みがきにしん
2025-05-11 18:00:17
2507文字
Public アラン君とラド君の話
 

アランくん(ほんらいのすがた)についての小話

実はアラン君の髪の毛の色は、という小話。

 シロガネに帰ってくるのは久しぶりだな、とラドミールは思った。「新大陸に行ってくる」と言い置くだけ言い置いて、そのまますっかり帰ってこない師の代わりに、ここ最近はずっとあちこちを走り回っていたからだ。
 以前と比べて、世界情勢はかなり安定を見せている。が、それは表面的な話だ。一皮むけばどこも皆それなりにトラブルは抱えており、人手が十分だ、と言えるだけの余力を持つ国は少ない。当然、実力がある冒険者を求める声は多いわけで、師の名を挙げる人の間を、ラドミールは代わりに飛び回っていたのだった。
 無論、そのことに文句はある。とてつもなく、ある。好きなだけそれを言っていいのならば、おそらく一時間丸ごと使ってしまえる。が、旅立つ前に世界情勢の安定を喜び、まだ見ぬ土地に随分表情を明るくした姿を見て、ラドミールは口を噤むことを選んだ。アラン自身は一言すらも口にしないが、その背に負っていたものの大きさには勘づいていたからだ。随分長くラドミールの前から姿を消していた理由もなんとなく知っている。上手く隠してはいるが、一時は体の動きがぎこちなかった。
 そんな理由で引き受けていた仕事だが、何も毎日毎時間舞い込んでくるわけではない。だが、これまではまとまった時間が取れるほどではなかったので、シロガネの部屋はリテイナーたちに任せ、ラドミールは旅先で寝泊りをしていた。それらがとうとう落ち着いたので、ようやく帰ってこれたのだ。
 ふうと一つため息を吐きながら、部屋の扉を開ける。本当は午前中に帰ってきたかったが、定期巡行船が遅延して、クガネについた時にはすでに昼過ぎになっていた。せめてこの休みが終わる明後日まで部屋でのんびりしてやる、と決意して顔を上げると、そこには見慣れたようで見慣れない姿があった。
「ああ、ラド。おかえり」
 エレゼン族らしい、座っていても高いと分かる上背に、柔らかで平坦な声。振り返るその顔には、赤い入れ墨が髪の間から見え隠れしている。けれどその髪は常と異なり、昼の光に照らされて炎のように赤く色付いており、向けられた翠の視線がいつもの数倍の鋭さを持ってラドミールを刺す。
 数か月前、新大陸に旅立って何の音沙汰も寄こさなかった師が、けれどいつの間にか髪の色を変えて、そこにいた。
 アランはあまり目立つ容貌ではない。というか、特色は複数あるように思われるのだが、いずれも統一感がなくごちゃついているのだ。目立ちそうな顔の入れ墨はほとんど全体を隠しているし、髪の毛はごく普通の濃いオリーブ色。毛先こそ赤くなっているが、全体の雰囲気を覆すほどではない。ひんやりとした翠色の目は、穏やかなオリーブ色の髪の毛から覗くと、なんとなしに険が取れて印象が薄くなる。結果、ちょっと綺麗程度の青年という形に落ち着く――それがラドミールの知る師だった。
 が、髪の毛の色が変わるだけでどうだ。燃えるような赤い髪は、彼のいる場所だけにランプを灯したように目を引き、それらの間から寄こされる翠の視線はぞくりとするほどに強く、背筋が伸びるような緊張感がある。特に何か言われたわけでもないのに、目の前にいる相手がどういう人物なのか知らしめるような、圧倒的な存在感が生まれている。それに気圧されて、ただいつも通りに挨拶されただけなのに、少年の足は竦んで動かない。
 動くこともできずただ呆然と師を見つめていれば、彼は困ったように眉を下げて笑う。その顔ばかりはやはりいつも通りで、ラドミールは漸くはっとして目を瞬いた。
「すまない、ラド。帰ってきて早々だが、小金通りで染粉を買ってきてくれないか。色はメモをしておくから、それを店主に渡してくれ。ご覧の通り目立って敵わないんだ」
 
「元の髪の色が嫌いでね。いつも染めているんだけれど新大陸の方の染粉は髪に合わなくて、すぐ抜けてしまって」
 買ってきた染粉を渡してすぐシャワールームに籠った師は、戻ってくるといつもの髪色になっていた。なるほどあのメッシュは、地味な元の髪色にワンポイントで入れていたのではなく、むしろ元の色が毛先の色で、地味な色は染めていたというわけだ。ラドミールはほっとする。先ほどの姿は、なんというか、緊張感がありすぎた。
「昔はあの髪色をしていたものだから、まあなんというか、目の敵にされたことがあって。それからずっと染めているんだ」
 どたばたですっかり遅くなってしまった昼食を食べながら、アランは決まりが悪そうに説明する。久しぶりに食べる師の手料理(これが何故だか素晴らしく美味い)をせっせと口に運びながら、ラドミールはそうだろうなと内心で呟く。
 赤と緑は補色だ。炎のような髪にひやりとするような翠の目は、きっと強い印象を見る者にもたらすことだろう。何があったかは知らないしきっと言うつもりもないだろうが、なんとなくなら彼を目の敵にした人間の気持ちも分かる。
 本来の彼は眩いのだ。おそらく眩しすぎるといってもいい。夜闇の中、一人だけランプを掲げ持つように、人中にあってその姿が埋もれることはきっとない。それはどれほど稀有だろう。それはどれほど――目立つだろう。そしてどれほど――気に障ると感じる人が居るだろう。
 勿論、それは師が元より持つ資質であって、それを捨て去れるわけでもないし、何か罪があるわけでもない。それを嫌いになり染め続けているということは、それなりに思う所が彼にはあったのだ、隠した方がいいと考えるほどには。けれども「こういうところでさえも」と思う心もまた、ラドミールにあるのだ。
 英雄。他者を焼き、どうしようもなく高みに一人立つ人。物語の中の登場人物のような。その弟子としてあってなお、その背はとてつもなく遠い。
 少年は物思いと共に口の中の肉を飲み込み、行儀悪くフォークを師に向ける。
……そんなことより、おかわりが欲しい。あんたがいない間散々働かされたんだ、それくらいあるんだろ?」
 アランは目を瞬き、苦笑して立ち上がりキッチンに向かう。その姿はいつも通り、姿勢がいいだけの青年で、ラドミールは小さく息を吐いた。