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🌟💫(ルタクラ)
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【ルタクラ小説】廃墟に足を踏み入れたふたごのはなし
捏造部分がかなり多い/若干ホラー風味/モブっぽい何かあり
「思ったよりきれいだね」
俺がその建物を見て言うと、車の運転席から降りてきた弟は「そう?」と聞く。廃墟、と聞いていたからもっとおどろおどろしいような建物を思い浮かべていたのだけれど、そこはただ古ぼけただけの、けれど温かみを感じられるような家だった。
「掃除は一応したんだけど、でも念のためマスクはしてね。あと、手袋も。ゴーグルもいる?」
心配性の弟からあれこれと物を渡されて、俺は苦笑する。
「平気だよ。掃除、頑張ってくれたんでしょう?」
「でも」
クラは心配性だね、と言って軽くキスをすると、弟は一気に顔を赤くする。
「
…
ルタ!ここ外だから!」
「でも誰も周りにいないよ?」
「いなくてもダメ!」
俺はその反応にすっかり満足して、クラの頭を撫でる。もう、と弟はさして怒ってもいない口調で照れた顔をして見せた。
「とりあえず、入ってみようよ」
好奇心が抑えられないまま足早に玄関アプローチを抜けて扉に手を掛ければ、弟が後ろで少し笑ったのが分かった。大きくなってだいぶ落ち着いては来たけれど、子どものころに積極的にあちこちに行くのは、いつも俺の方だった。奥がどうなっているか全くわからない小さな洞穴だとか、信じられないほどギラギラと光る星が見える場所だとか、そんな方に駆け出していく俺を、弟はいつだって泣きそうな顔で止めていたのを思い出す。危ないよルタ、もう帰ろうよ。そう言って。
「へえ、すごいね」
俺は扉を開けて玄関ホールを見渡す。壁紙は色あせて少し破れている部分もあるけれど、きれいな花柄が描かれていて品がある。弟がきれいに磨いたであろう照明は凝った意匠になっていて、扉の奥から差し込む日の光を反射して、きらめいていた。
「ここに住んでたんだ」
「そうみたい」
クラはそう言って、ファイリングされた書類を見る。俺たちよりもずっと前の代の騎士が住んでいた家をどうにかしてほしいと、国民から要望を受けたのは先月のことだった。とにかく建物が古くて気味が悪いし、夜中に何か音がするんです、とその国民は大真面目な顔で言った。
基本的には取り壊しの方向で話が進んでいたけれど、思ったより中が素敵だったから何となく掃除をした、とクラに言われたのは一昨日のこと。無駄なことを嫌う弟が起こす行動とは思えなくて、珍しいなと俺は首を傾げた。せっかくだから見に来る?とクラに言われた俺は好奇心から頷いて、そして今ここにいる。
「
…
何でお城から遠いこんな場所に、わざわざ家を建てたんだろう」
「確かに、珍しいよね」
俺の疑問に、クラはそう言って頷く。今日はクラが蒸気自動車を運転してきてくれたけれど、それだって2時間近くはかかった。当時の移動手段は分からないけれど、少なくとも城に毎日通うには適していない場所に思える。
「この代の騎士も、俺たちと同じで双子だったんでしょう?」
「うん。でもここに住んでたのは、兄の方だけだったんだって。弟はお城の近くの家に住んでいたみたい」
「ふうん
…
仲が悪かったのかな」
俺たちと違って、といえばクラは破顔する。
「でもここは自然がいっぱいで気持ちがいいから。もしかしたら環境が気に入って来たのかもしれないね」
そっか、と俺は言って「あっちがキッチンであっちはリビングだよ」と家の中を案内してくれる弟の背中を見る。俺だったらいくら環境が良くたって、クラと別々に暮らすことはできないのにな、と思って、それから、何かの気配を感じた気がして後ろを振り返る。しんとした玄関ホールには何もなくて、ただ春の日差しだけが古ぼけた扉の隙間から覗いていた。
レトロな作りのキッチンや暖炉が置かれた1階には、家具やカーテンの類はなかった。床はすっかり木肌が荒れているし、キッチンのタイルはいくつか欠けてしまっている。寂しさがあふれる家にいるのに、なぜだか気持ちが和らぐ気がして、不思議だなと俺は首をかしげる。もともとそんなに古いものに興味があるわけではないし、むしろ寂れた場所は何かの成れの果てを見るようで、あまり好きではないはずなのに。
「上にも行ってみる?」
そうクラに言われて、ギィギィ音がする階段をのぼりながら2階へ行く。ここを壊してしまうのは惜しいな、と思いながら俺は階段の手すりを撫でた。艶や色を失った手すりは水分を含んでいるのか、もったりとした手触りを俺に返す。
もし許されるなら、壊れている部分や痛んでいる部分を改装して、俺とクラと主が過ごせる別荘のようにしてみたらどうだろうか。そんなことをふと思うぐらいに、俺はすっかりこの家が気に入っていた。
「
…
えーっと、右が寝室で左が衣裳部屋、で、突き当りがアトリエだった場所だったかな」
クラの声に「アトリエ?」と俺は声を上げる。
「絵を描く人だったの?」
「ううん。絵じゃなくて、服とか布製品を作ってたみたい。亡くなる前にほとんど街に寄付しちゃったみたいでここには残ってなかったんだけど
…
あ、そうそう。いま主の部屋にかかっているカーテンは、この人が作ったみたいだよ」
「へえ」
深い濃紺の中にたくさんの星の刺繍がちりばめられたカーテンを思い出しながら、俺は声を上げる。
「ほかにもいろんな場所のいろんなものを作っていたみたい。知りたいなら調べるけど
…
」
「うん、じゃあいつか
…
あ、でも時間があるときでいいよ」
俺はそう言って、彼のアトリエに足を踏み入れる。がらんとした空間には、古ぼけた足踏み式のミシンが一台と、何も物が入っていない大型の棚がみっつ、そしてトルソーがふたつあった。
「ミシンは直せば使えると思うんだ。主が使いたいって言ってたから、近いうちに持って帰ってメンテナンスをする予定」
そっか、と俺は言ってそれから手刺繍で彩られた自分の服を見る。俺たちの服は城内にいる服飾職人が丁寧に作っているものだけれど、そのルーツはもしかしたらこの人だったのかもしれない。
その後ちらりと見た衣裳部屋は壁面にバーが並んでいるだけで、空っぽだった。ここにどんな服がかけてあったんだろう、と俺はぼんやり思う。
「寝室も、見てみる?」
「うん」
こっちだよ、と弟は軽やかにドアノブに手を触れる。瞬間、何かひどく嫌な気がした。
「
――
…
待ってクラ」
「?」
「その部屋、なんだか
…
変な気がする」
「そう?この間来たときは平気だったよ?」
でもルタがそういうなら、と彼は素直に手を引く。ほっとしたと同時に、俺は背中に何かがのしかかってくる感覚を覚えた。
「
……
クラ、俺の背中に、何かいる?」
「えっ?いないように見えるけど
…
」
慌てて彼は俺の背後に回り込み、あれこれ触ったり魔力で何かを探ろうとする。
「
…
ごめん、僕にはわからない
…
何かあった?」
いや、と俺は言う。先ほどずしりと感じた重みは、今はもう感じなかった。
「気のせいかも。中、入ろっか」
「
…
えっ、やめた方がいいんじゃない?変な気がしたんでしょ?」
「でも今は特に感じないし、大丈夫だよ」
平気平気、と言う俺を、クラは不安げに見る。かわいいな、とのんきに思いながら俺はドアノブを回した。
「
……
へえ。意外と広いんだ」
寝室には、小さめの袖机と椅子、金属製のベッドがひとつずつばらばらと置いてあった。カーテンや寝具の類もなくて、本当にがらんとして見える。
何の気なしに俺は袖机の引き出しを開けて、あれ、と呟く。
「何それ?日記帳か何か?」
クラが横から覗き込んで聞く。硬い表紙に守られている古いノートは、確かに日記帳のようにも見える。
「そんなの、前に来たときにあったかな」
一応引き出しの中はひととおり見た気がしたんだけど、とクラが首を傾げる。
ぱら、とそれをめくると、中には知らない文字がびっしり並んでいた。
「どこの国の文字?」
「さあ
…
」
三角形やドットなどの幾何学模様が並ぶそれは、解読の糸口すら見つけられない。そもそも言語ではないのかもしれない。
「主に聞いたら分かるかな」
「そうかも。帰ったらおふたりに相談してみるよ」
俺はそう言って、そのノートを小脇に挟む。それから、その部屋の窓の立て付けを見たり、また階下に戻ってバスルームや靴箱を見たりした。
「そろそろ帰ろうか」
家全体を見終わって、クラが言う。家を出たのが遅かったのも手伝って、いつの間にか外はだいぶ日が落ちかけている。クラの言う通り、もう城に向かわないと帰りが遅くなってしまう。
「うん
…
」
けれどなぜだか俺はそこを離れるのが惜しいという気持ちになっていた。いま帰ってしまったら、もう二度と来られないような。
(でも、主が待ってるから)
そう思って家を出て、蒸気自動車が止まっている方へ向かう。そして俺たちは、その風景を見た。
「
…
車が
…
」
車の上に、ずっしりとした大木が倒れこんでいる。車の運転席から後部座席までを綺麗に押しつぶしたそれは、沈みかけた太陽の光を、ほんの少しだけ浴びていた。
(木が倒れる音なんてしたっけ?
…
違う、その前にこんな大きな木、あったっけ?)
周りを見渡せば木はたくさん生えているけれど、倒れ込んでいるそれとは大きさも種類が異なるように見える。倒れている木の根元は不自然に黒くなっていて、何かがおかしいことが分かる。
「
――
…
ねえ、ルタ。あの家
……
」
クラに言われて俺は家の方を振り返る。色あせていてあちこちに剥がれが生じていたはずの古い家は、まるで新しく建てたばかりのように、ひどくつややかで美しい姿になっていた。
とりあえず家の中に入ってみようよ、と言う俺を、クラは必死に止める。
「危ないから絶対にダメ。ちょっと歩けば小さな村があったはずだから、そこに行こうよ」
ね、と地図を出して言う弟に俺は首を横に振る。唐突に生じた木に、不自然なほどに綺麗になった家。どう考えてもおかしいこの世界に、そんな村があるはずもない。
「
――
たぶん、根本的なものを見直さないと俺たちは主にも会えないよ。だって、電波も届かないんでしょう?」
クラはスマートフォンを見つめて、頷く。この間来たときは何の問題もなかったのに、と悔しそうにつぶやいた。
「その根本的な原因がきっとこの家の中にあると思うんだ」
「
……
でも」
「今日は体調もいいし、いざとなったら俺が何とかするから」
俺の言葉にクラは、だいぶためらってから渋々頷く。不満げな顔のクラに軽くキスをすると、クラは真っ赤になって「こんな時に」と呟いた。
「こんな時だから大切なんだよ」
「
……
もう。でも本当に危なかったら、すぐ出るからね」
「分かってる」
俺はクラの手を取って、再び扉を開ける。暗い家の中はひっそり静かで、けれど先程とは全く違う。
「
……
中も綺麗になってる」
クラが呟いて、俺は頷く。ふと思って玄関扉の横についているトグルスイッチを倒せば、ぱっと明かりがついた。
「わあ
…
」
綺麗、と思わず俺は声を漏らす。剥がれて色あせていた壁紙は絵画のように美しく綺麗になっていて、靴箱の上にはたくさんの花が優美なシルエットの花器に収まって飾られている。床は美しく磨かれ、ワックスか何かが施されているのかぴかぴかと光っていた。
「
……
なにこれ
…
こんなの
…
」
おかしい、とクラがつぶやいて、俺の手をぎゅっと握る。俺は嫌がるクラをなだめながら、リビングへ向かう。リビングには布張りのソファやテーブルが綺麗に並んでいて、窓には美しいデザインのカーテンがかかっていた。
「すごい、本当にきれいだね」
「
………
まあ
…
でも
——
…
あ、電話」
リビングルームとキッチンの間にある柱にある何かに、クラが敏感に反応する。
「電話なの、これ?」
知っている電話とずいぶん違う、と人の顔にも見えなくがないその四角いものを見れば、クラは嬉しそうに頷く。
「昔の電話だよ。磁石式電話機って言うんだ」
「へえ
…
?」
「あ、すごい。これ、昔のトースターだ」
キッチンにあるよく分からない機器を見ながら、クラは声を弾ませる。弟の嬉しそうな声を聞けば、俺も自然と気分が良くなって、でもきっと触ったら壊してしまうので横から覗くだけにする。
「
…
すごいな、本当に。僕、実物を見たのはじめて」
「そんなに昔なの?」
「たぶん。僕も本でしか見たことがないから」
へえ、と俺は相槌を打って、「2階にも行ってみる?」と聞く。先ほどまでこの場にいることを嫌がっていた弟はこくこくと頷いた。
「ね、中に入ってみて良かったでしょう?」
「
…
まあ、ね。でも、おかしいことには変わりないから。気をつけて行こうね」
「はいはい」
俺は笑いながら、ギィギィと音を立てない階段を上る。階段の踊り場の壁には、写真が飾ってあった。
「
…
これ」
「へえ。こんな人たちだったんだ」
セピア色の写真には、今と変わらない主と、ふたりの男性が写っている。どちらが兄でどちらが弟かは定かではなかったけれどふたりの男性は酷似していて、双子であることは間違いなさそうだった。
このふたりのうちのどちらかが、この家に住んでいた。そして亡くなって、でも主はそのままで、数代の騎士がその役目を受け継いで、今俺たちがここにいる。なぜだかそんなことが急に悲しい気持ちになって、ぎゅっとクラの手を握る。クラは黙って手を握り返してくれた。
「
……
俺たちも、いつかこんな写真だけを残していなくなっていまうのかな」
ぽつりと言葉をこぼせば、クラが何かを言おうと口を開いて
――
それと同時に急に2階からばたん、と大きめの音がして俺たちは顔を見合わせた。頷き合って、音がしたであろう、アトリエの部屋の扉を開ける。
「
……
凄い」
アトリエは、たくさんの布と作品であふれていた。ミシンのそばの机には刺繍枠に収まった布があって、トケイソウを思わせる図案がそのそばに添えられている。空っぽだった棚にはたくさんの美しい布が収められていて、部屋の中央にある大きな机には、星型の針山や物差しなどが収められたかごが載っていた。昼間見たときはふたつしか無かったトルソーの横に、もうふたつ、小さな子ども用のサイズのものがあって、間違いなく主用だと俺は気づく。よっつのトルソーに着せられていたビロードのマントには丁寧にビーズが縫い付けてあって、そのあまりの美しさに俺はしばし見とれた。壁面にもタペストリーやバッグの類がたくさん吊るされている。
「
…
倒れたのは、これかな」
クラが手に取ったのは、フレームに入った刺繍サンプラーのようなものだった。アルファベットや簡単な図案が整然と並んでいる。少し針目がゆがんだそれはいびつな仕上がりで、この家の持ち主が子どものころに作ったものだろうか、と俺は思う。
「でもどうして倒れたんだろう?窓も空いていないのに。そもそも昼間は、こんなのなかったよね?」
「
……
どうだろうね」
俺は小さくつぶやいて、それから「衣裳部屋も見に行こうよ」とクラを誘う。クラは頷いて、それからそのフレームを丁寧に机の上に戻した。
衣裳部屋にも、ぎっしりと服が詰め込まれていた。枕棚の上には帽子や靴まで置いてあって、こんなものまで作っていたのかと俺たちは驚く。どれもサイズはあまり大きくなかったから、どうやら当時の騎士たちは、俺たちより背が低かったらしい。白地に金色や茶色を組み合わせたような服が多いということも判明して、少しずつこの家の持ち主のことが分かってきた気がする。そして大体の服は細部が少し違うだけのおそろいが2着ずつで、この時代の双子騎士も仲が良かったんだな、と俺は優しい気持ちになった。
「
――
主用の服は、無いんだね」
「そうだね、もしかしたらできたらすぐお城に持って行ったのかも」
あれ、でもだったらどうして兄弟の服はここにあったのだろう、と俺は首をかしげる。ここは兄が一人で住んでいたはずなのに?
「寝室も見る?」とクラに言われて、俺は頷く。ここまで来たら、せっかくだから全ての部屋を見てみたい。
寝室の扉を開けると、そこにはふんだんに布が使われていた。天井からは薄いレースの天蓋が吊るされていて、カーテンの上部に取り付けられたバランスやタッセルには美しいガラスビーズが縫い付けられている。昼間よりもずっと狭く見えるそこは、息苦しさを覚えるような華美さだった。
「
…
すごいな本当に」
ともすれば執念すらも感じるような煌びやかなそれを、俺はじっくりと見る。自分の主が愛しそうな、繊細な刺繍は、裁縫に精通していない自分でも思わず興味を惹かれる。一方でベッドカバーは、飾りのない無地だった。もしかしたら洗濯がしやすいよう、あえてシンプルにしていたのかもしれない。そう思いながらふと俺は、ベッドに置かれたそれに気づく。
「パジャマ
…
?」
ベッドの上に載せられていたパジャマは、ふたりぶん。この家では珍しい、えんじ色と紺色のものだった。さらにその下には、すべすべとした手触りのガウンと、巾着に入れられたルームシューズもあった。
「なあに、それ」
クラがこちらを見てきて、俺はそれを示す。何の気なしにそれを広げると、この家にあった服よりも幾分も大きい。
「
…
ずいぶん大きいな」
俺が言うと、クラもうなづく。
「僕たちが着たらちょうどいいぐらいかもね」
「確かに
…
」
なんとなく不思議な気持ちで、巾着からルームシューズも取り出す。それも俺たちの足にぴったりぐらいのサイズで、衣裳部屋にあった靴よりもずいぶん大きいことが分かる。
「
……
なんだか俺たち、歓迎されているみたいだね」
「えぇ
…
そんなことはないでしょ
…
」
なんだかこんな童話が無かっただろうかと楽しくなって俺が言うと、クラは困惑したように否定する。
「パジャマ、せっかくだし着てみる?」
「嫌だよ!」
さすがに気味が悪い、ときっぱり言うクラに、俺は少し残念な気持ちになる。柔らかい素材のそれは、着たらきっと気持ちがいいのに。
「でも今日はどこで寝る?外はさすがに寒いし
…
。ここのベッド、借りない?」
「
…
本気で言ってる?」
「だって寝心地良さそうだよ」
ほら、とベッドの上に座ってみると、クラは明らかに嫌な顔をした。基本的に神経質な弟には、得体のしれない場所で眠るという選択肢はないようだった。
「僕は寝なくていいよ。一晩ぐらい平気だし
――
…
」
言いかけたクラは、急にふらり、とその場に膝をつく。
「クラ!」
慌てて弟に駆け寄って身体を支えれば、彼はくぅくぅと健やかな寝息を立てている。
「
……
?」
弟を抱きかかえるようにしながら、俺はあたりを見回す。さして寝つきの良くないクラがこんな風に眠ることなんて、あり得ない。不意に、背中のあたりがひやりとした気がして、俺は指先に魔力を貯める。
そして、寝室の壁にぼんやりと影が浮かび上がっているのに気付いた。
「
……
この家の人?」
そう聞いたのは、そのシルエットが先ほど階段の踊り場で見た写真の人とよく似ていたからだった。俺の問いに、その影は、こくん、と頷く。邪気は一切、感じられなかった。
「双子星の国の
…
元、騎士?」
再びの問いに影はもう一度頷いて、それから俺の脇腹のあたりを指さす。
「
……
日記」
そういえば昼間に袖机から取った日記を、小脇に挟んでいたことを思い出す。
…
けれど、果たしてずっとそれは俺が持っていただろうか。クラと何度か手をつないだし、扉を開けたりもしている。その時に腕から落ちないなんてことはあるんだろうか。
「読めってこと?」
その影はもう一度頷いて、それから何かを詫びるかのように、希求するかのように、深く頭を下げた。
俺はクラをベッドに寝かせて、その横に腰掛ける。本人がきっと嫌がると思って布団はかけないことにして、それから家の中が適温に保たれていることに今更気づいた。春の夜は、たいてい冷えるものなのに。
影はじっと動かず壁に張り付いていて、こちらを見ているようだった。
「
…
じゃあ読むね」
そう言ってぱらりと日記を開けば、そこには俺たちが普段使っている文字が並んでいる。昼間は全く読めなかったのに、と思いつつ目を通しはじめた。
「
………
」
とりあえず1ヶ月ぶんの日記を読んで、俺は顔を上げる。先ほどと同じ姿勢のままの影を見て、それから口を開いた。
「君は
…
君の弟のことが好きだったの?」
問えば影は俯いて、少しだけ肩を震わせる。美しく磨かれた床に、水滴がひとつぶだけ落ちた。
「
…
言えば良かったのに」
そう言うと影はふるふると首を横に振る。俺はそれを見てから、さらにページをめくった。
日記には、彼と彼の弟と、そして今は俺たちが仕えている主のことが細かに記してあった。国の行事や外交のこと、産業や国民の様子も書かれてはいたけれど、殆どは弟と主が愛おしくてたまらない、といったことだった。主と一緒に4人でクリスマスを過ごしたこと。主の髪を結ったこと。主が特別な発明品をプレゼントしてくれたこと。弟が自分の真似をして作った刺繍サンプラーがあまりに素敵だったこと。弟が、愛してやまない恋人を自分に紹介してきたこと。
きしきしと痛みさえ感じるような細かな描写に、俺はいたたまれなくなる。まだ日記は続いていたけれど、一度それを閉じた。
「
…
それで?俺たちが羨ましくて憎くなったとか?」
そう問えば、影は慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「だったらどうして
…
」
影は困ったように辺りを見回す。そうか、伝える手段がないのか、と俺は思い、ふとひとつのものを思い出す。弟を置いて部屋を出るほど影のことは信じていなかったので、魔法でそれを呼び寄せる。
「これで教えて」
す、と影の方にフレームに入った刺繍のサンプラーを示せば、影は驚いたように、肩を震わせた。
ゆっくりでいいよ、と言えば影はおずおずとアルファベットをひとつずつ指さしていく。
「
…
しゅ、くふく、しようとおも、った?」
祝福?と問えば影は頷く。
「ぼくには、なんのゆうきも、なかった、から」
「このいえに、にげこむことしか、できなかった」
俺がそこまで読み上げると、影はしょんぼりと頷く。一人称のせいなのか、そわそわしたときに頭をかく所作のせいなのか、どこか影がクラに似ているような気がして、俺はふ、と笑みをこぼす。
「でも騎士としてちゃんと務めたんでしょう?それはすごいことだと思うけど」
ふるふると影は首を振って、またアルファベットを指さす。
「ろーどが、やさしかったから」
そっか、と俺は言う。主はずっと昔からそうなんだなと思って、うれしくなる。
「
…
衣装部屋にあった服は、弟と自分のぶん?ふたりのぶんを、作っていたの?」
問えば影は少し俯いた。
「さいしょは、そう、だったけど、おとうと、が、けっこん、してからは、あげてない」
「あぁ
…
成る程ね」
ふ、と影は笑った気がした。
「きみ、たちは、なかよしで、いいね」
「そうだね。俺はずっとこうしていたいと思ってる」
「きっと、これからも、いっしょに、いられるよ」
「
…
それは騎士の勘?それとも予言?」
俺の問いに影は少し悩んでから、ゆっくりと指を動かした。
「ぼくの、ねがい」
ふと目が覚めると、そこは硬くて古い金属のベッドの上だった。古びた梁がむき出しになっている天井が見える。
あれ、と思って手を伸ばせば、柔らかいえんじ色の袖が見えて俺は起き上がった。その拍子に胸元にあったフレームが、かしゃんと音を立てて床に落ちる。
「
…
刺繍
…
」
アルファベットなどの図案が収められたフレームを拾ってまわりを見渡せばそこはがらんとした寝室で、クラは俺と色違いのパジャマを着て隣で寝ていた。布団がわりのようにガウンがかけてある。ふと思って窓から外を見れば、蒸気自動車が何のへこみもなく、日差しに照らされていた。
「成る程ね」
念の為と袖机の引き出しを見てもそこには何も無かった。彼は眠ったのか、或いはどこかへ行ったのか。
「クラ、起きて。お城に帰ろう」
声をかければ弟はゆるゆると目を開ける。それからまわりと自分の服を見て、露骨に嫌な顔をした。
「
…
ルタが着替えさせたの?」
「え?あぁ
……
。
――
うん、そう。俺が。服が皺になったら困ると思って。でも着心地がいいでしょ。サイズもぴったりだし」
「
…
まぁ、そうかもしれないけど
…
。でもこのパジャマ
…
結局何だったんだろう?」
柔らかな着心地のパジャマの裾をつまんで首をひねる弟に、俺は「掃除のお礼じゃない?」と笑いかける。
「それより、車も無事だよ。きっと主も心配してらっしゃるから帰ろう」
俺がそう言うと、クラは慌てて窓の外を見る。綺麗に朝日を浴びている愛車を見て、顔を綻ばせた。良かった、と呟く弟に俺は軽くキスをする。
「ルタ」
「外じゃないからいいでしょ?」
「まぁ
…
ね
…
」
少し顔を赤くして、それから着替え始めた弟を横目に、俺は昨夜影がいた部分を見る。あの時彼の涙で濡れた部分はもうすっかり乾いて、ささくれた床があるだけだった。
俺はそこに刺繍が入った額を立てかける。深くお辞儀をすると、背中を優しく撫でられた気がした。
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