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ナスカ
2025-05-18 18:00:00
6005文字
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カラミティアンドアストロジャー③
前回の続きです。
「随分な自己犠牲精神かと思いきや、ただの自棄っぱちだな」
厄災は、彼が此処に来た理由を掻い摘んでそう定義した。自分の話がようやく伝わったことに、彼は安堵のため息をつく。
「まあ
……
つまりはそういうことだ。だから、私はこの命をお前に明け渡したい」
厄災は思案する。いよいよ復活を迎えようしていた矢先に、とんでもない奴が飛び込んできたものだ。
もし、彼の言葉通りに彼を贄としたら。もし、馬鹿正直に復活を先延ばしにしたら。彼の望みを二つとも叶えてやることになってしまう。厄災にとっては、食う価値もない人間を食した上、こちらの目論見を一時停止することになる。それはいただけない。
だが、この人間に多少の興味が湧いたのは事実だった。『よくある境遇』ではあるものの、普通とは言い難い生育環境。懸命に夢を追いながらも、背を向けるよう言い渡された。しかもそれを自ら望んだと思い込むことで、痛みを少しでも和らげようとしている。
これを悲劇として消費する時、胸の中で湧き上がる悲壮は何よりも甘美なものとなるだろう。そしてこれを悲劇に仕立て上げるのは、他ならぬ自分だ。
「我が贄となる覚悟はあるのか」
「
……
あぁ」
声が震えている。覚悟はあろうとも、やはり死ぬのは恐ろしいのだ。それでも尚、恐れを隠そうと必死になっている。強がりだ。
「そうか」
厄災は彼の首を両手で、その頚椎を引きずり出す勢いで掴んだ。なんと細く、筋張ってか弱い。首を絞められた彼は身体が海老反りになり、目ん玉をひん剥いた。呼吸がままならず、唇が夜色へ変わっていく。ダラと唾液が口から零れ落ち、無様だ。今に彼の命は、高い高い崖から突き落とされようとしている。他ならぬ、己の手によって。
「ッ、あ、ゔ
……
」
自分の凶暴性を自覚しながら、厄災はその光景がいくらでも欲しくて堪らない。
「そうだ、我はお前から見えざる手でその命を毟り取ることができる
……
だがな」
厄災は手を離した。彼はくしゃくしゃにされて捨てられた紙のように、その場にうずくまる。空咳を繰り返しながらジロリと厄災を睨んだ。何故殺してくれないのかと、恨みが彼の眉間に皺を作っている。厄災はそれを見て、どうにも笑えてならなかった。
「そう怖い顔をせずとも良い。我はもう少し、お前の物語を見てみたくなった。ここで殺しては直ぐに終わってしまう。それは勿体ない」
「私の願いを無視するのか」
「いいや、叶えてやる。しかし、それはお前が真に絶望した時だ」
説くように厄災は言った。
「このまま我が殺せば、お前は望みのままに殺された果報者。夢の探求に心を擦り減らし、疲れ果て、絶望のどん底に陥った時
……
お前を取り殺してやろう」
「
……
成る程。私に、まだ苦しめと言うのだな」
喜びと失望で混ぜ織られた薄いヴェールが、彼の神経質な顔立ちに彩りを添える。いつかそれが絶望一色となった時、どんな顔になるのだろうか。厄災は食事のメインディッシュを待ち侘びるに近しい気持ちになった。ならばメニュー名は把握しておかねばなるまい。
「お前、名は何という」
「
……
アストルだ。特に苗字は無い」
本来ならば御大層な姓があるはずだろうが、それを名乗っていない。きっと国王の血が流れていることを、彼は不満に思っているのだろう。だから母が与えてくれた、己を表す名前のみを名乗っている。
「知っておるだろうが、我は厄災のガノン。肩書は面倒だ、ガノンと呼ぶがいい」
宙に浮きながらガノンは笑う。アストルは興味なさげに一応一瞥して、来た道を引き返し始めた。
戻ったとて、どうせ自分には未来など与えられない。ただ使い潰されてしまうだけ。ならばすぐに絶望することになるだろう。その時、大厄災は起きる。姪には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、これは暗中模索な彼女を傷つけてきた周囲にも責がある。やれと言われて出来るなら、悩む必要など無いのだから。
✽✽
「どういうつもりだ、アストル」
王は憤慨していた。城の地下へと続く扉を見張る兵が血相を変えて報告してきたのは、贄として捧げられたはずのアストルが生きて帰ってきたという非常事態。これでは厄災が復活してしまうのは時間の問題だと、王は自分の前に立つ不義の息子を睨みつける。
だが王の恐れる厄災は、今まさにアストルの側で空中遊泳している。空気中で背泳ぎやらをしているガノンは完全にふざけていた。丁寧に言って、お戯れと言うべきか。アストルはどうもそれに気を取られ、チラチラとその様子を見てしまう。憎き父親は「こちらを見ぬか!」と怒鳴りつけてきた。
「何故戻ってきおった。お前は厄災の贄にならなければいかんのだぞ!」
どうやら王はガノンのことを視認できていないらしい。だがそれは王だけでなく、兵士たちもそうだ。今現在、ガノンを在るものとして瞳に映しているのはアストルだけだった。
地下での出来事を話しても、信じてはもらえないだろう。それでも、まずここから出るために何かしらの言い訳はしなければ。
「厄災は、しばらく復活しない。だから戻ってきただけだ」
「ハッ、バカバカしい星のお告げとやらか? そんなもの、アテにならん」
王はアストルの総てを蔑むように鼻で笑った。どう返すのかとガノンはアストルの顔を見る。彼は青ざめた顔をしながらも両手を握りしめ、懸命に抵抗しようとしていた。
「占星術は、過去の観測の積み重ねだ。スピリチュアルではない」
「ろくでもない連中による記録だろう。恐ろしい兵器で国家転覆を企んだ者共の記録を、何故信用せねばならぬのだ」
ひとつの事実がアストルに突き刺さる。星の観測をしてきた一族は遠い昔、優れた科学力によって厄災を封じる一助となる兵器を作り出した。だがそれは危険視され、今尚土の中に眠っている。漫然と存在する歴史に反論はできない。
「これまでこの国が永らえてきたのは、彼らの働きあってこそではないか。それは重んじられるべきだろう」
もうひとつの事実を以て、アストルは負けじと言い返した。
「奴らが我らに奉仕するのは当然だろう。或れはそういう生き物だ。故に、過ぎた力を持たせてはならぬ」
こんなのは飼い殺しだ。それではまるで、母が死んだあとの自分の立場のよう。アストルは腹が立ったが、この男になんと言い返せようか。ああ言えばこう言われる。意見を握り潰され、自分の声は届かない。そんな冷たい諦めに心が侵され閉ざされていく。
長年かけてわかりきっていたはずなのに、何故今ならば抵抗が叶うと思ったのだろうか。
「それにお前が戻ってきたことで、大厄災が起きたらゼルダの立場はどうなる?」
「それは
……
」
「ただでさえ無才だと、責を忘れていると言われている或れを、これ以上貶めることになるとは思わなかったのか?」
大厄災は起こらないと何度言ったところで、この男は自分の言う事を信用しないだろう。厄災のことを見ることができない以上、信じろと言っても無理がある。見下され、軽んじられている自分の言葉など、誰が聞き入れるか。
「わかったらとっとと戻れ! お前のいるべきところは儂の部屋ではない!」
王はそう叫ぶと床を指さした。無論、彼が示しているのは床ではない。
やはり駄目だ。幼い頃から自分を抑圧してきた対象に抗うなど最初から不可能。アストルは無力感から目を瞑った。
「どうだ、絶望したか? アストルよ」
頭の中に反響するガノンの声に驚いて、アストルは目をかっ開いた。空中で逆さまになっているガノンがニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。正面は彼の顔で、周囲は彼の長い赤毛で閉ざされていた。
「
……
あぁ。土台無理な話だったのだ。私が奴に逆らうなど。期待に応えられず、すまない」
「では、殺して構わぬな」
死ぬ。死んで母の元へ逝く。そうすれば何も考えずに済む。夢を追い続ける苦しさも、それを諦める辛さも、すべて喪って。現世にそれらを残したまま。
本当に、それでいいのか?
「
……
いや、少し待ってくれ」
アストルの六等星の瞳が、突然ギラつく。ガノンはその現象が不可解で「なんだと?」と言い返した。
「どうせ死ぬのならば、全て言ってから死なせてはくれないか」
何を言うと? ガノンはアストルを手にかけるのを中断し、彼の『芝居』に目を向け耳を傾けた。アストルは非道の父である王のことを、毅然とした顔で睨みつけている。今しがたまでとは一線を画す、堂々とした振る舞いだった。
「どうした、早くここから出ていかぬか」
「
……
出てはいくさ。だが、お前に言い残したことが山程ある」
六等星だった瞳は、今では三等星ほどの輝きを宿していた。そして、その煌めきは増していく。ガノンは固唾を呑んでその舞台の行く末を見守った。
「私はただ、悩める人々の力になりたかった。その手段が私にとって、占星術だったという話で」
「何を言うかと思えば」
軽んじられても、アストルは平気だった。この男はそういう人間なのだから、これから自分は死んで彼から虐げられることも無くなるのだから。
そう思うと、不思議なことに力が湧いてくる。
「与えられる仕事の合間に母の遺した書物を読んだのも、夜遅くにベランダから空を眺め星図を作ったのも、星が人の道を照らすと信じていたからだ。私は、そのために力を尽くしているだけだった」
「そのすべてが無駄に終わったわけか」
「そうして嘲笑う者には、一生わからぬだろうな! 私だけでなく、ゼルダのことも!」
怒れ。ぶちまけろ。何かも吐き捨ててから死にたい。無理解に対するアストルの憤りは、鉄砲水のようにその場の総てを押し流さんとしていた。その光景は、まさしくガノンが彼に求めていたもの。出会いの場を上回る姿に、心が高揚し沸き立つ。
「何故支えなかった! 何故指摘ばかりを繰り返す! 何故口さがない連中に同調し、あの子を追い詰めた! その結果が今だと、わからぬのか!」
そう論う内に、アストルはわかってしまった。孫娘にすらあの態度なのだから、妾以下との間に生まれた子など、取るに足らない存在。実力さえ身につければいつか認められる。そんな自分の考えが甘かったことを、アストルは思い知る。ひどい大間違いだ。
「もっと早く出ていくべきだった! 私の道と、お前の考えは、関係ないのだからな!」
結局は、生活の保障があることに甘えていただけ。子どもの頃ならまだしも、大人になってからは城を離れればよかったのに。自分に対する怒りまで湧いてくる。
それが、アストルの瞳に一等星の輝きを与えた。
「この命こそ、私にとって過ぎた玩具。だから喜べ、私は間もなく死ぬ。だがな、身内ひとりも守れぬ者が、国を守れると思ったら大間違いだ!」
「その口を閉じろ! 無礼者めが!」
ガノンの興奮は頂点に達した。それと同時に、不快感も最大限の数値を示す。
長い台詞を噛みもせず、諳んじる。その役者っぷりに、彼が『人生』という舞台を演じているのをもっともっと観たくなった。故に、台詞を妨害する野暮は許さない。
アストルの絶望は、きっとまだまだ遥か遠くにあるのだろう。自分が彼の魂を刈り取るその日が来るまで、潰されて堪るか。
「脇役風情が邪魔だ! すっこんでおれ!」
ガノンは己から湧く禍々しい怨念を固めて三叉の槍を作り出し、その手に強く握る。空気を引き裂く勢いで槍先を突き出すと、巨大なプレッシャーの波が王を襲った。直撃を受けた王は、口を半開きにして目を虚ろにし、座っていた豪奢な椅子の上で溶けたようにもたれかかっている。アストルはその様子に、不気味そうな顔をして半歩後ろへ下がった。
「
……
何をしたのだ?」
「魂を麻痺させただけだ。死んではおらん、すぐ元気になる」
「まだ話は終わっていなかったのだが
……
」
アストルが不服そうに言うと、王が身体をゆっくりと起こした。しかし目は虚ろなままで、目ン玉をひん剥いたままの死体のように見える。魂が麻痺した人間はこんなことになってしまうのかと、アストルは薄ら寒くなった。
「好きにすれば良い。許して遣わす故、ゼルダに会っていけ」
それだけ言うと、王はおぼつかない足取りで別室へ行ってしまった。話していた相手に立ち去られ、アストルは王の私室から出ることにした。
✽✽
客間のベランダで風を受けながら、アストルはガノンに問いかける。
「私を殺すのではなかったのか?」
ガノンは宙に浮かんで胡座をかき、バツが悪そうにそっぽを向く。
「言うだけ言って、絶望しておらんかっただろう」
「お前のせいだぞ? お前が殺してくれると言ったから、安心してしまって
……
逆に力が出たんだ」
アストルの目は三等星程度の輝きを宿しながら、いたずらっぽく笑っていた。彼は窮地で底力を発揮するタイプなのだろう。これでは絶望するのかどうか怪しいところだ。だがもう勝負は始まっている。今更降りては厄災の名折れ。悪態をつくのは負けた気がして、何か関係ないことを探す。そういえば、アストルが屈託なく笑うのを初めて見たのではなかろうか。
「
……
お前、そのように笑うことが出来るのだな」
「随分と失礼なことを言う。私だって
……
」
アストルが何か言いかけた時、扉を挟んだ廊下の方から忙しない足音が聞こえてくる。ヒールのある靴を履いているのか、コツコツと小気味いい音だ。
「叔父様! お戻りになられたのですね!」
ノック無しに客間へ飛び込んできたのは、金色の髪が美しい若い少女だった。息を切らせて、ガノンとアストルの目の前に立つ。身に纏ったロイヤルブルーのドレスが髪色によく映えていた。アストルを叔父と呼ぶのは、この世に一人しかいない。
「ゼルダ」
「よかった
……
ご無事で
……
本当に
……
」
ハイラルの姫は翡翠色の瞳に涙を滲ませ、フラフラとした足取りでアストルに近づき、抱きつく。体幹の弱いアストルはよろけながらも姪を受け止めた。
「
……
安心してくれゼルダ、しばらく厄災は蘇らない」
「えっ!? どういうことですか?」
驚いてゼルダは顔を上げる。無理もない。彼女は復活する厄災を封じねばならぬと、繰り返し十年以上言われてきたのだから。アストルは先程よりも柔らかで親愛に満ちた笑みを浮かべた。
「詳しくは言えぬが、厄災は気が変わったようだ。だから、自分を責めるのはもうやめておくれ」
「でも、叔父様
……
」
アストルは、傷ついてきた姪のために『復活の先送り』だけは伝えたかった。厄災に取り憑かれ、今それが自分の側にいる
……
なんて言っても信じてはもらえないだろう。だから彼女が感じられる事実だけを、アストルは贈った。
「心配いらない、もう平気だ」
アストルのにこやかな顔を、ガノンは横から観察する。予想通り、彼が絶望するには時間がかかりそうだ。
続く
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