ナスカ
2025-05-11 18:00:00
5992文字
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カラミティアンドアストロジャー②

前回の続きです。

「今、何と言った?」
「私は王家の人間だと言ったのだ。厄災よ、王家の人間たる私を殺して、鎮まるが良い」
頼んでいるのか命令しているのか。上から目線のようでいてしかし己を卑下するような表情。ちぐはぐな、身長ばかりあるこの痩せっぽっちを厄災は品定めした。
真に王家の人間であるならば、この線の細さと自信のなさは一体何なのだろう。
この国は困窮しているわけではない。そして王家の人間だと言うならば、食うには困らないはず。そのくせ、彼は痩せ細っている。少食という言葉だけでは説明がつかない。
こちらがジロと睨めば、その視線は泳いで逃げた。喋る時以外は口を一文字に結び、神経質な質を感じさせられる。竦められた肩は、まるで自分の存在する体積を最大限狭くしているようにも見えた。
何より、厄災が最も忌む『或る力』が、彼には無い。
「偽りを申すな。お前がハイラル王家の人間なものか」
「嘘ではない! 私は列記とした、王の子だ!」
「王の子だが、女神の血を流しているわけではあるまい」
的を射られたとばかりに、彼は顔を逸らした。その白い顔は青ざめていく。彼のことは何も知らないが、ここまで気まずそうにしているといっそ哀れに思えた。観念したのか、彼はあっさりと真実を吐く。
……そうだ。私に女神の血など、一滴も混ざっておらぬ」
「で、あろうな」
遠い神話の時代より守護女神の血を引くと言われる王家だが、その正当性は歴代の姫によって受け継がれている。というのも、姫は王家の外から婿を迎え、自身は王妃となるからだ。そして王妃は次代の姫を産み、その姫もまた婿を迎え……ということの繰り返し。この国で王位継承権を得られるのは、王家の姫と結婚した者だけだ。
つまり、王自身には古代から続くゆかりなど無い。ましてや女神の血を引いているわけでもない。『王の子』を理由にして安直に『王家の人間』を名乗ることはできないのである。
では彼は、何者なのか。
「女神の血を流さぬ者が我が贄となったところで何も変わらぬ。大厄災は起こすぞ。それをわかっておるのか?」
「ハッ。厄災に気を遣われるとは、私も落ちぶれたものだな。……いや、ようやく『在るべき場所』に落ち着いたのかもしれぬ」
諦観した様子に、厄災は興味を引かれていく。妙に偉そうで、しかし彼は何かが欠けている。無論、完全な人間など存在しないことは厄災とて承知だ。だが彼は重大な……言ってしまえば厄災の失ったものと同じ何かを……なくしてしまったように思える。
……何があった」
「どうせ最期なのだ、話してやる」
彼の目は地下ではなく、遥か遠くの空を見上げていた。

✽✽

私は幼少の時分より、母と二人きりだった。生きるのに困ったことはない。私と母が暮らしていたのは、小さくとも生活に必要な設備が一通り揃った場所。食事は何処からともなく与えられ、母も優しい。幼い私は幸せに生きていた。唯一の不満は、そこから出られないことだけだった。
母だけは時折出ていくことがあった。特に夜出ていき、私は留守番をするよう言いつけられていた。日中は読書を楽しんでいた私だが、夜間はそういうわけにもいかない。私はひとつだけある小さな窓から星を眺めて過ごした。何よりも楽しかったが、見える景色など高が知れている。
私は、見えない場所にある星がもっともっと見たくなった。星に興味があると母に告げれば、星図や天球儀や渾天儀、星に関する書物をどっさりと与えてくれた。それは母の持ち物で、私はその時初めて彼女が占星術師だと知った。
母から知識を授けられ、小さな私はいつしか占星術師になりたいと思うようになった。迷える人を、星の光を基に導く存在になる。私がかつて、窓から見た星に心を照らしてもらったように。それが私の使命だと。
しかし、それは私の使命では無かったのだ。
ある朝目が覚めると、その前夜に出かけていった母が出かけたままだった。母は私が起床する頃には、必ず帰っている。私が困惑していると、外に続く扉が開いた。入ってきたのは、母を抱えた見知らぬ年配の男。幼い私には、その男がひどく恐ろしくて冷ややかで、すべてを飲み込んでしまいそうに見えた。押し潰されそうな気配に圧倒されていると、男はこう言った。
「お前の母親は死んだ」
男は私の目の前で、母の身体を乱雑に転がした。私は動かなくなった母に縋る。まだ微かに温かくて、ほんの少し前まで生きていたことがわかった。
帰ってこなかったのは、死んでしまったから。では何故死んでしまったのか。
……どうして?」
「儂も知らぬ。起きたら隣で勝手に死んでおった」
男はぶっきらぼうに返した。家族以外と共に眠るなど普通のことではない。閉ざされた世界の中で育っても、その不自然さを察することはできた。友人ならば同室で眠ることもあるだろうが、母とこの男が友のようにも思えない。
「おじさんはだれなの?」
私の問いかけに、男は煩わしそうに答えた。
「儂は、お前の父親だ」

✽✽

「ふん、妾の子か。よくある話ではないか」
厄災は面白くもなんともなかった。王道過ぎてわかりきった、退屈に退屈を重ねた脚本。王家の人間を自称するこの人物は、正室である王妃を除く国王を囲う女らの一人が産んだ庶子でしかない。厄災にとってそれはこの世にありふれた話。悲劇とも思わなかった。突き放すような厄災の口ぶりに、彼は眉尻を吊り上げて大声で叫ぶ。
「お前にとってはそうだろうが、その時私は齢十にも満たなかったのだぞ! 父親という概念すら知らない私が、母と奴の関係をどれほど薄ら寒く思ったか!」
「して、国王の庶子であることに絶望して、我の元を訪れたと?」
そうだ。彼が何を理由に此処へ来たのか、彼が如何にして自分の使命を奪われたのか。これでは『自分の出自に悲観しただけの人間』と捉えるしかない。厄災の問いかけに、彼はじっとりとした嘲笑を浮かべる。だがそれは厄災に対してでなく、彼が自分自身に向けたもののように見えた。
「そうであれば、今よりは楽だったかもしれぬ。どうだ、続きを聴くか?」
正直、厄災は娯楽というものに飢えていた。こんなところで少なくとも一万年は一人きり。無理やり与えられた長期休暇も、凌ぐものがなければ毒だ。ここまで語られた内容を退屈だと感じたのは、このひ弱そうな若造が背負った人生に劇的な気配を見出したからである。
「あぁ、聴かせてくれ。何なら脚色してもいいぞ」
厄災は歯を見せて愉快そうに笑う。話を求められた彼は恨みがましい顔をしながら、どこか照れているようにも見えた。

✽✽

母という後ろ盾を喪ったことで、私は自ら稼がねばならなくなった。私は城の中で絶えず労働に従事することになり、更には『身寄りのない貧しい子』と称されて私が王の子だという事実は隠蔽。国家で一夫一妻制を敷いてある以上、私は文字通り『隠し子』として扱われた。私の出自を知るのは私自身と、王と、国政に深く関わる極数名の大臣たち。昼時は閉塞感で胸が詰まりそうだった。
しかし、ひとつだけ良いことがあった。鳥籠のような部屋から出たことで、満天の星空を眺めることができるようになったのだ。これまで窓から覗くしかなかった夜空の一部を、何の妨げもなく観察できる。それは私にとって、大きな救いだった。幸い、母が所有していた占星術のための道具の相続は許されていた。私は母の遺した品々を頼りに、労働の合間を縫って勉学に励んだ。
私が齢十を迎える年、王室に幸福が訪れた。王太子夫妻に赤子が誕生した。ゼルダと名付けられたその姫は、血縁だけで言えば父方の姪に当たる。私はこの歳で叔父になってしまったわけだ。しかし出自が伏せられている私は親類の一人として紹介されることもなく、顔を見ることも、ましてや会話することなどあり得なかった。
私が彼女と初めて話をしたのは、それから七年近く経ってからだ。彼女の母が……つまり王太子妃が、私の父方の姉が、急逝した。私が知る限り何の前兆もなかった。ゼルダが母を喪った歳は、奇しくも私と同じだった。
相変わらず下働きを続ける私に、王太子妃の葬儀に出席する資格はない。城内は温かみをひとつ亡くして、静まり返っていた。
夜中、私は星見のために外に出た。世界も王太子妃の死を悲しんでいるのか、風が冷たい。会って話したこともない姉だったが、その優しい人柄から多くの人々に愛されていたらしい。もしも彼女が私のことを知ってくれていたら、私は今どんな人生を送っていただろう。そんなことを考えていた。
するとすぐ近くで、子どもの啜り泣く声が聞こえた。幽霊の類かと恐ろしく思いながらも、私はその声が聞こえる方に足を向けた。暗がりの中で隠れるようにうずくまっていたのは、生きた人間の子ども。母を亡くしたばかりの我が姪、ゼルダだった。
「こんなところで何をしているんだ?」
私が話しかけると、ゼルダは目元を真っ赤にしながらしゃくりを上げて私を見上げた。まだまだ母に甘えたい盛りだろうに、哀れとしか言いようがなかった。
「あなたは……おほしさまのてんしさま?」
何を根拠にゼルダがそんなことを言ったのかは、未だにわからない。ただ、姫という身分である以上、彼女が窮屈な思いをしているであろうことは察しがついた。私は今日初めて会った姪の、望みどおりに振る舞うことにした。
「そうだ、私は星の天使。悲しいことでもあったのか?」
私はゼルダと目線を合わせるため、片膝をついて問いかけた。するとゼルダは「あのね、あのね」と言いながら更に涙を溢れさせる。
「おかあさまが、いなくなっちゃったの。もう、あえないんだって」
「それは……とても悲しいな」
私が同調すると、ゼルダは見知らぬ存在であるはずの私に抱きつき、声を抑えて呻くように泣いた。大声を上げて泣くことすら許されないなんて、姫という立場も楽ではないことを思い知った。私はゼルダの頭をそっと撫でた。とてもではないが、そのままにしておくことなどできなかった。
しばらくして、ゼルダは泣き止んだ。七歳とは思えぬ立派な品行で「ありがとうございました」と礼まで言ってきた。
「お礼なんて言わないでほしい。私は天使なのだから」
「あのう……また、わたしのところにきてくれますか?」
親を喪った子どもの傷心が、一度だけの慰めで癒えるはずがない。私はそれをよく知っている。私はゼルダに微笑みかけ、「勿論だ」と答えた。すると幼い姪は嬉しそうに笑い、私はそのことが堪らなく嬉しかった。
その後、約束通り私は何度も『星の天使』としてゼルダと顔を合わせた。最初こそ、ゼルダは私に亡くなった母親の話をしてくれた。故人との思い出を語ることで楽になることもある。私はゼルダのことを何一つ知らない素振りで、彼女の話を聴き続けた。
「なぁにかひとつ、ふるいもの。なぁにかひとつ、あぁたらしいもの」
ある日ゼルダは、そんな歌を歌っていた。それは何なのかと訊ねれば、ゼルダはこう答える。
「これは『サムシング・フォー』っていうんです。おんなのこがしあせなおよめさんになるためにもらえるおまもりだって、おかあさまにおしえてもらいました」
「あとの二つは?」
「かりたものと、あたらしいものです」
ゼルダの横顔は、亡くなった母親との思い出を語りながらも穏やかだった。私はそのことを嬉しく思いつつ「良い王子様に会えると良いな」と言った。
だが彼女は、幸せなお嫁さんになるための花嫁修業をさせてもらえるような状況ではなくなってしまう。王太子妃の死から一年を期に、『それ』は始まった。
理由はわかるだろう? お前の復活が予言されていたせいだ。ゼルダは『封印の姫巫女』としての役目を果たすことを求められ、修行のために城を離れることが多くなった。姫巫女としての師である母を喪った姪にとって、修行の全てが暗中模索。ゼルダの顔から溌剌とした明るさが消えていくのを、私は遠くから見つめることしかできなくなった。更には彼女を『無才の姫』呼ばわりする者まで現れ、憤りから何度も雑巾を床に叩きつけた。
己の無力さに手をこまねくこと数年、私は王から呼び出された。それが数日前の話だ。
私は、『叔父』としてゼルダに紹介された。
ゼルダは驚いていた。まさか『星の天使』だと思っていた相手が生きた人間で、それも自分と血縁があって、……祖父が他所の女と作った子だったなど、想像がつかなくても仕方がない。
秘匿されてきた私が、どうして今更紹介されるのか。簡単なことだ。
「この才無き孫娘の代わりに、お前が厄災の贄となれ」
王は、私にそう命令した。
「才は無くとも、ゼルダは女神の血を引く姫。婿を取り、世継ぎを産んでもらわねばならぬ。だがお前には才どころか何もない。厄災を目を誤魔化し、王家の人間だと偽って、この国に平穏をもたらす。またとない名誉だと思わんか?」
なんと答えたら良いのかわからなかった。いや、何を言われているのか、理解したくなかった。答えられぬ私を見て、姪はやめてくださいと懇願してくれた。だが、「お前が力に目覚めれば良いだけの話」と論破され、返す言葉を失ってしまった。
そうだ。私は、王から国のために死ねと言われてここへ来た。占星術師になりたいという夢と、それに向けてきた努力。そのすべてを、奴は嗤った。
「今まで生かしてやったのだ。最期くらい、役に立ったらどうだ。それに、贄となれば大好きな母親に会えるだろう?」
その言葉に姪が私を見た。今にも泣き出しそうな顔は、どうして『星の天使』が自分に優しくしてくれたのか、それを理解した表情だった。
厄災がどんなものなのか、私にはわからない。たった一つの贄で鎮まるもののようにも思えなかった。しかし、ひとつだけはっきりしていることがある。
「それでこの子が、馬鹿らしい中傷を受けずに済むのなら」
王の庶子としての私を知る者は殆どいない。もし大厄災が起こらなければ、それは力に目覚めた姫巫女によるものだと誰もが思うことだろう。
「嫌です! 貴方は何も悪くないのに、悪いのはいつまでも目覚められない私なのに……どうして!」
「気に病む必要はない、ゼルダ。全ての運命は、星の下に決まっている。私は、自分のそれが見れなかっただけだ。占い師は、自分の未来を見てはいけないからな」
そう言うと、ゼルダはいつかのように私に抱きついて泣いた。抱きしめ返すということはしなかった。それはいつか現れる、彼女を真に大切にしてくれる人がすれば良い。私はただの、親戚のおじさんなのだから。
それに、このまま生きていたとしても、私の願いは叶わない。ならば生きている意味など、何処にもあるまい。


続く