タロ文庫の作品置き場
2025-05-06 23:47:02
7208文字
Public 作品
 

さらう(すくう3)

2024-12-10

 経営学部棟の二階には風通りが良いオープンテラスがある。ウィンはちょうど木陰になる外側の席に陣取って大通りを眺めていた。
 手元にはテキストとノート、指は器用に親指の上でペンを回し続ける。先ほど受けた講義のまとめが終わり、予習も済ませてしまった。それでもペンをテーブルに置けないのは、待ち人で頭がいっぱいだから。
 高校の頃から使っていると言っていたペンはいつからかウィンの部屋に置いていかれることが増えた。始めは律儀に忘れているぞと連絡していたウィンだったが、相手の特に慌てない様子にそういう日は自分が大学へと連れて行くことにしている。少しだけ過去を預けられた気がして、手の中に馴染むように握り続けていた。
 程なくして、ウィンの待ち人は現れた。大学内の巡回バスから降りたその人はキョロキョロと周りを見渡してからセルフォンを取り出した。打ち終わりに強く押すのがクセなのか、いつも画面を揺らしている。それが見えた途端、テーブルの上でセルフォンが小さく震えてメッセージの着信を伝えた。右手はペンを持ったまま左手で一言打ち込む。すると目線の先の黒い頭が持ち上がって、こちらを見つけた。ふよりと手を振れば、長い腕が同じ角度でブンブンと振られた。
 ペンと同じくらいのサイズでちょこまか動く姿がいちいち可愛い。
 二人の距離は数十メートルほど。時間を決めて待ち合わせたわけではないし、これから行く場所に急ぐ必要もない。それでも背負ったリュックのショルダーハーネスを両手で握って、川の飛び石を渡るように車道を小走りに横切ってくるティームに自然と表情筋が緩んでいく。
 ニヤける口元を頬杖代わりに指の背で押さえて、引き続き歩道を走る待ち人を見ているとその足は十歩進んだところで急に止まり少し戻った。
 おや?
 あそこは確かバスケットコートがある。ティームはチラリとこちらを見やってからコートの方へと何やら頷き、そのまま留まった。少しして小さな紙袋を受け取ると指にかけたまま胸元でワイをして再び歩き出す。視線を上げてウィンが見ていることを知ったティームは人差し指でその紙袋を指差し、ちょんちょんとこちらへとその指を振った。
 俺の、か。
 ウィンが自分でも人差し指を鼻先に向ければ、こくんと頷く。もう走ることはなく、ゆるりと歩みを進めるティームの横に今度は逆方向からやってきたバイクが止まった。これまた何かを話しかけられて軽く頷き、紙袋を持っていない手に紙の束とペットボトルを渡されている。ぺこりと頭を下げてバイクを見送ると、先程よりも大股に歩き始めた。
 学部棟が作る日陰の中へと入ると今度は赤と白のストライプ柄のパラソルの前で足が止まる。口元に愛想笑いを浮かべたティームがチラチラと首を伸ばしてこちらを見ては、またこくりと頷いて白いビニール袋を受け取った。紙束とペットボトルを抱えた手の中指と薬指に引っ掛けて、無理やりワイを作ったところでビニール袋の中に白い包み紙をもう一つ入れられる。今度は口を大きく開けて笑い、ぺこりと軽く頭を下げてから足を動かした。
 オープンテラスまでの外階段の一段目に足をかけたところで若干振り返り誰かと言葉を交わす。また軽く頭を下げてから登り出せば、今度は階段を降りてきた女子生徒のグループに呼び止められ、その中の一人のトートバッグから出てきた大きめの箱を紙袋を持った腕に抱えさせられた。ティームの腕の中で荷物のバランスが崩れかけ、違う子がそれを支えたと思いきやシャツの胸ポケットに折った付箋を入れられていた。
 ティームは気づいただろうか?
 綺麗なネイルや指輪で飾られたいくつもの手にバイバイと振られて、キョロキョロしながらも抱えるものが増えた腕の前で指先だけのワイを律儀に人数分かえす。ウィンは口を窄めて高く口笛を鳴らすと、ティームはバッと勢いよくこちらを降り仰いだ。眉根を寄せて苦虫を噛み潰したような顔にニヤニヤと笑い小首を傾げておどけて見せれば、長い足はコンクリートの階段を二段ぬかしでドスドスと上がってくる。
 勢いづいたティームは、しかし踊り場を曲がったところで同じく後ろから二段ぬかしでやってきた男子生徒に呼び止められた。あれは同じ経営学部の友人だ。今度はウィンが眉をひそめ、瞼をじっとりと落とす。そいつはティームよりも低い位置から身振り手振りを大きく動かした後に両手を顔の前で合わせてぺこぺこと頭を下げている。普段からリアクションがオーバーなやつだが、学部違いの後輩にも気にすることなくそのままの態度で接している。相手の勢いに引いたティームが口を引き攣らせながら首を傾げて、困惑気味にこちらを見上げた。
 ウィンがテーブルに手のひらを付けて腰を浮かせたところで、友人の方がティームの視線の先を追ってウィンと目があった途端に愛想笑いを浮かべて元きた道を駆け降りていった。去り際にティームのスラックスの尻ポケットにズボッと何かを捩じ込んだのをウィンは見逃していない。頭の中の閻魔帳に名前を連ねておく。
 こうしてティームはようやくウィンまでの最終コーナーを曲がり切り、最後の階段を登ってきた。ウィンの視界から一度いなくなってから黒い頭がぴょこりと現れる。続いて口をへの字に曲げてまっすぐ目を向けてくる顔が現れ、荷物を抱えて袋をぶら下げた腕と手が現れて、それを支えてしっかりと歩く足腰と急ぎたいけど急げないもどかしさにコンクリートを踏み締める赤いスニーカーが近づいてくる。
「ウィン先輩!」
 残り広々と距離をとって配置してあるテーブル三つ分のところでティームがウィンを呼んだ。ウィンは徐にリュックの脇に置いてあった紙風船を左手で掴むと手のひらに乗せて、ふっと強めに息を吹きかけた。風通りの良いテラスにちょうど気持ちのいい追い風がウィンの後ろからティームの方へと流れていった。
「おおおい! ちょっ、待て待て待て! わあぁぁああ!」
 緩やかに風に乗った和紙の球はちゃんとティームに向かって飛んでいき、ティームはティームで前のめりに走り出す。
 ぽとりと。果たして紙風船は無事に抱え込んだ箱の上に着地して、ころころと転がりそうになったところを唸り声を上げている子供の顎に優しくもしっかりと抑えられた。
「ナイスキャッチ、ティーム」
「ナイスキャッチじゃない! 何すんだよ、おれの状態が見えてなかったのか?」
 ブラボーと仰々しく拍手を送ってやると目の前までやってきたティームの腕からどさどさと荷物がテーブルに置かれる。その前にそっと顎先から下ろされた紙風船はころりと軽やかにウィンのノートに転がってきた。全ての荷物から解放されて指の血の巡りを直しているティームにウィンは目を細めてにっこりと笑いかけた。
「ちゃんと見てたぞ。随分とモテモテで待ちくたびれたわ」
「バカ言うな。これ全部ウィン先輩宛だっての。モテモテはどっちだ」
 見上げる先のティームはジト目がますます瞼を下げていてほぼ沈みかけの三日月のような形で睨んでくる。
 ティームが押し付けられたものたちが自分宛だと知っている。それを一生懸命抱えてやってきたティームになんとも言えない温かみが胸に広がっていたと言ったら、この子供はどんな顔をするだろう。
 ウィンが片眉をふよりとあげるだけで何も言わないでいるとティームは人差し指をピンと立て一つ一つを指しながら口を開いた。
「バスケ部の先輩からはお菓子の詰め合わせ。部内の練習試合に助っ人参加してくれたお礼だって。こっちは工学部の先輩、ジュースと過去問題集の原本。ウィン先輩がまとめたんだろ? 家庭教師してる子のテスト問題として使うって言ってた。屋台のおばちゃんからはガイヤーン。あ、バナナロッティはおれが貰ったやつだからな。いつも部活終わりに買いに行ってるんだろ。……おれの好きなタレの匂いだった。で、守衛のおじさんはまた一緒に宝くじの番号考えてだって。当たったの?」
 さぁ、と肩をすくめる。でもわざわざ言ってくると言うことはそれなりの成果だったのかもしれない。ウィンの態度に大きくため息をついて、ティームは続けた。
「さっきの女の人たちはチア部の先輩だったよ。これもお菓子の詰め合わせかな? すごく重たい。学生会に駐車場のライトを増やすようにメールしたんでしょ。あの駐車場ってチア部がよく使うんだって。で、暗くて治安も心配だったからとても助かったって。今度ご飯でも食べに行こうって」
「は? お前ちゃんと断ったんだろうな」
「なんでおれなんだよ。先輩を誘ってるんだろ。伝言だよ伝言」
 黙って聞けと、ティームは最後に尻ポケットから何かを掴んでテーブルの上にポンと置いた。くしゃくしゃに皺がついたノートの切れ端は、日付と時間と大学近くのバーの名前が書かれていた。
「こっちも先輩宛だったけどおれでもいいからって。頭数揃えたいだけだから飯だけでも食べに来てって言われたやつ」
 あいつ、ふざけんなよ。食欲魔人の鼻先に食べ物を吊るしたらほいほいと釣れると思ってやがる。
 全くもってその通りだしウィン自身が今も昔も使っている常套手段ではある。それを誰の前でもティームに繰り出してきた自業自得ではあるが、こうも勝手に使われるのは鼻持ちならない。
「そんなところでわざわざ食わなくていい。飯なら俺がもっと美味い屋台に連れて行ってやる」
 どうするの? と伺うように張り詰めていた三日月がウィンのため息と共に出された言葉にふっと緩んだ。頭数というのは『男の』という意味で、所謂合コンのお誘いである。ウィンとティームの関係は大っぴらに言って回っているわけではないが隠してもいない。直に話さなくても二人のSNSや水泳部のファンページを見れば分かるものを、それでも良いとごり押ししてきた友人はタチが悪い。
「この日に?」
「そうだ。デリバリーでもいいぞ」
 ティームが人差し指でとんとんと紙に書かれた日付を突く。ウィンへの意思確認を正しく読み取って一番ティームが安心する答えを渡した。今度はぽってりした唇が弧を描き、分かりやすく安堵の吐息を漏らす。それからやれやれといった感じに両手のひらが上を向いた。
「皆さん揃って『またよろしく』だって。久しぶりに思い出したよ。先輩が八方美人の人たらしだってこと」
「おぉい、人聞きの悪い言い方すんな」
「本当のことだろ。自分の勉強ちゃんとしてる?」
「お前が来るまでに終わらせた」
 ふっと鼻で笑って手に持ったままのペンでコツコツとノートを叩く。専攻の課題だからティームには内容までは分からず、覗き込んだ体勢で仰々しく頷いて見せて口を尖らせながら引っ込んでいった。
 なら良いけど、とポツリとつぶやく言葉にウィンは思わず大きく笑う。
『そんなに優しくしても皆が皆、先輩に同じだけ愛情を返してくれるわけじゃないんだよ』
 目に大粒の涙を溜めて唇を震わせながら、ティームが真っ直ぐにそれを渡してきたのはそこまで昔のことではない。あの日与えることに慣れすぎたウィンの中に注ぎ込まれた愛情は今も変わらず与えられ、ウィンを満たし続けている。無意識にこごっていた虚無感もティームとの日常に取り除かれていく。
「何ニヤニヤしてるんだよ」
「いやぁ、別に」
 いつまでも自分を見ながらふんわりと笑っているウィンの目線に落ち着かなくなったのか、ティームは黒目を左右に揺らして背負っていたリュックから腕を抜いた。
「それなら早く帰ろうよ。先輩はほら、さっさとテキストしまって」
 急き立てられるままにテーブルに広げていたものを青いリュックへ片付ける間、ティームは自分のリュックのファスナーを開けて中からエコバックを取り出した。ウィンと旅行で行った南部の島で買ったものだ。派手な色合いがリュックの中で見つけやすく、コンビニやスーパーへ行った時に取り出しやすいとティームはよく使っている。それを今なぜ? と伺っていれば、先ほど抱えていたビニール袋やペットボトルを入れ始めた。
「どうした?」
「先輩が全部持ったら重たいだろ。半分おれが持ってあげるよ」
 真っ先に屋台のおばさんがくれたガイヤーンとバナナロッティが入ったビニール袋を入れたところがティームらしい。半分に減った自分宛のものを見て、目に見えないものもティームは半分持っている気がして心がふわりと軽くなる。
 ウィンもノートとテキスト、それにティームのペンを自分のリュックに入れ、残りの貰い物を詰め込み、空のペットボトルと膨らませたままの紙風船を手に立ち上がった。
「ティーム、ありがとうな。はい、お礼」
 かさりと乾いた音を鳴らす日本のレトロなおもちゃを形が崩れないようにティームに渡した。ティームは白くてまろい両手をボウルのようにくっつけて、その上に紙風船を包み込む。ウィンの呼気で膨らんだそれを潰さないように、どこかへ転がっていかないように。しっかりとその形を保ったまま、ティームは手のひらと指先でさらりと表面を撫ぜた。
「お礼って、ペットボトルのおまけじゃないか。本体は?」
「中身がなくていいならどうぞ」
「ゴミは自分で捨てろ。もう……先輩、結構このお茶好きだよね」
 そりゃまぁ、お前が飲んでいて、お前がそれで遊んでいたからな。
 ウィンの中で馴染んでしまった判断基準。コンビニに並んでいるお茶すらもうどれでも一緒ではない。昔とは違う。
 バスケの部内試合に出たのはティームとワンオンワンをして楽しかった余韻で承諾した。家庭教師の問題集はティームへの試験対策の残り物。おばさんの屋台のガイヤーンは食べた時の幸せそうな笑顔が可愛くて、むしろお礼をしたいのはこっちの方だ。宝くじの番号は二人の誕生日を足した数で、ウィンにとっては何が当たろうが外れようが生涯のラッキーナンバーである。電灯が足りない駐車場はお前も便利だからってよく使ってるだろうが。
 経営学部の友人もフリーの時は助けていた。今は違うから断った。
 それと。
「ティーム、胸のところに入れられた紙を出せ」
 ゴミ箱の前で立ち止まり、空のペットボトルを捨てた手をティームの前に差し出した。指先をちょいちょいと曲げ、乗せるように催促する。
「え? 何も入ってないけど」
「入れられてんだよ、チア部の子に。忘れないうちに出せ。そのまま洗濯したら面倒くさいだろ」
 やはり気づいていなかったティームは指先で探り当てた胸ポケットの中の異物感に「うわっ」と短く叫び、素早くウィンの手のひらへと付箋を放った。二つ折りのそれを開けると案の定ティーム宛のもので、SNSとメッセージアプリのアカウントが書かれている。
 わざと目を細めてティームに中身が見えるようにひらひらと黄色い紙を振って見せれば、黒髪はもっと細かく横に振られた。
「要らない、要らない、要らない」
「捨てるぞ」
 そう言うと今度は縦にこくこくと頭が動く。
 これも昔とは違う。
 ウィンは隣にいた人に誰がどのようにアプローチをしてきても、自分の向こう側の問題だと考えていた。どうするかは隣人次第、付箋を捨てるのは自分じゃなかった。
 すらりと長い指が躊躇いなく可燃ゴミのマークのついた口へと付箋を滑り入れてからティームの頬を摘んで軽く揺すった。決まり悪げに顔を顰めた子供は低く唸り声をあげて更に舌打ちまで繰り出す。可愛くない口がもにょもにょと動いた後にふーっと細いため息をついて自分を落ち着かせているのをウィンは勿論見逃さなかった。
「いつの間に入れたんだろ? あーびっくりした。全員ウィン先輩宛の用事だと思ってたのに」
「よしよし、びっくりしたな。こんな便乗犯が増えても困るから、俺に用事のあるやつに呼び止められてもいちいち相手にしなくてもいいんだぞ。今日みたいに近くにいる時は連れてきてもいいし」
 他人に頼られる事と同じだけ他人をあしらう事にも慣れている。得意げに笑ってみせれば、ティームは「嫌だね」と強めに即答した。
「預かり物や伝言で終わるなら、そっちのがいいでしょ。直接会ったら『またよろしく』の『また』がそのまま先輩にきちゃったりして絶対に話し込む。用事がなくても話し込む」
「ティーム」
 思わぬ返しに瞬きが増える。隣に立つ人物をまじまじと見つめれば、丸い黒目は昼下がりの日差しに眇められることなく真っ直ぐとウィンを見返した。風が吹き、近くの葉が揺れ、ティームの目の中の水面がキラキラと輝く。
「二人の時間が減っちゃうだろ」
 光はそのまま鮮やかにさらっていった。
 どっと押し寄せた感情は動くことはないと思っていたウィンの中を何度でも掻き混ぜて新たな水源に作り変えていく。ティームは穏やかに満たすだけの男ではない。彼の温度が混じり、馴染んで、それが『自分』になる。
「それにおれだって自分のことは自分で対しょ……ふぐっ!」
 気づけば両手は既にふっくらした頬を包んでいた。思考より先に手が出た。ティームにはいつもこうだ。手の中に、腕の中に、布団の中に部屋の中に。どんな時でもずっとそばに。
「なっ! ひょっほ、ひぇんはい!」
 少し力加減がコントロール出来ずに頬肉を唇へ寄せてしまったのはご愛嬌。タコみたいに突き出たそれをパクパク動かすティームの、まるく見開かれた目に自分のシルエットだけが映っている。
「ティーム、お前って本当に」
 湧き上がる愛おしさを止めることが出来ずに弾みまくった声が出る。
 二人の間で紙で作られた風船が押されてパリリと音を立てたが、最後までウィンの言葉を聞いて顔色も茹でたタコのようになったティームが両手で包んでいたので潰れることはなかった。