彼方
2025-05-12 22:14:33
2991文字
Public お題箱より
 

【お題006】むねのうち(全年齢)

【いただいたお題】
最後の春高で負けたあと、みんなから隠れた場所でbktさんにひっそり抱きしめられる葦くんのお話を読んでみたいです…!
付き合ってても付き合ってなくても嬉しいです!!2025/04/07 10:18:52

こちらをアレンジして書きました。他の方の素敵な作品に影響を受けていない…とは言い切れないので、どこかで見たような雰囲気になっていたらすみません🙇‍♀️この二人は付き合ってない兎赤です(たぶん)

 
「あ、いた。あかーし」
 人の気配から逃げた通路の片隅で一生懸命精神状態を整えようと苦慮していたところに、とんでもなくのほほんとした声が響いた。その声はどこまでも柔らかく穏やかで、言い方を変えれば能天気で緊張感がなくて、ちょっとだけ皮肉っぽく言えば全くその場の空気を読んでいなくて、いつも通りの木兎さんが俺を呼ぶ時の声だった。
 それがとてもついさっきまで試合をしていたひとの声とはどうしても思えなくて、俺は振り向くことなくその場で俯いたまま唇を噛んだ。
「べつに忘れ物なんてなかったでしょ? みんなそろそろバスに戻るよーってマネージャーたちが」
 ついこないだも聞いた台詞だ、あの時はまだ次の日も試合があった。勝って勝ち進んで最後の試合までたどり着いてしまった。なのに何回も繰り返す日常の練習試合の延長線上にあるみたいな雰囲気で、また次の試合があるみたいにその台詞を口にしないで。
 さっき終わった試合が、最後だったじゃないか。そりゃ学校に帰ったらまだ締めのミーティングとか、追い出し試合とか、引き継ぎとか、なんかたぶんいろいろあると思うけど全部置いといてとりあえずさっきのが最後。俺にとって木兎さんにトスが上げられる最後の試合だったんだぞ。
「なんでそんなに、普通なんですか」
 噛み締めた唇の隙間からは、混じりっけのない嫌味な言葉が飛び出した。こんなこと本当は言いたくない。でも、でも……
「ん、普通ってなにが?」
 すたすたと遠慮なく距離を詰めてくる木兎さん。このひとの辞書にはきっと〝空気を読む〟って言葉は載ってないに違いない。気づくだろ普通、この雰囲気。春高最後の試合、フルセットの末に優勝できなかったチームの副主将ががっくり肩を落として黄昏てるんだ、ちょっとは気を遣えっての。
「あかーしが最後だから呼びにきたんだけど、ダメだった?」
 背中からトゲトゲしいオーラを出しまくりの俺に、優勝できなかったチームの主将でエースが近づいてくる。このひとは誰よりも勝つことにこだわり誰よりも勝利を望んでいた。そして全てを背負ってコートに立っていた。そんなひとにかける言葉じゃないってのはわかってる。思わず自分の口から漏れてしまった言葉は取り返したくても取り返せない。言うんじゃなかった、言うべきじゃなかった。ああでも本当にどうして、このひとはこんなにも普通なんだろう?
「いちおう帰ってくるの待ってたんだよ、これでも」
 俺の背後で木兎さんが立ち止まった。うーんと少し唸ったあと、木兎さんあっけらかんとした口調で言葉を続ける。
「なのに赤葦いつまでたっても帰ってこないから、探しにきちゃった」
 皆から離れた時の言い訳は〝忘れ物が無いか心当たりを全部チェックしてきます〟だった。忘れ物なんてマネージャーや後輩たちがチェックするから、俺の言い訳がただの口実だってこと皆わかっててそっと見送ってくれたのに、このひとだけはそうじゃないのかな。最後の最後まで、ほんとうにやっかいで手のかかるひとだ。
「まあ、帰ってこれねえか……
 ふと背中が温かくなって、何かに包まれた。そして雑な動きで俺の顔を覆ったのは木兎さんお気に入りのフカフカのタオル。吸水性が良くて汗だくになってもすぐに吸ってくれるって喜んでたやつ。背中の温もりの正体は広くて分厚い木兎さんの胸で、俺を包んでいるのが彼が着るベンチコートだと知ったのは、一瞬あとのこと。
「んぶっ……なにす、」
「あかあし自分が思ってるよりもずっと泣き虫なんだってこと、いい加減気づいたほうがいいかもね」
 隠れてここで泣いてたの、思いっきりバレてた。泣き虫ってなんだよ……そりゃ嬉しくても悔しくても思わず涙が出てくるタイプだってのは否定できないけど、泣き虫ってほどでもないだろ。
「タオル置きっぱなしだったから、顔拭くもん持ってかなきゃと思って」
 相変わらずのほほんとした声で俺のことをわかったような口をきくのはやめてくれ。自分でも止められなくて困ってたのに、アンタが来たら余計に止まらなくなっちゃうじゃないか。
「うるさ……い」
 思考回路がうまく動いてないのがわかる。いつまでたっても壊れた蛇口みたいに止まらない涙と、溢れでる嗚咽。試合が終わって表彰式も無事終えて、さあやっと帰るぞとなった時に思い出したかのように込み上げてくる敗退の実感と別れの予感。突きつけられる現実をどうしても受け入れたくなくて、ほんの少しだけクールダウンの時間が欲しかっただけなのに。
……トイレ、で、顔洗って……もどる、つもりでし……たッ」
 しゃくりあげてひっくり返る声、カッコ悪いにもほどがある。
「うん」
「でも──ぜん、ぜん……とまって、くれ、なくて」
「うん」
「こん、な……かお、みせたく、ないし」
「うん」
「みん、な……くやしいのに、おれ」
「うん」
「おれ、だけ……ぼくとさん、ふつう、で」
 ぼろぼろこぼれ出てくる胸の内と透明な雫。ぜんぶぜんぶ背中の温かさと柔らかすぎるタオルのせいだ。俺だってこんなふうに、泣きたくなんてないのに。
「俺はさ、お前の涙嫌いじゃないよ」
 のんびりとした口調でそう言いながら、木兎さんは俺を背後からぎゅうっと抱きしめた。側から見たらベンチコートで二人羽織をするように見えてちょっと滑稽かもしれない。でも今のところここは俺と木兎さんの二人だけ。泣きながら悔しがる後輩を慰める、優しい先輩の姿に見えなくもない……と思いたい。
「でも、できれば他のヤツには見せたくないから……ひとりで泣いててくれてよかった」
「はぁ」
 普通にとんでもないことを口走る主将にびっくりしたぽくて、俺の涙腺は一瞬涙の放出をやめた。悔しさで埋め尽くされていたはずの俺の心に湧いてくるのは、焦りなのかなんなのか。
「時間になっても帰ってこなかったら置いてく! って木葉から言われてるから、最悪泣き止むまで付き合うよ」
「そんなの、ダメに決まってるでしょうが……
 柔らかいタオルでガシガシ顔を拭いてついでに鼻水も拭いて、ああこれはちゃんと洗濯して返すとして、置いてかれるのは困る。
「早く戻らないと」
「ちぇ、残念」
──残念って、なに?
 
 俺は身を捩って木兎さんのベンチコートから抜け出すと、振り返って木兎さんにぺこりと頭を下げた。下げたまま、とりあえずその場を凌ぎたくて思いついたことを全部舌にのせる。
「ご心配をおかけしてすみませんでした、タオルは洗って返します。あ、ちゃんと柔軟剤も使いますしなんなら新しいものに交換しても。もうこんなこと二度と無いようにしますし、皆さんにもちゃんと謝りますし、それから……
 じわじわと熱くなっていく頬がどうにもならないまま、俺は滔々とどうでもいい言葉を紡ぎながらその場から走り出そうとした。けどそれは叶わなかった。
「帰るなら二人で帰ってこい、とも言われてるから」
 咄嗟に掴まれた手首をぐっと引っ張られて、勢いがついたまま俺は木兎さんの胸に飛び込んだ。するりと解けた手が、今度は俺の手をしっかり握る。
「逃げないでね、赤葦」
……ッ!」
 息を呑むと喉が鳴る。嗚咽じゃないその音をなんと表現するのか、俺はまだわかりたくなかった。

 2025.5.12