スサ
2025-05-08 22:23:19
4959文字
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床入騒動(仮)

鬼水です。鬼水になるけど、冒頭は岩目って感じです。父の回想の中の母がほぼほぼ王子様ですが気にしないでください。ちゃんと鬼水になります。衆人環視みたいなやつです。


 水木は怒っていた。
「おまえは俺だけ見ていればいい」
 腕を鬼太郎の頭の両脇に置いて閉じ込めるようにして、さらに顔を近づけ水木は言った。慈愛と淫蕩が入り混じる壮絶な表情に、思わず鬼太郎は息を呑み、喉がヒュッと鳴った。それに瞬きした後、ふ、と笑うと、彼は鬼太郎の前髪を優しくかきあげ、そこにちゅっと口づけた。
「力を抜きなさい、鬼太郎」
 優しく促され、止めないと、と思うのに、水木に見とれてしまって動けない。まるで魅入られたよう、いや、まるでというかそうなのだが、ただそこに特殊な霊力や妖術の類は存在していなかった。どうしてこんなことに、と頭の片隅で思いながら、鬼太郎は落とされた口づけを甘んじて受け入れる。
 事の起こりは、半月前に遡る──

 ある夜、鬼太郎と目玉のおやじの許を訪れた妖怪があった。妖怪というか、年経た山怪、精霊、そんな類のものである。
 口から溢れたシューシューという音は、人間だったら聞き取れなかったに違いない。
 しかし幽霊族には聞き取れる。まさしくそれはあやかしの類であった。
 あなめでたし、とそれは言った。鬼太郎の下腹部をしわがれた指でさして。おそらく口角を上げて笑った。だがそれにあわせてひび割れた皮膚皮がポロポロと落ちたので、異様な雰囲気だった。
 整った、整った。それがそう繰り返すと、驚いたことに、それまで全く気配がなかった、山怪のようなそれと似たものが土中からムクムクと起き上がったのである。屍鬼がゆらりと立ち上るような不気味さがあった。
 鬼太郎は眉をひそめ、おやじは警戒するように息子の髪を掴んだ。

 幽霊族の子が子をなせる体になった、めでたや、めでたや

 それが聞こえてきた時、おやじが先に招かれざる客達を一喝した。
「去ね!おぬしらのようなものが来るところではないわ!」
 父さん?と鬼太郎が訝しげに呼んでも、目玉は土塊から生る不気味な客達を睨みつけるだけだった。

 約定ぞ、古よりの定めぞ………

 何のことかわからず眉をひそめたまま─追い払ってもいいのだが、危害は加えられていないし、父が対峙している途中なので─鬼太郎は頭上の父を窺う。
「そんなものは無効じゃ!うぬら、わしの妻に追い払われたのも忘れたか!」
 事情はわからないけどお母さんが追い払ったのか、と鬼太郎はなんともいえない気持ちで思った。母と過ごした記憶がない鬼太郎にとっては未知の部分が多い母だが、強く賢い人だったと聞かされている。鬼太郎は母に似た所がある、とも。

 奥方、いない、地獄、地獄

 せせら笑うようなさざめきは鬼太郎の癇に障った。
「父さん、すみません」
 父も辟易しているのだからいいだろう、と鬼太郎は父に断りつつ「髪の毛針!」と針を飛ばした。土塊のいくつかが崩れる。
「き、鬼太郎?」
 少し驚いたような父に、飄々とした態度で鬼太郎は答える。
「父さんは去れといいました。警告したのに去らなかったのはあちらの方です」
 しれっとした態度に、あやつに似たのかのう、とおやじは歎息して頭、目玉の上の方に手を置く。
「去れ。僕らはおまえたちに用はない」
 淡々と告げる鬼太郎の台詞には、従わなければ、という後半が潜んでいるのが強く伝わってくる。だが、風が木の洞を抜けるような音を立て、土塊でできた山怪もどきは笑い声を立てる。それはとても不快な合唱だった。
……………
 鬼太郎の全身がピリピリと総毛立つ。

 また来る、必ず、約定………

……………
 来た時同様不意に掻き消えた何者か達に眉をひそめ、しばらく鬼太郎は何も言わなかった。目玉のおやじも、また。

 異様な来訪は時間にしたらわずかのことだったが、残していった不可解さと不愉快さは大したものだった。
 だが少なくともおやじの方には心当たりがあるのは明白で、息子の無言の催促に父は渋々口を開いた。
 曰く、あれは「古いもの」だと。
……………、確かに最近の妖怪には見えませんでしたが」
「古くは
 おやじは腕組みし、悩ましげというか、気が進まない様子で続けた。
「わしらとも近かった、と聞いたことはあるが、本当かはわからん。ただ、厄介なことに、幼い頃のわしは、あやつらの仲間に世話になったことがあっての」
…………
 鬼太郎はただ目を見開いた。父が幼い頃の話をすることは珍しい。
「わしは幼くして父母や一族の者と別れ別れになり、ひとりで育った」
 息子の視線が気遣わしげなものになるのに、おやじはニコッと笑った。昔のことじゃよ、と何でもないようにさらりといなす。だがその時鬼太郎の脳裏には、幼い頃自分を慈しんでくれた人の姿が浮かんでいた。
じゃがまあ、妖怪というのはそっちの方が多いもんじゃ。ひとりで生まれ、ひとりで育ち、そして死ぬ」
……
「優しい子じゃなぁ、せがれや。まあとにかく、わしはいくらか大きゅうなるまであやつらの許で育ったんじゃが
が?」
「鬼太郎」
「はい」
「おぬし、子種をこさえられるようになったか」
 鬼太郎がむせた。そのままごほごほと咳き込む息子を慈愛のこもった笑みで見つめながら、父は続ける。
「何しろ父も母もおらぬでの、わしは信じてしもうたんじゃが、古いしきたりというてな。幽霊族のおのこが子種をこさえられるようになったら、その最初の床入にあやつらや古きもの共が立ち会うと」
は?」
 鬼太郎は呆然とした。それ以外反応のしようもなかった。
「本来は幽霊族同士じゃが、その頃わしはまだ妻と、おまえの母とは出会っておらなんだから
「父さん」
「なんじゃ」
「その先も聞いていいんですか?」
 目玉はきょとんとした後、もちろん、おぬしも大人の男になったわけじゃから、と答えた。
 年数だけならとっくに成人するよりも生き、子ども扱いはやめてほしいと思っているが、かといっていきなり父親の性体験を真顔で話されるのも厳しいものがある。もっともそれは鬼太郎が人間に育てられ、少なくない影響を受けているせいであって、そうでなければ気にならなかったかもしれない。
「筆下ろしは達者な相手が良かろうと、妖狐のおなごが努めてくれたよ。尻尾が九つに分かれておったなあ」
……………
 鬼太郎は軽く目眩を感じた。九尾の狐といえば、だ。
「しかしの、わしはどうも……、そういうことが好かんで、そこまでは義務と思うて付き合うたが、その後あやつらの許を飛び出してしもうた」
 狐の御前には悪いことをしたかもしれぬが、とばつが悪そうに言った後、それでの、と父はばっと小さな腕と手を広げ、嬉しげに言った。
「妻とな、おまえのお母さんと出会うたんじゃ。同族だからではない。本当におまえのお母さんが、わしは
「はい」
「なんじゃ、止めるでない」
「いや、聞いてる方が照れくさいのですみません」
 そうかの、と口を尖らせたものの、おやじは話を戻す。
「まあ、おぬしの母にはこっぴどく叱られたんじゃ」
「叱ら、どうして」
「そんな儀式も約定も聞いたことがないと。妻の一族は元々何代かに一度は人と交わる者もおったとかで、逆に人間から隠れて生きる術を心得ておって、その分だけ、妻は一族の口伝やらを聞いていたそうなんじゃ」
「父さんはあまり?」
「わしは、わしはご先祖が残してくれた、それ、今はおぬしのちゃんちゃんこの一部になっとるが、霊毛を組紐にしてもっておったんじゃが。多少は、ご先祖様が夢の中で教えてくれたこともあったが、わしの一族は、幽霊族の成り立ちであったりそういう古い話の方が耳にしておったかの」
。それで?どうして、叱られることに
「妻はのう。怒っておった。そんな風に言いなりになってはならぬと。相手も自分も蔑ろにすることじゃと」
 お母さんが、と鬼太郎は呟き、はっとした。
「さっき、お母さんが追っ払ったって
「そうじゃ、妻はそ〜れはもう凛々しかったんじゃ!」
「はあ
 ちまい両手を目玉の両側に当ててはしゃぐ父は、亡き妻を愛しているというか、ずっと恋しているようだった。
 いいなあ、と鬼太郎は無意識に思って、それからはっとする。いいなあって、なにが?と。
「めおとになると決めた時、あやつらがまた現れての。夫婦の祝言の席じゃ、確かに孕めるおなごかどうか立ち会わせろと」
「何回立ち会うことになってるんですか、最初だけじゃないんですか」
「わしは帰れと言うたよ。妻に言われて、わしは目が覚めたんじゃ。じゃが、わしより妻の方が遥かに賢く
 やっと本題だ、と鬼太郎は思ったが、反面、この先はあまり聞きたくないなあとも思った。
 経験はないが知識はある。頼んでもいないのにねずみ男が色々吹き込んでいくし、まあ、人間社会を見ていれば察するところはある。
そして激怒しておった」
 少し上の空になっていた鬼太郎だったが、激怒、の言葉で我に返った。
「わしの妻、本当に格好いいんじゃ!」
 目玉は自分の体を抱くようにして身悶えた。鬼太郎は意識が遠のきそうになった。
「ああ、はい、ええ」
「聞いとるのか」
「まあ。それで、怒っていたのとどう関係あるんですか」
 ああ、と目玉は話を戻してくれた。
「ご覧になって、どうぞ、と」
「え?」
「堂々としたおなごじゃとあやつらは言うておったが、知己まで呼んで明らかにあれはわしらを馬鹿にしておった。じゃがなあ
 目玉はまたしても気恥ずかしげに、身をくねらせた。もういいから、と言ってしまいそうになるのを鬼太郎はぐっと堪えた。
「渋るわしを床に導いて、『あなたは何も心配しないで。全て私に任せて。力をぬいて、私だけを見ていればいいのよ』とな」
……
 そのお母さんに似ているのか?僕はと鬼太郎は少し複雑な気持ちになった。嬉しくないというのではなく、ただ困惑してしまうというか。
「じゃがの〜、妻が襦袢を肩から落とした時、わしゃ嫌だと思うて、咄嗟に髪を伸ばして包もうとしたんじゃ
「まあ、はい」
「しかしの、なんとそこでの、妻が腹から出した蛇がドシンと、まあ、見る間に八尋の大蛇となり、とぐろを巻いてわしらを中に隠してしもうた」
「え?」
「周りからは見えんだの何だの野次が聞こえたが、蛇が妻の声で『幽霊族の神聖な結婚を邪魔立てしようとは不届き千万』と叱責しての、たぶん、全員雷を食らって、逃げた
…………………
 鬼太郎は頭を抱えたくなった。
 何となく理解できたというか、自分は確かに母親似なのだろうと思えたというか。
「わしには外のことは見えんかったから、妻に言われたからではないが、本当に妻しか見とらんで
「はい
「じゃがまあ、あやつら大層妻を恐れて、それからは二度と近づいてこなんだ
 鬼太郎は軽く頭を押さえた。
お母さんて、怖かったんですね」
「怖くなどあるものか!あんなに優しいおなごはふたりとおらんよ!」
 あ、はい、と答えながら、お母さんは父さんのこういう所が可愛かったんだろうなとわかりたくないことまでわかってしまった。
では、怖いお母さんがいないので、あいつらは出てきたってことでしょうか」
「怖くないと言っておろうに。じゃがまあ、そうなんじゃろうなあ」
 困ったことじゃ、と目玉は腕組みして唸っている。鬼太郎はしばらくそんな父を見ていたが、淡々と口にした。
「無視すれば良くないですか」
「ん?」
「だってそんなしきたりはないんでしょう。僕にもそんなつもりはないです。それに、どこの誰とも知らない相手を差し向けられるのは絶対に嫌です」
 鬼太郎の輪郭が電流のようなものでパチパチとブレる。一見落ち着いているが、鬼太郎は内心かなり嫌悪感を抱き、そして怒っていた。
……まあ、そうなんじゃが」
 なぜか目玉のおやじは歯切れが悪い。それでも鬼太郎は、強い意志であの不愉快な連中を追い払えると考えていた。その時は。
 しかし、その考えが甘いものだと知らしめられるまで、そう時間はかからなかった。