【クラシエ小説】缶コーヒーとクラシエのはなし

付き合っていてお泊りをしている前提

ふわふわとした髪の毛がちょうど口元に触れて、クラークは薄目を開ける。ずんと重たくて温かいものが胸からお腹に乗っているのが分かり、ため息をついた。天蓋に付けた星明りの中で見る髪は僅かに青みがかって見える。
……ちょっと、シエロモート、おりてよ」
どうせ起きないとわかりつつ言えば、胸に体重をかけている本人は「うぅん」と小さく呻く。けれどそれだけで、特に下りることも覚醒することもしない。再びため息をついて軽く彼の背を撫でれば、嬉しそうに胸に頬をおしつけてくる。ぐちゃぐちゃになった上掛けを整えようと手を伸ばすと、彼のむき出しの足に手が触れた。
寝ている間に脱げたのか)
昨夜手ぶらで訪れたシエロモートに自分の寝間着を貸したのだけれど、やはりサイズは合わなかったらしい。少し顔を動かしてみると、シルクの上着から肩がはみ出しているのが見えた。あまりに無防備で小さな姿はともすれば儚くも見えて、一瞬彼が天才騎士という異名を有していることを忘れそうになる。そっとまるい肩に手を添わせれば、よりその小ささを実感した。
(さすがに僕のパジャマだと大きいし、準備しておこうかなでも
クラークは、シエロモートのむきだしの肩を掌で包みながら思案する。準備、といってもさすがにお城の衣装担当に頼むわけにもいかない。かといって城下の被服店で、自分のものよりふたまわりも小さなパジャマを買うのは、気が進まない。そこの店主も店員も――そもそも国民みんなは自分のことを小さな頃から知っているのだ。サイズの合わないパジャマを買えば、「あらまあ」なんて言われることは目に見えている。
(というより、自分で持って来るように言えばいいのか)
小さな肩を隠すようにパジャマの布を引き上げる。足元には、隅で丸まっていたタオルケットをかけた。
そうして、しばしその重みと髪の毛の柔らかさを堪能する。柔らかくて白い髪を撫でれば「ふふ」とシエロモートが笑う声が耳に届いた。


そろそろ起きてよ」
時計を確認すると、そろそろ起床の時間だった。いつもならまだのんびりできるけれど、今日は朝一番で彼を国まで送り届けなくてはいけない。
「ねぇ、起きて。朝から仕事があるんでしょ」
自分にへばりついて起きそうもないシエロモートを、軽く揺する。確か昨夜、早朝からやることがあると言っていたはずなのに。
もう、とため息をついて無理矢理身体を起こす。抱きついたままのシエロモートを片手で支えながら、ベッドから移動した。強引にソファに座らせてはみたけれど、パジャマを着崩したシエロモートはまだ目を閉じて、ゆらゆらと揺れている。
「ほら、着替えて」
んぅ」
「髪は?そのままでいいわけ?」
……ん」
「ご飯は?食べていく?」
…………
再び寝息が聞こえてきて、クラークはため息をつく。もういいや、と諦めて服を着せていく。
結局身支度をさせている間中、長いまつ毛を有した目は、少し動いては、あきらめたように閉じていくのを繰り返しただけだった。忘れ物がないかざっと部屋を確認して、シエロモートを抱き上げ、部屋から続く車庫に向かう。
ようやく目覚めたのか、道中、ふふ、と笑い声が聞こえて、クラークは顔をしかめた。
「起きたなら自分で歩いてよ」
「そうしたいところなんだけれど、生憎まだ眠たくてね」
くすくすと笑いながらシエロモートは言い、クラークの肩口に顔を埋める。柔らかな髪が頬に触れて、クラークはくすぐったさを覚えた。
「ところで、君は今日何に乗せてくれるの?」
「あんまり時間もないし、いつものプロペラ機」
ふぅん、とシエロモートは言う。乗って、とそっけなく言われて素直にプロペラ機の後部座席に身体を収めた。
「僕、前に乗ったバイクが良かったなあ」
アンタ危ないことしかしないから、二度と乗せない」
前回シエロモートを乗せたときに、やたらと手を離したがったり空をそのまま飛びたがったりしたことを思い出してクラークはため息をつく。自分が仕える主もいたずら好きで好奇心旺盛だけれど、彼はそれ以上だった。
「大丈夫なのに、君は本当に心配性だね」
「仮にも隣国の騎士を乗せているんだから、当たり前でしょ。もう出発するから。シートベルトちゃんとつけてよ」
「わかってるよ。ねえ、運転席の隣に行っちゃ駄目?」
後部座席から顔を出したシエロモートに、クラークは「駄目」と即答する。同時に、静かなエンジン音とともにプロペラ機が動き出した。
「ねえ、いいでしょ?今度は何も触らないから」
「アンタのそういうの、信頼できない」
ひどいなあとシエロモートが笑う。クラークはちらとそれを見て、とりあえずはきちんと目が覚めたようだと安堵した。
プロペラ機は、ぐんと高度を上げていく。今日は雲が少なくて、登り始めた太陽がまぶしい。
「ねえ、僕コーヒーが飲みたいな」
缶コーヒーならあるけど」
「缶かぁ」
……文句があるなら飲まなくていいよ」
「せっかくだから頂くよ」
ニッコリと笑ったシエロモートは、早々にシートベルトを外す。勝手知ったると言った風に、置いてあったコンテナボックスから缶コーヒーを出した。
「君も飲む?」
ちょっと、誰がシートベルト外していいって言ったの?」
言えば機械に出させたのに、というクラークを適当にあしらいつつ、シエロモートは缶コーヒーを2本持って、運転席の隣に座る。普段は長身のルタールが座る助手席は、シエロモートにはやや大きい。シートの奥に腰をつければ、ぷらぷらと足が浮く形になった。
誰も座っていいって言ってないけど」
「いいね、朝日を見ながらのコーヒーって」
シエロモートはカシュ、という音とともに缶コーヒーを開ける。それからもう1本も開けると、それを運転席横のドリンクホルダーに入れた。
「クラークにも飲ませてあげようか?」
「いらない。前に凄いこぼし方したでしょ」
運転席までコーヒーまみれで大変だったんだから、とクラークが言えばシエロモートは笑った。
「君って案外執念深いよね」
「アンタが色々しでかすからでしょ」
「そんなことはないと思うけどなあ」
シエロモートはそう言いながら、コーヒーを飲む。缶コーヒー特有の甘ったるさと、癖のない味わいは、彼にとってはやや珍しい。
「僕、普段は缶コーヒーって飲まないんだよね。お城ではいつも丁寧にドリップするし、主と一緒にカフェに行けば、こだわりの一杯を飲むし」
ふうん、とクラークは相槌を打って、運転を自動制御に切り替えてから缶コーヒーに手を伸ばす。これもこれで美味しいと思うけれど、と心の中で思いながら缶を傾ける。
「それに、どう考えても缶じゃない方が僕の好みなんだよね。しっかり煎った豆の香りや味も楽しめるし。どっちかと言えば酸味が強い方が好きだし」
「へえ」
「だから、国で缶コーヒーは飲まないんだけど
結局何が言いたいわけ?」
要は缶コーヒーを飲まされた文句なのかと思いながら、運転中なので一瞬だけ隣席を見る。缶コーヒーを両手で包むように持ったシエロモートは、ぼんやりと前を見つめていた。
「でも、君と一緒のときだけは美味しく感じるんだよね」
「は?」
不思議だね、と笑ったシエロモートの顔に、朝日が一瞬きらめく。白い髪が少し黄金色に近い色に変化した。
「つまり僕は君と一緒じゃないときには、缶コーヒーを飲まないんだ」
へえ」
「君は?僕と一緒のときの缶コーヒーって美味しく感じる?」
嬉しそうに身を乗り出すシエロモートに、クラークは首をかしげる。
誰と一緒でも味は変わらないと思うけど」
職人たちと飲もうが、主や兄と飲もうが、ひとりだろうが、缶コーヒーは缶コーヒーで、味は均一でしかない。そう言うとシエロモートは、不満げに口をとがらせる。
「でもルタールが作ったホットケーキは違うって言うじゃない」
「作り手が違えば味が違うのは、当たり前でしょ」
もう、とシエロモートは不満げにため息をついた。
「君って、本当に何にもわかっていないよね」
「アンタが面倒な言い回しばっかりするからでしょ。――ほら、もう着くよ。高度下げるからコーヒー置いてシートベルトきちんとして」
「はあい」
言われたとおりにシエロモートは、シートベルトをきちんとつける。クラークはそれを確認しながら缶コーヒーを飲み干し、自動制御を解除した。
少しずつ、シエロモートが愛する国の風景が、近づいてくる。
次来るときは、ちゃんとパジャマを持ってきてよ」
「うん。缶コーヒーも、ちゃんと準備しておいてね」
またすぐに来るね、と笑うシエロモートにクラークは小さく頷いた。いつの間にか日はだいぶ上空できらめいていて、彼はいつも通りの「天才騎士」以外の何物でもない存在感を放っていた。