの兵助がこの状況で一食分の豆腐しか持ってきていないだと
……
?
青天の霹靂。しかしかなり好都合である。三郎と勘右衛門はがばりと肩を組んだ。
「気にするな兵助! 急なことなんだ。わたしたちに構わなくていいぞ!」
「そうそう! おれたちにはまた別の機会に食べさせてくれればいいよ、うん、全然気にしてない」
「そう? 悪いな」
軽い口調の返答に、かえって不気味さを覚える。勘右衛門と目線を交わし合う。いったい何が目的なんだ、と。
そうこうしているうちに兵助は三郎の正面に座り、嬉しそうな笑顔を浮かべて手を合わせた。
「それじゃ、いただきます」
丁寧に言ってから、兵助はごく自然に豆腐をパクつき始めた。なにがそれじゃ、なのかもわからない。一見して豆腐にも豆腐小僧にも変わったところは見られないのだ。
初めこそ警戒していた三郎だが、次第に困惑のほうが勝っていく。兵助の思考がどうにも読めないのだ。
なにしろ豆腐を口に運び、合間に三郎に目をやって、また箸を動かす、という動作を繰り返しているだけなのだから。ここからなにを察しろというのか。
戸惑った三郎が勘右衛門を見れば、額を押さえて俯いている。どうした、おまえはこの状況をどう受け止めているんだ。
兵助に目を戻すとばっちり視線が合う。口の中に食べ物が残っているとき、兵助は喋らない。ただ微笑んで三郎を見ている。
「おいしい」
咀嚼を終え、ようやく飲み込んだと見え、兵助は満足げに言った。
「そりゃよかった。で、なにがしたかったんだ?」
「ああ、勘右衛門が言ってたんだ。豆腐をもっとおいしく食べられる方法はないかって相談してたときに、好きなものを肴にしてみろって」
「はあ?」
説明されたのに全く意味がわからなかった。というか勘右衛門だと? 被害者面していたくせにこいつが発案者なの?
三郎は再び勘右衛門を見た。今度は目の前で手を立ててテヘテヘと笑いながら頭を下げていた。謝罪のつもりらしい。
「昨日新作の豆腐料理を食べてもらっていたときに、勘右衛門が、月や花とか美しいものを肴にしたら酒がすすむんだから、豆腐もすすんだっておかしくないはずだって言ったんだ。一理あると思って試しているんだ。な?」
「いやー、そうだね? おれも好きなものを前にしたら米がすすむからさ、そういう効果もあるんじゃないかーってそんな感じで言ったんだよ」
「それでお互いにいろいろ試してみようって、昨日はそれから別行動したんだ」
「うんうん。いい感じの風景とか見て食べようかなって、山とか行ったり川とか行ったりね」
それ普通にピクニックだろ。いや、百歩譲ってそこはいい。勘右衛門、こいつその場から逃げるために適当なこと言ったな。それを真面目な兵助が真剣になって実験してるんだ。
三郎は、はあ、とため息をついた。
「事情はわかった。それで、いったいどうして人間を見ながら食べることになったんだ。美景では飽き足らず万物で試すことにしたのか?」
「いや? 人間じゃなくて三郎を肴にしたんだけど」
「は? わたしも人間だが」
「それはそうなんだけど、三郎はただの人間じゃなくて
……
おれはその
……
」
「
……
? なに、悪口か?」
「違うよ! おれが言いたいのは
……
」
えーと、あの、つまり、うーん
……
と、まるでどつぼにはまった雷蔵のように兵助は唸った。これが雷蔵相手なら待てるのだが、こと兵助に関しては普段が端的な物言いをするものだから、もじもじするな早く言えと急かしてしまいたくなる。
寸刻待ち、三郎が「言いたくないなら無理しなくていい」と声をかけようとしたちょうどそのとき、俯いていた顔が勢いよくこちらを向いた。
「
……
おれ、特別なんだ、三郎が! だから
……
」
「あ
……
ああ。だから
……
?」
特別とは、と思いつつもやけに張り詰めた面持ちで告げられ、自然に背すじが伸びる。
ごくり、とのどの鳴る音がした。三郎のものでも兵助のものでもない。横で見守っている勘右衛門がなぜか固唾を飲んだのだ。
「だから豆腐がすごくおいしかった!」
「
……
と、豆腐?」
どてっ!
どでかい音を立てて、勘右衛門が床の上に転がった。しかしそちらを見る間も無く、兵助に手を取られ、力強く握られる。
「うん! だからまたお願いしてもいいかな!」
「え、まあ見るくらいなら別に構わない、けど」
「本当に? ありがとう三郎!」
そうして向けられた笑顔は、夜を耐えた草花が朝焼けを迎えたときのように、実に鮮やかな喜びを湛えていた。
触れている兵助の手がやけに熱くて、この様子のおかしさも熱に冒されているせいなのか、と一瞬だけ考えたが、豆腐小僧の基準で見れば別におかしなことではないかと思い直す。世界標準で見れば病気である。
兵助はじっと三郎の顔を見つめている。
「
……
わたしの顔になにかついてる?」
「えっ、いや」
まあ、三郎の顔というよりは雷蔵の顔なのだが。
言われて気がついたとでもいうように視線が外され、次いで手が解放される。無意識なのか、どこか名残惜しそうに指の先で肌をなぞられる。
なんなんだいったい。つられて三郎まで離れた手を勿体なく思ってしまったではないか。手のひらがじんわりと汗ばんでいる。不思議と、三郎の体にも兵助の熱が移ってしまっているらしかった。
詰めていた息をふう、と吐いて横を見れば、勘右衛門が兵助とは大違いの生ぬるーい目をこちらにくれている。喋っていないのにやかましい。さっきからやたらと忙しい男だな。
尻がむず痒くなってきた三郎は、さて、とわざとらしく気合を入れて今度こそ立ち上がった。
「他に用がないなら帰らせてもらうぞ。じゃあな」
「うん。ありがとうな」
にっこり笑って手を振る兵助に見送られ部屋を出る。
明け方に見る夢みたいな出来事だったな。自室を目指しながら三郎は先ほどの兵助の振る舞いを反芻した。
(特別なんだ、三郎が)
思わず流してしまったが、そんな感じのことを言っていやしなかったか?
(月や花とか、美しいものを肴にしたら
……
)
こうも言っていなかったか?
そのときは、兵助にも豆腐を食べているときに豆腐以外を愛でる余裕があるんだな、と意外に思っただけだったが、会話の流れを顧みるにどうにも引っかかる。だってまるで兵助が三郎を美しいものだと称しているみたいに聞こえるのだから。
「まっさかー!」
それはないだろう。あの豆腐小僧だぞ?
豆腐が関わると、他人の都合を踏み倒してまで平然と豆腐を食わせてくるやつなんだぞ。風流を解す心はあっても、人間に興味を持つなんてあと十年はないはず
……
は言いすぎか。
まあ、兵助も人間である以上、一応人間に特別な感情持つことがあるとして、その対象が三郎であるわけがない。でも、だとしたら眺める相手が勘右衛門でもよかったわけで、けれど選ばれたのは三郎なわけで。
三郎は、ははは、と自嘲した。その乾いた笑いは、閑散とした五年長屋を吹き抜ける風に飛ばされて消えていった。
「まさかな
……
」
火の灯ったようにかっかと燃える顔を手のひらで押さえて、三郎は呻いた。
ちなみに、この一連の出来事を部屋に持ち帰り雷蔵に報告したところ、勘右衛門と同じ生ぬるーい眼差しで見つめられたのは余談である。
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