世間一般的な、いわゆる“女の子を女の子たらしめるもの”に、全く興味がなかったわけじゃない。ポケモンやバトルへの興味が、それらに勝っただけ。後悔は、してないけれど。でも。
ちょっとくらい、知っておけばよかったかなって。
きみに、スグリに恋をして、そう思うことが増えたのです。
「こんにちは……」
「あらアオイちゃんじゃない。またトップに代わって視察?」
「う、うう……リップさぁん……」
「ちょっとねえどうしたの? かわいいお顔が台無しよ?」
「かわいくなんてない、です……」
「は?」
そんなわけないでしょってリップさんは言ってくれた。だけど、それはきっと“子どもとして”かわいいのであって、“女の子として”かわいいわけではないと思う。そう訴えれば、眦をつん、とつり上げていた。
「あの……リップ、さん?」
「アオイちゃんはかわいいわ。子どもとしてじゃないわよ? 女の子として、とびっきりにかわいい」
「で、でも、お手入れとかメイクの知識とか、あとファッションもよくわからな……んむっ」
「ストップ。それ以上はメッ、よ?」
すらっとのびた人差し指が、言葉をとめる。爪先を彩るネイルは、つやつやのぴかぴか。
「確かに知識は必要かもだけど、それを理由にして自分を卑下するような言い方はよくないわ」
「……」
「……かわいくない、なんてアオイちゃんが思っちゃうような何かが、あったのかしら?」
「……はい」
今日はジュルスケ余裕あるから、ゆっくり話していいわよって言葉に甘えて、勢いのままにリップさんのところへ来た理由を口に出す。
ブルーベリー学園でたまたま耳にした、わたしのうわさ話を。
「新チャンピオン、お前らはどう思う?」
「え? バトル激強」
「それもだけどそうじゃなくて! 女子としてどうよって話!」
「あー……まあ可愛いんじゃね? でも」
「でも、何?」
「なんて言やいいのかな。可愛いは可愛いんだけどさ……」
「子どもっぽい?」
「あ、そうかも」
「わかる。女子とか彼女っていうよりかは、妹感が勝つ感じ?」
「それだ!」
「まあ自分よりバトル強いって時点で彼女としてはなーって思うし」
「それなー」
げらげらと続いた笑い声は、今も頭に響いている。
「――ということがあって……」
「ん、オッケー。とりあえずその男子の名前わかるかしら?」
「え」
「なるはやでその子達に、特・別・授・業。しないといけないみたいだから」
「えっ?」
「……んふふ。冗談よ」
その割には、目の奥が笑ってませんが……?
「別にお年頃ってやつなわけだし、そういう話をしちゃダメってことじゃないけど。でもそれとこれとは話が別。現に、アオイちゃんは傷ついちゃって傷心モードなわけだしね」
「傷心モード」
「そう。恋する乙女に失礼だって、リップは思うわ」
「でも、わたしが勝手に聞いちゃったってだけですし……」
「そもそも。聞こえるようなボリュームで、誰に聞かれるかもわかんないようなとこで、そーいうこと話してるのがダメダメだとは思わない?」
「それは……」
一理あるかもしれないけど。
……ん? ねえちょっとまって。その前に。
「こっ、ここ、恋する乙女!?!? 誰が!?」
「アオイちゃんに決まってるじゃない。違うの?」
「なっ、なんでわかっ……!?」
「語るに落ちてるのよねその反応は」
「あっ」
「……んふふ。かわいくないって言われて悩むのは、誰かにかわいいって思われたい、ってことでしょう?」
「うう………………はい」
「アオイちゃんのそういう素直なとこ、リップすきよ?」
「あ、りがとう、ございます……?」
じゃあ、リップが特別にレクチャーしてあげる。アオイちゃんをグンバツとびっきりにかわいくするためのマジック。まずこれは、リッププロデュースのヘアオイルとリップグロス、それにスキンケアグッズも。みんなアオイちゃんにあげる。今度発売するのもあるから、チェックと宣伝シクヨロね。だいじょうぶ、使い方は今からちゃーんと教えるわ。んふふっ、かわいいアオイちゃんがもっともーっとかわいくなっちゃうわね?
……といった感じにぽんぽんぽん、と次から次へと出されたのは、見たこと聞いたことはあってもほぼ知らないものばかり。それらに混乱するわたしを見てリップさんは、ふんわりと笑いながら、ひとつひとつ丁寧に、使い方を教えてくれた。わたしがちゃんと覚えるまで、ていねいに、丁寧に。
「……ん、パーペキ」
「ありがとうございます」
「いいえ。リップは背中を押してあげただけ。勇気を出せる魔法を、かけてあげただけよ。その後はアオイちゃん次第。……頑張ってね」
「リップさん……」
なんだか本当に、魔法使いみたい。不思議と勇気がわいてきて、その足でブルーベリー学園へ向かった。
きみに。スグリに。
かわいいって、思ってもらいたい。言って、もらいたい。
それだけを、胸に抱えて。
「……あら? アオイさん、メイクしてます?」
「う、うん。ちょっとだけ、リップグロスで」
「やっぱり! くちびるうるつやでとってもかわいい!」
「……かわいい? ほんとに?」
「はい!」
「え、えへへ……そっか、そっかぁ……えへへ」
「それに、りんごの香り? これは香水……ではなくヘアオイルですね! 髪がさらつやで……うん。いい香りです」
「わかる? えへへ……リップさんに教えてもらって」
「アオイさんのかわいさがより引き立ってます。ふふ、かわいすぎですよー!」
タロにそう言ってもらえると、自信がつく。かわいいものが好きで、自身もかわいいタロがそう言うのなら、きっと今のわたしはとびきりに「かわいい」のではと。
……スグリ、かわいいって、言ってくれるかな。もしかしたらめんこい、かも。かわいいって意味なんだといつだったか教えてくれた言葉を、きみの口から、聞きたい。
「あ、スグリくん」
「!」
目が合うと、スグリはふわっと笑った。ただそれだけなのに、心臓がはねるどころか、とびはねるをくり出して口から出ちゃいそう。かわいくなったはずの自分を見てもらいたいはずなのに、なんでかな。見てほしく、ない。だって。だって今わたし、チークもいらないくらい、ほおが赤くなってる気がするんだもん。でも、見てほしい、なあ。
「こっちさ戻ってきてたんだな」
「う、うん」
「……? なんかアオイ、いつもと違う気がする」
「!」
気づいて、くれた。
どうしよう。うれしい。すっごく、すっごく嬉しい!
「ですよね! 今日のアオイさん、いつもと違ったかわいさがありますよね!」
「あー……えっと、うん……」
「……スグリくん?」
「…………俺、いつものアオイのが……いい、な」
…………え。
スグリ、今、なんて。
いつものがいいって、どういう、こと。
頭の芯が、すうっと、冷えていく。
「似合って、ない、の?」
「えっ!? あっ、ち、違う! そ、そういうんじゃなくて……!」
「……いいよ。ムリ、しなくても」
「むっ、ムリなんかしてない!」
顔を隠したくて、下を向いてしまった。だから、スグリがどんな顔をしてるのか、わからない。顔、見たくない。見せたくない。スグリに見せたくて、頑張った、はず、なのに。鼻の奥が、ツンとする。だめ。泣くな。泣いちゃ、だめ。
スニーカーと緩んだソックスが、わずかにゆがみだした視界に入った。頭がそれを理解するよりも先に体が、足が、動く。
「アオイっ!?」
「アオイさん!」
部室を飛び出した。ううん違う。逃げ出した。
走って。走って。走って。脇目もふらずに、とにかく走る。
「うわ危ねっ」
「ごめんなさい!」
タロが言ってくれた「かわいい」が。リップさんがかけてくれた魔法が。溶けていく。解けていく。代わりにあの日の笑い声が、鳴り響く。
――子どもっぽい。
――妹みたい。
――可愛げがない。
――――彼女としては、ない。
自室に飛び込んで、耳をふさいでも。なおもその笑い声は、鳴り続ける。
鳴り止んでよ。出ていってよ。もうわかったから。お願いだから。出ていって。もうやめて。お願い。
「アオイ……いる?」
「っ!?」
「……いない、のかな。こっちさ走ってったって聞いたんだけどな……」
スグリ!? どうして。なんで。
……追いかけて、きて、くれたの?
嬉しい反面、顔を、見られたくない。幸いわたしが部屋にいることには気づいてないようだし、このままなら、たぶんやり過ごせそう。
……そう、思っていた。
「ウェゥル」
「え」
「わぎゃっ!?」
突然飛び出したウェーニバル。彼に手を取られるとともに、背後のドアが開けられ……え。ねえちょっと待って何してくれてるの!? ねえ!?
たたらを踏んだスグリを見て。次いでウェーニバルを見る。彼はお手本みたいなウインクをすると、出てきたときと同じように自らボールへと戻っていった。
残されたのは、わたしとスグリ、二人だけ。
つかの間の沈黙は、スグリによって破られた。
「アオ」
「! 出てって!! ……お願い。居留守したのは、謝るから。帰って、ほしい」
「……どうして?」
どうして? なんでそんなこと聞くの? 顔見られたくないの。お願い、わかってよ。
「泣いてるアオイさ、放っておけない。だからごめん。帰らない」
「な、泣いて、なんて……っ!」
思わずあげた視線の先には、ゆらゆらとゆれる月の色。目尻を、少しカサついた指が、やわく撫でていく。そこで初めて、自分が泣いていることに気がついた。
「す、ぐり……?」
「……さっきは、ごめん。アオイが泣いてるの、俺のせい……だよな?」
「スグリの、せいじゃ、ない……よ」
きっかけは、そうかもしれないけれど。でもこれは、違うと言い切れる。
ならばなんだと言うのか。
悲しいのかな? 悔しいのかな? ……わからない。
ただひとつ、わかるのは。
きみに、スグリに。かわいいって思ってもらいたいと続けてきた努力が、無に帰したことだけ。
「……やっぱりわたしには、こういうの、似合わないよ、ね。だからスグリ、いつものわたしがいいって、言った、んだよね?」
「な、なんでそうなんの!? 似合わないなんてんなこと俺、一言も言ってない!」
「え」
「………………あー、もう!」
スグリは両手で頭をかきむしると、ため息を、ひとつ落とした。ため息っていうよりは、なんだか深呼吸、みたい、な……?
再びすがたを見せた月は、もう、揺れてはいなかった。
「つまんねえ意地さはんの、もう、やめる」
「……意地?」
「…………アオイ」
「っな、なに?」
「めんこい。かわいい。かわいすぎて心臓も頭もわやになりそうなの、俺今、必死で抑えてんだ」
…………。
……………………。
………………………………。
〜〜〜〜っっっっ!?!?
「な、なっ……!?」
「いつもめんこいな、かわいいなって、思ってる。……それにアオイのこと、友達としてもだけど、女の子として、その……好き、だから。……でも好きだって言ったりしたら、アオイのこと、きっと困らせるから。友達としてずっとそばにいられれば、それでいいやって」
「えっ、え……?」
す、すき……? えっ誰が? 誰を?
「けど今日、いつもよりもずっとめんこくてかわいくて。いやアオイはいつもかわいいんだけど! けどこんだけかわいかったら、アオイの魅力にまだ気づいてない奴らがアオイのこと好きになっちまうかもとか、もしかしたらアオイに好きなやつさできて、そいつのために? とか思ってたら……いつものがいいって、言っちまってて。だからその……自分勝手だった。ごめん」
「えっと、あの……?」
「……困る、よな。いきなりこんなこと言われても」
「っ! こ、困らない! 困るわけ、ない!」
困るなんて、あるわけない。
「だっ、だってわたし……スグリに、す、好きな人、に。かわいいって、思って……言って、もらいたかった、の。だ、だから今、すごく、うれしい。うれしい、ん、だけど」
「……?」
「きゃ、キャパオーバー、です……」
「えっ、アオイ? アオイぃーー!?」
好きなひとに、好きだと言われて。いつもかわいいと思ってた、なんて言われて。頭の中が、なんかもうぐるぐるになっちゃって。
もしかしたら防衛本能、なのかな。意識がふわっと遠のく気がして。逆らうことなく、そのまま、手放してしまった。
あの日の笑い声は、いつの間にか、止んでいた。
「ところでなんで急にかわいくなりたい、だなんて思ったのか、聞いてもいい?」
「……いや、それはもう聞いてるのと一緒だと思うなあ……。……えっとね、えっと……」
あの日の会話を思い出しても、もう傷つくことはない。だって、かわいいと言ってもらいたかった人は、いつもわたしを、かわいいと思ってくれていることがわかったから。それに今しがた、好きな人と……スグリと、両思いになれたから。
「…………は?」
「えっ。す、スグリ?」
な、なんか顔が怖いよ? チャンピオンだったときみたいだよ?
「ねえ。そいつらの顔とか名前とか、覚えてる?」
「え? うーん……そう言われても、思い出せないなあ……」
「……そう」
リップさんといいスグリといい、どうして彼らのことを知ろうとするんだろう。とりあえず、その怖い顔やめてほしい。
「アオイ」
「ん?」
あ。いつものスグリに戻った。
左手が、三つ編みを軽くゆらす。そしてそのまま、指はわたしの、くちびる、に……ってええ!?
「しゅっ、スグリ……?」
「今のアオイはさ。髪はいい香りだし、口もつやつやで、わやめんこいけど。アオイ自身がやりたいからっていうんなら、止めないけど。……もし、もしも俺のため、なら。こういうのはその……たまに、に、してほしい、な」
「な、なんで?」
「……聞きたい?」
「う、ん」
「…………こういうことさ、したくなる、から」
ふに、とくちびるに押し当てられた、やわらかい何か。それが何か理解する前に、離れていく。
「っ、〜〜っ!?」
「……にへへ」
微笑むスグリのくちびるは、わずかにつやめいていた。
わたしのくちびるから移ったのであろう、リップグロスのせいで。
「俺、いつものアオイも、かわいくしてるアオイも、かっこいいアオイも。どんなアオイも好き。けど、こんなふうに我慢さきかなくなると思うから。とびっきりにかわいくするのは、まだ、たまににしてな?」
「ひゃ、ひゃい……」
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