かなざわ
2025-05-11 07:51:57
3417文字
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あなたの指が

理凰成長(17歳)If。りお→つか恋心自覚済。司の寝顔を見る理凰の話。

 理凰が不定期で明浦路司のレッスンを受けるようになったのは、中学生になってからだ。
 名港ウィンドFSCの、ひいては自身のコーチである父慎一郎の指導に不満を持ったのでは、決してない。
 自身の技術の底上げのために、司の指導の元でスケーティングレベルの向上が必要だと思い、志願したのだった。
 何より理凰自身が、司に指導を受けられるというだけで気分が高揚する。それと同時に彼の指導を受けたのだから、それに恥じないレベルのスケーティングをしたいという負けん気も湧いてくる。
 性格的に言えば理凰と司は異なる所が多い。感情を表に出すのを躊躇わない司と、諸々を抑え込みがちの理凰と。
 一見すると噛み合わないように思えるが、司の言葉はいつだって理凰にまっすぐ届くのだ。あの夏の合宿の日から、ずっとそれは変わらない。
「こんにちは、瞳先生」
 通い慣れたリンクへの扉をくぐり、中にいたルクス東山FSCのヘッドコーチ、高峰瞳に挨拶をする。瞳は理凰の顔を見ると、驚いた顔で時計を確認した。
「こんにちは理凰くん、レッスンまで、まだ時間あるわよね?」
「あ、はい。今日学校早く終わったんで。時間はいつも通りで大丈夫です」
「そうなのね、リンク行っておく?」
「明浦路先生に挨拶してからにします。今の時間だと、リンクではないですよね?」
「ああ、うん……実はね」
「?」

「失礼します……
 声をひそめて、扉の開閉も極力音を立てないように気を付けながらそっと室内に足を踏み入れた。
 場所は医務室。
 大須リンクで怪我をしたことのない理凰は、ここの医務室に入るのは初めてだった。
 施設は変われど医務室の作りは大体どこも同じようなものだ。薬品の匂い、壁際に並んだ棚、簡易的なベッド。
 理凰は無言で、ベッドに歩み寄っていく。
 ベッドに横になっているのは、司だった。
 司は目を閉じ、すうすうと穏やかな寝息を立てている。
……ホントに寝てる」
 思わず声に出して呟いてしまった。慌てて口を覆うが、司が目を覚ます様子はなかった。
 瞳から司が医務室にいると聞かされた最初は、驚いた。怪我をしたか具合でも悪いのか、と。
 レッスンはいいから帰ってもらうべきではと進言した理凰に対し、瞳が苦笑して教えてくれたのは。
「脱走犬見つけて徹夜って……
 昨日の帰りに駐車場で脱走犬を見つけてしまった司は、放っておけずにその犬を保護し。色々と奔走した結果として、ほぼ寝られなかったらしい。
 本人は午前中こそクラブの雑務諸々をこなしていたらしいが、午後になって瞳に仮眠の申し入れをしてきたのだと。
 その理由というのが。
「俺のレッスン、ちゃんと見たいから、か」
 理凰さんのレッスンを万全の状態でしたいので、という理由で仮眠をしたいと、司はそう言ったというのだ。
 理凰は司に師事を仰いでいるのだから、立場的に彼の生徒で間違いはない。
 けれど所属は名港ウィンドFSCから移籍してはいないし、指導の中心に父がいるのも事実だ。
 気持ちの部分では「司の一番弟子」であることをいのりに負ける気は微塵もない。だが、諸々の環境面を考えるといのりに分があると言わざるを得ないのも、分かってはいた。
 司が生徒に優劣をつける性格ではないことは知っていた。
 だが自分のいない場所で、改めて本人から「思われている」言葉をもらっていたという話は、理凰の胸中に望外の喜びをもたらしていた。
 ベッド脇の丸椅子に腰を下ろしかけた理凰だったが、やや逡巡してから床に膝立ちになる姿勢をとった。
 椅子に座るより、司の顔が近くで見られるからだ。
 (先生の寝顔、はじめて見るな……)
 笑顔も泣き顔も真剣な顔も、様々な表情を見てきた。それでも寝顔を見られる、というのはどこか特別な気がして。
 理凰がそろりとベッドに手を置いても、司は眠ったままだった。
 元々実年齢より若く見える顔立ちをしている司だが、目を伏せているとそれが際立つようだった。わずかに口が開いているのもあってか、どこか幼くも見える。
 かわいい、なんて。
 年上の成人男性相手に思うようなことではないはずなのに。
 (あ、目の下、クマできてる)
 目の下にうっすらとクマが出来ているのは、伝え聞いた昨日の徹夜のせいだろう。
 困っている相手を放っておけないのが司の性分なのだと分かっていても、時折それにひやりと心臓が跳ねることがある。
 司は自身を差し出すことに無頓着で、それがいつか、彼を大きく損なってしまいそうで。
……俺が」
 俺が、先生の手を引ければいいのに。
 先生が誰かに守られるほど弱くないなんて知ってるけど。
 せめて、先生が不用意に傷ついてしまわないように、俺が手を引けたら。
 誰の悪意も敵意も届かないように、どこかへ。
……んん」
「!」
 司が寝言ともつかない声をもらし、理凰は咄嗟に息を飲む。
 動きを止めて司の様子を見守るが、覚醒の兆しではなかったようだ。司の寝息はすぐに穏やかなものに戻った。
 理凰の考えを遮るようなタイミングでもたらされたそれに、思わず力が抜けてしまう。
 (寝ているときまで、とか)
 司がどこまで理凰の内面を見抜いているのか。それは計算ずくというより、司が全力でぶつかってきた結果が理凰にとって良い方向に転がっている、に近いのかもしれない。
 全て見抜かれていても、偶然の産物でも、どちらでも構わなかった。
 どちらにせよ上手くやれているのなら、それは結果として「相性がいいから」に他ならない。
 先生、と。
 呟きかけて、そっと口を閉じた。
 そう呼び掛けてしまうと司が目を覚ましてしまいそうな気がした。
 そもそも理凰が何故医務室を訪れたのかと言うと、瞳に司を起こしてほしいと頼まれたからだった。
 レッスンの五分か十分前になったら司先生を起こしてあげて、と。そう頼まれて二つ返事で引き受けたのだ。
 医務室の壁にかかっている時計を確認したが、頼まれた時間まではまだ十五分ほどの猶予があった。
 (よく寝てるみたいだし、ギリギリまで休んでおいてほしいってだけだから。別に先生の寝顔見ていたいからってわけじゃないし)
 誰にともなく内心で呟きつつ、眠る司を眺める。
 そこでふと、司が顔の横に手を置いていることに気づいた。
 上向いた手のひら。軽く曲げられた指。
 司の手を見て思い出すのは、どうしたって理凰のプログラムを滑って見せてくれたあの日のことだ。
 一度しか見せていなかったプログラムを、司は丁寧にしっかりと滑っていた。
 ステップが、リズムを掴む足先が、目に残る指先が、今でも昨日見たばかりのようにハッキリ思い出せる。
 しばらく迷い、躊躇い、やがて。
 理凰はおずおずと、司の手に自身の指をそっと乗せた。
 司の手は、成長途中の理凰のものより大きく、節々がしっかりとしている。何より、驚くほど熱かった。
 (え、先生これ、熱ない? 寝てるからかな……)
 心配になりつつ、司の顔を改めて見る。穏やかな寝顔はそのままで、具合が悪そうには見受けられなかった。
 以前司が俺体温高いんだよね、と言っていたのを思い出し、おそらくこれが彼の平熱なのだろうと当たりをつけた。
……あつ」
 呟いて、けれど手は離さなかった。
 離すどころか、寝息が乱れないのを見て、そっと両手で司の指を包み込んだ。
 この手が、しなやかな指先が、あの日もたらしたものを、理凰は一生忘れないでいるだろう。
 司自身が知らなくても、ずっと。
 敬虔な信者みたいだな、と思う。焦がれて、手放せなくて、追い続けて。
 信徒ではいられないのは、そこに手に入れたいと願う欲が混ざっていると自覚しているからだ。
 衝動的に包んだ指先に唇を寄せかけ、寸前で動きを止めた。苦笑して目を伏せ、その指に額を押し当てる。
 先生。
 あなたの指が生んだ熱が、俺を射貫いたみたいに。
 いつか俺の熱が、あなたに届いたらいいのに。
……届かせてみせるけど」
 伊達に不屈の男の血を引いているわけではないのだ。
 父のように執念深く、母のように情熱的に。
 いつかを願いながら、理凰は司の指を掴んだままでいた。
 包んだ手で、司の体温と自分の体温が混ざり合っていくのは、ひどく心地よかった。