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千代里
2025-05-15 08:14:19
14093文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その70
『兄さん、助けて』
リンクパールに応答した刹那、ノエの耳に飛び込んできたのは小さな救援の言葉だった。
ノエの表情が、店先の品を眺める温和な青年から、敵を前にしたかのような鋭さを帯びたものにすぐさま切り替わる。
「オデット、何かあったのか。教会にいたんじゃないのか」
『それが、色々あって
……
説明は後でしますので、とにかく、兄さんに会いたくて』
やや支離滅裂な物言いになっているのは、極限の緊張に晒されたせいか。ノエは極力いつも通りを装いながら「オデット」と呼びかける。
「今、どこにいるんだい」
『教会の外、です。でも、町の灯りも見えなくて、林が近くに見えていて』
オデットが震える声で教えてくれた内容は、ノエの意表を突くものばかりだった。驚いた様子を察したのか、ヤルマルが怪訝そうな顔でこちらに近づいてくる。
「外ではあるけれど、どこであるかははっきりと分からないんだね」
『そうです。まっすぐ穴を通って抜けてきたから、もしかしたら壁の外なのかも
……
』
目顔でヤルマルに緊急事態であることを伝え、ノエは店内から外へと出る。教会へと視線をやったが、礼拝堂の灯りは既に落ちており、不気味なほどに静まり返っていた。
オデットの話には分からない部分もあるが、彼女が何らかの事情で教会から離れた場所にいるのは確かだろう。
「落ち着いて、周りを見渡してごらん。目に映るものを片端から言ってくれないか」
『壁が、見えます。それに、大きな塔』
「だったら、シュガーグレイヴの外壁の外にいるのだろうね。塔は物見台だろう。外壁の周りに、建物はあるだろうか。検問の小屋が壁に沿ってあるはずだ」
オデットの話を聞いて、疑問を抱きながらも、ノエはチョコボ留めに向かっていた。
外に向かう必要があるなら移動手段としてチョコボは欠かせない。夜が近づいてきているのなら尚更だ。
その間にも、オデットは検問小屋と思しき建物の位置と、オデットの位置からの距離を教えてくれた。そこまで教えてもらえれば、あとはオデットが向いているだろう方角と目に入る建造物を頭の中の地図で照合し、彼女の位置を割り出すことができる。
恐らくは、さほど町壁から離れていない一角だろうと当たりをつけていると、いくらか落ち着きを取り戻したオデットが、次なる希望を口にしていた。
『兄さんと合流できたら、すぐに行かなくてはいけないところがあるんです』
「こんな時間に? 一体どこに行くつもりなんだ」
『今すぐ伝えないとダメなんです。お願いします、兄さんも一緒にいてほしいんです。だって、わたし、どうしたらいいか分からなくて』
「同席するのは構わないきょ。だけど、一体どこに行きたいんだい」
既に、外は夜と言って差し支えない時間になっている。他人の家を訪問するには非常識な時間帯であることは、オデットも承知のはずだ。
彼女は、震えながらもきっぱりとした声で告げた。
『
……
.ミラベルお兄ちゃんのところです』
***
ゴンゴンゴンと扉から響くノックの音に、ミラベルは顔を顰めた。
このような夜半に押しかけてくる人間に、碌なものがいたためしはない。司祭の責務として嘆息をどうにか抑え込み、ミラベルは扉越しへと声をかける。
「はい。どなたでしょうか」
だが、聞こえてきたのは孤児院の子供がうるさいと文句を言いにきた隣人でもなければ、物乞いに来た浮浪者でもなかった。
「お兄ちゃん、こんな時間にすみません。どうしても、お兄ちゃんに伝えたなくちゃいけないことがあって」
「
……
オフェリー?」
思いがけない少女の訪問に、ミラベルは目を丸くして扉を開いた。
*
「暗くてすみません。既に、子供たちは子供部屋に入れてしまった後なもので、灯りは全て消してしまったんです」
玄関口に立っていたオデットとノエを部屋の中に招き入れると、ミラベルは室内用の大型照明ではなく、小ぶりの持ち運びができる照明に灯りを入れて一階にある談話室へと案内した。
孤児院の消灯時間は、一般的な家庭に比べると早い。長々と灯りをつけていては、それだけ燃料を消耗するからだ。
暖炉の前で長話をされるより、早々に布団の中に入ってもらったほうが安上がりであり、子供たちが退散した後は、小さな灯りだけで片付けや戸締りをしているとのことだった。
ミラベルに腰掛けるように促されてからも、オデットはいまだに混乱と動揺に襲われている頭を、どうにか落ち着かせようと苦心していた。
大勢で押しかけるのも迷惑だろうと、ヤルマルにはルーシャンたちと先に合流してもらっていたが、彼女も「まずはミラベルに相談してからだね」としか言わなかった。
(だから、お兄ちゃんに伝えるのは間違っていないはずです。でも、もし
……
もし、私の推測があっていたのなら)
そこまで考えて、オデットはかぶりを振る。まず、真っ先にしなければならないこと
――
それは、自分が教会の地下から持ってきたものを見せることだ。
ミラベルが持ってきた薄いお茶が、オデットたちの前に置かれる。茶を用意し終えてようやく腰を落ち着けた彼は、怪訝そうな顔で二人を見ていた。唐突な夜の来訪に彼が疑問を抱いているのは明らかだ。
「それで、私にいますぐ伝えたいこととは何でしょうか」
「オデット」
ノエの一声に促されるようにして、オデットは抱き抱えていたものを机の上に並べる。
――
それは、小さな靴と数枚の衣服だった。
サイズが小さいのは、それらが子供用のものだからだ。
薄暗い室内の中、重々しい顔つきで取り出すものとしては、子供用の靴も衣服もあまりに場違いに思える。ミラベルも、同じように感じたのだろう。一瞬眉根を寄せたものの、何度か視線が衣服と靴の上を行き来した刹那、彼はゆっくりと目を見開いた。
「これを、どこで見つけたのですか」
「教会の地下にあった避難所だとオデットは言っていました。今日、ヒューイさんの葬儀があったことを、ミラベルさんはご存知でしょうか」
オデットにとっては言いづらい場面もあるだろうからと、まずはノエが説明役を買って出てくれた。出会った直後に、教会で何が起きたかについてはオデットからノエへと伝えている。彼の気遣いに感謝しながら、オデットは今のうちに呼吸を整えていた。
「私は子供たちの面倒があったので参加はしませんでしたが、たしか夕方には葬儀は終わったと聞いています」
「オデットは葬儀が終わった後、一人で礼拝堂に残っていました」
ミラベルが不審を瞳に乗せてノエを睨んだので、慌ててオデットは「わたしがそうしたいと言ったんです」と言葉を挟んだ。
「一人で、個人的に祈りたいことがあって
……
それで、兄さんたちには席を外してもらっていたんです。そこに
……
ハンフリー司祭がきて、それで」
つっかえながら、オデットは司祭に突如襲われたことや、彼がオデットに対して何らかの誤解を抱いている様子であったことを伝えた。
具体的に何をされたかについては伏せたものの、オデットがしきりに喉をさする様子や、暗いながらもうっすらと浮かび上がった喉の痣までは隠せない。ミラベルの視線は、先ほどとは異なる意味で剣呑さを帯びていた。
「わたしが逃げ込んだ先は、教会の地下に隠されていた避難所でした。今はもう使われていないみたいで、避難所に降りるための縄梯子は切れていましたし、随分と手入れのされていない武器や防具が、ぼろぼろの毛布と一緒に置かれていました。その中に、これがあったんです」
そうして、オデットは本題であった服と靴を指差す。
「この服も靴も
……
あの避難所の中にあるものとしては、不自然に新しかったんです」
経年と共に、避難所内の物資はひどく傷んでいた。毛布ですらも、朽ち果て、端切れも同然になっていた。
しかし、長らく人の踏み入れていないはずの避難所の中で、オデットが示したものだけが場違いな鮮やかさを保っていた。
擦り切れてはいたものの、まだ染料の色味が残る衣服に違和感を覚えたオデットは、それらを手に取り、気がついてしまった。
「服の端に縫い取られていた刺繍が
……
その」
「
――
アンディ、だったんでしょう?」
冷え切った声と共に、ミラベルは衣服の隅を照明の下へと移し、名前の刺繍を光の下に晒す。アンディと記された刺繍は、明らかに大人が縫い取ったとわかる。丁寧な糸運びのそれを、ミラベルはそっと指でなぞり、
「これは、私が入れたものです。あの子は服をあまりに汚すので、自分のものは大事にしないといけないと叱ったところ、名前を入れてほしいと頼まれたんです。
……
それと」
ミラベルは、机上に置かれた小さな革靴を手に取る。踵の部分を光に晒すと、そこにはインクで描かれた滲んだ絵のようなものが見えた。
「ルビーは、絵を描くのが好きな子でした。インクを持ち出して、自分の服に絵を描いていては、洗うたびに消えてしまうことを嘆いていました。だから、靴に耐水性のインクで描けば少しは保つと私は伝えたのです。あの子は、アンディがいなくなる少し前に、急に孤児院に来なくなってしまった子供でした。それだけじゃない。そちらの服にも、見覚えがあります」
ミラベルは、アンディの服の下に置かれていた衣服に手を当てる。
「同じように、流民の親に連れられてやってきた子供が着ていたものでした。着るものがそれしかないので、汚さないように大事にしているのだと何度も言っていましたから、よく覚えています」
そこまで話した後、彼は俯いたまま「そうでしたか」と呟いた。
短く、ただそれだけを口にしてから、一分ほどの静寂が三人の間を漂ったあと、
「教会の地下に、これらの品々があったのですね。加えて、ハンフリーはあなたを五年前の事業の件で個人的な復讐をしていると、見当違いなことを口にして、あなたを殺しかけた」
「
……
はい」
だから、子供たちの衣服や靴を目にしたとき、オデットは想像してしまった。
ハンフリーは子供たちの失踪に関わる人物であり、不要となった衣服や靴を地下に繋がる穴に放り込んで、隠していたのではないかと。
だが、それはあくまでオデットが襲われたからこそ生じた、偏見混じりの考えでもある。ハンフリーは子供たちの件については無関係であり、あの床下だけが第三者に利用された可能性だってあるのだ。
「あの場所で何があったのか、わたしには分かりません。あの人が言っていた五年前の復讐のことも、わたしには何のことか全く分からなくて」
「それに関しては、僕は皇都で噂だけは聞いていました。事業に関わっていた咎で左遷された司祭たちの何人かが、不自然な形で相次いで亡くなっているようだ、と」
「そんな話があったのですか」
「オデットが寝込んでいたときに聞かせてもらったことだったからね」
いたずらに情報を共有して不安がらせるのも良くないと、ノエは詳しい話をオデットにしてこなかった。
もっとも、伝えたところでオデットが襲われる事態は避けられなかっただろう。
「
……
オフェリー、この子たちを連れ帰ってくれてありがとうございます」
「お兄ちゃん?」
「その上で、お二人に言います。この件について、あなた方が関わる必要はありません。これ以上は、当事者である子どもたちに関わってきた私と、これらの品々を所持していたハンフリーとの問題です。お二人は、このまま宿に戻ってお休みください」
言葉だけを拾い上げれば、ミラベルの発言は真っ当なものだった。
しかし、彼の声音は今まで聞いたどんな声よりも凍てついていた。
触れただけで全身を凍りつかせるような、極寒の雪景色を彷彿させる声。その声に相応しく、ミラベルの顔にはいつも子供たちに見せている大人としての笑みはなかった。ノエたちに見せる司祭としてのよそ行きの礼儀正しい姿も、オデットにだけ見せてくれた兄としての優しさに溢れた表情も、全てごっそりと抜け落ちていた。
「ミラベルさん」
「何でしょうか」
「今のあなたは、冷静でないように見受けられます。ハンフリー司祭の元に向かうのなら、僕が同行しましょうか」
「ご安心ください。何も一方的に彼を糾弾しようなどとは思っていません。ただ、彼からは詳しい事情を聞かせてもらう必要があるというだけです。同じ司祭という立場としても」
ノエと話をしている間に、心が落ち着いたのだろうか。ミラベルの周りに渦巻いていた凍りついたとした気配はゆっくりと姿を消し、代わりに落ち着き払った司祭としての表情が再びミラベルの顔を覆っていた。
「考えたくはありませんが、もし彼が子供たちの失踪に関わっているとしたら、ご存知かとは思いますが、神殿騎士団があなたの助けになるはずです。彼女たちは、信頼できる人たちです。司祭であろうと、悪事を働いていたなら、決して見過ごしはしないでしょう」
「ええ、よくわかっていますよ。ですから、そのような顔をしないでください」
よほど気遣わしげな表情をしているように見えたのだろう。眉根を寄せているノエに、ミラベルは静かな笑みを返す。
「確かに、今の私は少々冷静ではない心境にはなっているのでしょう。とはいえ、私は私の為すべきことを為すだけのつもりですから」
「その言葉を聞いて安心しました」
当たり障りのない言葉を掛け合っているうちに、ミラベルも冷静さを取り戻したのだろう。
もしハンフリーが何らかの良からぬ企みに関わっていたとしても、かつてオデットを助けてくれた彼なら、二度と同じことが起きないようにしてくれるだろうと信じられた。
先に席を立ったノエの後に続き、オデットも一礼して部屋を出ようとした。
「オフェリー」
自分の本来の名前を呼ばれ、オデットは振り返る。
彼にその名前で呼ばれると、懐かしいような、それでいてどこかくすぐったいようなむず痒い気持ちと同時に、何だか今の自分には遠い名前のように思えてしまう。これも、年月が生み出した隔たりなのだろうか。
「お兄ちゃん、どうかしたのですか」
「
……
首のところ」
目顔で示されて、思わずオデットは首元に手をやる。
ハンフリーの指が食い込んだ跡が残った首筋を、ミラベルはまるで自分が首を絞められたかのように苦しげな表情で見つめていた。
「すみません。あなたを危険な目に遭わせるつもりはなかったのですが、あの司祭についてもっと警戒するように言うべきでした」
「お兄ちゃんは、このことを知っていたのですか」
「いいえ、はっきりとは。ですが、オフェリーのおかげで確証が持てました」
ありがとう、とミラベルは笑いかける。
オデットを労りながらも子供達が身につけていた品々を届けに来てくれたことを感謝している。そのために浮かべた笑みだと、分かっているはずなのに。
(どうして、お兄ちゃんの笑顔が、こんなにも
……
遠く感じてしまうのでしょう)
二人が孤児院から出ていくのを見送ってから、机上に残された子供たちが身につけていたはずの品々を見下ろす。
ノエが真摯に訴えていたことも、オデットの不安げな横顔が無意識に指していたものの意味も、ミラベルはこの上なく理解している。
その上で、彼は言う。
「
……
彼らじゃ駄目なんだ。結局、同じことの繰り返しになるだけだったんだから」
だから、自分はもう迷わないことに決めた。もうずっと前から。
何度目になるか分からない諦念と怒りを抱いて、青年は部屋の隅にかけていた外套を手に取った。
***
教会の中を何度探し回っても、霞となって壁から抜け出て行ったかのように、あの少女の姿は見つからなかった。
もしや、自分がなにかを見落としていて、彼女はもう抜け出てしまったあとなのではないか。その考えがよぎると、今度は彼女がどこに行き、何を話したかが気になってくる。
(いや待て、落ち着け。慌てる必要はない。あの娘は、旅人と行動を共にしていた。つまりあれ自身もこの町の住民というわけではないのだ。旅人が私のことをどれだけ悪く言おうと、町の連中もすぐには信じないはずだ)
礼拝堂の裏手にある一室
――
主に信者の懺悔を聞くための小さな部屋にて、男は堂々巡りの不安に襲われていた。
今すぐ娘を探しに行きたいところではあるが、夜の町をうろつく姿を見られれば、それこそ不審な噂が生まれてしまう。ただでさえ、あのときも他の人に見られていないかと、後から戦々恐々としてしまったのだから。
ハンフリーは己がどこか意気地のない男であると自覚していた。五年前のときもそうだ。ジャヌカンやアンドリュースと比べると年少であったが為に、彼らのように堂々とお気に入りの者を部屋に連れ込もうと踏み切れず、他と比べると随分と後手に回ってしまった。
だが、一度手を出してしまえば、後は箍が外れたように、小心者の自分は鳴りを潜めてくれた。
(そうだ。私に足りないのは、いつだって一歩を踏み出す勇気なのだ)
深呼吸を何度かした後、男は椅子から立ち上がる。続けて、部屋の中を獲物を探す熊のように彷徨きながら考え続ける。
(このまま、あの女が外に出て、私の影響下から外れた場所で私の振る舞いについて話したら、私がここで積み上げてきたものが台無しになる。ならば、あの女をこのまま逃しておくわけにはいかない)
旅人が宿泊できる宿など限られている。適当な理由をでっちあげて、異端者として吊し上げられないだろうか。
そういえば、彼女は先日の異端者の大摘発において、騒動の渦中にいたらしい。それを理由に、重要参考人として引っ立てることは司祭の権力ならば不可能ではない。ルグロ家の連中も、司祭の訴えを無視はしないだろう。
自分の中で次にとるべき策を組み上げると、少しずつ勇気と呼べる気力も生まれてくる。ハンフリーは部屋を彷徨くのをやめ、最初の一歩として、ルグロ家の者が滞在する邸に向かおうと扉に手をかけ、
「こんな時間に外出か? 深夜の外出は、いくら司祭様だといっても褒められたことじゃないぞ」
手をかけた扉が、向こう側から勢いよく開かれる。危うく顔面から扉に激突するところだったハンフリーは、出鼻をくじかれて小さい悲鳴をあげながら後ずさった。
「お、まえは
……
ミラベル
……
!? なぜ、貴様がここにいる! 入口も裏口も、全て完璧に施錠したはずだ!」
娘を逃さないために、ハンフリーは戸締りについて真っ先に確認していた。
入口の礼拝堂に続く大扉は、開けば蝶番が大きな音を立てる。一方で、裏口にある木戸は小さいものの、並の司祭には決して開けられない仕掛けが施されている。
しかし、ミラベルは外では決して見せない皮肉混じりの笑みを浮かべると、
「裏にあった通用口の魔法錠か? あいにく、俺はニヴェールの御隠居さんに、とある貴族の遺産に施された魔法錠の調査を個人的に頼まれていてな。そのせいで魔法を使った錠前の仕掛けは、これまで嫌と言うほど見てきたんだよ」
故に、ハンフリーが用意した魔法錠を開くのに一分も必要なかったと言ってのけた。
ハンフリーの額に汗が滲む。なぜ彼がここにいるのか、必死に頭を回転させ、思考する。
ミラベルとハンフリーの接点は、同じ町に滞在する司祭であったというのに、驚くほど少ない。その理由は、明確だ。なぜなら、彼は。
「あんた、五年前の事業に関わっていた咎で地方に左遷された司祭だろ。名前に聞き覚えはあったんだが、全員の顔までは覚えていなかったもんでな。確証が持てなかったから、今日まで放っておいたんだが
――
」
「五年前、我々を日陰に追いやった若造が
……
! こんな形で押し入って、何のつもりだ!」
素早くミラベルの全身を見やり、ハンフリーはハッと嘲笑めいた息を漏らす。
ミラベルが身につけているローブは幾分草臥れており、左遷されたハンフリーのほうがよほど立派な装束を身につけていた。
「所詮は、貴様も賤しい血の生まれだということか。金に困って教会に盗みに入るとは!」
「俺は盗みに入ったわけじゃない。あいにく、金には困っていないんでね」
かつり、と音を立ててミラベルが懺悔室に踏み入る。扉が蝶番を軋ませ、音を立てて閉まった。
「あんたに聞きたいことは一つだけだ」
ざり、と石床を靴でこすり、一歩前に踏み出て、ミラベルは言う。
「お前が、アンディを、ルビーを
――
流人の子供たちを攫った犯人か」
「
…………
は?」
「お前が子供たちを攫った犯人かと聞いているんだ」
二度の問答の後、暫しの沈黙があった。
ハンフリーの顔には、驚きと幾許か動揺があったが、それ以上に隠しきれない当惑があった。たとえるなら、悪戯をした子供が、全く無関係の人間に突然叱られて唖然としているかのような。
「そ、それが、お前と何の関係があると言うんだ
……
?」
「関係?」
「そうだ。流民の子供がいなくなったところで、お前のような司祭にとって何だというのだ」
「
…………
」
無言ではあったものの、ミラベルの視線に無視できない敵意が混じっていると、さすがのハンフリーも気がつく。
狭い部屋に二人きりな上に、敵意を隠そうともしない男と対面する状況は決して楽観視できるものではない。どうにか怒りの矛先をずらそうと、ハンフリーは自分なりに理屈を口にする。
「流れ者の子供が一人や二人消えたところで、我々のような司祭には大して問題ではない。そうだろう!?」
「あの子たちは、孤児院に顔を見せていた子供だったんだ。俺にだって十分に関係がある」
「孤児院などと、あのような薄汚い施設にどうしてそんなに拘るのだ」
そこまで言いかけ、自分がどうやら竜の尾を踏んだと察する。目の前の青年の怒気は治まるどころか、膨れ上がる一方だった。
「そ、それに
……
そうだ。どうせ、流民の子供など長くは生きない。町の中でも爪弾きものの役立たずだった! 対する私はどうだ。私は司祭として、これまで長らく神に仕えてきたのだぞ。だったら、価値ある者のために、あれらをどうしようと
……
ひぃっ!?」
ハンフリーの悲鳴が上がったのは、ミラベルが背に隠していた細身の剣を抜き放ち、眼前に突きつけたからだ。突如姿を見せた凶器に、ハンフリーはすっかり腰を抜かしてしまっていた。
「あの子たちをどこにやった」
鉄よりも硬い言葉が、部屋に染み込み、消えていく。
ハンフリーは、がたがたと震えて首を横に振るばかりだ。
「もう一度聞く、あの子たちをどこにやった!!」
「も、もういない! どこを探しても無駄だ。ここにはいない!」
「子供を売り払ったのか? それとも、他の司祭に下げ渡したのか?」
ハンフリーはミラベルの質問に、震え混じりの首肯を返した。
だが、ミラベルは見逃さなかった。首を縦に振るハンフリーの顔に一瞬浮かんだ、安堵の気配を。
「違うな。今、お前の目が一瞬泳いだ。
――
殺したのか」
見当違いのことを言ってみせ、相手の反応を探る。質問自体がある種の誘導尋問であったと気がついてももう遅い。
ハンフリーが首を縦にも横にも振らなかったことこそが、ミラベルにとっては真実に対する肯定だった。
「遺体はどこにある」
「そ、そんなことを聞いてどうしようと」
「どこにあると聞いているんだ。答える気はあるのか、ないのか」
無いなら、突きつけられた凶器が今すぐ体のどこかに突き刺さると想像できたのだろう。
歯の根が合わないほどに震え上がりながらも、ハンフリーは「墓地にある大きな木の下に」とだけ答えた。
ミラベルの冷然とした瞳が、ふっと緩む。その隙を見逃さず、追い詰められていた男は大きく両手を振り回し、剣を払いのけ、這々の体で立ち上がった。
「わ、わかったぞ。貴様だったのだな! 五年前、あの件に関わっていた我々の同胞を殺している奴というのは!」
ミラベルは瞬きだけを一つして、口角泡を飛び散らして怒鳴る男を見つめ返す。
「告発の後、自分が昇進できなかったからと言って、八つ当たりに我々を殺すなど、狂っている!!」
ハンフリーの言葉を聞いた瞬間、ミラベルの口角が釣り上がった。
だが、持ち上がった口の端とは対照的に、その柳眉は激しい感情を必死に押し殺そうとした歪みを見せていた。
「
……
狂っている?」
ハンフリーに一歩、歩み寄る。
「自分たちのつまらない欲望のために、他人の尊厳を簡単に踏み躙れるお前らの方が、よっぽど狂ってるよ」
一歩後ずさる男の後ろに、もはやほぼ空間はない。追い詰められ、咄嗟に脇に逃げ道を得ようとしても、ミラベルの剣先がハンフリーの退路を絶った。
「わ、私を殺したら、貴様もただでは済まないぞ! 司祭なら、それぐらい分かっているだろう!!」
「ああ、そうだな。私怨による殺害は、法と照らし合わせても十分な大罪だ。裁判をひっくり返すには、決闘裁判を求めでもしない限り難しいだろう」
決闘裁判とは、罪の有無を問うために、訴えた者と訴えられた者双方が戦い、白黒をつけるというイシュガルド独自の裁判の方式である。裁判の判決に異議を唱えるために行われるこの裁判は、文字通り罪を訴える者と訴えられた者の二者が武器を手に取り戦い、勝敗によって罪の有無を決めるというものだ。
もっとも、裁判には代理人を立てることもできるため、大概は武芸に長けた代理人を用意できる後ろ盾があるかどうかで、勝敗が決まってしまうという不公平な裁判でもあった。
故に、そのような実情を知っているものほど、決闘裁判に好んで参加しようとなどは考えない。
だからこそ、ハンフリーはイシュガルドという国を統べる法を盾としたのだが、ミラベルの声は発言の意味を理解しているのか疑うほどに冷たかった。
彼は、法律の存在など歯牙にもかけていないのではないか。ハンフリーが死んだ後、ミラベルがどのような目に遭ったとしても、ハンフリー自身が命を落としてしまっては意味がない。
「だ、だったら、そうだ! 私が悪事を働いたというのなら、神殿騎士団の元に私を連れて行けばいい。大人しく縄についてやる。騎士団が調査した上で、沙汰を待つのが、正しい在り方というものだろう!」
「
……
最初はそうしようかと思った」
「ならば!」
この狂った男に殺されるよりはよほどいいと、ハンフリーが喜色を顔に滲ませた刹那。
一歩前に踏み出たハンフリーのローブに突きつけられたのは、先ほどまでと変わらない鈍色の剣先だった。
「だけどな。どうせ、お前らはまた出てくるだろ。五年前がそうだった。お前らの咎は、貧民たちを悪辣な環境に放置し、虐待し、奴隷のように扱ったことじゃない。上層の連中がお前らの犯した罪の中で問題視したのは、あくまで教皇猊下や教会という組織がお前らの事業のために提供した資金を横領したことだった」
貧民たちを不当に扱ったことへの咎めも、ないわけではなかった。
しかし、それは罪人の罪のレッテルをより強調するものではあっても、虐待そのものを重大な罪とするものではなかった。
「おまけに、お前らみたいな元は貴族に名を連ねていた司祭には、実家という後ろ盾がある。お前らに重すぎる罪を背負わせたら、教会に献金している貴族たちが良い顔をしない。それが分かっていたから、教会は主犯の連中こそ徹底的に追い詰めても、お前らのような末端の連中は、証拠不十分などと言って地方に左遷した。それで、処罰としては終わりにしてしまったんだ」
中央の教会に籍を置いていた司祭にとっては、左遷であったとしても十分な罰だろう。
しかし、命がとられたわけではない。失われた無数のもの言えぬ人々の命とは、到底釣り合わないとミラベルは言う。
「それが、理由だと言うのか
……
? 教皇猊下の裁決が気に入らないからと、私たちを殺しまわっているのか!? 貴様、自分は全能の神にでもなったとでも言うつもりか!!」
「まさか。お前らが、左遷先で大人しく神に仕える敬虔な信者としての務めを果たしていたなら、俺は黙っているつもりだった。誰にだって、やり直す機会が一度ぐらいは与えられるべきだってな。だけど、実態はどうだ。お前も、昔の仲間から何か聞いていたんじゃなかったのか?」
これには、ハンフリーは本心から首を横に振った。
かつて、共に事業を企て、横領に手を染めた仲間たちとは、そこまで頻繁に連絡を取り合っていたわけではなかった。
「じゃあ、教えてやる。アンリュヌは孤児院の院長に赴任していた。その上で、お前のように自分が面倒をみていた子供を手にかけていた。イーサンは、治療と称して若い婦女子を招き入れ、暴行を加え、口封じを繰り返していた。どの被害者も、町に流れ着いた住処もない者たちだった。だから、あんたらの所業を黙って受け入れるしかなかった。死ぬまでな」
「それを、どうしておまえが知っているんだ」
「見てきたからだよ。そのために、一つの教会に属さずに、各地の孤児院を訪問して監査する、なんて役目を授かっておいたんだ。もっとも、最初は偶然知っただけだったがな」
イシュガルドの国内にある名もなき集落、小さな町に訪れたミラベルは、五年前の悪辣な事業に携わっていた司祭をたまたま目にして、不安を抱いた。
彼らは本当に心の底から改心したのだろうか。
横領に携わることはできずとも、ミラベルにとって許しがたかった悍ましい所業を再び繰り返していないか。
そして、その懸念は
――
的中してしまった。
しかも、五年前よりもよほど悪いことに、左遷先では司祭らを糾弾する者すらいなかった。本来の町民にとって、流れ者は居ても居なくても同じような存在であり、彼らがある日急に姿を消そうと、誰も気にしなかった。左遷されてきた司祭たちは、ありし日と同じように、自分の獲物の品定めをして己の住処に引き込むだけでよかった。そして、竜の被害が深刻化している現状にて、流れ者が尽きることはなかった。
口封じをしたところで、誰も文句を言わない。探そうともしない。かつてと同じ光景が、そこでは繰り返されていた。
その時、ミラベルは気がついた。
――
あれでは駄目だったのだ、と。
「気づいたんだよ。芯まで腐り切っているやつは、何をしても無駄だってことを」
本気でこの男は自分を殺す気だと、ハンフリーも確信を抱いたのだろう。彼は、怒りと恐怖で紫色になった顔で、何度も素早く瞬きを繰り返した。忙しなく眼球を動かし、どこかに逃げ道がないかと必死に探し回る。
「イシュガルドの法ではお前らを裁けない。かといって、お前らの良心に期待するのも、どうやら無駄だったようだ」
「き、貴様とて、結局は似たようなものだろう! 綺麗事を口にして、英雄ぶって、己のつまらない矜持を慰めているだけなのだろう!?」
指を突きつけるハンフリーに、ミラベルは今まで凍りつかせていた表情に確かに揺らぎを見せた。
「知っているぞ。貴族の母親が下男と関係を持った末に生まれたのがお前だ。お前は、貴族の中では鼻つまみ者だ。だから、自分より下に見える立場を守ることで、気持ちよくなりたいだけなのだろう!! 違うか!!」
答えに窮したのか、視線を落としたミラベル。それを好機と見て、ハンフリーは決死の思いで青年に向かって飛びかかった。
「
――
ああ、そうだ」
勇気を振り絞り、決死の思いで飛びかかってきたハンフリーを、ミラベルは予測していたように半身をずらして回避した。勢い余ってつんのめり、転びかけたハンフリーの胸を冷たいものが貫く。次いで、溢れ出る熱と痛み。
絶叫が喉から迸ると思った。しかし、ハンフリーの喉からはひとつたりとも言葉は出なかった。対象の発声機能を奪う魔法
――
サイレスだと気がついたときには、痛みと熱がハンフリーの全身を支配していた。
ならばせめて一矢報いてやろうと思えども、なぜか指先の一本すら動かない。最期の抵抗すらできないように身体機能を麻痺させているのも、あの男の魔法だろう。
結局のところ、ハンフリーが今まで立っていられたのは、ミラベルがハンフリーの自由を許していたからに過ぎなかったのだ。ハンフリーの命は、ミラベルが部屋に入った瞬間から、彼の手の中にあった。
無言の中でもがき苦しむ男の絶望など塵とも感じ取っていないかのように、ミラベルは淡々と告げる。
「俺は、あの子を助けられなかった。オディールに託されていたのに、自分の立場だとか、仲間の意見だとか、そんなものを優先したせいで、彼女ょの心に消えない傷を残してしまった。だから、せめて、あの子に顔向けできるように、あの子のと同じような立場の人間を助けることを選んだ。そんなことをしたって、あの子が喜んでくれるわけがないのに」
ミラベルが何を言っているのか、ハンフリーにはわからない。熱を帯びた傷からは、恐ろしい勢いで何かが流れ落ちていく。それはきっと、命そのものだ。
「結局は、俺の自己満足だ。その点だけは、お前の意見に賛成できるよ」
言いつつ、ミラベルはハンフリーを睥睨している。流れ落ちる血を止めるでもなく、ただ淡々と眺め続けている。その視線こそを、ハンフリーは何より恐ろしいと感じていた。
(たかが平民の子供を、少しばかり連れてきただけだというのに、どうして
――
)
今際の際であってすら、ハンフリーは己の行いを止めておけばよかった、などとは思っていなかった。
一人で夜中に歩いている流民の少女は、ひどく飢えているようだった。だから食料を与え、その対価として自分は彼女そのものを得た。もう一人の子供とて同じだ。余計なことを外で漏らさないように、後始末も忘れなかった。
あの少年だけは、彼女たちを埋める姿を目にしていたように見えたから、無理やり捕まえて、尋問にかけた。少年がこちらを見ていたと思ったのは、結局は勘違いだったようだが、苦痛から逃れるために命乞いをする姿が痛快で、ついやり過ぎてしまった。
とはいえ、結局は『それだけ』だ。流れ者の子供が、一人や二人消えたところで、町民の誰も気にしていなかったではないか。
だったら、やっぱりこの男は狂っている。なぜ、こんな狂った男の手で、殺されなくてはいけないのか。
親しい者は傍に誰もおらず、ただ氷の如く冷たい目をした男だけが、ハンフリーの最期を看取る者としてそこにいた。
そのような凍てついた眼差しを浴びながら、命を終える。それこそが一つの恐怖であると自覚する前に、ハンフリーの心臓は最期の鼓動をひとつ打った後に、停止した。
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