タロ文庫の作品置き場
2025-05-06 23:24:59
5040文字
Public 作品
 

プレゼントは君の声

2020-10-11

 その日ティームは後輩の居残り練習に付き合っていた。プールサイドで腕を組み、タイムを競い合う二人と両手に持った二つのストップウォッチを交互に睨みつける。
 三年生に進級し去年の先輩たちが抜けた分、後輩の指導の時間が増えた。強豪の名にふさわしい先輩たちの穴をしっかり埋められるような期待の新入生が入ってきたので、ティームの指導にも熱が入る。そのうちの一人は水泳で奨学金を得て入学している、エース中のエースである。
「ティーム、お疲れ様」
 二人がほぼ変わらないタイムであちら側の壁を蹴って折り返してくる。それを見届けてからティームは親友のほんわかした挨拶に手をあげて答えた。
「パームも部活お疲れ様。ちょっと待ってて、今あいつら競争してるから」
「そうだったんだ、ごめん」
「大丈夫! 見ててやってよ。ちょっとだけあいつの方が優勢だからさ。パームが見てるって分かったら多分そのまま勝つよ」
 パームがゆっくり歩いてティームの隣に並ぶと、ストップウォッチを覗き込んだ。
 制服姿に黄色いリュックを背負う彼は、ネクタイこそ付けていないものの出会った頃と何ら変わらない柔らかさで笑っている。
 いや、変わってなくはないな。
 二つのレーンの水しぶきが徐々に近づいてくる。パームはその一方のレーンとストップウォッチを交互に見て小さく頑張れと呟いた。
 今年の新入生の彼と出会うまで、パームはいつも何かを誰かを探していた。温厚でも活発でもあるパームがふとした時に見せるその必死な表情がティームは密かに心配だったが、このプールサイドで彼と出会ってからは少しずつその顔と会わなくなっていた。
 見つけたのかな?
 ティームは親友のプールを見つめる表情の輝きを眩しく思い、目を柔らかく細めた。それからラストスパートをかけにくる後輩に向かって声を張り上げた。
「パームが来たぞ! カッコイイとこ見せろよ!」
「ちょっとティーム!」
 ティームの声がちゃんと聞こえたのか、接戦を繰り広げていた二人の距離が少しずつ開いてきた。
 バシャンッと大きな飛沫が壁面に当たり、ティームはそれぞれのストップウォッチを止めた。
 泳いでいた二人にタイムを告げる。
「うわ、負けた! 愛の力には勝てないな。俺にも愛の力があれば勝てたのに」
 片方がゴーグルを毟るように取り、心底悔しそうな声を出しながら水面から上がってきた。続いてもう片方も無言で姿を表す。
 ティームは二人にタオルを投げ渡しながら、意味深な目線を寄越しニヤニヤ笑っている金髪の頭を小突いた。
「愛の力がなくても今のはウィンが負けてたぞ。おれがディーンに声をかける前から、お前ちょっとへばってただろ」
「誰かさんが連日アメもくれずムチでしごいてくるからですよ」
 ウィンが小突かれたこめかみを摩って片眉をくいっと上げた。その生意気な後輩を横目で睨みつけて、ティームは親友の方を向いた。
 ディーンが脇目もふらず真っ直ぐパームの前に立つ。パームが焼き上がったばかりのパンケーキのようにはにかんだ。
「ピパーム」
「お疲れ様、ディーン。これ、差し入れだよ。口に合うかわからないけど、どうぞ」
「いつもありがとうございます」
 パームが手に持っていた茶色い袋の一つをディーンに手渡す。ディーンはティームの投げたタオルで手の水分をしっかり拭き取ってから両手でゆっくり受け取った。受け取る時に二人の指が触れ合い、鉄面皮だと入学初日から言われ続けているディーンが少しだけその鉄を融解したように口角を上げた。
 途端にパームの目がキョロキョロと忙しく動き、口元がニヤつきを抑える為かフリーハンドで描いた横線のようにキュッとなる。
 照れ隠しにもう一つ持っていた茶色い紙袋をティームの胸元に押し付けた。
「こっちはティームの! 今日誕生日でしょ? 特別にデコレーションしてあるから、食べて」
「え? パームありがとう!」
 その割にディーンに渡すより雑に押しつけられた気がするがティームは特別仕様になっている美味しさに間違いなしのパームのお菓子で頭がいっぱいになった。
「あ、ウィンのも入ってるから。一緒に食べてね」
「ありがとうございます。ピー」
 がさごそと袋の中を漁っていたティームがパームの一言に引っかかりピタリと手を止めた。
 一緒に、だって?
 その隙をウィンは逃さず、ティームの手から紙袋をするっと取り上げてパームに対してワイをした。
「じゃあお言葉に甘えて早速いただきますね。ディーンも勝った後のご褒美を堪能したいだろうし、俺たちはこの辺で失礼します」
「お前死にたいのか」
「ごゆっくり~。行きますよ、ピティーム」
 親友の肩をペチペチと叩いて、ウィンはティームに顎をしゃくってさっさと更衣室に足を向けた。茶色い袋も持っていかれて、ティームは慌ててパーム達に手を振り、濡れた黒い翼が生えた背中を追った。
「おい、ウィン。クールダウンまだだろう。勝手に戻るなよ」
 更衣室に入るとウィンはパームの紙袋を一つしかないベンチにそっと置き、自分のロッカーを開けた。中から黄色いスナック菓子の袋を二つ取り出し、ティームの手に乗せる。
 部活終わりにいつも腹が減ったと煩くする自分にいつからかウィンがくれるようになったお菓子だ。後輩にたかっているようでたまに恥ずかしくなるが、その度にウィンが「俺が好きでやってることだから気にしないで」と言ってくるのでつい甘えてしまう。
 自分の方がふたつも先輩なのにな。
「ピー、誕生日おめでとう」
「お、おぉ、ありがとう。やった!」
 いつもはどんなにせがんでも一袋しか渡してこないウィンが二袋もくれた事にティームは条件反射のように喜んでしまった。それを見てウィンはふっと柔らかく笑いロッカーに凭れる。笑いながら小さく首を横に振る。その目が自分をとても愛しい者のように見てくるので、ティームは指先に力が入った。
 手の中で袋がパリリッと音を立てる。
 やっぱり生意気。
 ついこの前まで高校生だったくせに、何という色っぽい表情をするんだ。
 それに比べて自分はスナック菓子ふた袋で小躍りして、居た堪れない。
「いつもお世話してやってるピーの誕生日祝いがポテトチップス二つだけかよ」
 そんな自分を誤魔化すようにティームは唇を尖らせてウィンに抗議する。スナック菓子の袋を持ってない方の手をくいくいと動かす。他にないのかと無言の圧力をかけると、ウィンがまた一つ小さく笑って腕組みを解いた。
 長くてすらりとした腕がティームに伸ばされてゆっくり引き寄せられる。
 え、と目を見開いているうちに体勢を逆転されティームは裸の背をロッカーにつけた。目の前にはウィンの腕に彫られているタトゥー。水着でいる時の距離ではないウィンと自分との間にじんわりと熱が篭る。
「俺、ピーのお母さんには産んでくれてありがとうって思ってます」
 ウィンの指がティームのこめかみを摩り、手のひらが頬を包む。大きくて薄平べったいウィンの手は泳いだ後でひんやりと湿っていて、火照る頬には気持ちよかった。もう片方の手が菓子袋を持ったまま身体の横に垂れ下がっているティームの手を上からそっと掴む。
「でもまたピーとの差がふたつに広がることが嫌だ」
「そっか、ウィンは五月生まれだから今日までは一歳差だったのか」
「そうだよ。それでも追いつけはしないけど」
 頬を包む手の親指がティームの頬骨を優しく擦る。それが気持ち良くてティームは少し自分からウィンの手に擦り寄った。
「だから素直に喜んであげられなくて、ごめんなさい」
 見上げる先のウィンはティームが思っていたよりずっと真面目な顔をしていて、喜びたい気持ちと縮まってもまた離される歳の差のもどかしさが混ざっていた。潤む綺麗な二重の瞳はぴったりティームを見つめて逸れることがない。
 普段は生意気で揶揄ってばかりくる口が殊勝な事を言ってきて、なかなかに可愛い。ティームは胸の真ん中をきゅっと圧迫されたように締め付けられて、頬を包むウィンの手に自分の手を重ねた。
「ウィン……おれさ、お前から欲しいプレゼントがひとつあるんだけど」
「なんですか?」
 圧がかかり心拍が上がったのか鼓動がバクバクしている。頬にあるウィンの手はもうティームの火照りに馴染んでしまい温かった。
「ピーを取って呼んでほしい」
 その願いはティームのものであるとともにウィンの先程の言葉にも繋がっていた。ピーとノーンの間にあるものをもどかしく思うのは、ウィンだけじゃない。
 ティームは言った後に、はっと気づいた。
 ここは水泳部の更衣室で外にはいつ戻ってくるかも分からないディーンが居るのに何を言ってるんだ。
 おれ、先輩なのに。
 前言を撤回しようと顔を上げるのとウィンが薄く唇を開くのが同時だった。
「ティーム」
 ティームは小さく息を吸った。
 それは初めて耳にしたはずの対等な呼びかけだったはずなのに、ティームの耳には驚くほど馴染んで体内にじんわりと広がっていった。ウィンの掠れた高めの声が、胸を切なくさせる。
「ぁ……も、いっかい」
 ウィンの手に力が入ったのがわかった。顔が近づいてきて熱っぽい息が唇を掠める。
「ティーム」
 二回目は甘く蕩けた。
 耳ではなく口の中に流し込まれるように囁かれて、ティームは触れ合う唇ごと味わう為にそっと目を閉じた。



「ティーム」
「う、わ!」
 ティームは意識が急浮上していく感覚に驚いてパチリと目を開けると、そこは間接照明の淡いオレンジ色に染まった見慣れた天井だった。
 浅い呼吸を数回繰り返して、胸の動悸の大きさに気づいて深呼吸に切り替える。
 頭を動かすと枕の擦れる音が聞こえて、それから髪を梳く指の感触がした。
 長くて綺麗で熱が高い、優しく翻弄してくる指。
「ノン……ウィン」
「あ? 今なんて言った?」
 意識と思考回路の回転数が微調整されている間に口は心とダイレクトに繋がって、先程まで一緒にいた人物の名を呼んだ。口が違和感でむず痒くなる。
 まだ少しぼんやりしているティームの額にデコピンを当てて、よく伸びる頬をつねる。
「一個歳が上がったからって兄気取りか? ん? 残念だけどそれでも俺の方が年上だ」
「ヒ、ヒア⁉︎」
「それも日付が変わる前に寝落ちしやがって」
「ひひゃい、ひあ、ほっへいひゃい」
 みょんみょんとつねったまま上下に動かされてあまりの痛みにティームは完全に目が覚めた。ギブギブとウィンの手の甲を指先で数回叩くと年上の人は気が済んだのか指を離して、さらりと撫でた。
 あれ?
 頬を包むウィンの手のひらの感触に、どこか懐かしさを覚えてティームは目を瞬かせた。だが何かを掴みかけたと思った次の瞬間にはもうそれは霧散してしまい一体なんだったか分からなくなってしまった。
「おれ、今日誕生日?」
「あぁ。もう日付変わったからお前の日だ」
「そっか。やった! ヒア、なんかご馳走してくれるんだよね」
「あぁ、なに食いたいか考えておけ」
「パームも特別にデコレーションしたお菓子作ってくれるって言ってた」
「そうかそうか。良かったな」
 頬を包む手の親指がティームの頬骨の上を擦る。大切に愛おしそうに動く指と柔らかく掠れる声にティームは猫のようにゆっくり瞬きを繰り返した。
 安心する。
 ウィンのベッドで、肌触りの良いとろみのあるシーツとウィンの高い体温に包まれて、優しく愛でられる。
 自分が歳を重ねる瞬間を喜んでくれる人がいる。厳しくて優しくて真面目で口煩くて、年下の自分に対していつも一生懸命で、そこに居てくれる。
 居心地の良い夢を見ていた気もするけれど、やっぱりここが自分の居場所だ。
 きしりとベッドが沈み、ウィンが腕で上半身を持ち上げてティームに顔を寄せた。
 ティームは黙って見つめて、自分にウィンの影が濃く重なると目を閉じた。
「誕生日おめでとう、ティーム」
 キスする直前に愛情たっぷりに呼ばれた自分の名前が、今日は何だか一段と特別なものに感じる。
「ねぇヒア、今日はいっぱい名前を呼んでよ」
 唇をつけたまま小さく呟くと、ウィンもそのままいいよと言った。
 ティームはお礼を言う代わりにウィンの唇を何度も何度も角度を変えて啄んだ。