夢篠
2025-05-14 22:38:22
2601文字
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ただ一度許されたい

病弱な娘と山本陣内

ナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエ障子を引いて一番に見るナマエの美しい笑みが好きだった。私を見詰めて綻ぶ顔が。青白い頬が僅かにでも血色の良くなるのが。陣内さま、と汚れを知らぬいとけない声が私の名を呼ぶ事に、己の生の在り処と意味を知ったような気がしていた。

ナマエは昆奈門の歳の離れた妹で、里では見えない存在だった。幼い頃から病弱で、常人なら三日で治る病で何度も死に掛けた。本来なら、弱い子は一年を待たず縊り殺すのが里の慣わしだった。だがそれを阻んだのが幼い昆奈門だった。彼は決してナマエを彼岸に送り返すのを良しとせず、彼女の病には寝ずの看病をし、正にナマエの「命の恩人」と言っても相違なかった。

だからと言うべきかナマエは兄に良く懐いた。その延長で、私とも顔馴染みになった。脆く儚くて、それでいて美しく気丈なナマエに、私は一目見て惹かれていた。

ナマエは外の世界を知らない。彼女の世界は何度も読んで草臥れた草子と昆奈門と私の話で形成されている。どんな話にも白い頬を赤らめて反応を返すナマエは外の世界に焦がれ過ぎて良く熱を出した。「いつかナマエを城下に連れて行ってくださいね」と赤い顔とか細い声で言われたら、頷くしか出来なかった。きっとそれが当分叶わない事は、ナマエが一番よく分かっているだろう。

彼女を見舞うのは昆奈門とその昔馴染みの私しかいなかった。というより、下手に多くと触れ合って性質の悪い病を貰わぬよう、見舞いに来る者は非常に制限されていた。だからこそ、だろうか。ナマエは私が障子を引いた時、酷く嬉しそうな顔をする。

「陣内さま!」

訪いの挨拶をして障子を引けばやはりナマエが淡く微笑んで身体を起こそうとしている所だった。傍に寄ってその身体を支える。昆奈門より数日前から発熱と解熱を繰り返していたと聞いていたから、不躾かとも思ったがその狭い額に手を当てる。少し冷たいくらいで、それが正しい事なのか一瞬分からなかった。私たちより何倍も繊細な彼女に果たして私たちと同じ基準が当て嵌るのか分からなくて。

「平気ですよ。昨日からずっといつも通りですもの」

寄り添った事で近くなった顔が緩やかに綺麗な笑顔の形になる。いつの間に、これほどナマエに心を掴まれてしまったのだろうと思う。昔はもっと大らかに構える事が出来ていた気がする。彼女は弟分の妹、つまりは庇護の対象ではあるけれど、それ以上でも以下でもないはずだった。それなのにいつの間にか、喪うのが酷く恐ろしい。この存在を喪ったら、私は私では無くなってしまうのではないかと、そう思う事が増えた。だからナマエのこの笑みを見るのが、時々恐ろしくなる。それがいつか喪われてしまった時を恐れている。

……っ、だが寝ていた方が良い。解熱したとしても体力は戻っていないだろう」

ゆっくりとナマエの身体をもう一度横たえて御衣を上から掛けてやる。ナマエは困ったように眉を寄せていたけれど、ふと思い付いたように私の手を取った。

「じゃあ陣内さまもナマエに添い寝してくださいな。私ばかり横になっているのは申し訳ないです」

小さな力で腕を引かれただけなのに、どうしてかそれは私にとって引き倒されるより抗えない力だった。年頃の娘に、と建前を吐きながらも行動は正直にナマエの身体に添うように身を横たえる。二人の距離が近くなって、ナマエの睫毛の震えるのが良く見えた。

「陣内さまが来てくださってうれしいです」

穏やかに微笑んでおずおずと私の手を取ったその細い手に力を込めるナマエがいじらしい。本当は私は仄かに期待している。ナマエが私に向ける視線の色が私と同じである事を。言葉は無くとも、ナマエの想いを感じ取れる事がある。それは楽観視とも言えるのだが。

近い距離で視線が絡んで見詰め合う。ナマエが無邪気に微笑んだ事が何故か死にたくなるくらい幸せだった。

「先日、忍務でタソガレドキの東にある原の方まで行ったんだが、」

土産話を強請られて、用意していた話を幾つかしてやる。私の日々は御役目を果たすためにあるが、その数少ない残りの部分でナマエの事を考えている。次に会う時、どんな話をしてやろう、何を贈ろう、どのようにすればこの想いを分かち合う事が出来るだろう。面白みもない私から様々な物を差し引いた僅かな残滓で精一杯、ナマエを愛している。

「美しい花が咲いていてな。後で調べたらそれはこの時期にたった数刻しか咲かない希少な花なんだそうだ」

「まあ、そんな不思議なお花があるのですね。いつかナマエも見れるかしら」

気持ちが高揚しているのか嬉しそうに頬を赤らめるナマエの身体を引き寄せて背を撫でる。落ち着かせるためだと言い訳までして。事実ナマエは感情を昂らせると後々体調を崩す事が多い。これはそれを防ぐためだ。

「きっと見る事が出来るさ。……なんなら私が抱えて連れて行こう」

「本当ですか?陣内さまとそんな素敵な景色を見られたら、きっと幸せですね」

腕の中で私を見詰めるナマエの目に期待を読み取った。嗚呼、許されたい。私一人では何一つ、私の事を決めてはならぬのに、唯一この娘の想いだけは私の一存で受け取りたい。それは果たして許される事だろうか。

「いつか、共に行こう。ナマエの世界が、こんな狭い世界で終わって良い訳がない」

ナマエの顔に僅かに掛かる滑らかな髪をゆっくりと払う。ナマエが少しだけ、怖気付くように目を細めた。それはきっと変化を恐れたからだ。何故なら私がそうだったから。

ナマエに触れる指先が震える。今までを何もかも変えて、これからの予測を何もかも打ち壊して、そして私とナマエは自分では何一つ決められないからお互いにお互いを決めようとしている。私はナマエの夢を決めた。ではナマエは。

「じんないさま、」

ゆっくりと目を閉じたナマエは、許したつもりだったのだろうか。幾人もの血を吸った穢らわしいこの手をナマエの想いに伸ばす事を。何一つ自由に得てはならぬ身の上でありながら、それでも身の程知らずに彼女を求める果てなく業の深い私を。