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那須野
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寿月
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緑風に温む
【寿月】数年後同棲プロ時空*隣で寝ている毛利くんの話。
穏やかな初夏の日差しが、開け放した窓からそよ風とともに足元へ滑り込む。気まぐれに揺られたレースカーテンの淡い影が、時折視界の端で踊るようにゆらめいていた。
ぺらり、と、越知月光は膝上に載せた書籍のページを一枚捲る。
プロ推薦、囲碁名局集。
表紙をシンプルなロゴタイプが飾るそれは、先日立ち寄った本屋の新刊コーナーで見つけたものだ。多忙な日々の合間、実際に碁を打つような機会はあまりないけれども、気が向いたときにこうして本の形に起こされた棋譜を眺めるのがささやかな楽しみのひとつだった。
対局の形勢を想像しながら誌面を追う時間には心地よい刺激があり、静かに凪いだ気分がする。スケジュール通りの休息日、いまは昼食が済んだところで、自宅のリビングには穏やかにまどろむような空気が漂っている
――
否、実際にまどろんでいる男が、自身の傍らにいるのだが。
ソファに腰掛けた自身の隣で、同居人の毛利がこちらの肩に凭れかかってちいさな寝息を立てている。
身長差の兼ね合いで、あいにく寝顔は窺えない。とはいえかすかに聞こえる寝息から察するに、見慣れたすこやかな表情で眠っていることだろう。
むろん、隣り合って座ったときには男も当然起きていた。しばらく過ごしているうちにうつらうつらと船を漕ぎ始めたものだから、肩を貸して三十分後に起こす約束をしたのだった。
近くに置かれたデジタル時計は、男に声を掛けるまであと五分をきったことを告げている。
「
…………
」
文字を追う目と思考を止めて、すぐそばにある体温に意識を向ける。すやすや。子どものような寝息と、呼吸の間隔に合わせて伝わる輪郭の動きが、おだやかに五感にふれている。
無防備にこちらに凭れかかっている長躯は、決して小柄でもないというのに違和感ひとつなく馴染んでいる。ふれあった肩と腕が、すっかり同じ温度になってしまっているからだろうか。そうあることが当然であるかのように、隣り合っているいまが心地好い。
高校生の時分、あの合宿所でも、図書室で本を読んでいる間に気付くと隣で毛利が眠っていることがあった。勿論いまのように密着しているわけではなかったが、この男はそんなふうに静謐を乱さぬようやってきて、誰かの隣でそっと眠るのだと知ったのはあの時だ。
――
あるいは、無意識に気配を受け入れるほど、自身が毛利寿三郎に気を許していると知ったのも、やはりその時である。
何か用だったか、と尋ねた自分に、たしか毛利は「なんもないです」とだけ言って笑った。
広大な図書室で本を手に取ることもせず、ただまっすぐに自分の横へ来て、猫のように背を丸めてねむる。
あのころの自身の気配は、この男の五感にどう映り込んでいたのだろう。少しでも穏やかで心地好いものであったなら良いのだが、と、願うように思った。
視界の隅で、ふわふわとカーテンが揺れている。
水面のようにゆらぐ午後の日差しに目を細める。声を掛ける代わりに男のつむじに口付けたのは、この静謐を自ら崩すことを少しだけ惜しく感じたからかもしれなかった。
男の赤茶色の癖毛と、慣れた匂いが鼻先を掠める。薄手の長袖シャツ越しの体温がしばらくじわりとぬるんだままでいるのを確かめて、そこでようやく口を開いた。毛利。
「狸寝入りとは感心しないな」
「
…………
スンマセン
……
」
いつからか目を覚ましていたらしい。こちらの肩口に頬を押し付けたままなにやら不明瞭に呻く毛利に、胸裡を笑みの感触が擽っていくのがわかる。
「眠れたか」
「そらもう、こない特等席やもん」
「そうか」
それなら良い。
心の内だけでそう続け、閉じた本をサイドテーブルへと逃がす。傍らの男が、そっとおもてを上げる気配があったからだ。
「
月光
つき
さん」
「なんだ」
呼ばれるままに向き直れば、すぐに視線が出会う。幼さの残るひとみが何を言わんとしているかなど尋ねるまでもなかったが、ほのかな熱を湛えた双眸の温度が心地よく、男からのいらえを待った。
数秒のインターバル。身じろいだ男がソファの座面に膝をつく。ぎしりと軋むスプリングの音が聞こえると同時、掠めるように口付けられた。
「
月光
つき
さん」
「
……
なんだ」
「おはようのキス、してもええ?」
「
……
、」
呼吸がふれる距離のまま、どこか挑みかかるような調子で重ねられたそれに、ゆるく目瞬く。
いましがたのキスはなんだったのか。
この状況で尋ねることでもないだろう。
詮無い思考が幾つか脳裏を掠めていったけれども、どれも声にするには不適当だ。
「さして問題ない」
兎角それだけ答えれば、
――
もう一度啄むような口付けが降ってくる。