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千代里
2025-05-08 08:05:29
11734文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その68
町の近くに隠れ潜んでいた異端者の摘発
――
表向きにはそのような扱いとなっていた
――
は、日が沈み、代わりに月が空へと顔を出し、そして夜が明ける頃には終わりを迎えていた。
捕縛できた異端者の中には、集団のリーダーと目されていた男も混じっており、この一帯の異端者の活動に大きな一撃を加えることになったのは明白だ。
騎兵たちは、自分たちが勝ち取った勝利に暫し酔い、勝鬨の声をあげていた。
これまで何度か騎兵たちの輜重部隊を襲った忌々しい異端者たちを、まとめて捕えられたのだから、彼らの喜びも格別というものだ。
だが、歓喜に沸くものと真逆の表情をしているものもいる。捕縛された異端者たちだ。
もっとも、彼らは、命があるだけまだ良かったといえる。たとえ、この後異端審問にかけられるのだとしても、今の時点では息をしていられたのだから。
此度の騒乱の最中には、戦闘の途中で瓦礫の下敷きになった者や、火事により命を落とした者も多数いた。騎兵たちの公的な報告の中では、あくまで『戦闘の最中に破損した家屋が倒壊して』とされているが、騎兵の剣に斬りつけられて帰らぬものとなった者も数知れずいただろう。
そして、彼らの行いは誉れとされど、非難されることはない。たとえ斬られた相手が無抵抗の女子供だろうと、その場の状況を的確に記録している者など等皆無であるし、彼らもまた竜の血を飲んだ異端者であると言われれば、斬った方が正当化される。
それが、イシュガルドにおける異端者の戦いだ。
だが、彼らの行いを座して良しとは言わなかったものもいた。
「貴殿らのおかげで、反乱組織の中に紛れていた町民の何人かは無事だったそうだ。私が言える立場ではないかもしれないが
……
感謝している」
深く下げられた藤色の頭に、ノエたちは何と言葉を発するか躊躇っていた。
*
異端者たちの集落から帰還したノエを含めた面々は、ルグロ家の屋敷には戻らず、そのまま宿に帰還した。もはや、かの家から報酬をもらおうとも思えないと、無言の満場一致で決まっていた。
帰路の途中、ヒューイの遺体は教会へと運び、司祭へ埋葬を依頼しておいた。彼は独り身ではあったが、この町の住民でもあり、別れを告げたい人は他にもいるだろうと思ったからだ。実際、彼の訃報を聞いたものから、薬を処方してくれた若く愛想のいい『先生』を惜しむ声があがっていた。
その後、事後処理で忙しくしている騎兵たちを横目に、ノエたちは宿にある自分たちの部屋に腰を落ち着け、今回の戦いで負った傷を癒していた。
一昼夜ほど、泥に沈み込むように眠り込んだ後。ようやく、この先のことを考えねばとそれぞれが思っていた頃にやってきたのが、
「夜分にすまない。少し時間をいただけるだろうか」
神殿騎士団に属する騎士の一人
――
イレーナだった。
今回の襲撃に、町の護衛を受け持つ神殿騎士団は一切関わっていない。彼女たちは、あくまでルグロ家お抱えの騎兵たちから何があったかを一方的に知らされただけだと語った。
その上で、彼女は異端者の中に混じっていた『領主に反意を示した民間人』を助けてくれたことに謝意を示したのだった。
「町の人や異端者の方々は、どうなったのですか」
「今は我々騎士団の拠点にある地下牢にて監視下に置いている。追って沙汰は下る予定だが、今回捕縛したのはあくまでルグロ家の騎兵だ。我々が口を挟むことは難しい」
異端者たちを庇うつもりがあっての発言ではない。今回捕まったものの中には、シュガーグレイヴの町民も含まれている。イレーナが懸念しているのは、竜の血を飲んだようには思えない町民たちの扱いだ。
「動いたのルグロ家の騎兵なのに、あんたたちの牢を貸しているのか」
「今、我々は騎兵に対して強く言える立場ではないのだ。目と鼻の先に異端者たちが隠れ潜んでいたのに、それに気がつくこともできなかった愚か者の烙印を押されてしまった以上、牢くらい貸さねば、この後さらに何を言われるかわからないと、隊長が許可を出した」
イレーナの発言に、ノエは「そんな」と声を上げる。
「彼らがあの集落を本格的な反乱の拠点にしたのは、今回の戦いの時だけのはずです」
「防壁も要塞もない、村に少しばかり手を加えただけのものだった。あの程度の村落なら、他にもごまんとあるだろうさ」
ヤルマルとノエの矢継ぎ早の弁護にも、イレーナを首を横に振る。
「事実は変わらない。我々は彼らの援護をすることもなく、呑気に町の護衛だけをしていた能無しだ」
「そのようなことを言っている連中がいるのか?」
イレーナの自虐的な物言いに、不愉快な感情を隠そうともせずに問いかけたのは、談話室の壁に背中を預けていたルーシャンだ。
暖炉に浮かび上がったイレーナの苦笑は、どこか痛々しくもある。夕飯後の遅い時間で誰もいないからこそ、この顔を見せられたのだろう。さらりとした物言いではあるが、相当騎兵たちから嘲弄を送られたようだ。
「貴族の騎兵たちの中には、我々が職務を怠けていると考えている者もいるのだ。だが、町の人々は、我々の仕事の様子を覚えてくれている。今はそれでいい」
町を覆う壁の補修、近隣の巡回任務、そして町の内部の警邏。地味な仕事に見えても、日々の生活の殆どを町の中で過ごす住民にとっては必要不可欠な仕事ばかりだ。
華々しい活躍に酔っている騎兵の目には届かずとも、町人は神殿騎士団の堅実な働きぶりは覚えており、居丈高な気配を冷めた目で見る場面もあったとのことだった。
「町の人たちは、収監された方々を解放しろとは言わないのですか」
ノエが尋ねているのは、異端者ではなく、異端者を利用
――
あるいは異端者に唆され、今回反抗の狼煙をあげた町民を指していた。
ミラベルが今も探しているアンディ少年
――
その父親や、何度か決起集会を開いていた若者たちも、牢の中の囚人に含まれているはずだ。
「今のところ、そのような話は表立って出ていない。何人か、こっそりと身内の者が確認に来ているぐらいだが、あまり他人に知られたくないような素振りだったな」
「形はどうあれ、自分たちの身内が異端者と協力したって分かると困るからかな。心配していても、軽率に面会にも行けないのは辛かろう」
「それもあるのだろうが、彼らの中には最低限の義理として来ているだけで、特段案じているように見えないものもいた」
ヤルマルがぱちくりと瞳を瞬かせたのを見て、言葉の意図が伝わっていないと察したイレーナは、
「つまり、身内としての義理というわけだ。本当は様子を見に行きたいとも思っていないが、徹底的に無視を決め込むのも体裁が悪い。我々と町民は少なからず顔見知りだ。問答無用に連帯責任で処罰を受けるように事態にはならないと見込んだ上で、少しばかり顔を出しておく
……
という具合だな」
「心底から心配していないってことかい? 異端者と手を組んだってことは、そんなにも白眼視されることってなのか」
イシュガルドに生きる人らしい考え方だとヤルマルが納得しかけた矢先、イレーナはこれまたゆるゆると首を横に振った。
「そうではない。彼らは、手を組んだ相手が異端者であろうがなかろうが、貴族に表立って反発した者を『厄介者』として見做しているようだ」
「自分の身内なのに、厄介者扱いか。薄情なことだね」
「おおかた、前々からそう思っていたのだろう」
未だ納得がいかない顔のヤルマルとは対照的に、オランローはイレーナの話す町人の様子に一定の理解を感じていた。
「彼らは形はどうあれ、現状を変えようとしたのだろう?」
「だが、変わらなくてもいいと思っている奴もいる。いや、内心は良い方向に変わってくれるのはありがたいと思っているが、そのために自分たちを支配するものに楯突いて目をつけられるのはごめんだと考える連中だ」
いわゆる、日和見主義というやつだと彼は付け足す。
「そういう連中にとっちゃ、少しばかり不満はあったとしても、貴族に反抗して改革なんてことは本気で考えちゃいない。むしろ、反乱などという面倒ごとを起こした連中の方が厄介者だってことだな」
話の要約をしたのはルーシャンだ。彼の脳裏には、アガテルの集会の後、村長の付近に集まっていた年配の町民たちの言葉が蘇っていた。
若い者たちがあれこれやっているようだが、下手に騒ぎ立てないでほしいと嘆息していた彼らにとって、町民の暴走と捕縛は「ほら見たことか」と肩をすくめたくなるような出来事だっただろう。
「それで、イレーナさんは町民の方々や異端者たちの様子を伝えるために、わざわざこんな時間に来てくれたのですか」
話をするうちに脱線しかけていた内容を、ノエは無理やり元へと戻す。
元々、イレーナは来訪をしたものの、その目的ははっきりと告げていなかった。お互いに近況と労いの言葉を掛け合っているうちに、なし崩し的に話が進んでしまっていたのだ。
「ああ、そうだった。私が貴殿らの元に向かったのは、ピヌヌ隊長から貴殿らへの伝言を託されたからだ」
「ピヌヌさんから、僕たちに?」
ノエたちは、神殿騎士団直属の兵というわけではない。傭兵として騎士団の巡回任務に参加したし、ルグロ家の護衛任務も元はといえば騎士団から回されたものだ。かといって、わざわざ隊長が直々に情報を渡すほどの関係ではなかったはずだ。
「隊長は、貴殿らにとっても関係のあることになるかもしれないから、と語っていた。どのみち、数日としないうちに分かることだが、貴殿らには恩もある。一日二日隠したところで大した差はないのならば、先んじて伝えて少しでも思考する時間を確保しておいたほうがいいだろう」
情報の価値としては低いものだが、早めに貰えるのなら、それに越したことはない。イレーナの言う通り思考の時間は時にどんな金貨よりも価値を持つ。
「伝言というのは、他でもない。今回異端者討伐の任務を考案した者
――
」
一拍の呼吸をおいて、イレーナは告げる。
「ルグロ家の当主が、明後日にはシュガーグレイヴに来訪する」
***
布団の中は、薄暗く暖かく、世界からオデットを切り離してくれた。その温もりにずっとしがみついていたかったが、まだ布団の中に篭りきりになっているのは自分だけだということを、オデットは理解していた。疲労をとるため、誘拐されたショックを癒すため、と何かと口実をつけるのも、そろそろ限界が訪れようとしている。
(いつまでも、寝ているわけにはいかないと分かっています。でも
……
)
布団から頭を出し、暖炉で緩く温もった部屋の空気を肌で感じる。何気なく横を向き
――
そこで、オデットは顔をくしゃりと歪める。
(ゲルダが、いない)
オデットの隣でごろごろ寝転がったり、取り留めもないお喋りに興じていた少女は、もうここにはいない。その事実が、目を覚ますたびにオデットを打ちのめしていた。
宿の人やイレーナたちのような部外の関係者には、表向きの理由として、ゲルダは異端者の襲撃に巻き込まれて亡くなったということにしている。遺体の損壊がひどく、連れ帰ることができなかったので現地で埋葬を済ませた、とも。
一方で、ヤルマルやサルヒたちのようなその場にいなかった仲間たちや、ノエとルーシャンのようにその場にいても詳しい事情を知らなかった者たちに、オデットはヒューイが教えてくれた内容を全て伝えていた。
ゲルダは、ヒューイが作った人の形をした精巧な人形であったこと。そこに収められた竜の眼こそが、ゲルダという少女の人格を形成していたこと。しかし、その眼の本来の持ち主であゆ竜はすでに死しているということ。
ヒューイの目論見によって、ゲルダは過去の姿を一時的に取り戻したが、同時に自分の死の記憶までもを思い出し、正気を失っていたこと。彼女の眼を抉り出すことで、一時的に竜の影は消えたこと。
(もし、わたしが
……
エレオノーラさんに眼を渡さずに、ヒューイさんと同じことをしていたら)
宿に戻ってから、何度もその仮定を考え、同時に棄却した。ゲルトルーデとして束の間正気を取り戻したときの彼女の言葉を、オデットは忘れたわけではない。
それでも、どうしても、と思ってしまうのだ。少しばかり願ってもいいのではと、心を揺らしてしまうのだ。
「誰かのせいにできることだったら、よかったのに」
ゲルダがいなくなった事情を聞いた人々は、たくさんの慰めの言葉をオデットに送った。表の事情しか知らない宿の主人ですら、落ち込んだ様子の少女に慰めの言葉を送ってくれた。
事情を知るノエたちは、ショックのあまり黙りこくったオデットに、尚更いくつも労りの言葉をかけた。
「聞いた限り、君はゲルダにとって最善の選択したのだと思うよ。彼女自身、誰とも知らない連中に傷つけられるよりは、君の手で幕を引いてもらってよかったと思ったはずだ」
それは君が一番よく知っているだろう、とヤルマルはオデットの頭を撫でた。
「竜の眼なんざ、俺たちの手に余る代物だ。あの先生は、リスクを承知で賭けに出たんだろうが、お嬢ちゃんはゲルダの分のリスクも考えて、あの竜に眼を返すことを選んだ。おれは、それは真っ当な判断だと思ってるぞ」
賢い選択をした、とルーシャンはオデットの背中を叩いた。
「今はただ、ゆっくり休んでいるといい。攫われてからきちんと眠れていないだろう」
オランローはオデットの体調を気遣い、布団の中に導いてくれた。
皆が優しかった。
ノエも、オデットの慟哭を受け止めた後は、余計な言葉をかけずにオデットを見守ってくれていた。彼の気遣いをありがたく受け止め、オデットは怠惰を貪ることで喪失の痛みを和らげようと奮闘していた。
だが。
「
……
ゲルダがいない」
どれだけ惰眠を貪ろうと、目が覚めたら現実が待っている。
オデットの頬を平手で打つかの如く、現実は少しも優しくなかった。
「ゲルダがいなくなったのは、誰のせい
……
?」
尋ねても詮無いことを、つい口にしてしまう。答えなど、すでにわかりきっているというのに。
他に道などなかった。たとえ今回のことがなかったとしても、竜の眼という強大すぎる存在を受け入れた器は、長くは保たなかっただろう。ゲルダ自身もこれまでの日々が永遠に続くことはないとどこかで分かっていたから、あの結末を選んだのだ。
異端者と騎兵の混乱の只中で命を落とすよりは、ずっといい。訳もわからないままに、突然ゲルダの体に異常が発生して、彼女が消失するよりはずっといい。
「誰のせいでもないんです。これは、仕方ないことだったのですから」
自分に言い聞かせるために、口にした言い訳。あまりに空々しく聞こえても、いつかは己の中にこれが理屈として染み込むはずだ。
「仕方がないこと、なんですから」
ただ、まだ自分の中では簡単に受け入れられるものではない、というだけで。
だから、唇が震えても、胸の奥がずんと痛んでも、喉の奥がひくついても、全ては時が解決してくれるはずのこと。目の奥の熱さを、何度も瞬いて誤魔化す。それでも耐えきれず、頬に流れ落ちた濡れたものを乱暴に手の甲で拭ったときだった。
「オデット、入っていい」
問いかけにも拘らず、オデットが返事をする前に扉が開いた。宿の廊下から顔を覗かせたのはサルヒだ。その片手には、湯気が漂うマグカップが一つ。
「起きたのなら、何か飲んだほうがいい。暖かい部屋だけれど、喉は渇くだろうから」
「
……
ありがとうございます」
置かれたカップの中には、微かに色のついた液体が入っていた。白湯に少しばかり味をつけたものだろう。凝った味付けのものを味わえる気分なので、今は薄味のお茶がありがたかった。
マグカップを置くと、サルヒは部屋の椅子をオデットの寝台の脇に置いてそこに座った。まるで、病人のオデットの見舞いに来たかのようだ。
「サルヒさん?」
「下に、イレーナが来ている。今回の件について、話をしておきたいと言っていた」
「イレーナさんが
……
」
神殿騎士団に所属するイレーナにとって、此度の異端者摘発は直に参加しておらずとも無関係ではいられない大事件だ。事情を聞きに来たのなら、尚更下にいなくてよかったとオデットは胸を撫で下ろす。今はまだ、ゲルダのことを冷静に話せる状態ではなかった。
(それでも、いつかは話せるようになってしまうのでしょうか
……
)
ゲルダと共に過ごした日々を、その喪失を、よくある出会いと別れの一つとして語れるようになる姿は、今のオデットには想像できなかった。
「イレーナの相手は旦那様たちに任せている。オデットは、具合はどう」
「あまり、よくはない
……
です。あ、でも、これは怪我をしている、というわけじゃなくて」
「分かってる。ゲルダと一番仲が良かったのは、オデットだったから」
「
……
はい」
口下手のサルヒすら、こうしてオデットを案じてくれている。しかし、今は彼女の心遣いすら持て余してしまっている。
オデットが俯いたまま黙りこくっていると、
「旦那様もノエも、他の皆も、あなたが一番良い選択をしたと言っていた。ゲルダの正体が竜の体の一部から再現されたものなら、きっと長続きはしなかっただろうし、一度正気を手放したのなら、それを止めるのはあなたがきっと最適だったと」
「皆さんの言うとおりだと、わたしも思っています。誰かを傷つけて、その分傷つけられて、結果として退治されてしまうよりは、ずっと
……
」
「でも、オデットは、具合がよくないって言っている。それは、ノエたちの言葉を受け入れていないから?」
いつまで寝ているのかと非難されているのかと、オデットは唇をわずかに開いたまま、薄く息を整える。
「受け入れなくてはいけないとは
……
分かっている、つもりです。いつかは、きっと、わたしも納得できるようになるはずです。そうするべきだと、わたしは
……
思います」
自分のあるべき姿を口にして、どうにか指針を定めようとするオデットに対して、サルヒは黙り続けている。
「だって、仕方がないことだったのですから。皆さんが言うように、わたしができることは
……
これが精一杯だった
……
はずです」
「私は、オデットが心底からそう思っているようには見えない」
思いがけない否定に、オデットは目を丸くする。これまで、オデットとゲルダの別れを飲み込みやすい形に変えようとしてきた人たちの言葉と、サルヒは全く逆のこを口にしていた。
「親しい人を失ったことを、そのきっかけに自分が関わっていたことを、他の誰かに『仕方ない』なんて
――
」
サルヒの瞳が、一瞬、痛みを混ぜて揺れる。
「
――
『よくやった』なんて、褒められたくはない」
それはすごく当たり前の気持ち、と言葉が後に続く。サルヒの放った何気ない一言が、オデットの心に小さく波紋を生み出し、揺らしていく。
「オデットの選んだことだから、私はあなたの選択を否定はしない。でも、皆が言うほど、オデットにとっては『最善』ではなかったのかもしれない。その可能性を、皆が気づいていないようだったから」
サルヒの至極当然の言葉に、一瞬オデットは虚をつかれてしまっていた。どうにもならない堂々巡りの答えを、こんな形で肯定されると思っていなかったからだ。
これは、ノエやルーシャンたちでは辿り着けなかった答えだった。
ルーシャンとオランローのように、合理と理屈を行動の指針としている者にとって、ゲルダとの別離は理性で飲み込めるものだった。
ゲルダというイレギュラーな存在との別れを、彼らは実利を前提に受け入れた。こちらが一方的に追い詰めるような形でなかっただけ、心情的にも良かったと言えてしまうぐらいに。
それに対して、ノエやヤルマルは、オデットの感情に寄り添おうとしてくれた。彼らはオデットに逃げ道を用意し、一時目を瞑ることを許してくれた。
彼女らの作る逃げ道は、オデットの気持ちを軽くするためのものには違いない。けれども、オデットが求めているのはそのような逃避のための言葉ではないとサルヒは予想していた。
「あなたにとって、ゲルダを失うことは最善だった?」
無言で、少女は首を横に振る。
「
……
他に、もっと道はあったかもしれません」
「探しても、無かったかもしれない」
「それでも、探す努力をしたかったんです。だって、わたし、あの時まで何も知らなかった」
「知っていても、何も変えられなかったかもしれない」
「だからって、仕方ないなんて
……
あれが一番良い選択だったなんて、わたしは言いません」
頑ななオデットの物言いに、サルヒはオデットが耳触りの良い言い訳を聞きたいわけではないのだと確信する。
親しい人を自らの手にかける痛みを、サルヒはよく知っていた。かつて、自分が逃げ道を求めなかったように、オデットの求めるものも違うのではないかと推測したのは、当たりであったようだ。
(私も、褒められたくはなかった。責められたい訳じゃないけれど、逃げたいわけでもなかった)
ふと落とした視線が、サルヒの鱗の生えた手の甲に落ちる。
その手がまだずっと小さかった頃、真っ赤に血濡れていたことがあった瞬間を、彼女は未だに忘れずにいた。
今でこそ制御できているものの、サルヒの思考の片端には獣が住み着いていた。危機に際して、サルヒの理性を奪い、暴れ回るそれのせいで、サルヒの祖父母と父は我を無くしたサルヒ自身の手にかかって命を落とした。
どれだけ仕方ないことだと言われても、あるいは神の啓示だともっともらしい理屈を与えられたとしても、サルヒの胸によぎったのは一つの感情だけだ。
(仕方ないという言葉で、逃さないでほしかった。よくやったなんて、言わないでほしかった)
サルヒは手を伸ばし、オデットの手をとる。マグカップを握っていない方の手は、少し冷え込んでしまっていた。
「オデットにとって、一番良いことじゃ無かったなら、私はゲルダがいなくなってしまったことを『よかった』とは言わない。『仕方ない』という形で飲み込めとも言わない。ただ
……
あなたが生きていてよかったとは、言わせてほしい」
「
……
サルヒさん」
「私にとっても、あなたは友人だから」
行為に対する言い訳や賞賛ではなく、純粋にオデットの身を案じる言葉に、オデットの中で蟠っていたことの一端がほろりと崩れたような気がした。再び、涙がほろほろとオデットの瞳から流れては頬を伝い、落ちる。
「ゲルダが、いないんです。サルヒさん。ゲルダが、どこにも、いなくて」
「うん」
「わたしが、ゲルダを
……
消してしまった」
殺してしまったと、声なき声で呟く。
「なのに、わたし、いつかはゲルダがいないことも、仕方ないって受け入れてしまうのかなって」
「そうなる日が来るかもしれない。でも、こないかもしれない」
サルヒは、オデットの手を強く握る。その中に巡っている何かを閉じ込めるかのように。
「確かなのは、オデットが覚えていたらゲルダはそこに残り続けるということ」
「でも、ゲルダは
……
最期には、わたしのことを忘れているようでした。それでも
……
?」
「私には難しいことは分からない。だけど、ゲルダ自身が忘れたとしても、オデットと私たちの中にはゲルダの思い出は残っている。それだけはゲルダが決めることじゃない。オデットの中に残るものは、他の誰でも消せるものじゃない」
「
……
残ってくれるでしょうか」
「うん。私が保証する」
根拠のない保証に、オデットは困ったような笑顔を浮かべる。サルヒの気遣いはありがたいが、半信半疑といったところか。
だが、これだけはサルヒは確信を持って言えた。
(
――
自分の手に残った感触は、簡単に消えるものじゃないから)
今も、祖父母と父の首を斬り落とした感触が、サルヒの指先に染み付いているのと同じように。オデットも、ゲルダという竜の目玉を抉り出した瞬間を忘れることは永劫あるまい。
もっとも、今はその話をするつもりはない。思い出を消さないためのよすがとしては、あまりに生々しすぎる。
「サルヒさんの保証があるなら、安心ですね」
無理に作ったとわかるオデットの笑顔に、サルヒも小さく唇の端を持ち上げる。
悲しみに浸る体を無理に動かしている状態ではあるのだろうが、今はこれでいい。
いつか、サルヒの予測に反して、オデットがゲルダとの思い出を全てを忘れてしまったとしても、それもまた彼女の選択だ。
「ノエたちの様子を見てくる。オデットは、今日はもう一晩休むといい」
大切なのは、オデットが求めていない逃げ道は作る必要がないということ。ただそれだけだ。
サルヒの不器用な励ましを受け取り、オデットは先ほどより幾分か落ち着いた様子で寝床に戻る。逃避のために生み出されたはずの布団の暗がりは、今は本来の役割である休息を少女に与えてくれた。
***
「ルグロ家のご当主様が、今更どの面さげてくるんだって話だよな」
サルヒがマグカップを片付けに階下に降りていくと、ちょうどノエたちがイレーナを見送りに行くところだった。
行き違いになったサルヒは、会釈だけをイレーナに送ると、談話室に向かう。奥では、ルーシャンが同じように客人のために並べていたカップを片付けていたところだった。
「ルグロ家の領主が、ここに来るのですか」
「ああ。異端者を山ほど捕まえたんだ。自分の功績を主張して、自分は領主としての仕事をちゃんとしていると、町の連中に主張するつもりなんだろう」
「ノエたちの話では、ルグロ家の領主は異端者を一網打尽にする機会を伺っていたと」
「領地の治安維持のために、異端者を捕まえる必要があるってのは本当だろうけどな。とはいえ、実際のところはどこまでが本気だったか」
「嘘があると?」
ルーシャンは、「嘘というわけじゃない」と付け足す。
「治安維持の効果があるのは確かなことだ。だが、腹にいちもつ抱えた作戦であったことは間違いない。異端者を神殿騎士団の力を借りず自前の戦力で捕まえられたってなると、教皇猊下の覚えもめでたくなるとか、そんなところだろ」
カップをお盆の上にまとめると、ルーシャンは厨房に向かう。サルヒがその後を追うと、ちょうど厨房の窓に小さな影が舞い降りてきた。大きな雪のかけらかと思いきや、窓べの照明を受けて、動いているそれが鳥の形をしていると分かった。
ルーシャンは迷うことなく、窓を開いて鳥を招き入れる。小さな体はルーシャンの手の上に収まると、物言わぬ石になったかのように固まっていた。いや、実際のところ、これも石を動かすように細工を施した自動人形なのかもしれない。
ルーシャンは鳥の足に結んだ紙を一瞥すると、すぐさま指先に作り上げた炎で燃やしてしまった。
「旦那様。
……
それは例の方とのやりとりですか」
「答えは自分で見つけてみろと言ったはずだ」
「私の知っている方でしょうか」
男は答えずに、カップを流し場に置かれた桶の中に入れていく。近くに水瓶があったものの、冷たい水を使う気がないのか、男は手元から魔法で水を生み出してざぶざぶとカップを浸していく。
「さて、な。ともあれ、ルグロのお偉いさんが偉そうな顔をしていられる時間は、そう長くはないだろう。ほら、サルヒ。カップを貸してくれ。ついでに洗っておく」
「それなら、旦那様ではなく私がやります」
「湯を出しながら洗うのはお前には無理だろ。それよりも、何か摘めるものでも作れないか、主人と交渉してきちゃくれないか。イレーナと話していたら、小腹が空いてきちまってな」
適当な理由をつけて追い出された気もするものの、サルヒは大人しく一礼だけを残して厨房を後にした。扉を閉め、微かに食器が触れ合う音に角を傾けながら、彼女は思案する。
(ルグロ家の領主が偉そうな顔をしていられる時間は、そう長くない
……
)
ルグロ家は、理由はどうあれ、彼らなりに真っ当と言える建前を用意した上で異端者を摘発した。ならば、正面切って彼らを非難するような方法などないはずだ。
一抹の疑問が、白布に付着した沁みのように残る。それすらも、きっとルーシャンの手の内に踊らされているが故のものなのか。
(それとも、旦那様自身も無意識で
……
?)
気づかれたくないのなら、黙っていればいいものを。彼は思わせぶりにヒントを残している。
足跡をつけながら猟師を誘う獲物など、いつかは討ち取られるのが定めだ。だったら、この誘いはどのような意図があってのものなのか。
問いとして示された謎以外の部分にも疑問の焦点をあてて、サルヒは皆が戻ってくるまで、しばしその場に立ち尽くしていた。
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