タロ文庫の作品置き場
2025-05-06 23:43:43
2047文字
Public 作品
 

わたす(すくう2)

2021-10-31

 ぱりっと乾いた音を立てて綺麗な丸に膨らんだそれを、ティームは潰さないように軽く指先で押し出した。
 ゴム風船よりはしっかりと、ゴムボールよりものんびりと放物線を描き、さほど離れているわけではない対面の金髪の頭にぶつかる。
「いてっ」
 絶対に痛くないはずなのに触れた衝撃で反射的に出た声がゲームセンターに置いてあるワニ叩きゲームの音声に似ていて、鼻の奥で低く笑ってしまった。
 いつもの家庭教師タイムにコンビニで買ったペットボトルを持ち込めば、またもおまけに日本のおもちゃがついてきた。前にも同じようなことがあったなと、ティームは説明書を見ながら紙風船にふーっと息を吹き込んだ。
 アーモンド型の目がチラリとこちらに上がり、何も言わずに左手がテーブルに転がったそれを指先だけで持ち上げて手のひらに乗せる。そのままゆらゆらと揺らし、まるであやされているかの様だった。
 ティームは手持ち無沙汰になった両手で頬杖をつくと目線をウィンの右手にスライドさせる。お手本そのままの持ち方で握られているのは自分が高校時代から愛用している安いペンだ。そのペン先を動かしながらティームの書いたアルファベットの並びを追っている。ノートはウィンの部屋にストックされていたものを拝借した。
 自分の過去から持ってきたものが彼の手の中にあり、彼の持ち物を自分が消費している。それらが重なる『今』を認識して、ティームはふと吸った息と共に身体に取り込んでしまった。
 胸の奥がキュッとなる。
 左手は変わらずころころとティームの呼気で膨らんだ紙風船をあやしながら、時折表面のカサつきを指に馴染ませる様にすりっと擦る。ティームのRなのかNなのか分からない小文字にペンでチェックを入れて課題の添削をしているにも関わらず、意識の欠片をこちらに向けていた。
 相変わらず器用だなぁ。
 他事をやりながらも転がしている紙風船をウィンは下に落とさない。薄平べったい掌の上、渇いているもの同士の軽い接触面は少しでも外から抵抗を受ければ簡単に落ちてしまいそうだが、あの手はいち早く察知して大切に包む。
 それでも間に合わない時は、こちらが動けばいい。
 ティームは両手の頬杖を解いて、ウィンに向かって差し出した。指先をちょいちょいと曲げてアピールする。
「先輩、紙風船返してよ」
「自分で投げつけておいて何言ってんだ。お前に返すのはこっち」
 チェックが終わったのかノートが向きを変えてティームの目の前に戻ってくる。ペンも柄を向けて差し出された。紙風船だけはまだウィンの手の中。
 まずペン受け取る。高校時代から使い続けているペンに自分以外の温もりを感じてギュッと強く握った。
 ノートの余白にはいつものブタの絵。口端が上がっている生意気そうな笑顔は、目の前の人物が揶揄う時に良く似ている。ブタをティームに見立てているつもりが自分を反映させている。
 ティームがまた落書きしやがってと眉を顰めてウィンを睨むと、ウィンは手の中の紙風船に息を吹き込んでいた。
「そんな顔すんなよ。返すって」
 両手で包み込み、目を伏せ、口を窄めて、かすかに顎が上がる。
 ふーっと吹き込まれるウィンの呼気でパリッと勢いよく丸みに張りが戻る。その綺麗な形にウィンが満足げに目を輝かせて笑った。
 それを見て突然胸の奥から衝動が上がってきた。
 返してほしいという気持ちに違和感がまざり、渡してほしいというものに変わっていた。それはもうティームだけのものではなく、ウィンが含まれているから。
 ティームはそれに気付くと同時に口元や目元が崩れていきそうになり、慌ててモニョモニョと力を入れて形を保った。目敏いウィンに見られたくなくて、ノートを見直す為に顔を伏せる。
 だがどうやらウィンの動体視力とティームに対する第六感の方が優っていたようで、ティームの丸い頭にぽこんと軽い衝撃が当たった。視界に丸い紙風船が転がる。
「痛いな」
 本当は何にも痛くない。
 むくれたフリをして崩れた表情を立て直して顔を上げると、ウィンが案の定楽しそうに笑っている。
 ティームはこの顔を知っている。
 紙風船を綺麗に膨らませて眺めていたのと同じ顔。
 お前とずっと一緒にいると言った顔。
 だからティームもふわりと眉を上げて、一緒にいるから似てきてしまった嬉しさを素直に出したくない時の表情の作り方をする。
「そういえばまた同じところ間違えてたぞ」
「えー!」
「もうお前に反復学習は合わないな。インターリーブに切り替える」
「なんだか分からないけど……えぇー!」
「文句言う前にやっちまえ。終わったら飯買いに行くから」
 今日はあの屋台に行くか? と丁度ティームの腹が求めていた味とマッチしている提案に、ティームは返事する間も惜しんでノートにかじりついた。
 ウィンの掠れた笑い声を聞きながら、渡し合って二人の呼気で形成された紙風船を潰さない様に丁寧に鞄の脇へと転がした。